19、情報交換
湖面は穏やかで、波紋の一つも無い。薄緑色に濁った水面は広大で、所々に頭を出す岩とその影以外には何も見えなかった。そんな中にポツンと浮かぶ白い球が一つ。棘の様な突起を空に向かってツンと突き出し、そこから伸びる半透明の糸は、俺が持つ釣竿の先端へと繋がっていた。
と、水面に影が映った。
「よう」
その影の主が俺に声を掛けてくる。
「もう2歩下がってくれ」
振り返らずに俺は声の主にそう言った。映り込んだ影に驚き、狙った獲物が逃げてしまうかも知れないからだ。
「・・・おう」
呟いて素直に下がる声の主。
「すまないな。で、何だ?」
白い球を見つめながら俺は聞いた。
「この前の礼を言おうと思ってな。セーライ神殿の件、情報をありがとうよ。お陰で良い酒に有り付けた」
「そうか。それは良かった」
相手の言葉に相槌を打つ。『真ん中』からこちらへ船で渡って来る少し前、セーライ神殿で起こりつつある動きについての情報をこの声の主に流していたのだ。
「予想通り『真ん中』は、事を全部そこに居た方の『異界の勇者』に押し付けた。そして、新たにもう1人の方の『異界の勇者』を擁立した」
「・・・ほう」
声の主が伝えてきた情報に、俺はそう声を漏らして思案を巡らせる。
『真ん中』は異界から異界人を2人連れ込んだ。うち1人には近衛騎士を付けて活性化事件の起こった場所を回らせていたが、もう1人の方はずっと行方知れずの筈だった。ようやく発見したのか、もしくはずっと内々に匿っていたのか。どちらにしても、この後の展開は予想が付く。
「『真ん中』でもう一つ、デカいのが来るな」
言って、俺は溜め息を吐いた。
セーライ神殿での事件並みの、或いはそれよりも大きな被害の出る様な事件が起こるかも知れない。そうなってしまったならば、また沢山の人が死ぬ。
「それを、新しい『異界の勇者』が解決する。名と顔を売って、『偽物』を退治する。そんな所かな」
声の主は、そう言って懐から紙を出して広げ、俺に見せてきた。振り返って見ると、それは指名手配の張り紙を剥がして持ってきたもので、3人の男が描かれている。茶色い癖毛の色男、黒髪の少年、そして黒いフードの少年。どう見てもさっきまで一緒にいた3人組だった。
「おい、半神も指名手配なのか?自分の甥だろうに」
3人組のうち、フードの少年を見て軽く驚きながら俺はそう言った。その声を聞きながら、声の主は紙を折り畳んで懐にしまう。
「とりあえず手元に捕らえておきたいんだろうよ。捕らえておけるものかどうかは知らんがね」
俺なら捕まってもすぐ逃げる。そう小声で言って、声の主は背後を振り返った。視線の先には舗装された道があり、その先にはエデンが、中には指名手配されている3人組がいる。
「こっちでも何かありそうだな」
エデンの方を見ながらそう言うと、風がボサボサの髪の毛をあおった。前髪が捲れ上がって隠れていた目が見える。横長の瞳孔。彼の特徴的なその目を見て、俺は言った。
「お前の今の主人もエデンに?」
確かこの男、ヤギは、少し前からある女性の為に動いていた。南西の門の守護者、カイルの下部。いや、恋人か。
「ああ。美酒を求めて、と言いつつ目的は別だな」
彼女の酒好きは有名だった。けれども酒目的でこんな所まで来る訳はない。恐らく全てカイルの為だ。
この世界の門、外側と内側の境目の通り道は、最初は北と南の2箇所だけだった。北を聖母が守り、南を聖女が守る。だが、極寒の地である北に比べて過ごしやすい南は訪れる者が多く、その地を奪おうとする者も多かった。自然と負担が多くなった南の守護を強固な物とする為、という名目でさらに2箇所、南西と南東にも門が作られ、守護者が置かれた。南東に聖母の次男アルド、南西に同じく聖母の四男カイル。
この世界は聖母のもの。とは言え、南半分を守護していた聖女としては、自らの息子2人を送り込まれ、範囲を狭められて、面白いはずがない。その上、2つの門が作られた頃にある予言が下された。
『大地が悪意に覆われし時、終焉の訪れを光の子が抑え封じるだろう。その者後に世界の王となる』
未来詠みのドニの下したこの予言の『光の子』が、単純に『光の尊』の子を指すのか、或いは別の者なのかは分からない。『光の尊』の子を指しているとするならば、それはアルドかカイルのどちらかという事になる。それは、聖女としては益々面白くない事だろう。
聖女は、アルドとカイルを亡き者にしたいと考えている。
それは、外側の者にとっては周知の事だった。
「エリス嬢はもしかしたら・・・」
ヤギはそう言って黙り込む。エリス嬢と言うのが南西の守護者カイルの恋人で、今のヤギの主だ。
その時、俺の手に振動が伝わって来た。慌てて振り返って水面を見ると、今までそこにあった筈の白い玉が消えており、釣り竿から伸びる半透明の糸がピンと張っていた。強く引っ張り竿を深くしならせているところから見るに、大物に違い無い。
「来た!」
反射的にそう言って、俺は全力で竿を持ち上げた。余所見をしていたので口に針を引っ掛けられなかったが、獲物は餌を丸飲みしたと思われる。バレる心配は無さそうだ。あとは糸を切って逃げられない様に、慎重に勝負するのみ。
「おお、凄いしなりだな。デカそうだ」
ヤギがニヤリと口元を歪ませて近付き、水面を覗き込んだ。と、瞬間。フッと引く力が消える。
「お・・・?」
竿のしなりが戻り真っ直ぐになり、張り詰めていた糸が弛む。
「何だ?バレたか?」
「いや、切れた感触は無かったんだが・・・」
ヤギの声にそう答えた。底の方から白い球が浮かんでくるのが見える。
その時、その白い球を上回るスピードで浮上してくるモノが見えた。見えたかと思うと、ソレは白い球を追い抜かして先に水面に到達して、勢いよく跳ね上がってその姿を湖上に表した。
全長は2メート程。丸々と太った腹には俺が3人程入ってもまだ余裕がありそうだった。その巨体が、多量の飛沫を撒き散らしながら悠々と宙を舞い、弧を描いて再び水面に戻る。更に上がる飛沫に目を逸らした俺の手に、強い力が加わるのに半瞬も掛からなかった。
「うわっ!」
水に飛び込んだ勢いをそのままに、急加速を加えて潜水した獲物に糸を切られ、竿を折られた。
反動で背後に吹っ飛び、落ちた所をヤギに支えられて共に地面に倒れ落ちる。
「・・・」
俺は、あまりの事に何も言葉が出て来なかった。
「すげーのが居るんだな」
2人で呆然としながら、ヤギが呟くのを聞いた。
この湖で今までに釣り上げた魚は9種だった。肉食、草食が半々程度で、食物連鎖的に考えて肉食のデカいのが居るだろうと思っていたのだが、今掛かったのがソレに違い無いだろう。
「ヌシだな」
言って俺は立ち上がり、折れた竿と切れた糸を片付ける。
もっと太い竿が必要だ。丈夫な糸と、巻き上げの負荷の小さいリールが無くては釣り上げられない。エデンに釣りギルドはあっただろうか。あればすぐに向かって購入しよう。金はあっただろうか?そう思って懐に手を突っ込む。ぺたんこな財布を探り当てて俺は溜め息を吐いた。
エデンを見る。
混合戦の配当はどれくらいになるだろうか。グレイクが堅いが、もしあの3人組の誰かが一般で出て勝てば、番狂せで稼げるかもしれない。
俺はエデンに向かって歩き出した。
「お?釣り上げずに諦めるのか?」
ヤギが聞いて来た。
「まさか。金を稼いで釣具を整えて再戦だ」
「ははっ、上手くいくと良いな」
俺は後手で挨拶をして歩き続けた。
『真ん中』の指名手配がマジールに流れて来るのが、混合戦の決着が付く後になる事を願いながら。




