21、新しい環境
「なぁ、この後空いてるか?」
客に手を掴まれた。空いている皿を下げると同時に差し出されたチップが多いな、そう思った矢先の出来事だった。
マジール王国へとやって来たのは、この国で新たに暮らし始める為。兄の嫁の知人がこの国に渡って来て生活をしていたので、そのツテを頼って隣の娘と共に連絡船に乗ったのだった。
その兄嫁の知人が商いをしている食堂で、人手が足りないからと、来て早々にフロアに立たされたのだ。
配膳と下膳をするだけで良いし、チップは全て自分のものにして良い。
それだけ言われていきなりエプロンを渡されたのだが、いざ立ってみるとどの席にどれを運んで良いのかが分からない。
モタモタしていると客に呼ばれた。オドオドとそれに答えて向かおうとすると、生まれつきなのだろうか、片足を引き摺って歩く同じ年代の男の子の従業員に「お前は行かなくて良い。どこに運ぶか分かんないなら空いた皿だけ片付けろ」とぶっきらぼうに言われて、ただただ腹が立つ。けれども他に出来る事も無くて、言われる通りに下膳のみを行う事しか出来なかった。
隣の娘は私と違い、もうコツを掴んでスムーズに配膳を行っていた。分からない事があるとその場で元気よく聞き、すぐに対応する。客からの注文も受けて、既に多くのチップを稼いでいた。
同じ日にやって来た同じ歳の2人の娘。片方は仕事が出来て片方は仕事が出来ない。比べられない訳は無いだろう。兄嫁の知人の私達を見る目が怖い。
そんな私が、一向に慣れずにゆっくり下膳している姿がヒマそうに見えたのだろうか、手を掴んだ客の男は、そのまま私を引き寄せて腰に手を掛けると、そのままグッと抱き寄せた。顔が近付いて酒臭い息が掛かる。
男の腕は太く熱く、力強くでとてもだが振り払う事なんて出来なそうだった。
どうしよう・・・、どうしたら良いの・・・?
「怖がるなよ。俺はお前みたいな大人しいコが好きなんだ。優しくするぜ」
耳元でそう囁かれる。体中にゾワリと粟立つ感覚が走った。
嫌だ。コイツ、消してやろうか・・・。
相手を見据えて、私はソレをしようとした。体温が少し上がって、肩に掛かる髪が一筋二筋と宙に浮かび上がる。
と、その時、誰かが男の手を振り解いて私を引き離した。振り返るとそれはぶっきらぼうな足の悪い男の子で、男を見ながら小声で私に「あっち行ってろ」と捨てる様に言い放つ。そして男に向かって言った。
「今日来たばっかの新人、からかわないで貰えますか?」
周囲の客達からクスクスと堪え切れずに漏れ出す笑い声が聞こえて来た。その中から1人の男の客が言う。
「せっかく可愛い女の子が来てくれたんだぜ?これから毎日、ここで俺らを迎えてくれなくなったらどうしてくれるんだよ」
その声に続けて別の声も聞こえて来た。
「そうだそうだ。イールよりこの子らに運んで貰った方が飯が美味いだろうが」
「誰が運んでも親父の飯は美味いですよ」
客の声にそう反論する男の子。内容からして、彼の名前はイールと言い、兄嫁の知人であるここの店主の息子らしかった。
「ユリアちゃん大丈夫?」
私を心配したのか、隣の娘が横に来て気遣ってくれた。
私はそれに頷いて答えて、そして皿を持ち直して逃げる様に厨房へと駆け込んだ。
白い女は、あの時私の額に指を乗せた。瞬間、全身に痺れが走った。
「いなくなって欲しい者がいたら、その者と目を合わせて願いなさい。そうすれば、その者はあなたの前から去るわ。金輪際あなたの前には現れない。そういう力よ」
白い女の言葉に、私は頷いて考えた。例えば遠くに見えるあの3人組。彼等の周りの人にその力を使い、そして私がずっと彼等の側にいれば、周りの人は彼等の周囲から消える。そういう力だ。
「その代わりにお願い、聞いてね」
そう付け加えた白い女。言いながら私の手の中の小箱を指差す。
この箱を闘技場のある男に届けて欲しい。
そう言われたのだ。
これから向かう新天地、エデン・シティの、中央通りの突き当たりにある1番大きな建物。
闘技場。
そこに行って、受付で「シェリの使いだ」と言い、紹介された男にこれを渡す。
「良い?『混合戦』というのが3日後に開催されるの。それまでに、ね」
念を押す白い女に、私は頷いた。
「あ、そうそう」
ハッと何かを思い出したという顔をして、白い女は自分の首の後ろに両手を回して、カチリと小さな音を立てて何かを外す。その手を前に掲げると、その中にペンダントがあった。
真ん中に、黒くて細長い棘みたいな石の付いたペンダント。
それを、今後は私の首の後ろに手を回して掛けてくれる。カチリと音を立てて留金を留めると、黒い石を隠すみたいに私の服の中に仕舞った。
「もしもの時は、これを握って祈ってみて。きっとあなたの助けになるから」
厨房の入り口で、私は服の上からペンダントを握り締めた。
心臓がドキドキしていた。
人を消す。まだ一度もやっていない。
やってみたかった。
体がまだ暑い。その熱を感じながら、今し方私の手を掴んだ男の顔を思い出す。
嫌な男。あんなヤツ、消えちゃえば良かったんだ。
「ユリアちゃん?手が空いてるなら洗い物して貰える?」
奥から声が聞こえた。店主の声だった。
「は、はい!」
慌てた声が裏返って変な声になる。口元を抑えようとして、持っていた皿を落としてしまった。
ガシャン!
大きな音が響き渡って、奥から店主が顔を出す。
「おっと、大丈夫?」
床に散らばる破片を見て、私は固まって動けなくなってしまった。
「おい何やってんだよ。どきな、奥で洗い物やって来いよ」
厨房の外からそう言いながらイールが中に入って来た。立ち尽くしている私を押し退けて、動かない片足を器用に伸ばしてしゃがみ込み、割れた皿の破片を拾い集め始める。
「・・・ご、・・・」
ごめんなさい。
その言葉が出てこない。
チラッと私を見て、そして顎で奥を示すイール。
行け。そう言ってる。
「ユリアちゃん、大丈夫だからこっちお願い。怪我は無い?」
店主に優しくそう聞かれて、私はなんとか頷いて答える。手招きする店主に駆け寄り、奥の洗い場へと案内された。
背後から舌打ちの音と「使えない」という呟きが聞こえて来た。鼻の奥にツンと頭が走った。
もうやだ。帰りたい・・・。
イールの後ろから、こちらを覗き込む隣の娘の姿が見えた。目が合うと両手をグッと握り締めて拳を作り、声を出さずに口だけで「頑張って!」とエールを送ってくる。
イラつく様な、情けない様な気分になるけれども、笑顔を向けられたら私も笑顔で答えなければならない。
私は、引き攣った笑顔を見せた。
恥ずかしい、情けない。隣の娘と違って、私には何も出来ない。これから先も迷惑を掛け続けるだけになってしまうかも知れない。
そう思いながら、もう一度服の上からペンダントを握った。細長い棘みたいな形。どうせなら、もっと綺麗な石の付いたペンダントが良かった。
3男が持っていた、あの綺麗な石の付いたペンダント。
あの時、あれを受け取る事が出来ていたならば、今こんな風に嫌な思いをしないで済んでいたかも知れないのに。
そう思って、私は目に涙が滲むのを感じた。
「申し込みを受け付けました。明日の正午より予選会を開始しますので、受付にてこの札を提示して下さい」
混合戦の申込受付は簡単だった。順番に用紙に名前を書いて番号札を渡されて終了。後は明日の昼に再びここに来て予選会に参加する。上位2名が本選に参加出来るのだが、参加者全員をまず16のグループに分けて、グループ毎にトップを決めるのだそうだ。
「16人の審判がいて、その組によって選出方法が違うのが毎度の事だ。一対一で総当たりするのもありゃ、まとめて全員で殴り合うのもある。どの組になるのかは運次第。ま、頑張ってくれや」
今夜泊まるつもりの宿屋に向かいがてら、ゴーシュはそう言ってニッと笑った。横ではその顔を真似してノワが「頑張ってくれや」と語尾だけ繰り返す。
「16人が選出されたら、そこからはどう2人までしぼるんだ?」
同じ顔で笑う2人に向かって歩きながら、俺はそう聞いた。
「その先は毎年違うんだ。今年はどうなるのか、始まってみないと分からん。だが、明日の夕方迄には2人が決まる」
俺の質問に、ゴーシュはそこまで答えて、一旦言葉を切る。
「過去には魔物や生体兵器と戦わせる、なんて事もあったんだぜ」
付け加えるられたその言葉を聞いて、俺は止まってゴーシュを見た。
「では、あの荷物をここで使用する事になっていたかも知れないんですね」
トールが歩みを止めずに言う。それに答えるゴーシュも止まらずに言葉を続けた。
「予選会で使う事もあったし、本戦の最後に優勝者とのエキシビションマッチとしてスゲーのと戦ってた事もあったな。いつも剣魔士が相手にしてるのなんかとは違ってアホみたいに強いヤツと。過去のそんな例から見たら、この混合戦で使う為に運んでたって思うよな」
「コッソリ隠れて、しかも大勢の無関係な人を巻き込んで、その人達の命を奪う事も厭わずに運び込もうとしていた生体兵器っぽいモノでしょ?そんな危険なのと戦うなんて、常識で考えたら変だよね」
ノワが頭の後ろで腕を組みながらそう言った。
確かにそうだと思いながら、俺は船の上で戦ったレニアシリーズを思い出す。
あんなの相手に1人で戦うのは流石に無理だ。抑え切れずに混合戦が滅茶苦茶になってしまうだろうし、観客にも被害が出るかも知れない。
「大金も絡んでるし、なーんか企んでるヤツがいるんだろうな」
そう言うゴーシュ。
立ち止まったままの俺と3人の間に距離が開いていった。それに構わずに、俺は背後を振り返る。
受付の前には参加希望の列がまだ長く続いている。会場と客がまばらになった観客席には、掃除を行う人と、明日の準備を行う人達がキビキビと動き回っていた。スケジュールを組んだり、或いはイベントの企画運営をする偉い人達も、慌しく動き回っているのだろうか。
そのうちの誰かが、何かを起こそうとしていたのだろうか。
「アキラー!」
大分離れてしまった3人の所から、ノワが俺を呼ぶ声が聞こえた。
16人の審判、その辺りから上に辿って何かを見つける事が出来たら・・・。
そう思いながら、俺は前に向き直って3人を追い掛けて小走りに進んだ。




