四拾弐 玄瑞の記憶 其の参
「い……ま、なん……て?」
玄瑞はもう一度、市馬に確かめた。
「だから、里を出る」
「なんでッ!!!」
気づけば、玄瑞は市馬の両肩に掴みかかっていた。
「里を出れば、”死罪”ッ! それぐらい、わかってんだろッ!」
「わかってる」
市馬は玄瑞の掴む手を払い除け、飄々と告げる。
「理由は。それなりの理由がねぇと、俺は納得できねぇッ」
玄瑞は怒りに任せて吐き捨てた。
「子が……できたんだ」
…………。
「……あ?」
玄瑞は喉の奥で言葉が引き攣れ、言葉が宙を舞う。
「いつ」
「実は、結構前。色町通いしてた時に知り合った娘で、”さな”って言うんだ。俺らより三つ年上。俺、最近私用で出ること多かっただろ? そいつに会いに行ってたんだ。もうすぐ生まれる」
市馬は嬉しそうに、少し顔を赤らめてはにかむ。
「はは……。そっか……。お前が父親なんて、信じられねぇわ。お前が、親父……な」
「俺、里を出て、普通にあいつと町で暮らして、家族を作りたいんだ」
玄瑞はよたよたと力なく二、三歩後ずさり、その場に胡座をかいて座り込む。嬉しいような、悲しいような複雑な気持ちになった。子供の頃から一緒にいた市馬が、気が付けば自分の知らない所で父親になっている。
だが、それとこれとは話が別で、市馬を抜け忍として死なせるわけにはいかない。
「市馬。このまま里を抜けるなんて頭に言ったら、お前そのまま殺されるぞ。そのさなって子、里に引き入れられねぇのか?」
「それは俺も考えた。だが、俺は思うんだ。もし引き入れたら、俺たちと同じように、俺の子も忍びにさせられちまう。俺の子は、忍びの世界に入れたくねぇ。普通に生きて、幸せになってほしい。だから、俺が抜けてあいつらを養う」
「追われるぞ」
「そうだな。どこかに身を隠して、子が産まれたら常葉を抜ける。常葉から出れば、追っ手もこれないだろ? だから、白岩へ行こうと思う」
「白岩……」
市馬の目はいつになく真剣だった。市馬が自分から離れる。怖い。そんなこと一度たりとも考えたことなどなかった。
このまま、ずっと里で一緒に生きていくものだとばかり思っていた。
市馬がいなければ、自分はどうなってしまうのか……。
だが、市馬の幸せを考えると、行かせてやる方がいいのかもしれない。
この里に縛り付けて、生まれてくる子にも自分たちと同じような生き方を強いるのは、本意ではない。
玄瑞の心は揺れ動いた。
「いつ、発つつもりだ?」
「明晩には」
「わかった。俺も行く。身重の嫁を連れて出るのは大変だろ? それに、もし追っ手が来た時、嫁を庇いながらは無理だ」
玄瑞は立ち上がると、市馬に抱きつき「よかったな」と背中を叩いて鼓舞した。
◇ ◇ ◇
――その夜。
玄瑞は、身支度を整えた。
玄瑞が市馬の部屋へ、明晩の打ち合わせに行くと、そこには市馬の姿はなく、代わりに机の上に一通の書置きが置いてあった。
そこには『玄瑞へ』と書かれている。
玄瑞は慌てて、書置きを広げ目を通した。
『玄瑞へ
すまない。お前の気持ちだけ受け取っておく。
お前まで道連れにするわけにはいかねぇ。
それに、もう俺はお前の傍にいちゃいけねぇんだ。
お前は、俺がいると本当の力を持て余す。
俺よりお前の方が何倍も忍びに向いてるんだってこと、お前の方が本当は強いんだってこと。
気づいてたよ。俺の方がお荷物だった。
ガキのころから、一緒にいたんだ。それぐらいわかる。
俺がいたら、お前まで悪く見られちまう。
互いの道を生きよう。
俺がいなくても、お前は一人でちゃんと生きていける。
だから、さよならだ。
達者で暮らせ。 市馬 』
玄瑞は、手紙をくしゃりと握りしめると、慌てて紅梅と久造の元へ向かった。
部屋にはいない。
屋敷内をあちこち探し回り、広間へ向かった。
広間からは、紅梅の荒げた声が聞こえてくる。
「父上っ! 誤解にございます! 市馬はそのようなこと……」
紅梅は声を張り上げ、頭に談判していた。
「頭。少し落ち着きましょう。市馬はただ町へ遊びに出ただけでしょう。あの、クソ坊主。色町で遊ぶ小遣い欲しさに、里の金に手をつけただけですじゃ」
久造の声も聞こえた。
「いや、ならぬ。あ奴は前から、ちょくちょく里を出ておった。下知に後をつけさせたところ、案の定、町の女との間に子を儲けておった。あれは、里を抜ける気じゃ」
紅梅の父。先代の頭が、低く唸るような声で二人を諫める。
そこへ折悪く、玄瑞が入ってきてしまった。
「ばぁさん! 市馬はっ! 市馬しらねぇかっ!?」
広間に声が響き渡り、紅梅と久造が振り返り、頭の目線が玄瑞へ向く。
「ほれ、見たことか。義兄弟の玄瑞ですら、市馬の行方が分からぬと申しておるぞ。各々ッ! 出会えッ! 抜け忍じゃッ! 市馬を始末してまいれッ!」
頭の低くしわがれた声が響き渡り、下知たちが屋敷から飛び出して行った。
「玄瑞。お前、市馬を連れてまいれ。さすれば、奴の命だけは助けてやろう」
「本当か! 頭っ!」
「儂は嘘はつかぬよ」
「待てっ、玄瑞っ!」
「さぁ、儂の追っ手と玄瑞。どちらが早く市馬を捕まえるかの」
頭は声高らかに嗤う。
その言葉に紅梅が止めることも聞かず、玄瑞は一目散に屋敷を飛び出して行った。




