第74話 狂王の決断、禁忌の四宝
玉座の間は、巨大な墓室のように冷え切っていた。
かつては臣下の追従と栄華に満ち、大陸の心臓と謳われたこの空間も、今はただ、重苦しい沈黙と腐臭だけが澱んでいる。 豪奢な真紅の絨毯には、誰にも拭われることのない埃が降り積もり、磨き上げられていた大理石の床は光を失っていた。 高い窓の外からは、遠雷のような地響きが絶えず届いている。 それは雷鳴ではない。王城を取り囲み、英雄レギオン・蜘蛛の名を連呼する、民衆の喚声だった。
「……誰も、おらぬのか」
第一王子ギルバートは、玉座の肘掛けを爪が白むほどに握りしめ、虚空に問いかけた。 返事はない。 あるのは、自身の嗄れた声の反響だけだ。
腹心であった宰相バルバロスは行方不明。 愛すべき愚弟カインは事故死。 そして、唯一の肉親である妹ソフィアは裏切り、敵であるレギオンに寝返ったとの報告が入っている。 王城を守護すべき近衛騎士団さえも、ヴィンセントとかいう元将軍の放つ異常な威圧に屈し、恐怖で精神を病み、兵舎に引き籠もってしまった。
孤立無援。 四面楚歌。
「馬鹿な……。余は、この国の王ぞ? 選ばれし血脈ぞ? なぜ、どいつもこいつも余を見捨てる……!」
ギルバートの瞳に、理性の光はもはやなかった。 あるのは、追い詰められた鼠のような焦燥と、世界すべてを恨む濁った憎悪のみ。 数日前まではふくよかだった頬はこけ、目の下にはどす黒い隈が刻まれている。
「民など、どうでもいい……。余が生き残れば、其処が国だ。……そうだ、余こそがゼノリスなのだ」
彼はゆらりと立ち上がった。 その足取りは、夢遊病者のように頼りないが、向かう先だけは明確だった。
王城の地下。 かつてバルバロスが立ち入った宝物庫よりも、さらに深く、暗い場所。 歴代の王ですらその存在を口にすることを憚った、「真の禁忌」が眠る場所へ。
◇
王城の地下深層。 螺旋階段を下るたびに、空気の密度が変わっていく。 肌にまとわりつく湿気は、腐った血と錆、そして数百年分の怨嗟を孕んでいた。 松明の明かりさえ届かぬ暗闇の底。 ギルバートは、幾重にも及ぶ結界を、王族の生体認証で解除しながら進む。
やがて、彼は一つの重厚な封印扉の前に立った。
「……ここを開ける日が来るとはな」
扉には、王家の紋章ではなく、禍々しい悪魔のレリーフが施されている。 かつて、建国王ゼノリス一世が契約し、そのあまりに強大な力ゆえに、自らの命と引き換えに封印したとされる、異界の魔将たち。
その封印を解く鍵は、王族の血と――膨大な「魂」の代価。
ギルバートは躊躇いなく、腰の剣を引き抜き、自らの左掌を深く切り裂いた。 滴り落ちる鮮血を、扉の鍵穴へと流し込む。
「開け。……余の血肉と、この都に住まう全愚民の命を糧として!」
ズズズズズ……ッ。
地鳴りが響いた。 王城の土台そのものが悲鳴を上げているかのような振動。 錆びついた蝶番が悲鳴のような音を立て、数百年の時を経て、禁断の扉が開かれる。
中から溢れ出したのは、物理的な質量を持った「闇」だった。 ギルバートの膝が震え、歯の根が合わない。 生物としての本能が、「逃げろ、喰われるぞ」と絶叫している。だが、彼の狂気が足を縫い止めた。
広大な石室の中央。 五つの台座が用意されていた。
一つは空席。 そこにはかつて『短剣』が安置されていたが、バルバロスが持ち出し、失われた。 だが、残る四つの台座には、不気味な燐光に照らされて、伝説の宝具が鎮座していた。
全てを貫く鋭利な『槍』。 魂さえも刈り取る巨大な『鎌』。 理を捻じ曲げる老木の『杖』。
そして、それらを見下ろすように、中央の最も高い台座に鎮座するのは―― 見る者を狂わせるほどに美しい、黒ダイヤの『王冠』。
「おお……これが、伝説の四宝……」
ギルバートが震える手で触れようとした瞬間、宝具たちが脈動した。
ドクンッ!!
心臓を直接鷲掴みにされたような衝撃。 次の瞬間、三つの武具から黒い霧が噴出し、人の形を成していく。
槍からは、全身を刺々しい漆黒の甲冑で覆った、身長三メートルを超える巨人の騎士。 鎌からは、ボロボロのローブを纏い、顔のない髑髏のような相貌をした死神。 杖からは、宙に浮くローブ姿の魔導師――そのフードの下には、虚無の闇が広がり、二つの赤い眼光だけが輝いている。
三体の魔将が顕現した。 その圧倒的な覇気に、ギルバートはその場に尻餅をついた。 呼吸すらままならない。 かつてバルバロスが呼び出した『幻視の魔王』など、赤子に思えるほどの絶望的な魔力の奔流。
『――ほう。我らを呼び起こしたのは、このような脆弱な器か』
槍の魔将が、地獄の底から響くような重低音で唸る。 その一言だけで、ギルバートの鼓膜が破れそうになる。
『時が流れたものよ。……だが、契約は契約だ。代価は用意してあるのだろうな?』
杖の魔将が、ギルバートを冷ややかに見下ろす。
「あ、ある! あり余るほどにな! この都の人間、すべてをお前たちの餌としてくれてやる! だから、余に従え! 余の敵を殺せ!」
ギルバートは喚き散らした。 その浅ましい言葉を聞いた瞬間、鎌の魔将が「キヒヒ」と不快な笑い声を上げる。
『良いだろう。エサは多ければ多いほど良い……。だが、勘違いするなよ、人間』
三体の魔将が、一斉に殺気を放った。 その殺気だけで、石室の壁に亀裂が走る。
『我々は、かつて貴様らの先祖が使役した“短剣”のような弱虫とは違う』
『ククク……あのような下級魔族と同列に語るな。奴は我ら四魔将の面汚しよ』
彼らは口々に、先に敗れた同胞を嘲笑した。 バルバロスが切り札としたSクラスの魔王ですら、彼らにとっては雑兵に過ぎないのだ。
『それに……我らはあくまで尖兵。真に畏れるべきは、あの方だ』
三体の魔将が、恭しく中央の台座――『王冠』へと向き直り、深く跪いた。
『王は、我ら三人が束になっても勝てぬ絶対者』 『偉大なる深淵の王。我らが主君よ、お目覚めを』
王冠が、ゆっくりと浮き上がる。 黒い光が凝縮し、人の形をとる以前の、純粋な「災厄」としての気配が膨れ上がる。 そこから漏れ出る魔力は、もはや生物の許容量を超えていた。
言葉が終わると同時に、王冠から放たれた黒い光柱が、地下の天井を物理的に突き破り、遥か上空の天へと昇った。
◇
王都ゼノリスの上空。 晴れ渡っていた空が、瞬く間に赤黒く染まった。 雲が渦を巻き、王城を中心として巨大な魔法陣が展開される。
「な、なんだあれは!?」 「空が……燃えている?」
広場に集まっていた市民たちが、空を見上げてざわめく。 レギオンの勝利に酔いしれ、平和な明日を夢見ていた彼らの顔に、再び絶望の影が差す。
ズズズズズ……。
魔法陣から、赤い雨のような光が降り注いだ。 それは建物や石畳をすり抜け、人々の体に直接降りかかる。
「あ……が……?」
広場の隅で、幼い娘を抱いていた母親が、胸を押さえて倒れた。 苦しむ間もない。体から力が抜け、魂が吸い出されるような脱力感。 彼女の口から、白い靄のような生命力が漏れ出し、王城の方角へと吸われていく。
「ママ……? ママ!?」 「体が……動かない……助け……」
バタバタと、人が倒れていく。 広場だけでなく、路地裏で、家の中で、王都全域で。 数万の市民の生命力が、強制的に徴収され、王城の地下へと吸い上げられていく。
それは、国を護るはずの王が発動させた、国を滅ぼすための大魔術。
レギオンハウスのバルコニー。 異変を察知したアレスが、手すりを握り潰さんばかりに力を込め、王城を睨みつけた。 彼の野性的な勘が、かつてない強敵の出現を告げている。
「……あの野郎。やりやがったな」
その横で、ヴィンセントが険しい表情で呻く。 歴戦の彼でさえ、肌が粟立つほどの魔力の奔流を感じていた。
「市民の命を燃料にした、広域結界か……! このままでは、都が死滅するぞ!」
「行くぞ! 最後の掃除だ!」
アレスが吼える。 彼の背後に、ミラ、ボルトス、チェルシーが音もなく並ぶ。 そして、ジェイドたち十王も、それぞれの武器を手に殺気を高めていた。
彼らは一斉に王城へと駆け出した。 だが、彼らはまだ知らない。 そこで待ち受けるのが、彼らの常識を遥かに超えた、理不尽なまでの「神話」の具現化であることを。
王都の空に、黒い太陽の如き『王冠』の紋章が浮かび上がる。 狂王の最後のあがきは、世界そのものを深淵へと引きずり込もうとしていた。
本日もお読みくださりありがとうございます。
ついにギルバート王子が越えてはならない一線を越えてしまいました。
民の命を糧に封印を解かれた「禁忌の四宝」。
ここで少し補足ですが、第1章(28話)でシンが瞬殺し、バルバロスが切り札としていた短剣の魔人「ミラージュ・ロード」。
彼は今回の魔将たちの間では「面汚し」「弱虫」扱いされています。
面白かった、続きが気になる!と思っていただけたら、ブックマーク登録と、広告下の【☆☆☆☆☆】から評価をいただけると執筆の励みになります!
次に続きます。




