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うっかりで



「んまあ突然で恐縮なんですが、私の『元』友達の話を聴いてくれませんか」


 X子は困ったような笑みを僕に向けてきた。店の対面席に座ってから、二人で食事を注文したばかりのことだ。いきなりだなと思った。


「いいけど、どしたの急に」

「話したくなっちゃったんです、急に。あの桜の木を見ていたら」


 先に来たオレンジジュースに口をつけてから、X子は話し始めた。

「ある女の子……そうだなぁ、Y子とします。私とY子は、中学のクラス替えがきっかけで友達になったんです。


 当時の私は、周りから見ると人によってはドン引きされかねないような。そんなイラストとか漫画を描くことが趣味になっていました。……いいえ。BLじゃないんですよこれが。まあ世間的にはそっちを嗜む女性の方が有名かもしれませんけどね。

 ……逆です。百合。ああ、女の子同士の恋愛ってことです。中2になりたての頃だったかな。そういうの描くのが好きで。誰もいない教室でこっそり描いていたんです。


 そしたら、なぜかY子が入ってきて。忘れ物どこ、とか間抜けなことを呟いて。びっくりしちゃいましたね。

 そのとき私たちは友達でもなんでもなかったから。『やばい! これ見られたらやばいやん!』って、必死になって机にバァン! って手のひら叩きつける勢いで、手をめいっぱい広げて隠しました。


 だって、女の子同士でちゅっちゅしているコマだったんですよ。Zさんも考えてみてくださいよ。中学生がそんなもの見つけちゃったらどうします? ……うわキモとか好きなだけ暴言浴びる羽目になって、イジメの恰好の的になりますよね普通は。それが怖かったんです。だから私はなんとかそれを慌てて隠そうとしたんですけど。

 咄嗟に手で強くバァン! ってやったのが裏目に出ちゃいまして。よりによって、そのキスのコマの紙がヒラヒラヒラヒラ〜〜って、Y子の目の前に飛んでいっちゃって…………。



 『あ、死んだな。』って思いました。まだ一緒に喋るグループさえ決まっていない、新学年最初の日に、こんなことになるなんて。明日から私の席はちゃんとあるのかな、とか。学校で描かなきゃよかったとか、遅すぎる後悔をしたり。


 『なにこれ?』ってY子に聞かれました。まあ当たり前ですよね。


『X子ちゃんだっけ? これ貴方が描いたの?』

『そ、ソーダヨ?』

『……このキスしてるのって、どっちも女の子だよね?』


 やや興奮気味に聞かれたせいでテンパった私は正直に言ってしまえ〜〜と血迷って、

『私ね〜〜こういうの描くの好きでさぁ! 百合っていうんだけど! いやまさかこんな時間に誰かが教室入ってくるとは思わんかったからさ! うんごめんね! 事故だね事故! ジーコジーコ! ごめんねぇほんと⁉』

と謎に早口でペラペラぶちまけてしまいながら、急いで落ちた原画を回収し、バッグにぶちこんで立ち去ろうとしました。


 ……どんな顔をされるか分かったもんじゃない。


 でもY子は、ごく普通に、ふつーに褒めてくれたんです。

『絵ぇ上手だね! そっちのも見せてよ』って。


 そのときのY子の笑顔にときめいたこと、今でも忘れていません。



 このことがきっかけで、私とY子は友達になりました。Y子は私が描いた漫画に一切嫌悪感を示すことなく『いろんな考えがあるんだね〜〜』とか『なんか新しい何かが見えた気がする』とか、嬉しい言葉をかけてくれました。

 それどころか、すっかりY子は私の描く百合にハマってくれたようで、『ねえ新作まーだ⁉ 早く読みたい』って、おねだりしてくるまでになったんです。


 当時の私は、はしゃいでいるY子を見て、なんともいえない複雑な気持ちになっていました。


 ーーY子は可愛い。

 でも、私はずっと百合が好きだけれど、だからといって私が現実で女の子を好きになるのかは分からない。

 それに、Y子の気持ちだって…………。



 ーーどうすればいい?



『おう、どしたX子っ』

なんて、小悪魔みたいな顔で不意にのぞきこまれた日には、『わああああああ』って、もう顔中まっかっかになってしまいましたね。

『なんなんなんでもないよ』って、そっぽ向いてやり過ごすのが精一杯でした。




 転機が訪れたのは、秋も深まった頃でした。11月くらいだったかな。合唱コンクールについての愚痴だったと思うんですけど、Y子が『男子ってホントバカ。はらたつ』って呟いたんです。『休み時間あんなにうるせーくせに、なんでちゃんと歌わないのかな』って。『本当それな』と私は軽く同調しただけだったのに、会話は思いもよらない方に進んでいったんです。


 Y子が、

『友達はさ、○○がかっこいいとかイケメンとかきゃあきゃあ言ってるけど、実際あいつらってただ騒いでるだけのクソガキじゃん? 意味わからんわ』

 って言ったんです。


 もしかしたら…………と私は変な期待をしました。


『そ、そういえばその○○と△△ちゃん、秋休み明けから付き合ってるらしいね』と、Y子にカマをかけてみましたが、Y子はどうでもよさそうに

『ふーん。あんなのと付き合うとか私には想像つかないわ』と言うだけ。


 その言葉で、私のおかしな期待は、更に高まっていきました。

 Y子は、可愛くてかっこいい。可愛い顔をしているくせに男子に媚びないショートカットで、そのギャップがいい。言いたいことはスパスパ言う。だけど決して冷たいわけじゃなくて、明るくて面白い。今のクラスにこんな完璧な子、他にいる? という、溢れんばかりの想いも。



 私はついに、

『…………Y子が男子だったら、私はぜったい付き合ってた!……かも。』ってぶっちゃけてしまったんです。


 Y子、最初はきょとんとしたみたいで黙っていました。私も、恥ずかしさが一気に襲ってきて下を向いていました。でも、少ししてからY子が言ってくれたんです。


『付き合うってさあ、どっちかが男でどっちかが女じゃないとダメなのかな?』って。


 そのときは決して自分の考えを押し付けるわけでもない、純粋なY子の問いでした。『だってさあ、X子の漫画の中ではさあ、ふつーに女同士で付き合ってるじゃん?』とも。


 その言葉が一体どういう意味をなすのか、私が考えて自爆してしまう前にY子に、


『だ、だから、私が男じゃないからって諦めるのは、ちょっと、ちがうと思う』

 って先に自爆されまして。私もY子も、お互いに顔を逸して、また何も言えないでいて。そして。


『じゃあ、あのときの漫画と』『あのときの漫画と同じことされるの、嫌じゃない?』って聞いたら、『他の奴にされたらキモいけど、X子だったら嫌じゃない』って返ってきて。………………。で、そこで、やっとまた目を合わせることができ」

「失礼致します」

 空気を読めない店員が料理を運んできた。



 X子は店員に礼を述べてから、いただきますをして

「まあ、とりあえず食べながら。あ、一口いる?」と僕にも勧めてきた。横に首を振ると、彼女は期間限定メニューのハンバーグドリアにフォークを入れ始めるのだった。


 自分用に頼んだスープが目の前で早く食べろといわんばかりに湯気を立てていたけれど、僕はそれどころではなかった。

 一方で彼女は、X子は、まるで他人事のように呑気な様子だ。何度か皿をカチャカチャ、口をもぐもぐさせてから、

「うーんと、どこまで話しましたっけ? ……ああそうだ。えっと」



 X子はハンバーグの塊を長いこと噛んで飲みこんでから、何気ない様子で言った。




「さっきの流れで、ちょうどそこに誰もいなかったから。私とY子、キスしたんです」




 僕は彼女が黙々と食べるのに合わせ、半ば冷めかけたコーヒーを頑張って流しこむのが精一杯だった。なぜか酷く苦く感じられて、いつまでも喉にこびりついているような気がした。


 彼女は面白がった様子でオレンジジュースを口にちゅぱちゅぱさせながらクスッとしていた。

「ああ、そんなあからさまにショック受けないでくださいよ。もう昔の話ですし、その幸せが長く続いたわけじゃないですから」


 僕は彼女の雑なフォローを無視して尋ねずにはいられなかった。

「というとX子ちゃんは、僕と知り合う前にY子さんっていう女性と付き合っていた時期があった、ということ?」

「どうなんだろ? 私にも分かりません」

 僕は呆れるとともに面食らった。

「分からないって。そこまでしてしまったのに?」

「明確に告ったり告られたわけじゃないですからね。でも、そのときの私は本気で好きだったんですよ。今も」




 ーー今も。

 僕の彼女だったものは、僕の目の前で悪びれもなくそう言っている。


 X子は先ほどから気にも留めない様子でハンバーグドリアにフォークを刺しては食べていたけれど、本当は。そのフォークに何度も何度も突き刺されていたのはハンバーグじゃなくて僕だ。

 僕はなんとも不意に心を刺し殺されてしまったのだ。


 ああ。あのとき初めての僕の言葉に応えてくれたX子の返答も、幾度となく交わしてきた耳がむず痒くなるような台詞の数々も、当初から重ねてきた手や口や全身の感覚も、全て。存在していなかったというのか。


 たった今X子が呆気ないかたちで自分の型から離れていってしまった以上、目の前のものは二度と以前の愛する彼女には見えなかった。目の前のものが、一般人を食い散らかすために一般人の皮を被った大層奇妙な子どもとしか見なせなくなってしまった。


 悪気のない子ども。都会には、このようなおぞましいのがよく居るものなのだろうか。…………実家にいる家族がこういったやつに引っ掛けられてしまったら、と想像したところで悪寒すら覚えた。



 それからX子の話は止まらなかったし、僕も止めようとはしなかった。

「恋人つなぎをしてみたり、人目につかないところでまたキスしてみたり、修学旅行で添い寝したり、そのあとも中学生なりにですけど一通りのことはやりました。幸せでした。そのあとは…………。まあ、よくある話ですよ。進学先の高校が見事にバラバラで、そのまま疎遠になっちゃいました。あれから一回もY子には会っていません。元気にしているかなぁ。


 ……で、卒業式が終わったあと、桜を背景にY子がね。散ってきた桜の花びらを頭につけたまま、誰かの第二ボタンらしきものを貰っていたY子が私に言ったんですよ。なんて言ったと思いますか?





『X子が本当の幸せを見つけられるように、私祈ってるから!』って。初対面の私をときめかせたときと全く同じ、あの笑顔で。



 私を刺し留めたのは、別れ話でも悲しい言葉でもなんでもなかった。

 たまたまY子の心の底から湧いて出た純粋な言葉が、私の心を滅多刺しにして死なせてしまったんです。


 ……Y子にとっての本当の幸せって、一体何だったんでしょうね? あれから色々考えちゃいましたよ。私と2人でいたときは幸せじゃなかったのかな? とか。一連のこと全ては、よくある『思春期特有の女子同士のノリ』だったのかな? とかね。


 未練がましいかもしれないし、本当、Zさんの前で言うのもアレですけど。私はまだ、好きなんです。Y子が自分で言っていたその『本当の幸せ』というやつを末永く続けていけるよう、陰ながら祈っているんです」



 X子のオレンジジュースも、僕のコーヒーカップの中身も、何もかもとっくに空になっていた。

「要するに君はレズで、僕と別れてほしいという話なんだろう」

「それもありますけど、それだけじゃない」

 僕はすでに立ち上がっていたが、想定外の返答のせいで、上着を羽織ろうとした手を止めた。


「私とY子はもう会えない。だから私のお祝いの言葉、Zさんの口からも伝えてほしかったんです。確か前に『妹が結婚するんだ』って嬉しそうに教えてくれましたもんね?」




「……………………ああ、あああ」

 時をかけて亡きものとなっていく僕の感情の上を、X子が‘‘悪意のない’’口調でどこまでも踏みつけていく。

「Y子、ああもうめんどいから本名でいーや、**子は元気ですか? お兄さんの影響で教師になったって風の噂で聞いたんですけど本当ですか?」

「私とのことはお兄さんには特に何も言ってなかったんですか? **子かなりのブラコンぽかったから、もしかして相談したのかな? ってヒヤヒヤしていたんですけどね」

「高校にいってから何人と付き合ったんですかね? それって全員男だったんでしょうか? お兄さん何か知ってます?」


「やめろ…………やめろッ!」

 立っていられなくなり、すっかりうなだれた僕を、X子は再び‘‘悪意のない’’空っぽな目で見ていた。


「最初は偶然だったんです。**子とZさんの名字なんて結構いるほうじゃないですか。でも、付き合い始めて、妹想い(笑)のZさんから話をたっくさん聞いているうちに、まさか、もしかしてって思いましてね。

 私が**子と曖昧な仲だったのもちょうど2年、Zさんとの交際も今日でちょうど2年です。……この意味が分かりますよね?

 Zさんは何も悪くありませんけど、私だって悪くないんです。いやあ、本当にごめんなさいね、こんな不意打ちみたいな真似して。全く、**子でもあるまいし(笑)……はい。だから私、貴方とは結婚できません。それと……」



 とても最後まで聴いてはいられず、ぐちゃぐちゃになった僕は一万円札を席に叩きつけるだけして、息を荒くしながら出口の先へと駆け抜けていた。自分の気持ちとは正反対の熱い涙がなぜかこみあげて止まらず、視界はブレブレで色の明暗を微かに認識できるほどにしか機能していなかった。とりあえず2人分の指輪を適当な場所に投げつけてから家に帰って、濡れた顔を綺麗に拭ったら、できるだけ早く**子に電話して事実確認をしなくちゃならない。場合によっては過去を断罪し矯正させる必要だって出てくるだろう。


 自分でも不思議なほど、2年間睦まじく一緒にいたはずのX子の影はもはや僕の中のどこにもなかった。自分にされたことが何なのか最後には分かっていたが、そんなこと今はどうだっていい。妹の幸せのために、これからもできることをしてあげたい。その心を思い出し、流すものを流しながら走っていたら、だいぶ頭は冷静になっていた。




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