俺と副隊長
あの一面に広がる、青い花を見てから俺は憑き物が落ちたかのように、訓練に打ち込み始めた。
兄の死から、それにずっと囚われてきた俺は、ようやく自分の中で区切りをつけ、前に進む決意が湧いたのだ。
兄の死のことを知りたくて入ったアルフェッカだったが、俺はここを去るつもりはなかった。
俺は、もっと強くなりたかった。
兄の命を奪った魔獣、それは王子の手によって倒されたが、俺と同じように家族を魔獣に奪われる人を少しでも減らしたい、と思った。
……王子みたいに強くなりたい、と。
兄の死をすぐ振り切ることはできなかったが、俺の傍には頼れる先輩や、能天気な同期が居た。
特にラングの能天気さには救われていたし、
「ルビアナさん、ルビアナさん」
と先輩隊士に恋をしている彼に、俺もつられるようにしてもう一人の女性隊士であるフィリスさんに恋をした。
フィリスさんは、ルビアナさんに比べればほっそりとしていて、物静かな女性だ。
けれど芯が通った性格に惹かれて、食事に誘ってみたが全戦全敗。
つい先月、玉砕覚悟で告白するも、
「ごめんなさい……私、メレディスさんのことが好きなんです」
……本当に玉砕してしまった。
ああなんでよりによってメレディスさん、と俺は嘆いた。
なぜなら、俺はあの兄の一件以来、何となくメレディスさんが苦手だった。
メレディスさんは、王子の後を追ってアルフェッカに入隊したと公言するほど、王子に心酔している。
だから王子を悪く言った俺を許すことができないのでは、と勝手に俺が思っているのだけど。
もちろんメレディスさんは話しかければ、他の皆と同じように丁寧に相手をしてくれるので、俺の負い目からくる苦手意識だとは分かっているのだが。
とにかくようやく兄の死から吹っ切れようとしていた、俺は自ら落ち込む理由を作ってしまった。
その日は、ラングといつもの店で呑みまくった。
大泣きするラングにつられ、俺も泣いていた。
ラングも失恋したのだ、もう一人の女性隊士、ルビアナさんに。
「ルービーアーナーさーん」
ぼたぼた涙を零しながら叫ぶ彼は、正直引く。
だが、それだけ本気だったのだろう。
俺でも彼女は、殿下が好きだと気づくぐらいなのに、気づかなかったのはラングらしいが。
「ニール……仕方ないよ。だってメレディスさんだもん」
「ラング……お前だって同じだ。だって殿下だからな」
お互いを慰め合い、その日はぐでんぐでんに酔っぱらって、翌日は二日酔いで苦しんだのは言うまでもない。
それから数年経つが、相変わらず俺もラングも一人身のままだった。
フィリスさんには未練があるが、振られたものは仕方がない。
彼女はまだメレディスさんを想っているようだが、正直フィリスさんの恋が実か難しいところである。
何せメレディスさんはあの容姿に加えて性格も良いし、剣の腕も強い。
引く手数多で、他国の王女から縁談を申し込まれたこともあると聞いた。
けれどどうしてかメレディスさんはどの女性とも付き合っていると噂が流れないし、逆に一番多いのが、
『殿下に恋をしている』
と何とも寒気がくる噂だった。
それだけメレディスさんは王子に心酔しているということなのだが。
でも何と言うか、若干一方通行気味だと思う。
王子は誰に対しても気さくなのだが、なぜかそうなぜかちょっとメレディスさんに対して素っ気ない。
でもそれをメレディスはつらそうにするどころか……あの人なんか喜んでない?って俺は思う。
誰も気付かないのか、何も言わないけど。
そんなとき、王子がスコーピオウの第一王女と婚約を交わしたという報せが舞い込み、さらに王子は最短期間で結婚してしまった。
あの天蠍宮の神の娘を務めた、美貌の姫として名高い姫と。
美しいとは思うが、正直俺の好みではなかった。
だがラングにとってはどんぴしゃ、あれだけルビアナさんと言っていたのに、今度はクインティア姫のことばかり口にしている。
まあ、俺も人のことは言えないかもしれないが。
俺もクインティア姫とともにやってきた侍女、シャーリーさんに恋をしたのだから。
シャーリーさんは、黒髪と黒い瞳、ぴんと伸ばした背筋が美しい人だった。
姫がシャーリーさんを伴って訓練場に現れると、俺の心臓はばくばくと音を立てた。
彼女らは、本当に美しい主従だった。
姫にまっしぐらに駆け寄る王子を羨ましい、とその場に居た誰もが思っていた。
俺もどうにかしてシャーリーさんとお近づきになれないものか、と日々悶々と過ごしていた。
――――それを見たのは、本当に偶然だった。
隊長となった王子に用件があって、通してもらった蓮の宮に俺はシャーリーさんに会えるかもしれないと内心どきどきしていた。
侍女が通るたびにシャーリーさんでは、と期待に胸を膨らませていた俺は、ふと目をやった中庭で変なものを見た。
「な、何やってるんですか……メレディスさん」
中庭に跪き、なぜかその手に手巾を捧げ持っているメレディスさんを。
まるで天への捧げ物かのように両手に手巾を持っていたメレディスさんは、俺の声に何事もなかったかのように立ち上がり、微笑んだ。
「やあニール。珍しいですね、ここで会うのは」
やあ、じゃねえよと内心俺は突っ込みながら、メレディスさんが持っている手巾を見つめた。
白い手巾は一見すればどこにでもあるものだったが、よく見れば金の刺繍がしてある。
それには見覚えがあった。
「……シャーリーさんの?」
我ながら気持ち悪いとは思うが、何せ今までシャーリーさんに恋してからずっとシャーリーさんを見てきたのだ。
以前、ちらりと見たシャーリーさんの手巾も金の刺繍がしていて、持っている物も上品な人なんだなと思った覚えがある。
「それ、シャーリーさんのじゃないですか?」
何で持っているのか、問いかけようとする前にメレディスさんが物凄く良い笑顔で、
「さっき落ちていたのを拾ったのですよ」
言い切った。
何かあやしい感じはするが、藪を突いて蛇が出てきても俺が困る。
そんなことよりもむしろその手巾を……。
「たぶんシャーリーさんのですよ、それ。俺がシャーリーさんに」
届けますよ、と言おうとした俺よりもまた先に、
「なら私がこれから届けますよ」
きっぱりと言われてしまった。
「いや、でも……」
俺としては、手巾のおかげでせっかくシャーリーさんとの接点ができるかもしれないのだ。
何が何でも受け取りたかったが、残念ながらそれはメレディスさんの手の中にある。
「君はここに何か用があって来たのでしょう? それならそれを済ませた方がいいですよ」
「……」
こう言われてしまえば、引き下がるしかなかった。
渋々諦め、メレディスさんと別れて王子の元に向かった。
そこでは王子と姫が仲良くお茶をしていて、その給仕はシャーリーさんではなかった。
何だかものすごく損をした気分で王子に用件を伝え、結局その日はシャーリーさんと会うことができないまま蓮の宮を後にした。
けれど、好機は再び訪れた。
その3日後にまた、蓮の宮に入る用ができたのだ。
今度こそシャーリーさんに会いたい、と思っていた俺は、中庭が見えたときつい先日のことを思い出して、また変なものを見たくないから足早に立ち去ろうとしたのだが。
「ねえシャーリー、諦めたら?」
「もうちょっとだけ……」
という声を聞いたのだ。
このときほど神に感謝をしたことはなかった。
中庭には、シャーリーさんともう一人、同僚の侍女らしき人が居たのだ。
俺は足を止め、シャーリーさんを見つめた。
今日は黒髪を一つに結い上げていて、その白い項が眩しいほどだった。
「おかしいわね……こんなに探してもないなんて」
シャーリーさんは何かを探しているのか、しきりに地面や植木を見回している。
俺はシャーリーさんにはじめ見惚れていたが、彼女たちの声を聞いているうちに段々嫌な予感がしてきていた。
「もういいじゃない。きっと風が何かで飛んだのよ。それに、新しい手巾をメレディスさまから貰ったんでしょう?」
うらやましいわ、と言うもう一人の侍女の言葉が決定打だった。
シャーリーさんは、手巾を探しているのだ。
あの、メレディスさんが拾ったあの手巾を。
「……ええ、あの手巾を無くしてすぐに『偶然にも』くださったわ。本当に『偶然』に」
メレディスさんは、あのとき確かにシャーリーさんに返すと言っていた。
なのにメレディスさんは新しい手巾をシャーリーさんに贈ったという。
……あの手巾はどうしたのだろうか。
まさか、という思いとあのときの不審なメレディスさんの行動に俺は、シャーリーさんを見たときとは別の意味で鼓動を速めた。
俺の勘違い、ということもあるかもしれない。
いや、もしかしたらあの手巾が汚れていたからメレディスさんが処分して、新しいものを贈ったとか。
「仕方ないわ。これだけ探しても見つからないのだし、諦めるわ」
俺がだらだらと汗を掻いている間にシャーリーさんは諦めたたしく、同僚とともに俺の目の前から立ち去った。
残された俺は……見なかったことにしよう、と足早にその場を立ち去ったのだった。
それからも、俺は正直メレディスさんという人間を疑っていた。
誰にでも人当りは良いし、丁寧な人なのだけど……何かがあやしいと俺の本能的なものが訴えていた。
そして何よりも疑ったのは、この人もシャーリーさんが好きなんじゃ、ということだった。
あれだけ美しい人なのだから、メレディスさんが惚れたっておかしくはない。
フィリスさんに続き、シャーリーさんまで奪われるかもしれないと焦った俺は、このままじゃ駄目だ、シャーリーさんに一度でも良いから声を掛けようと思っていた。
だけど、探し出したシャーリーさんはいつも姫と一緒に居るか、それか……メレディスさんと一緒に居た。
その事実は俺をこの上なく落ち込ませたが、諦め切れない俺は、シャーリーさんを探してはメレディスさんと過ごす彼女を眺めていた。
はじめはそれだけで満足だったが、段々と二人を見ているうちに……何かおかしくないか、と思うようになった。
何でだろう―――――シャーリーさんがいつもメレディスさんの足を高い踵のある靴で踏んでいるのは。
しかもそうされているときのメレディスさんは、物凄く良い笑顔を浮かべている。
そう、王子に素っ気なくされたときよりも何倍も。
語彙の少ない俺には言い表すのは難しいのだが、恍惚?とでも言うのだろうか。
たまにシャーリーさんの細い指で、頬をつねられたときなんてもう、残念としか言いようがないくらい笑み崩れていて。
そっと二人から離れて、自室の寝台の上で膝を抱えてしまったことは誰にも言えない。
同期で、親友とまで言うべき存在になったラングにも言えなかった。
段々とシャーリーさんは高嶺の花だった、と諦めの境地に達しかけていたとき――――それが起こった。
始まりは、一人の侍女が訓練場に駆け込んできたことだった。
最初は興奮してわめくばかりだった侍女の言葉の断片をどうにか繋ぎ合わせ、
「クインティア姫が侍女とともに攫われた」
と分かったときの王子とメレディスさんの顔は、俺でも息を呑むほどのものだった。
姫とシャーリーさんが捕らわれたのは、ミストラ公爵家。
アルフェッカとして動くつもりはないという王子たちの後を追うかどうか、皆迷ったのは一瞬だった。 補佐であるエリスさんが真っ先に駆け出し、俺たちもその後を追った。
自身の足で走る王子とメレディスさんは誰よりも速かった。
あれだけ訓練しているはずの俺たちでもその背中を追い続けるのがやっと。
「高……っ」
塀の高さに呻きながら、どうにかミストラ公爵家の庭園に入る。
二手に分かれて奥へと進む王子たちに、俺たちも続く。
どうにかメレディスさんの背を追いながら、俺は見えてくる物たちに背筋を凍らせた。
……荒れた庭園には、動物のものではない、恐らくは人骨が落ちていた。
同時に大きな獣の爪痕や、足跡も確認できる。
等級は恐らく四級以上。
ごくりと息を呑んだ俺は、あの噂を呟いていた
「『ミストラ公爵家では、魔獣を飼っている』」
と。
一緒にメレディスさんを追ってきた同僚たちも顔を強張らせ、
「―――まずいな」
「ああ。一人で動くのは危険だ、副隊長に追いつこう」
頷き、メレディスさんを追いかけた俺たちは言葉を失った。
進むごとにむっとするような臭気があった。
アルフェッカに所属していれば、嫌でも嗅ぐその匂いは魔獣の体液のもの。
はっと目を見開く俺たちは、大型犬よりも大きな体を地面に横たわらせた魔獣と転々と落ちる魔獣の血を見つけたのだ。
それはすべて同じ方向に繋がっており、しかも倒された魔獣は一頭ではなかった。
恐らくは三頭ぐらい居たんじゃないだろうか。
しかも等級は俺だったら一人で倒すのは無理な、四級。
「………」
「………」
俺たち来た意味なくないか?と無言のうちに誰もが思ったに違いない。
一刀両断、ほとんど一撃で魔獣を倒している剣技は恐ろしいくらい冴えている。
魔獣、という道しるべを追っていた俺たちは、やっとメレディスさんに追いついたのだが……そこでまた衝撃の光景を目にする。
……メレディスさんが、シャーリーさんを抱きしめていた。
倒れた魔獣を背景にして。
「……やっぱ来た意味なくない?」
同僚の一人がぽつりを呟いた言葉には同感だったが、俺は答える気力がなかった。
シャーリーさんが、俺のシャーリーさんがメレディスさんに……。
やっぱり、とは思っていてもなかなか心は納得できないものだった。
だけどシャーリーさんは抵抗することなく抱きしめられていて、そして俺たちが居るにも関わらず口づけようとまでしていたのだから、もう俺は失神したいくらいだった。
結局はそうならなかったが。
それからどういう状況かは分からないが、泣いている姫をシャーリーさんが馬車へと乗せ、俺たちは事態を引き起こしたミストラ公爵家のカイル・ミストラの確保と現場保存をしたのだった。
魔獣を飼っていたカイル・ミストラが生涯幽閉、ミストラ公爵家は取り潰しが決まり。
一時は騒然としていた王宮も元通りに戻りつつある。
よく分からないが、あの現場で姫と仲違いしたらしい王子は、二日ほど『不機嫌です』ということを隠さない表情をしていて、相当……厳しい訓練を黙々とこなしていた。
俺たちも隊長である王子が厳しい訓練をしているのに楽をするわけにはいかず、何とも苦しい日々だった。
メレディスさんも……やっぱあの人おかしいよ。
苦しい訓練を楽しんでいるようにしか見えない。
あれ以来、どうにもメレディスさんを直視できない。
別にあの人がおかしいからとか、変だからとか、気持ち悪いからとかではない……嫉妬だ。
疑念が確信に変わったときから、羨ましくて羨ましくて仕方がないのだ。
往生際悪くも諦めきれず、それからも何度かシャーリーさんを探してみたけど。
やっぱり、メレディスさんが一緒に居た。
相変わらずシャーリーさんがメレディスさんの足を高い踵のある靴で踏んでいるけど、その表情がやわらかい気がした。
一度だけ、二人が人目を憚るかのように手を繋いでいる姿を見たときには、もうやっぱり駄目だよなと思うしかなかった。
優しく微笑むメレディスさんも、安心しきった表情でメレディスさんに手を預けているシャーリーさんも幸せそのもので。
とても綺麗だった。
「……仕方ない。だってメレディスさんだからな」
前に振られたとき、慰めてくれたラングと同じ言葉を呟き、俺は彼らから背を向けた。
はじめから見込みのない、恋だった。
声一つ掛けられないでいた、俺には。
たとえメレディスさんがどれだけおかしな人であろうと、きっとシャーリーさんはメレディスさんを選ぶのだろう。
だから、俺は諦めるしかないんだと納得させて。
今日はまたラングでも誘ってとことん呑もうと思いながら。
それでぐでんぐでんになって、きっと明日は二日酔いだろうけど。
その後は、今度こそ後悔しない恋をしよう。
自分だけを見て、笑ってくれる人に―――――。




