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第73話 確認しておきたいこと

迷宮管理院へ向かう途中、ミレーナは手元の紙をもう一度開いた。小さな文字で確認事項が書き込まれ、項目ごとに印が付けられている。書き足した部分も多く、紙の端には四人の名前が並んでいた。


「……まだ見てるのか?」


隣を歩くセインが、紙を覗き込んだ。


「確認することがあるから書いたのよ」

「ずいぶん多いな」

「あとで困るよりいいでしょ。あんたも関係あることなんだから」

「分かってるって。でも、リサさんもちゃんと考えてくれてるだろ?」


ミレーナは顔を上げ、セインを見た。


「だから、その内容を確認しに行くんじゃない」

「……そりゃそうか」


セインが頷くと、フィナが小さく笑った。ルアンはミレーナの持つ紙へ目を向けたが、何も言わずに歩き続けた。細かく書かれた文字の中には、自分たちが普段している仕事のことや、現地で必要になる道具のことも含まれていた。


四人がソルヴェン王国への調査に参加する意思を伝えてから、三日が過ぎていた。迷宮管理院では王国側との調整が進められ、派遣に関する条件も少しずつまとまり始めている。この日は、四人が正式に契約する前に、報酬や待遇について確認することになっていた。


応接室へ入ると、リサがすでに書類を広げて待っていた。机の上には四人分の資料が用意され、重要な箇所には小さな紙片が挟まれている。窓から入る午後の光が、書類の端を明るく照らしていた。


「みんな、来てくれてありがとう。今日は条件を確認して、気になるところがあれば遠慮なく言ってちょうだい」


四人が席に着くと、リサは資料を一部ずつ配った。今回の調査は、ソルヴェン王国の迷宮管理機関からの正式な要請によるもので、アルネス側も管理院の業務として派遣する。報酬だけでなく、旅費や宿泊費、調査中の安全管理についても、両国の機関で取り決める必要があった。


「王国側からは、それぞれに任務報酬が支払われる予定よ。旅費や滞在中の経費も向こうの負担になるわ。それとは別に、こちらの管理院からも派遣手当と危険手当を支給することになっているの」


リサは説明を続けながら、該当する箇所を指し示した。報酬の基本条件はすでに整理されていたが、実際の調査日程や現地での活動範囲については、まだ王国側と確認を進めている部分もある。


「現段階で決まっているのは、ここまで。細かな条件は、今日の話も踏まえて最終的に整えるつもりよ」


ミレーナは書類へ目を落とした。


「では、いくつか確認させてください」

「ええ、もちろん」


ミレーナは持参した紙を机の上に置き、最初の項目を指で押さえた。


「任務報酬は、迷宮で調査を行った日だけに支払われるんでしょうか。それとも、移動日も含まれますか?」

「移動日も含める予定よ。アルネスを出発してから帰着するまで、派遣期間として扱うことになるわ」

「現地で調査が中断されて、待機することになった場合もですか?」

「ええ。王国側の事情で待機する場合については、報酬を保証する条件を設けているわ」


ミレーナは頷き、紙に小さな印を付けた。


「では、調査期間が予定より長くなった場合は?」

「延長に伴う報酬や滞在費についても、追加で支払われるよう調整しているわ。ただし、延長する場合の手続きは、もう少し明確にしておいた方がよさそうね」


リサは書類の余白に短く書き加えた。ミレーナが尋ねたことの多くは、すでに検討されている内容だった。それでも、実際に現地へ行く四人の立場から確かめていくと、書面だけでは分かりにくい部分がいくつか見つかった。


「それから、現地で必要な道具についてなんですが……」


ミレーナは次の項目へ目を移した。


「調査用の道具は、基本的に王国側で用意していただけるんでしょうか?」

「そうね。現地の設備や測量器具は向こうで用意してもらうわ。普段使っている道具を持参する場合も、必要な費用は確認しておくつもりよ」

「分かりました。あと、フィナの治癒術で使う薬や資材についても確認しておきたいんです」


名前を呼ばれ、フィナが顔を上げた。


「私の分ですか?」

「そう。いつもの仕事なら白樹療院(はくじゅりょういん)で用意してもらえるけど、今回は外国での調査でしょ。向こうで必要なものが全部揃うとは限らないもの」


フィナは少し考えてから頷いた。


「確かに、使い慣れた薬は持っていった方がいいかもしれません。現地のものでも代用できる場合はありますけど、種類によっては確認が必要です」


リサは二人の話を聞きながら、別の書類を開いた。


「治癒に必要な資材は、調査経費として扱う予定よ。持参するものについては、フィナと白樹療院にも確認してもらいましょう」

「ありがとうございます。それなら安心です」


フィナが礼を言うと、ミレーナは次の項目へ進んだ。


「それと、任務中に誰かが怪我をした場合の補償についても、詳しく確認したいです」


それまで黙って聞いていたセインが、少しだけ顔を上げた。リサは補償に関する書類を開き、現地での治療費や任務中の負傷について説明した。王国側にも補償制度はあるが、アルネスから派遣される人員にどこまで適用されるか、明確にしておく必要があった。


「この部分は、こちらでも重視しているわ。現地の制度だけに任せず、管理院として必要な補償を受けられるようにするつもりよ」

「分かりました。では、帰国後に治療が必要になった場合も、確認していただけますか?」

「ええ。そこは王国側にも、もう一度確認しておくわ」


リサは新たに一行を書き加えた。


机の上には、最初に用意されていた書類に加え、ミレーナが持参した紙とリサの確認事項が並んでいた。セインは途中から背もたれに体を預けていたが、怪我や補償の話になると、ときどき書類に目を落としている。フィナも自分に関わる項目を書き留め、ルアンは二人のやり取りを聞きながら、必要な箇所を確かめていた。


「……それから、もう一ついいでしょうか」


ミレーナが顔を上げた。


「もちろんよ」


リサはペンを持ち直した。


「現地で、予定していなかった場所の調査を頼まれた場合は、どうなるんでしょうか。危険だと分かっていても、王国側から依頼されたら断れないんですか?」


リサは書類から顔を上げた。


「調査の範囲は、事前に取り決めた計画を基本にするわ。変更が必要になった場合も、現地の責任者と協議して判断することになる。あなたたちだけで引き受けることはないわ」

「では、危険だと判断された場合は、こちらの責任者の判断で調査を中止できるんですね」

「ええ。その点は、王国側にも確認してあるわ」


ミレーナは頷き、手元の紙へ目を戻した。


「それなら大丈夫です。アルネスでも、途中で引き返すかどうかを決めなきゃいけないことがあったので……」


ルアンはその言葉を聞き、先日の救助活動を思い出した。変化する通路の中で、四人は退路を何度も確かめながら進んだ。全員を連れて帰ることができたが、もし途中で帰り道が変わっていたら、救助を続けるわけにはいかなかった。


「向こうの大迷宮でも、同じようなことが起きるかもしれないですね」


ルアンが言うと、リサは頷いた。


「ええ。だから、現地の人たちと十分に情報を共有して、無理のない計画を立ててもらうつもりよ」


ミレーナは持参した紙をめくった。確認済みの項目には印が付き、残っているものは少なくなっていた。それでも最後の方には、報酬や待遇とは少し違う内容が書かれている。


「あと、調査の記録についても聞いておきたいんです」


リサが顔を上げた。


「記録?」

「はい。向こうで確認したことを、アルネスへ持ち帰って調べることはできますよね。例えば、古い図面の写しや、現地で測った数値とか」


ルアンも顔を上げた。ネブラディス大迷宮で何が起きているのかを確かめるだけでなく、その情報をアルネスの記録と比べることも、今回の調査では重要になる。


リサは少し考え、王国側との取り決めを記した書類を開いた。


「調査結果の共有については、すでに話を進めているわ。ただ、古い記録の複写や、持ち帰った資料の扱いについては、もう少し細かく決めておいた方がいいわね」

「そうですよね。せっかく調べても、戻ってきてから使えなかったら困りますから」


ミレーナが答えると、ルアンも頷いた。


「僕も、そのことは気になっていました。アルネスの記録と並べてみないと、分からないこともあると思うので」

「ええ。そこは大切なところね」


リサは書類に書き込み、ペンを置いた。


「……ミレーナ。あなたの方が、私よりソルヴェン王国との交渉がうまそうね」


突然そう言われ、ミレーナは顔を上げた。


「えっ? そんなことありません」

「ふふ。半分は本気よ。私も必要な条件は揃えてきたつもりだけど、実際に行く人の立場で考えると、まだ確認することがあるものね」


リサはミレーナの持参した紙へ目を向けた。小さな文字で埋まった項目には、本人の報酬だけでなく、ほかの三人の仕事や安全に関わることまで書き込まれている。


「おかげで、王国側にも確認しておきたいことが増えたわ。助かるわね」

「いえ……あとで困ることのないように、先に聞いておきたかっただけです」


ミレーナは少し照れたように笑い、手元の紙を見直した。残っていた項目を順に確かめると、最後の行にも小さな印を付けた。


「……はい。私からは以上です。ありがとうございました」

「やっと終わったか」


セインが思わず口にした。ミレーナはすぐに振り返り、呆れたように彼を見た。


「何よ。あんたが怪我した時の補償まで、ちゃんと確認してあげたんだからね」

「分かってるよ。ありがとな」


あまりに素直な返事に、ミレーナは一瞬、言葉を止めた。


「……分かってるならいいけど」


セインは笑いながら姿勢を正した。フィナも手元の書類を揃え、ミレーナへ顔を向けた。


「私の薬や資材のことまで、ありがとうございました。費用のことまでは気が回りませんでした」

「いいのよ。現地へ行ってから足りないってなったら、大変でしょ」


ミレーナが答えると、ルアンも口を開いた。


「ミレーナ、ありがとう。僕も、みんなのことを考えて確認してくれて、助かったよ」


ミレーナはルアンの顔を見た。いつもと変わらない口調で礼を言われ、何か返そうとしたが、すぐには言葉が見つからなかった。


「……もう。四人で行く仕事なんだから、当たり前でしょ」


そう言って書類を揃え直すと、セインが小さく笑った。


「ほんと、頼りになるな」

「だったら、もう少し普段から言うこと聞いてくれる?」

「それとこれとは別だろ」

「別じゃないわよ!」


フィナが声を立てて笑い、ルアンもつられて笑った。リサはそんな四人のやり取りを眺めながら、追加で確認する項目を別の紙へまとめていた。途中で必要になった条件も、ほとんどは王国側との調整によって解決できる見込みだった。


「では、今日出た確認事項は、私から王国側へ伝えておくわ。返答が揃ったら正式な条件をまとめて、改めて四人に確認してもらうことになるわね」


リサは書類を揃え、四人を見渡した。


「それまでは、それぞれ今の仕事を進めておいてちょうだい。出発までには、まだ少し準備の時間があるから」

「はい。よろしくお願いします」


ルアンが答えると、三人も頷いた。


ミレーナは持参した紙を鞄へしまい、セインは大きく背筋を伸ばした。フィナは白樹療院へ戻ってから相談することを考えているのか、自分の書類をもう一度確かめている。ルアンも、保全部で引き継がなければならない作業を思い浮かべながら、資料をまとめた。


四人が席を立とうとしたところで、リサが声をかけた。


「そうそう。もう一つ、伝えておくことがあるわ」


四人が顔を上げると、リサは別の書類を取り出した。


「今回、あなたたちに同行する調査責任者が決まったの。アルネスから派遣するのは、あなたたち四人と責任者一人の計五人。現地では王国の調査員たちと一緒に仕事をすることになるわ」


リサは書類に記された名前を確かめた。


「テオ・ヴェルナー。うちの管理院の調査官で、ダグも現場を任せられると認めている人よ」

「……あ、テオさんですか」


ルアンが何気なく答えると、ミレーナが顔を向けた。


「ルアン、知ってる人なの?」

「うん。前に何度か、一緒に迷宮へ入ったことがあるんだ。ダグさんと調査に行った時に、テオさんも来ていて」


ルアンは以前の調査を思い出した。テオは図面を確認するのも、測量の手順を組み立てるのも早く、必要な道具もいつの間にか揃えていた。ルアンが作業に戸惑っている時には、手を止めて教えてくれたこともある。


「へえ。じゃあ、どんな人なの?」


ミレーナが尋ねると、ルアンは少し考えた。


「仕事は、すごくできる人だよ」

「……仕事は?」


ミレーナが聞き返すと、セインが面白そうに顔を上げた。フィナもルアンの次の言葉を待っている。


ルアンはもう一度、以前の調査のことを思い出した。仕事が終わる頃には、テオはいつもダグに何か冗談を言っていた。ダグがほとんど相手にしなくても、本人は楽しそうに笑っていたものだった。


「うん。仕事は本当にできる人だよ」


ルアンが真面目な顔で答えると、セインが吹き出した。


「なんだよ、それ!」

「……ちょっと、ルアン。そこ以外はどうなのよ」


ミレーナが尋ねても、ルアンは少し笑うだけだった。リサも二人のやり取りを聞いて小さく笑い、書類の中から顔合わせの日程が書かれた紙を取り出した。


テオと四人が改めて顔を合わせるのは、数日後のことだった。

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