32、狂気
トレーニングルームにスレイを連れて来ると、インターバルトレーニングを繰り返し行わせて、ひたすら水分を摂取させて汗を流させた。
立った状態から腕立て伏せの姿勢になりまた立ち上がるバーピーに、 腕立て伏せの姿勢から交互に膝を胸に近づけるように素早く足を動かすマウンテンクライマーにジャンピングスクワット等。
とにかく、体重を落として身軽にさせないと話にならない。
「タクト、これいつまで続けるんだ?」
息を切らせながらスレイが聞いてきた。
「とりあえず体重が元に戻るまでだ」
冷たい俺の声に、スレイは悲鳴じみた声を上げながらも、素直に同じ動きを繰り返した。
「せめて実戦式のトレーニングをやりたいよ。その方が気晴らしになる」
「ダメだ」
武器を持ってのトレーニングは危険だった。例えそれが刃の無い疑似的な武器を用いてのトレーニングだったとしても。
空腹状態で同じ事を繰り返し行ううちに、スレイの頭のネジが外れる危険性があるのだ。
スレイの思考は単純だ。俺にやれと言われたことはやるし、やるなと言われたことはやらない。それが正しいか悪いかの判断は俺に任せて、自分では考えない。いや、考えられないと言った方が正しい。
つまり、非常に扱いやすい。
ただ、『戦い』となると話は違ってくる。
『闘争本能』とはまた少し違う。『凶暴性』或いは『狂気』『猟奇』。そういったある種の『異常性』がスレイの中にはあるのだった。武器を持ち、空腹や精神的に追い詰められる等の何らかの条件によって極限状態になると、それが現れてしまう。
子供の頃から、スレイはよく小動物を殺した。体が成長し、力が付くにつれて、対象は少しずつ大きなものになっていった。昆虫や小鳥から野ネズミからヘビ、ウサギへ、そして、近隣の家の家畜へと。
無意味な殺戮。
なぜそんな事をするのかと聞いても、本人は何を聞かれているのかすら理解出来ない様子だった。
「だって、逃げるから」
悪びれる事なく平然とそう答えるスレイに、周囲の大人達は寒気を覚えた。
スレイの事を溺愛する母親のサチさん以外は。
流石は母親と言うか、サチさんだけはスレイのそんな性質を受け入れていたように見えた。受け入れつつも、大事に至らないよう注意を払い、常に気を張っていた。
だが・・・。
当然ながら、スレイは近所の子供達から距離を取られた。子供達の親達が、自分の子供に何かあっては大変だと一緒に遊ばせようとしなかったからだ。
「ねえ、一緒に遊ぼう?」
スレイがそう言いながら追い掛けるとみんな逃げる。
それが俺には危険な事のように見えた。
いつか逃げ回る子供達の事をスレイが殺してしまうような気がしたのだ。
だから俺は、スレイの手を握った。
「なぁ、俺と遊べばいいだろ?」
他の子を追い掛けようとするスレイの手を、後ろから追い掛けて掴んだ。手を引くとスレイは振り返って俺を見て、そして嬉しそうに笑って頷いた。
「タクトはいい子ね」
そんな俺達の様子を見て、サチさんは笑いながら俺達2人を抱きしめてくれた。
俺の親は2人とも俺に関心が無くて、俺が誰と遊ぼうと何も言わなかったし、俺に向かって笑顔を向けてくれることも無かった。
スレイと仲良くすれば、自分に対して2人が笑顔を向けてくれる。俺はそれが嬉しかった。だからスレイと一緒にいる事は、俺にとって良い事だったのだ。
いつも一緒にいた。だからスレイの事は誰よりも分かっている。どうすれば頭のネジが外れるのか、どこまでなら大丈夫なのか。
その加減さえ間違えなければ、スレイは一緒にいて楽しいし、そして誰よりも強い友達だった。
「タクト、スレイの調子はどうだ?」
声を掛けられて振り返ると、トレーニングルームの扉を開けてブリエヌ様が入ってくる所だった。
俺はハッとなり立ち上がった。
「ブリエヌ様!こんな所にわざわざ来てくださるなんて。おいスレイ、ブリエヌ様だ。一旦やめてご挨拶を」
そう言いながら、慌ててトレーニングを続けるスレイの肩を叩いて立ち上がらせようとする。
ブリエヌ様は、闘技場の創始者だった。身分制度が撤廃されて後、今は実権をガティ家に奪われてしまってはいるが、元々はこのエデンの地を取り仕切っていた侯爵様だったお方だ。実権の無い今でも多くの剣闘士達に出資していて、生活の保障もしてくれている。俺達2人もその中に含まれていた。
「良い良い、続けてくれ」
ブリエヌ様は優しい笑顔を浮かべながらそう言ってくれた。
俺は「はい」と返事をし、立ち上がろうとしているスレイの耳元で「やめなくて良い、続けろ」と小声で言った。肩を床に向かって押し付けるようにし、無理矢理続けさせる。
スレイは体制を崩しかけて「なんだよ」と小声で不満そうな声を上げた。
俺達のそんな様子を見て、調子は悪く無いと思ったのだろう。ブリエヌ様は笑みを深め、頷きながら言った。
「今回は大金を賭けさせて貰う。3日後の混合戦、頑張ってくれよ」
「それは、俺達にって事ですか?」
「勿論。残念な事にヤンが出場出来なくなってしまったからな。お前達に全部賭ける」
それを聞いて、流石に動きを止めたスレイと2人、驚きながら顔を見合わせた。
ヤンとは、俺達と同じくブリエヌ様が出資している剣闘士で、対人専門の剣人士だった。混合戦に出場する事はほぼ確定していたのだが、一昨日の夜、何者かに襲撃されて用水路から死体が上がったのだ。
犯人はまだ捕まっていない。
悲しい事だが、ブリエヌ様のその期待には応えなくては。
「精一杯頑張ります」
俺は、両手を握り締めてそう答えた。
「大丈夫。スレイならきっと優勝出来るわ」
扉の外から女性の声が聞こえて来た。見るとスレイの母親、サチさんが入って来る所だった。
サチさん、まだ帰って無かったのか・・・。
そう思いながら、俺は軽く頭を下げて挨拶をした。
「おおサチさん、すまんな」
ブリエヌ様は、目を見開いてサチさんを見、彼女の方へ踏み出した。
「姿が見えないから探しましたわ」
「私の方から呼び出したというのに、申し訳ない。さ、あちらへ」
ブリエヌ様はそう言って、サチさんに手を差し伸べる。
俺達をブリエヌ様に紹介したのは、サチさんだった。古い知り合いらしいのだが、どういう関係なのかは今でもわからないままだ。
ブリエヌ様は、もう随分な歳に見えるのだが、未だに結婚はしていないらしい。そしてサチさんも、離婚か死別かは知らないが、女手一つでスレイを育てていたので伴侶は居ない。だから、もしかしたら?と考えた事もあった。けれども、2人の並ぶ姿を見る度にそうでは無いと感じてしまう。
男女の関係というよりかは、同志とでも言うような関係に見えてしまう。
「では、期待しているぞ」
ブリエヌ様は、扉をくぐりながら、最後にこちらを振り向きそう言った。背筋が伸びた。
俺は「はい」と返事をして、3日後の混合戦に向けての練習プランを頭の中で組み立てていった。
まず体重を戻して、それから落ちた体力を戻して・・・。
考えていると、思い出したようにブリエヌ様が付け加える。
「そうそう、忘れていた。今回の混合戦の後にはエキシビジョンが開かれる」
「エキシビジョン・・・?」
エキシビジョンとは何だろう。聞き覚えのない言葉に俺は、そのままおうむ返しに聞いてしまった。
「表彰式の後で、勝者と特別に用意した『魔物』との戦いを行う。手違いで『魔物』が届かなくなりそうだったのだが、手に入る目星がついてな。予定通りに行う事になった。倒せれば追加で賞金も出る」
「そうなんですか。そんなものが・・・」
こんな事は今までには無かった事だ。
面白いかも知れない。倒せたら、何を買おうか・・・。
そんな事を考えていると、ブリエヌ様がスレイに声を掛けた。
「スレイ」
スレイは、顔だけ上げてブリエヌ様を見る。
「生き残れよ」
「・・・はい」
静かにそう返事をするスレイ。
勝ち残れ、では無く、生き残れと言われた事に、俺は違和感を覚えた。




