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第97話 侵入者、そして遭遇

灼熱と轟音。  鉄帝都(ガルガロッサ)の地下深くに位置する動力炉エリアは、人の身で耐えられる環境ではなかった。


超大型魔導炉(ギガ・マギ・ドライブ)から放出される熱波は、物理的な温度として皮膚を焦がすだけでなく、魔力的な干渉(プレッシャー)となって空間そのものを歪ませている。防護服なしでは数分で皮膚が焼け爛れ、肺胞が壊死(えし)するほどの過酷な環境だ。  空気中に充満する高濃度の魔素(マナ)は、常人であれば魔力酔い(エーテル・ショック)を起こして昏倒し、そのまま全身の血管から血を噴き出して絶命するレベルの猛毒と化していた。


壁面を這う無数のパイプからは、冷却液が沸騰する悲鳴のような蒸気が噴き出し、巨大な歯車が噛み合うたびに、地底の岩盤を揺るがすような重低音が響き渡る。  ここは帝国の心臓部であり、同時に数万の命を燃料として燃やし尽くす、巨大な処刑場でもあった。


だが、シンはその只中を、涼しい顔で歩いていた。


「……警備がザルだな」


彼は天井付近の太い配管の上にしゃがみ込み、眼下の作業員たちを見下ろした。  彼らは皆、鉛のように重い防毒マスクと耐熱服に身を包み、必死の形相で計器を操作したり、魔石を運搬したりしている。  その動きには余裕がなく、焦りと恐怖、そして極限の疲労が見え隠れしていた。  彼らの背後には、鞭を持った監督官たちが立ち、動きの鈍った者の背中を容赦なく打ち据えている。


「急げ! 出力低下! 燃料(人間)をもっと投入しろ!」 「冷却水が追いつきません! このままでは炉心が暴走します!」 「構わん! 陛下のご命令だ! 限界まで回せ! 貴様らの命が尽きても炉は止めるな!」


怒号が飛び交う中、彼らは上を見上げることさえしない。  まさか、この厳重に封鎖された最重要区画に、侵入者が入り込んでいるなどとは夢にも思っていないのだ。  あるいは、見上げる気力さえも搾り取られ、ただ目の前の計器の針が「死」を示さないことだけを祈っているのかもしれない。


(必死すぎて周りが見えていない。……好都合だ)


シンは配管を伝って移動を開始した。  彼の狙いは、炉の制御室ではない。  そのさらに奥。皇帝ゼギオンがいるであろう、「古神(ティターン)」の操縦席コクピットへ繋がる通路だ。


道中、無数の監視魔眼(アイ・センサー)が設置されていた。  ガラス玉に封じ込められた魔物の眼球が、侵入者を求めてギョロギョロと動いている。  熱感知、魔力感知、振動感知。あらゆる隠密魔法を見破る帝国の最新鋭防犯システム。


だが、始祖(オリジン)であるシンにとって、それらは子供の玩具にも等しい。


シンが指先を僅かに動かす。  それだけで、彼の周囲に張り巡らせた不可視の【神糸(ゴッド・ワイヤー)】が生き物のように蠢き、魔眼の視界を物理的に遮り、魔力波長を乱反射させる。


ジジッ……。  魔眼が一瞬だけ瞬き、再び元の動きに戻る。  警報は鳴らない。誰も気づかない。  シンは幽霊のように、あるいは最初からそこに存在しなかったかのように、鉄の迷宮をすり抜けていく。


(帝国の技術……。素材は悪くないが、使い方が雑だ)


シンは移動しながら、周囲の魔導機工(マギ・クラフト)を冷ややかに評価した。  パイプの継ぎ目から漏れる魔力。効率の悪い熱循環。そして何より、術式の土台となっている「怨念」の制御が甘い。  無理やり縛り付けられた死者の魂が、今にも暴走しそうに呻いているのが聞こえる。


「……五流の仕事だな」


小さく吐き捨て、シンは巨大な搬入ゲートの前にたどり着いた。  そこは、古神の足元へと続くメインストリートだ。  ゲートの前には、二体の重装機甲兵(ヘビィ・ゴーレム)が門番として立ちはだかっている。


高さ四メートル。全身をスパイク付きの装甲で覆い、両手には回転する円盤鋸(バズソー)を装備した殺戮仕様。  その動力炉からは、ドクン、ドクンと不気味な鼓動が響き、装甲の隙間から赤い蒸気が漏れ出している。  中に人間が入っているわけではない。  死体をつぎはぎして作られた肉人形を核とし、鋼鉄の鎧で密閉した動く死体(リビング・アーマー)


(……邪魔だな)


シンは眉をひそめた。  破壊するのは簡単だ。指一本で消し飛ばせる。  だが、ここで騒ぎを起こせば、皇帝に感づかれる可能性がある。  できるだけ静かに、スマートに通りたい。


シンは懐から、小さな石ころを取り出した。  ただの石ではない。シノが開発し、シンが魔力を込めた『音響囮(デコイ・ノイズ)』だ。


ヒュッ。


シンが石を放り投げる。  石は放物線を描き、ゴーレムたちの背後、遥か遠くの通路の曲がり角へと落ちた。


カラン、カラン……。


乾いた音が響く。  そして次の瞬間、石から「敵襲! 敵襲だ! 反乱分子が侵入したぞ!」という兵士の叫び声が(録音された音声で)再生された。


「――!?」


ゴーレムたちの兜の奥で、眼光が赤く明滅した。  思考を持たぬ彼らは、即座にプログラムされた通り、音のした方向へと重い体躯を旋回させる。


その一瞬の隙を見逃すシンではない。


「――影渡り(シャドウ・ウォーク)


シンの姿がブレて消えた。  物理的な移動ではない。影と影の隙間を縫い、空間そのものを滑る歩法。  ゴーレムたちの巨大な脚の間を、風のようにすり抜ける。  門番たちが再び正面を向き直った時には、そこにはもう誰もいなかった。  ただ、僅かな風の揺らぎだけが残されているのみ。


「……チョロいな」


ゲートを抜けた先、シンはニヤリと笑った。  Fランクの少年の顔に浮かぶ、魔王の嘲笑。


そこは、古神の巨大な足が鎮座するドックだった。  見上げれば、天井知らずの高さまで鉄の巨体がそびえ立っている。  その表面には無数の作業用足場が組まれ、蟻のような作業員たちが張り付いている。  溶接の火花が散り、魔力を注入する詠唱が幾重にも重なって響いている。


シンは足場の一つに飛び移り、上を目指して駆け上がった。  重力を無視したような身軽さで、鉄骨から鉄骨へと跳躍する。  目指すは胸部。そこに、この鉄の巨人を支配する皇帝がいるはずだ。


だが。  中腹まで登ったところで、シンは足を止めた。  彼の超感覚(ハイ・センス)が、異質な「淀み」を捉えたからだ。


「……ほう?」


彼の行く手を阻むように、一人の男が立っていた。


作業用通路の真ん中。  逃げ場のない一本道で、その男は腕を組み、仁王立ちしていた。  周囲の熱気や騒音など存在しないかのように、彼だけが異様な静寂を纏っている。


全身を包帯で巻いたミイラのような異様な姿。  その上から灰色のボロボロのローブを纏い、手には人間の頭蓋骨をあしらった杖を持っている。  包帯の隙間から覗く瞳は、濁った黄色で、生者のそれとは思えぬ不気味な光を放っていた。  その体から滲み出るのは、腐った土の臭いと、濃密な死の気配。


帝国宰相にして、死霊術師の長――モルガン。


「……ネズミが紛れ込んだと思えば。子供か」


モルガンが、しわがれた声で呟いた。  その声には、侵入者に対する驚きよりも、実験材料を見つけた喜びのような、粘着質な響きがあった。


「迷子かな? それとも、死に場所を探しに来たのかな?」


「……さあね。ただの散歩だよ、お爺さん」


シンはFランクの少年の演技を崩さず、怯えたように後ずさりしてみせた。  肩を震わせ、視線を泳がせ、いかにも場違いな場所に迷い込んでしまった弱者を演じる。


「ぼ、僕……出口を探してて……。と、友達とはぐれちゃって……」


「クックック……。出口? ここに出口などないよ」


モルガンが杖を振ると、通路の前後の床から、どす黒い霧が噴き出した。  霧は瞬く間に広がり、シンの退路を断つ。  そして、その霧の中から、腐った肉の臭いと共に、無数の「手」が現れた。


床を突き破り、壁から這い出し、天井から垂れ下がる、青白い死者たちの腕。  それらは苦悶に満ちた指を伸ばし、シンの体温を求めて蠢いている。


「あるのは、冥府への入り口だけだ」


「ひッ……!?」


シンは悲鳴を上げて尻餅をつく――フリをした。  腰を抜かし、手足をバタつかせて後ずさる。  その瞳の奥で、冷静に敵の戦力を分析しながら。


(……死霊術(ネクロマンシー)か。使い手としてはAランク相当。  だが、この場所……魔導炉の近くだからか、周囲の怨念(オド)を利用して出力を底上げしているな)


この空間に充満する、生贄にされた人々の怨念。  そして、背後の「古神」に封じ込められた数百万の魂の叫び。  モルガンはそれを自身の魔力として取り込み、増幅させ、通常ならあり得ない規模の死霊を使役しようとしている。


「君の魂は、なかなか上質そうだ。……古神の燃料にするには惜しい」


モルガンが一歩近づく。  彼の杖の先にある髑髏が、カタカタと笑うように顎を動かす。  無数の死者の腕が、シンを捕らえようと包囲網を狭めてくる。


その背後では、巨大な鉄塊が威容を誇っていた。


鉄の古神(アイアン・ティターン)』。


帝国が数百年の歳月と、数百万の死者の魂を費やして建造した、史上最悪の巨大死霊鎧ギガント・リビング・メイル。  全長百メートル。全身が神話級の魔鋼(アダマン)で構成された、動く城塞。  その装甲の内側には、おぞましい量の呪印(カース・シール)が刻まれ、無理やり繋ぎ止められた魂たちが、動力として永遠に燃やされ続けている。


「私のコレクションに加えてあげよう。……生きたまま防腐処理をして、臓器を宝石に置き換えて、永遠に泣き叫ぶ美しい人形にしてあげるよ」


モルガンの瞳が、欲望に歪む。  彼はシンの中に眠る、強大な魂の輝きを――その表層だけを――感じ取っていたのだ。  それが、自分を滅ぼす破滅の輝きだとも知らずに。


「……へえ。それは光栄だな」


シンは、ゆっくりと立ち上がった。  その動作から、怯えの色が消え失せる。  震えが止まり、猫背だった背筋が伸びる。


代わりに浮かんだのは、獲物を前にした捕食者の、冷酷で残忍な笑み。


「な……?」


モルガンが、その変化に違和感を覚えた瞬間。


「だが、あいにくと俺は人形遊びは卒業したんだ」


ドォォォォォォン……ッ!!


シンの背後から、漆黒の覇気(オーラ)が爆発的に膨れ上がった。  それは、モルガンの操る死霊の怨念など吹き飛ばすほどの、圧倒的な「死」と「支配」の気配。  空気が凍りつき、重力が歪む。  無数の死者の腕が、シンの覇気に触れた瞬間、恐怖したように縮み上がり、霧散していく。


「な、なんだ……!? 私の死霊たちが……畏れている……!?」


モルガンが驚愕に目を見開く。  死を恐れぬはずの亡者たちが、本能的に逃げ出そうとしているのだ。  目の前の少年が、死神である自分よりも遥かに上位の「死」を司る存在であると悟ったかのように。


「逆に、お前が俺の人形になるなら考えてやってもいいぞ? ……少し古いが、使い捨ての駒くらいにはなりそうだ」


シンの瞳が、闇の中で深紅に輝く。  Fランクの少年の皮を被った、始祖(オリジン)の本性が露わになる。


「き、貴様……何者だ!?」


モルガンが杖を構え直し、防御結界を展開する。  ただの子供ではない。この重圧、この魔力。  こいつは――化け物だ。帝国の四騎士(インペリアル・ナイツ)すら凌駕する、底知れぬ怪物。


「名乗るほどのものではないが……そうだな」


シンは一歩、踏み出した。  カツン、と足音が響くたびに、モルガンの心臓が握り潰されるような圧迫感を覚える。


「『掃除屋(クリーナー)』とでも呼んでくれ」


ヒュンッ。


シンの指先から、見えない糸が放たれた。  それは空間を切り裂き、モルガンの展開した結界を紙のように透過して、彼の喉元へと迫る。


鉄の都の深淵で、魔王と死霊使いの戦いが、音もなく幕を開けた。  だが、それは戦いと呼ぶにはあまりにも一方的な、捕食劇の始まりだった。  鉄の古神が見下ろす中、帝国の運命を決定づける夜が更けていく。

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