丗壱 鬼哭
気づけば、玄瑞が目の前に立っていた。
久造の指は、刹の喉に触れるか触れないかの位置で止まっている。
玄瑞が、久造の手をガッシリと掴み、制していた。
「…………ッ」
刹は何が起こったのか、全くわからなかった。
玄瑞はさほど自分から離れてはいなかったが、気づけば目の前に立っている。
(い……っ。いつの間に?)
「玄瑞。よかったのぉ、間におうて。刹の喉元に風穴空けんで済んだわい」
「じいさん……ッ」
久造が飄々としながら玄瑞に言い放つと、玄瑞は口から「しゅー、しゅー」と音を出しながら歯をギリギリと食いしばっていた。
(刹。儂が合図したら、家まで全速力で走れ。出るなよ)
(……?)
久造が、小声で刹に耳打ちする。
玄瑞の顔つきがみるみる変わり、その様は、まるで獣のようだった。歯をむきだし、眼光は消えるも、その口端は上がっている。
次の瞬間、久造は玄瑞に掴まれた手を引き寄せ、刹の腰を蹴り半歩下がる。
反動で、刹はよたよたと転びそうになるも、なんとか踏ん張った。
「刹ッ! 行けぇーッ!」
久造が吠える。
訳も分からず、刹は言われたとおり家まで走った。
戸口が開いたかと思うと、紅梅が刹の腕を掴み家の中に引きずり込み、すぐに戸口を閉める。
「刹っ!」
「大丈夫?」
「はぁはぁ」と肩を揺らす刹の周りに、梓と朔が寄り添う。
「な、……なんだったんだ!? なぁ! ばあさん!」
刹は息を落ち着けながら、紅梅に尋ねた。
「戸口の隙間を、少し開けて見てみよ」
言われるがままに戸口を開け、覗いてみる。
同じように、梓と朔も覗く。
「え?」
「人……の動きじゃ、ないよね?」
(ゴクリ)
刹は言葉が出ず、梓は動きを必死に追い、朔は生唾を飲んだ。
「ばあさん、あれは……なんだ?」
刹は、外の二人のやり取りから目を離す事なく、紅梅に再び尋ねた。
紅梅も、戸口の隙間から外を見ながら話し出す。
「あれは、"鬼哭"。人体の気を呼吸で練り上げ、瞬発力、腕力、肉体を極限まで底上げする。久造が編み出した技じゃ」
刹と梓と朔は、目が離せなかった。
目を必死に動かし、追うのがやっと。
「で、なんでじいさんは俺を家に避難させたんだ? 危ねぇからか?」
紅梅も、外の二人を目で追いながら、口だけ動かす。
「久造はな、鬼哭を意のままに操れる。じゃがな、玄瑞は……。己に支配されてしまうのじゃ」
「自分に?」
「左様。"理性"を失い、目に映る動くもの全てが標的となる。人でも、動物でも、動くものは全てな」
刹は、玄瑞の姿を目で必死に追う。
(玄瑞……)
その姿を見ていると、いたたまれなくなる。
獣のように、ただ久造を獲物として捉え、一心不乱に拳を打ち込んでいる。
「あやつはどうも、頭に血が上る"癖"があるようでの? それが自分でもなんなのかが、わかっていないようなのじゃ。鬼哭は、気を練り上げる。あやつの中に湧き上がる"何か"が、そうさせるのじゃろ」
「…………」
刹は応えることなく、ただじっと玄瑞を追った。
◇ ◇ ◇
「ほれほれ、どうした玄瑞。お前の力はそんなものか?」
「がぁぁぁぁぁッ!」
玄瑞が打ち込む拳も、久造は流れるようにひょいひょいと交わしてゆく。
理性を失っても、煽られているのがわかるのか、一層動きが激しくなる。
「よほど刹が大事と見える。お前とよく似ておるからの。特に、野盗上がりの所……とかな? いや? それとも……、"市馬"かの?」
久造のその言葉に、玄瑞の形相が一気に鬼と化す。久造は玄瑞を煽り続けた。
「ふむ。声は聞こえておるようじゃの。そこだけは、進歩じゃ。じゃが……」
久造は、玄瑞の腕を締め上げ、地に伏せる。
「まだまだじゃのぉ」
だが、玄瑞は体を捻り、片足で踏ん張るとそれを軸に、もう片方の足を回し、久造の背中に蹴りを入れ拘束を解く。
「ほう」
久造は、ニヤリと嗤う。
「これは、面白いの」
と、そこへ、山から双子が帰ってきた。
「ただいまーっ!」
「あー、つかれた」
呑気に柴を抱え、里へと足を踏み入れる。
「しまった!」
久造のその目線と一言で、玄瑞は振り向き、双子の姿を捉えてしまった。
「火緒! 火弦!」
朔が戸口を勢いよく開け、飛び出した。
「いかん! 朔、戻れっ!」
紅梅の声も聞かず、朔は双子の方に走る。
「くそっ!」
「刹っ!」
刹と梓も、飛び出す。
「なにっ!?」
「玄瑞っ!?」
玄瑞が双子に襲いかかる。
双子は何がどうなっているのか分からなかった。
本能的に危険を察したのか、思わず持っていた柴を放り出し、目をぎゅっと瞑り頭を庇う。
やがて周りが静かになると、双子はゆっくりと目をあけた。
目の前には、久造が立ちはだかり、玄瑞の両腕を制している。
「だ、誰?」
「…………ッ」
双子はそこから一歩も動けず、玄瑞と久造に目を見張る。
久造は、「ふん」と玄瑞の延髄に手刀を打ち付け、玄瑞はそのまま、地に伏した。
「梓……、見えたか?」
「いや……、全然見えなかった」
刹と梓は、久造を凝視している。
「やれやれ。まさか、まだ坊主がおったとはな」
久造は、くるりと振り返ると、紅梅に手を振る。
「紅梅ちゃぁん。こやつを頼むー」
「わかった」
「久々本気出してしもうたわい。筋肉痛が怖いのぉ……」
久造は、首をゴキゴキ鳴らしながら、「ふぅ」と一息つくと、家の中に入った。
「刹、梓。手伝っておくれ」
「お、おう……」
「はい」
刹と梓は紅梅について行き、玄瑞を両脇から支えると、引きずるように家へと連れて入った。
◇ ◇ ◇
「火緒! 火弦! 大丈夫?」
久造の動きに呆気を取られ、暫し動けなかった朔も我に返り、双子を心配する。
「朔、今の……なんやったん?」
「あのじいさん、誰?」
双子はその場に立ち尽くし、引きずられてゆく玄瑞を指さししながら目で追った。
「あのじいちゃんは、"久造さん"。桐屋の主なんだって」
朔は双子が落とした柴を、拾いながら説明する。
双子も、落とした柴を拾いながら、朔に問い詰める。
「で、玄瑞はどないしたん? 俺ら、殺されかけてんけど……」
「なんか、様子おかしかったで?」
「あー、あれはね……。後でちゃんと説明するよ」
朔は誤魔化しながら柴を拾い、双子は首を捻りながら柴を拾った。




