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第96話 |偽りの英雄《フェイク・ヒーロー》、|崩落する偶像《アイドル》

城塞都市(フォート・シティ)ネメシスに、遅い朝が訪れた。


東の空から差し込む陽光は、昨夜の激闘の痕跡――砕かれた石畳や、焼け焦げた建物の壁を容赦なく照らし出している。  だが、その光景に悲壮感はない。  瓦礫の撤去作業にあたる兵士たちの顔には、疲労よりも大きな「勝利」の昂揚感が満ちていたからだ。


「おい、見たかよ昨日のアレス様のあの一撃!」 「ああ! 空が燃えるかと思ったぜ!」 「帝国の『四騎士』だって? へっ、噂ほどじゃなかったな!」


市民たちは口々に英雄たちを称え、復興作業の手を休めることなく動かしている。  彼らは知ったのだ。自分たちの街には、大陸最強の帝国軍さえも跳ね返す、絶対的な「盾」と「矛」があることを。


その喧騒を見下ろすレギオンハウスの最上階。  作戦会議室の巨大なテーブルには、昨夜の戦利品が無造作に並べられていた。


氷のように透き通る『魔剣(アイス・ブランド)』の破片。  複雑怪奇な歯車が組み込まれた『魔眼(イーグル・アイ)』の残骸。  ひしゃげた『杭打ち機(パイルバンカー)』のシリンダー。  そして、怨念が染み付いたボロボロの人形。


帝国最強の証明であった四騎士(インペリアル・ナイツ)の遺品たちである。


「……ふむ。構造は粗雑だが、素材の純度は悪くない」


十王(デケム・キング)・第九席【(スミス)】ヴォルカンが、砕けた魔剣の破片を指先で弾いた。  キィン、と澄んだ音が響く。


「永久凍土の氷を核にして、魔鋼(アダマン)でコーティングしてやがる。……なるほど、刀身そのものを冷却機関にすることで、魔力のロスを減らしているのか」


「こっちの義眼も面白いよ、爺ちゃん!」


隣で目を輝かせているのは、第十席【(ガジェット)】シノだ。  彼はピンセットで義眼の内部をいじり回し、極小の魔石を取り出していた。


「見てよこれ。眼球の裏に『思考加速(アクセル・マインド)』の術式が焼き付けてある。……うわぁ、神経と直接繋いでたのか。これじゃあ頭が焼き切れるわけだ」


シノは感心したように、しかしどこか軽蔑を含んだ口調で呟く。  技術としては高度だ。だが、そこには「使い手」への配慮が欠落している。  性能を引き出すためなら、搭乗者の脳が溶けようが構わないという、帝国の狂った設計思想。


「……不愉快なガラクタだ」


窓際で腕を組んでいたアレスが、吐き捨てるように言った。  彼の傷は、主の魔力によって跡形もなく癒えている。だが、あの戦いで感じた「虚しさ」だけは、胸の奥に澱のように残っていた。


「奴らには魂がなかった。……ただ、命令通りに動く人形だ。斬った手応えすらありゃしねぇ」


「それが帝国の強さであり、脆さですわ」


聖女ミラが、紅茶を淹れながら優雅に微笑む。


「個を殺し、支配構造(システム)の一部とすることで均質化された強さを得る。……ですが、それでは『規格外』の事態には対応できません。  私たちのシンのように、理不尽なまでの『個』の暴力の前では、(ことわり)など紙切れ同然」


「違げぇねえ」


アレスはニヤリと笑い、ミラからカップを受け取った。


「さて……。こっちの掃除は終わった。あとは、敵の本丸で暴れている『あの方』の仕上げを待つだけか」


アレスは西の空――帝国の方向を見据える。  その瞳には、主への絶対的な信頼と、遠く離れた戦場への焦がれるような想いが宿っていた。



大陸北西。鋼牙帝国(アイゼンガルド)鉄帝都(ガルガロッサ)


ここには、太陽の光など届かない。  空を覆う黒煙の層は、昨日よりもさらに厚く、重く、帝都全体を巨大な棺桶のように密閉していた。  降り注ぐ腐食の雨(コロージョン・レイン)が、石畳を溶かし、人々の肌を焼く。


その中心にそびえる『黒鉄宮(アイアン・パレス)』。  皇帝の玉座の間は、物理的な質量を伴うほどの「沈黙」に押し潰されそうになっていた。


「…………」


玉座に座る皇帝、ゼギオン・ヴァン・アイゼンガルドは、微動だにしていなかった。  全身を覆う漆黒の魔鎧(マギ・メイル)からは、呼吸音すら漏れてこない。  ただ、兜の奥にある深紅の眼光だけが、揺らぐことなく一点を見つめている。


その視線の先。  床に転がっているのは、四つの「通信用魔石」の残骸だった。  それぞれが、四騎士の生体反応とリンクしていたはずの石。  それが今、光を失い、ただの砕けた石ころとなって転がっている。


「……全滅、か」


皇帝の口から漏れたのは、怒号でも悲鳴でもなかった。  感情の一切が抜け落ちた、乾いた砂のような音。


「陛下……」


玉座の脇に控えていた宰相モルガンが、震える声で呼びかける。  包帯で巻かれた顔からは表情は読めないが、その手が小刻みに震えているのが見て取れた。


「四騎士の反応が……同時に消失しました。……考えられません。彼らは帝国の最高傑作。たとえ軍隊に囲まれようとも、一人で脱出することなど造作もないはず……」


「相手は軍隊ではないということだ」


皇帝は静かに遮った。


「……化け物だ。我々の想像の範疇を超えた、理外(イレギュラー)の存在」


皇帝は、ゆっくりと自分の手を見つめた。  鋼鉄の手甲に覆われたその手は、これまで数多の敵を握り潰し、国を奪い、絶対的な権力を築き上げてきた。  力こそが正義。強さこそが真理。  その信念が今、根底から揺らいでいる。


自分たちよりも強い「個」が存在する。  帝国の支配構造(システム)を、技術を、物量を、たった数人の冒険者が正面から粉砕したのだ。


「……認めん」


ギリッ、と手甲が軋む音がした。


「余は認めんぞ……! 帝国の鋼鉄が、蛮族の肉体に劣るなど……! そんなことがあってたまるか!」


皇帝の全身から、どす黒い闘気が噴き出した。  それは恐怖を怒りで塗り潰そうとする、敗者の悪あがきにも似た激情。


「モルガン! 『アレ』の準備はどうなっている!」


「ハッ……! 『鉄の古神(アイアン・ティターン)』につきましては、現在封印の解除率が八〇パーセント。……ですが、動力源となる『魂』が不足しております」


「不足? ならば補充せよ!」


皇帝が吠える。


「帝都中の民を集めろ! 職人も、女も、子供もだ! 全員を魔導炉(マギ・ドライブ)へ放り込め!  国などどうでもいい! 余が勝てば、また作り直せばいいのだ!」


「し、しかし陛下……それでは帝国の生産能力が……」


「黙れッ!!」


皇帝の腕が閃き、衝撃波がモルガンを吹き飛ばした。  壁に叩きつけられた老宰相は、血を吐きながらも、這うようにして皇帝の足元へ戻る。


「……御意。直ちに手配いたします」


モルガンは悟った。  この国は終わる。  皇帝は狂った。敗北の恐怖に食い破られ、自らの国を燃料にしてでも勝とうとしている。  それは破滅への暴走だ。もう誰にも止められない。


「急げ。……奴らは来るぞ。すぐそこまで来ている」


皇帝が虚空を睨みつける。  その視線は、玉座の間の扉の向こう――見えない「死神」の気配を探るように彷徨っていた。



帝都の下層区画。  黒い雨が降りしきる路地裏を、一人の少年が歩いていた。


Fランクの荷物持ちに扮した、始祖(オリジン)・シンである。


彼は、降り注ぐ毒の雨を気にする様子もなく、水たまりを避けるように軽やかにステップを踏んでいる。  その足取りは、これから敵の本拠地へ潜入する者とは思えぬほど、優雅で、楽しげだった。


(……聞こえるな)


シンは足を止め、耳を澄ませた。  雨音に混じって聞こえてくる、微かな悲鳴。怒号。そして、鎖を引きずる音。


帝都のあちこちで、憲兵たちが市民を拘束し、鉄の馬車へと押し込んでいる。  「皇帝陛下の命令だ!」「国のために命を捧げろ!」と叫びながら、老若男女を問わず連行していく。


(狂ったか、ゼギオン。……自分の手足を食ってまで、その首を繋ぎ止めたいか)


シンは冷笑した。  予想通りの展開だ。追い詰められた独裁者は、必ず自滅の道を選ぶ。  国民を盾にし、資源を浪費し、焦土作戦に出る。それは歴史が証明する敗者のパターンだ。


「だが、残念だったな。……その『最後の切り札』を使う暇など与えんよ」


シンは路地裏の奥、マンホールの蓋の前に立った。  所長ガンツから奪った記憶によれば、この地下水道は、王城の地下深くに位置する「動力炉エリア」へと直結しているはずだ。


「……さて。ネズミ狩りの時間だ」


シンが指を鳴らすと、マンホールの蓋が音もなく浮き上がり、横へとスライドした。  中から漂ってくるのは、汚水の臭いと、濃厚な魔力の気配。


シンは躊躇なく、その闇の中へと飛び込んだ。



王城の地下水路。  そこは、地上の喧騒が嘘のように静まり返っていた。  石造りの壁には緑色の発光苔(ルミナス・モス)が張り付き、ぼんやりとした明かりを投げかけている。


シンは、水面を滑るように進んでいた。  足音は立てない。呼吸音すら殺している。  彼の存在感は希薄になり、闇そのものと同化している。


才能(ゼロ)気配遮断(ステルス)】。  【才能(ゼロ)音響操作サウンド・コントロール】。


複数の隠密系スキルを重ねがけした彼は、今の帝国において探知できる者は存在しない「透明人間」と化していた。


(警備が薄いな)


シンは周囲を見渡す。  本来なら、要所ごとに配置されているはずの警備兵や、監視用の使い魔(ファミリア)の姿が見当たらない。


(……全戦力を、地上の「人間狩り」に回したか。あるいは、四騎士を失って守りを固める余裕すらないか)


どちらにせよ、好都合だ。  シンは迷路のような水路を、迷うことなく進んでいく。  彼の脳内には、奪った記憶を元に構築された「完全な地図」が展開されている。


数分後。  シンは一つの巨大な排水口の前で足を止めた。  その奥からは、轟音と共に熱風が吹き出してきている。


「……ここか」


魔導炉(マギ・ドライブ)の冷却排水路。  この奥に、帝都の全エネルギーを供給し、さらに皇帝が起動させようとしている「禁忌の兵器」が眠っている。


シンは排水口の鉄格子に手をかけた。  太さ五センチはある魔鋼(アダマン)製の格子。魔法的なロックも施されている。


だが、シンにとっては枯れ枝と変わらない。


「――解錠(アンロック)


魔力を流し込むまでもない。  指先で触れた瞬間に、鉄の分子結合を操作し、格子を「砂」へと変えた。  サラサラと崩れ落ちる鉄粉を踏み越え、シンは奥へと侵入する。


熱気が増す。  空気中の魔素濃度が上がり、肌をピリピリと刺激する。


長いトンネルを抜けた先。  視界が開けた瞬間、シンの目に飛び込んできたのは、圧倒的な光景だった。


巨大な空洞。  その中心に、太陽のように赤く輝く巨大な結晶体――超大型魔導炉(ギガ・マギ・ドライブ)が鎮座していた。  高さは五十メートルを下らないだろう。  その周囲には、無数のパイプと歯車が絡み合い、まるで内臓のように脈動している。


そして、その炉の直下。  鎖で繋がれた数百人の人々が、次々と炉の「投入口」へと放り込まれていた。


「い、嫌だぁぁぁッ! 助けてくれぇぇ!」 「熱い! 熱いよぉぉぉッ!」


悲鳴。絶叫。  生きたまま魔力の炎に焼かれ、魂を抽出される人々の断末魔。  そのエネルギーが炉に吸い上げられ、さらに奥にある「巨大な影」へと供給されていく。


その影は、炉の背後にそびえ立つ、未だ眠れる巨神。


鉄の古神(アイアン・ティターン)』。


帝国が数百年をかけ、幾万もの死者の魂を鉄に定着させて作り上げた、史上最悪の死霊鎧リビングデッド・アーマー。  全長百メートル。全身が神話級の魔鋼(アダマン)で構成された、動く城塞。


「……なるほど。あれが切り札か」


シンは物陰から、その威容を見上げた。  確かにデカい。硬そうだ。  まともに動けば、レギオンの戦力をもってしても苦戦するかもしれない。


「だが……動く前なら、ただの鉄屑だ」


シンは冷酷に呟き、右手をかざした。  その指先から、目に見えない極細の糸――【神糸(ゴッド・ワイヤー)】が放たれる。


糸は生き物のように空を舞い、魔導炉の制御盤、冷却パイプ、そして古神の関節部へと音もなく絡みついていく。


「さて、ゼギオン皇帝。……お前の自慢の玩具、壊れる前に貰ってやろうか」


シンはニヤリと笑い、糸を引いた。


「――接続(コネクト)開始」


魔王の指先が、帝国の心臓部を掌握する。  鉄の都の最深部で、静かなる侵略が始まった。

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続きます。

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