42.放課の仕事
横断歩道の向こう側。充孝が礼を見せ、他の二人もそれに習った。
伊達はそんな彼らの想いに心の中で小さく礼を返し――
最後の仕事に乗り出した。
「クモ、一気に飛ぶ。捕まってろ」
「あい!」
四トントラックが目の前を横切る、その瞬間彼は『扉を無視して』空へと跳んだ。
『大将! 時間の計測はしますか!?』
『頼む! おそらくリミットは十五分ほどだ!』
『あい!』
交差点を斜めに滑空し、喫茶店の屋根へと着地する。
「おいちゃん……」
屋根の上には二月。彼女は急速度で降り立った伊達に驚きつつも、彼を認めると微笑を送った。伊達はその笑顔に目を伏せ、彼女の前で後ろ向きにしゃがむ。もう何度かあったためか、二月は若干戸惑った様子ながらも何も言わなくてもその背に乗った。
「悪いな二月、時間が無いんだ。しばらく呼吸は我慢してくれ」
「う? うん……」
全てが終わったはずなのに深刻な雰囲気を発する彼に何を問う暇も無く、二月の目の前がかつて経験したことのない速さで流れていった。
伊達は数秒という速さで学校まで移動し、二月もよく知るその場所へとふわりと飛び降りた。
高速移動によってかかった重力にふらつく二月を背負ったまま歩き、彼女をいつもの椅子へと座らせてやる。
降り立ったのは中庭の東屋。かつて伊達が彼女に対し、報告に使うと決めたその場所だった。
「飲み物を用意してやる時間も無いんだ、勘弁な」
「うん……」
クモを肩に乗せ、立ったままで告げる伊達。
何か話があるのだろう、二月はそう思った。しかし、何を話すのかがわからない。お礼ならば言いたいが彼がそれを求めている様子は無い。
「早速で悪いが二月」
伊達がしゃがみ込み、彼女の細すぎる両肩に手を置いた。
「俺の目を見ろ……!」
顔を目一杯まで近づけ、伊達の目が彼女の目を捉える。拒絶の暇も無い、一瞬の出来事だった。
彼女の目が彼の目へと吸い込まれ、能力が発動していく。
二月の意識はそのまま、自身の能力が視せるビジョンの世界に移っていった。
違和感――
灰色にもやのかかるビジョンの中で、二月は違和感を感じていた。
『ここは……?』
思ってみて、驚いた。未来のビジョンの中に『私』が存在している。
手を握る、開く。腕を伸ばして、前へと持っていく。そこにはしっかりと、自分の手があった。
「よう」
霧の中から、伊達が現れた。
「おいちゃん……?」
「ああ、俺だ。びっくりしているようだな」
優しく笑いかける彼の表情は、先ほどまでよりは柔らかい。
「ここは…… 私のビジョンじゃないの?」
「いや、君の力の世界だ。俺は侵入してるだけだよ」
二月にはよくわからなかった。二月の未来予知のビジョンは常に、真上から見た何かが起こる前の風景。そこには自分が存在することはなく、するとしてもそれは登場人物の一人としての自分だ。今のように、視点も世界も何もかもが違うビジョンなどは視たことがない。
「大事な話をしよう、二月。君の――」
「仕事」が終わった世界。彼は最後の後始末に入る。
「過去の話だ」
~~
二月 結花はどこにでもある、ごく普通の一般家庭に生まれた子供だった。
父親は会社員で母親は主婦、彼女は体質的に子供が出来難い夫婦にとって、奇跡的に産まれたただ一人の子供として大切に育てられた。
最初に能力を見せたのは、五歳の時だった。
家族で離れた大きな街まで買い物に行ったその帰り、父親が唐突に「競馬場に行こう」と言い出した。夫婦揃って賭け事などには縁が無く、競馬などやったこともなかったが、父親としてはただなんとなく、せっかく近くまで来たのだから娘に馬が走る所を見せてやろう。それだけの思いつきだった。
「にぃなな! にぃなな!」
娘にジュースを買ってやり、手渡して目を合わせた後の記憶が曖昧だった。突然ぼんやりと黙ったままになった父親を、母親が心配していた。そして結花は嬉しそうに、なぜか「にぃなな」とはしゃいでいた。
父親は誤魔化すように「じゃあ二の七にしよう」と言って、千円だけ馬券を購入した。
彼としては当たるも当たらぬもどうでもよかった。馬がどっと走るところを娘と見られればそれでよかった。しかし――
「来た……!」
まさかの大番狂わせが起き、彼の千円は十二万円になった。文句無しの万馬券を彼は手にしていた。現実か夢か、信じられないような出来事だったが、この時、夫婦は揃って目の前の事実を『偶然』として片付けた。娘は五歳であり、馬券の買い方、ましてや二頭を選ぶことなど知っていたとは思えない。おそらくはどこかで競馬に詳しい誰かが話していた言葉を覚え、語呂が気に入って騒いでいただけなんだろうと、結論付けた。
だがその後、その一件から数日を境に娘は時折奇妙なことを言うようになった。彼女は首をひねりながら、父にも母にも、たびたび『目に吸い込まれる』と意味をはかりかねる内容を訴えた。一応は心配して眼科にも連れていったが診断の結果は正常。そもそもが『吸い込まれる』であるため心因性の、子供によくあるなんだかよくわからないものが怖いという状態ではないかと医者は言っていた。
やがて小学校に入り、一年何事も無く二年生になった。
この頃には結花は『吸い込まれる』というような発言はしなくなり、両親も結花を普通の子供として、そんな不思議な昔のことは記憶の片隅に消えていた。
しかし、運命は彼女と両親に対し、現実を見せ始める。
「お母さん、明日、お父さんが犬を貰ってくる」
夕飯前、夕食を作っている母親と、結花の目が合った。母親は失っていた意識を取り戻し、噴いていた鍋の火を慌てて消したあと、娘の口からそんな言葉を聞かされた。
母親からその話を聞いた父親は「そんな話は無い」と断言した。娘は犬を欲しがっているのかなどと呟きながらも、本当にそんな話は全く無いと言い続けた。生き物を飼うことは大変で、いきなり誰に相談無しに飼うほどあさはかではないとまでも言った。
そして、その次の日、父親は犬を貰って帰ってきた。得意先の社長に譲られ、断れなかったと申し開きを入れながら。
結花は父親が貰ってきた白いミニチュア・シュナウザーを撫でながら「当たった」と呟いた。
その後、三年生、四年生と進み、その間に両親は結花の「力」についてを理解していった。犬の一件だけならば、また偶然として片付けられたのかもしれない。しかし娘の『予知』の頻度は日を追って増え、自分達がその力を受けた後に意識を失っていることも自覚していた。
だが両親はそんな娘の不思議な力に対し、拒絶感を抱いたりはしなかった。なぜなら娘の予知は基本的に『良いこと』ばかりが起こり、悪いことと言っても小さな怪我や病気をするくらいなもので、避けられないとしても先に病院を予約しておけるなど、便利な点もあった。それに娘自身に力の自覚が出てきたため、彼女は「目を合わせない」という制御の仕方を自然と身に付けていた。
心配ではあるが相談できる場所も無い。ならばなりゆきに任せよう。
両親は娘に慣れ過ぎ、異質な力について楽観的になってしまっていた。
その力が、悲劇に傾くまでは――




