46.並木が芽吹く時
二月がはっと顔を上げると、そこはまだ太陽の高い真昼の東屋だった。
「おいちゃん……?」
目の前に伊達がいた。もう目は合わせてくれていないことを寂しく思いつつ、それが戻ってきたのだという実感に繋がった。
彼は隣にいる妖精と一緒に、彼女に笑いかけていた。
「どうだ二月、やろうと思えば出来るだろ?」
今まで視てきたものとはまるで違うビジョン。夢かと思うような内容は本当に、現実に能力として発動したものだった。
「おいちゃん…… さっきのは……」
「ちゃんと君のビジョンだ。いつも視てきた君の力、それに俺がきっかけを与えてあげただけさ。思えば部活の顧問だっていうのに、君の能力だけはなんにも見てやれてなかったからな」
「うそ…… 私の能力、あんなのじゃない…… あんなに楽しくは……」
「そうだな、まだあんなに激しくは使えないと思う。だが、練習次第さ。ちょっとずつ、今日みたいに怖がらずに練習すればいい」
「……っ!?」
視線を落とした先の異様に気づき、二月が驚きを漏らす。
「おいちゃん……! 体が……!」
伊達の体はところどころ、足や手の先を中心に半透明になりつつあった。
「ん、ああ…… これは…… タイムアップってことだな」
「タイムアップ……?」
「労働者は仕事が終わったらとっとと家に帰らなきゃならないんだ。俺の雇い主は厳しくてね、サビ残は十五分と許してくれない。だから君のビジョンを使ってお話した。時間を誤魔化すためにな」
最後まで言ったか言わないかの間に、二月が伊達の腰辺りに抱きついた。
「お、おい……!」
「ダメ! 帰っちゃやだ……! まだ、あんなにうまく出来ない!」
「……出来るさ。創りたいものを創るなんて、教える前にももうやってた」
「……?」
「最初に俺がトイレにこもってた時、映るはずの俺はいなかったんだろ? 君はそうやって、無意識に俺という君の力に逆らえる協力者が現れる未来を創ってたんだ」
「そんなの嘘!」
「嘘にしないでくれよ、じゃなきゃなぜか落ち込んでずっとトイレに閉じこもってた俺がかわいそうだろ……」
「でも! またみっちーを酷い目にあわせるかもしれない……! だから……!」
「フタッキー……」
ぱたぱたと、クモが寂しそうに二月を見ていた。
すがりついた二月の頭に、そっと伊達の手が乗せられる。
「……そうだな、だが、梢なら許してくれるさ」
「……?」
「あいつは主人公だ、優しいからな。でも、さすがに二月が失敗して、死んじまったらかわいそうだよな」
二月の頭の上、伊達の手が紫色に発光を始めた。
「大将!? 記憶消しちゃうんですか!? それは……!」
「記憶……?」
非難の声を上げるクモに、ニヤリと笑みが返る。
「バッカ、んなことしたら今日教えた意味ないだろ。もう『禁則』に触れても構わねぇんだ。だったらこっちで失った魔力をちょびっとでも返してもらおうってこったよ」
「ほぇ? 何するんス?」
右手の発光が強まり、強烈な目眩が伊達を襲う。彼は遠のこうとする意識を近づけんと、明るい声を上げた。
「二月……! 危ないからな! 君の力は半分俺が貰っていくぜ!」
「おいちゃ…… うっ……!」
二人の全身から紫色のオーラが立ち、二月は体からごっそりと何かが引き抜かれていくのを感じた。
それに呼応するように、伊達の体が薄くなっていく。
「すまないな、二月…… 俺の力じゃ時間が足りなくて、君の力を完全に消してやることは出来ない。もう怖いことが出来るほどの力じゃないから…… それで少しずつ、小さな幸せを積み重ねて生きていってくれ…… 君と、君の大切な人達と共に……」
「……おいちゃん……!」
オーラに包まれた状態で二月が搾り出すように伊達を呼んだ、そして――
「じゃあな、二月…… 元気で――」
「おいちゃん……?」
東屋には、少女が一人。
自分に希望を与えてくれた人を想って、消えていったその体温に、静かに泣いていた。
~~
――『2-1 梢 充孝』
盆に自分のネームプレートを見つけた充孝は、それを手に取ってげんなりした。
「なにこれ……」
盆の上には、赤い大きな食器が一つあった。その食器はオープンカーのような、というかオープンカーそのままの形をしていて、上にはワッフルだのプリンだのチキンライスだの、いくら美味しくても百九十センチの男子高校生を満たすには不十分な量の食事が乗っている。
「うわっ、ほんとにあるんだ!?」
充孝のメニューに真唯が驚いていた。いつだったか自分の食事メニューを「お子様ランチみたい」と例えた彼女だったが、今まさに、彼の盆の上にはみたいを抜いた「お子様ランチ」が乗っていた。
「はっはっ、災難だな充孝、二月にでもやればどうだ?」
「二月?」
「この学校でそれが一番似合うのはどう考えても――」
ごきゃっと、小気味よい音とともに栄作の体がナナメになった。
「……失礼」
栄作の足元で、ステキなローキックをかました犯人がぷんすかしていた。
「だよねぇ~、失礼だよねぇ~」
犯人―― 二月の頭をなでなでしながら、最近すっかり彼女と仲良くなった真唯が笑っていた。
「二月、ワッフル食べるか?」
充孝がワッフルをつまんで差し出した。
「食べる!」
「食うのかよ……」
足をさすりながら、栄作が自分の盆を探していた。
そしてまだ見ぬ彼の盆には「西瓜の天麩羅蕎麦」というチャレンジャーメニューが乗っていた。
「そんで、部活の再開はどうする?」
四人で食堂の長いテーブルを囲み食事をする。充孝と栄作が並び、真唯と二月が向かい合って座る。いつからか、それが当たり前になった。
「由良木さんが特別に部活として成立させてくれるって言ってくれたが、断った」
「断った? なんでだよ」
「……しばらくはオレ達だけでやりたい、そんな気分なんだ」
充孝が言った一言に全員が黙った。皆が実のところ、想いは同じだった。
「でも、空き教室は借りることにした。正式に週三回借りられる。今日から使えるぞ」
「ほんとかよ充孝!」
「ああ、補習に使いたいって理由で通してたから随分時間かかったけど、ねばってみるもんだな」
「やったね! 二週間ぶりに魔法クラブ再開!」
そう言って嬉しそうに箸を持つ真唯の「春の懐石御膳」にカピバラさんの目は釘付けだった。
「……顧問、いないけどどうするの?」
もしゃもしゃと、おにぎりを頬張りながら二月が言った。
「ん……」
少し困った顔で固まる充孝。
「大丈夫よ、二月ちゃん」
「んぅ?」
「部員もいるし、部長もいるもの。みんなで出来ることから練習していけばいいと思うよ?」
「んー、まゆまゆは単純」
充孝達が部活にしたくない理由、その最大の理由は「顧問」は絶対にあの人だけだからだった。
「ん、穂坂…… 部長って…… 決まってたか?」
お子様ランチの可愛らしいうさぎさんフォークを手に、充孝が真唯に尋ねた。
「ふふん、そりゃあ部長と言えばこの私――」
「え? 充孝くんでしょ?」
「ああ、充孝だろ?」
「みっちー」
ウェーブがかった長い髪を食事中であるというのに、ふぁさっとかき上げて現れた人物を全員が無視した。
「ちょっと! 颯爽と現れた私を無視しないでくださいまし!」
「あ、会長……」
「あれ? 由良木さん」
未沙都は空いていた充孝の隣に「普通の天麩羅蕎麦」の乗った盆を置き、どかっと座った。
「まったく、あなた達は……」
座った未沙都は、おやと二月の顔を見た。
「あら二月さん、眼鏡完成したのですわね」
「うん、未沙都ちゃんありがとう」
「いえいえ、部活の後輩に対するただのプレゼントですわ」
今の二月は眼鏡をかけていた。それはあの日以来、彼女に発見された変化だった。
「それでどうですの? 能力は出ません?」
「うん、まゆまゆに力が発動しなかったのと一緒、自分でかけてても発動しない」
「んー、わたし初めて眼鏡で良かったと思うよー」
真唯が二月の頭を抱き寄せ、満足そうに撫でる。
「しっかし意外だったよなぁ、充孝も目を見られて予知されたことがあるって言ってたけど…… なんで誰もそんなことに気づかなかったんだろ…… 眼鏡一枚通すだけでいいなんて」
「ううん、たぶん、おいちゃんのおかげ」
「伊達さんの?」
「うん」
二月はそれ以上は言わず、小うどんをすすった。
「ところであなた達、先ほど部長がどうとか言っていましたけど……」
「ああ、部長、こいつです」
「だからなんでオレだよ」
「そうですわっ、どうしてですの!?」
「えー…… じゃあ、俺すか?」
「いやそれこそなんでだよ」
「それこそ無いですわっ!」
なんだかんだで、未沙都は集まりでのいいムードメーカーだった。彼女が現れると少し過剰になり過ぎるくらい場が温まる。
我関せずと、食事に勤しむ二月の肩を、真唯がちょんちょんと突いてきた。
「二月ちゃん…… いつか、充孝くん達にも話してあげてね。伊達さんとのこと……」
「うん、おいちゃんのことは、みっちー達も大事」
ヒートアップして騒ぎだす未沙都に巻き込まれる充孝達を見て、二月が少し微笑んだ。
~~
陽が沈み、薄暗くなり始めた並木道を五人は歩いていた。部活の後、心地よい疲労感に包まれる彼らの体を、生ぬるい風が凪いでいく。
「あー、ちょっとのんびりしすぎたかー……」
栄作が腕を伸ばして伸びをした。
「くぅっ…… 幻術ですって!? いつの間にそんな面白カッコいい技を! 梢 充孝めっ!」
あの日、仲間外れになってしまった未沙都は心底悔しそうだった。
「でも充孝くん、ほんとに上手くなったね」
「ああ、あの後結構練習したんだ。なんか楽しくて」
「穂坂は大変だよな、上手くなろうにも誰か怪我しないと効果がわかんねぇし……」
「あはは、いや、わたしは…… そっちより透視の練習しないと。それに……」
真唯は横を歩く二月に向かって笑った。
「今は二月ちゃんの力に向き合ってあげる方が楽しいかな」
「……まゆまゆ、いいやつ」
二月の手が真唯の手に繋がれた。お姉さん的にはすごく嬉しそうだった。
「ん……」
充孝の足が、並木道のあの場所で止まった。
「無い…… 無くなってる」
「あっ……」
充孝が止まった場所、そこにあったはずのものが無いことに真唯も気づいた。
いつかもこうして立ち止まった、あの焼けてしまった木。その木はもう、撤去を終えたのか根元から全て無くなってしまって、ただの土の平面を残しているだけだった。
「……いらねぇっちゃいらねぇし、しょうがないんだろうけどさ…… なんか萎えるな」
栄作がまっすぐに、彼らが思っていることを言葉に表現した。
いつかは撤去されるとわかっていた。だが、彼らにとっては思い出の一つだ。
「伊達さん…… どうしてるかな……」
充孝の呟きに、皆が彼を思い出した。今の集まりという、不思議な縁を作ってくれた人。想い故の過ちを、罰を持って拭ってくれた人。これからの、希望を作ってくれた人を。
「今考えても不思議な人だよなぁ…… 魔法使いだぜ? 妖精連れててさ。結局何しに来たのかもわかんないけど、ほんとにいたのかなぁって感じに思うぜ」
「……そうだな、面白い人だった」
「でもほんとに、なんでだろうな…… 俺さ、こう…… 恩師っての? そういうのって、テレビドラマとかで見るような熱い展開っていうか、一緒になんかやった青春っていうか…… そういうのがあって出来るっていう…… ちょっとありえないもんだと思ってたんだよ」
なくなってしまった木の根元を見ながら、栄作が話し続ける。なぜか誰もが、いつもふざけているような男が語るその独り言を、せせら笑うこともなく聞き入っていた。
「ほんとに、なんでだろうな…… たった一週間も一緒にいなかったのに、一緒にふざけた部活やっただけなのに、あの人は恩師なんだよなぁ……」
本当は誰もがわかっていたのかもしれない。
今、充孝と栄作以外は彼が裏で、充孝を中心にみんなを守ろうと動いていたことを知っている。だが、彼がここにいた間に彼らに与えたものは安全だけではなかった。
皆が彼に触れ、揺さぶられ、学び、変えられてしまった。
本当に自分が見たかった自分達の内面―― それが見られるように。
劇的な何かなんてなくても人は人に影響され、自分で反芻して納得し、変わる。そしてそれを与えてくれる人は恩師となる。それを彼らが理解するまでは、まだまだ時間が必要だった。
とことこ―― と、二月が彼らの前に出て、振り返って注目を集めた。
「ん」
その手には、可愛らしいピンク色の携帯電話があった。
「携帯……?」
充孝が彼女に合わせて屈みこみ、それを見た。
「まさか……! 二月……!」
まさかの展開を予想し、栄作が驚きの声を上げる。
「おいちゃんの番号とアドレス、ここに入ってる」
「えぇっ!?」
「師匠の連絡先ですって!?」
全員が驚愕の声をあげて彼女に近づいた。
それは伊達が、彼女と連絡を取り合うために試みた時に残されたデータだった。結果として繋がらず、彼は東屋での定時連絡を決めたわけではあるが、交換したデータの消去はなされていなかった。
「お、おいおい二月…… 知ってるなら教えてくれよ……」
栄作が天を仰ぎ、さっきの感傷はなんだったのかと頭を抑えていたが、それに対して二月は首を振った。
「番号は繋がらなかった。電話は無理」
「無理…… なの?」
「おいちゃんの前で試したら、なんか知らない人が出た。だから使えない」
「……あの人自分の番号間違えてんじゃねぇか……?」
そんなことは無い。ただ、その番号の「こちらの世界の持ち主」にかかっただけの話だ。
「……メールは試していない、みっちー、やる?」
「オレ……?」
眼鏡越しに、期待を込めた二月の目が充孝を覗いていた。
二月は怖かった、返ってこないことよりも、通じないことが。だから知っていても使わずにいた。今彼女は、充孝に怖れを一緒に越えて欲しい一心で携帯を差し出していた。
充孝は――
「よし、やってみよう」
「おっ、いいね、何送る?」
充孝は携帯を受け取って、メール機能を操作した。古い機種を扱っている充孝には自分に似た型の携帯は操作しやすく、戸惑うことはなかった。
皆で意見を出し合い、書くべき内容を決めていく。
――伊達さん、お元気ですか?
勝手にですが、部活動を再開させて頂きました。部員一同、あなたに教えて頂いたことを練習し、毎日楽しく、頑張って行こうと思っています。その節は本当にお世話になりました。またいつか、こちらに寄ることがあればご指導をお願いします。魔法クラブ部長、梢 充孝。
「こ、これでいいのか……?」
「まぁいいんじゃねぇの? あんま長々打つのも大人相手だし」
「二月の携帯なのにオレが出したみたいになってるが……」
「不本意ですが、今は梢が部長ですの。いいんじゃありませんこと?」
真唯と二月も出来上がった短い文章に頷いていた。
「わかった…… じゃあ、送信!」
小さな送信音を出して、恩師への手紙は差し出された。
「んじゃ、帰るか」
「そうだね、もう暗くなっちゃったし」
充孝はしゃがみこんで、二月に携帯を返した。
「じゃあ二月、何か返って来たら教えてくれ」
「うん」
彼らは並木道を再び歩き出した。
少し離れた別の寮に住む未沙都が離れ、男子寮の前で充孝達と別れ、二月と真唯だけになる。
「それでね、寮母さんが――」
女子寮までのあとわずかな道、真唯と話をしているその時――
「ん……?」
二月は、振動と共に短い音を聞かせたそれを引き抜き、確認した。
そこにはアドレスも件名もぐちゃぐちゃになったメールが一件。
ただその短すぎる本文は、文字化けを免れて彼女の目に踊った。
――『ガンバレよ』
季節は初夏――
校庭の桜はとうに終わりを見せ、並木の新芽が今開こうとしていた。
お読み頂きましてありがとうございます。
作者をしてまさかの大長編、「#4」これにて閉幕です。
千場の作品で初の学園ものでしたがいかがでしたでしょうか?
満足して頂けたのなら幸いです。
次回からは「#5」、またガラリと雰囲気が変わり、
舞台もまったく違う場所へと移ります。
充孝達につきあっていただきありがとうございました。
これからも、伊達良一におつきあいください。




