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第73話 『深淵の謁見』

 目隠しをされたまま強制転移させられたソフィアが次に感じたのは、肌を刺すような冷気と、物理的な質量すら感じさせる濃密な魔素(マナ)の奔流だった。  足元の感触は硬く、冷たい。磨き上げられた石――黒曜石のようだ。

「……目隠しを外してもよろしいですよん」

 ネモの声と共に、視界を遮っていた闇が晴れる。  ソフィアは恐る恐る瞼を開き――そして、息を呑んだ。

「こ、こは……?」

 そこは、この世のどこにも存在しないはずの空間だった。  天井は見えないほど高く、偽りの星空が広がっている。壁面には幾何学的な「蜘蛛の巣」のレリーフが刻まれ、その奥には、禍々しくも美しい漆黒の玉座が鎮座していた。  『地下宮殿(アンダー・ネスト)』。  次元の狭間に作られた、始祖(オリジン)の絶対聖域。

 ソフィアは後ろ手に拘束されたまま、床に転がされていた。  周囲を見渡すと、先ほど自分を無力化した道化師のネモ、そして大鎌を持った四天(テトラ・カラミティ)のチェルシーが、氷のような冷ややかな視線で彼女を見下ろしている。  だが、ソフィアの視線は一点に釘付けになった。

 玉座。  そこには、一人の青年が座っていた。  漆黒の長衣を纏い、闇よりも深い黒髪と、血の色を宿した深紅(クリムゾン)の瞳を持つ美丈夫。  年齢は一八歳ほど。Fランクの少年とは似ても似つかない、成熟した覇気を纏った絶対強者。  ただ座っているだけで、空間そのものが彼を中心に歪み、ひれ伏しているかのような錯覚を覚える。

(……誰? この圧倒的な『王』は……?)

 ソフィアの本能が、警鐘を鳴らすどころか、悲鳴を上げていた。  見てはいけない。関わってはいけない。  これは「人」ではない。人の形をした「天災(カラミティ)」だ。

「……目が覚めたか、毒蜘蛛」

 青年の声が、脳髄に直接響くような重低音で鼓膜を叩く。  その声色には、一切の感情がない。虫を見るような、無機質な響きだ。

「あ、貴方は……? レギオンの、幹部……?」 「幹部? ククッ……」

 青年――シンは、喉の奥で嗤った。  それだけで、ソフィアの全身に重圧がかかり、石床に縫い付けられる。

「言葉を慎め。貴様の目の前にいるのは、レギオン・蜘蛛(アラクネ)を統べる『主』だ」 「ある、じ……?」

 ソフィアは戦慄した。  十王や四天といった化け物たちを従える、組織の頂点。まさか実在したとは。  アレスたち幹部が「主」と呼んでいたのは、この男のことだったのか。

「貴様は大きな勘違いをしていたな。我が組織の末端……『シン』という名の少年を使い、我々の情報を探ろうとしたようだが」

 シンは退屈そうに頬杖をつき、冷徹な瞳で見下ろした。

「あの少年は、私が地上を監視するために置いた『目』に過ぎない。……貴様が彼に渡した『首輪(魔石)』も、彼に囁いた甘言も、全て筒抜けだったのだよ」 「なッ……!?」

 ソフィアの顔色が蒼白になる。  騙された。  あの少年が演技をしていたわけではない。あの少年自身も、この「主」に操られている哀れな人形に過ぎなかったのだ。  自分は、最初からこの「巨大な蜘蛛の巣」の主の手のひらで、滑稽に踊らされていただけ。

「王女? ……ああ、そういえば、ここには『王子』もいたな」

 シンが視線を、広間の隅へと向けた。  そこには、巨大なクリスタルの柱が立っていた。  その中に、一人の男が封じ込められている。  生きたまま、意識がある状態で、永遠に動くことを許されない「標本」として。

「――っ!?」

 ソフィアは絶句した。  その男の顔に、見覚えがあったからだ。  行方不明になっていた、第二王子バルダス。  彼はクリスタルの中で、恐怖と苦悶に顔を歪めたまま、虚ろな瞳でこちらを見ていた。

「バ、バルダス兄様……!? まさか、貴方たちが……」 「兄妹の感動の再会だな。……安心しろ、殺しはしない。彼は私の『所有物』として、永遠にこの城の装飾品となる」

 シンの言葉に、ソフィアの心が音を立てて砕けた。  装飾品。  王族を、人間を、モノとしてしか見ていない。  この男にとって、自分たちは対等な敵ですらない。ただの「資源」であり、「コレクション」なのだ。

「さて、ソフィア。お前の処遇だが」

 シンが玉座から立ち上がり、ゆっくりと石段を降りてくる。  一歩近づくたびに、死の予感が濃くなる。

「お前は賢い。兄たちのような無能とは違う。……私の正体には気づけなかったが、レギオンを脅威と認識し、内部から崩そうとした手腕は評価に値する」

 シンはソフィアの目の前に立ち、その顎を指先で持ち上げた。  至近距離で交錯する視線。  深紅の魔眼が、ソフィアの魂の奥底までを見透かすように輝く。

「お前が使った薬……『毒蜘蛛の女王(クイーン・アラクネ)』の血脈か。悪くない趣味だ」 「……ッ!」 「だが、使い方が雑だ。無理やり適合させようとして、魂に傷がついている」

 シンは哀れむように言った。  そして、その指先から、黒紫色の魔力が糸のように伸び、ソフィアの胸へと侵入していく。

「あ、あぁ……ッ!?」

 熱い。  シンの魔力が、ソフィアの体内を駆け巡り、暴走しかけていた因子を鎮め、再構築していく。  それは犯されるような背徳感と、全能感が混じり合う未知の体験だった。

「私が、正しい使い方を教えてやろう」

 シンが囁く。  それは悪魔の誘惑。

「私の配下となれ。……そうすれば、お前が望んでいた『国を導く力』を与えてやる。兄たちを排除し、この国を裏から支配する女王になれるぞ?」

 ソフィアは震えた。  拒絶すべきだ。王族としての誇りがあるなら、この場で舌を噛んで死ぬべきだ。  だが――体は正直だった。  この圧倒的な「王」に支配されたい。この方の手駒として、その力を振るってみたい。  彼女の中に眠っていた「毒蜘蛛」の本能が、より強大な捕食者への服従を歓喜と共に受け入れようとしていた。

「わ、私は……」 「セリスは既に私のものだ。……姉妹仲良く、私のために踊ってみせろ」

 シンはトドメの一撃を放った。  セリス。あの薄幸の妹も、既にこの男の手中にあるというのか。  ならば、もう逃げ場はない。  この国は既に、蜘蛛の巣の中なのだ。

 ソフィアは、ゆっくりと頭を垂れた。  抵抗の意思が消え、代わりに宿ったのは、狂おしいほどの忠誠心。

「……御意。我がマイ・ロード

 ソフィアはシンの靴先に口づけを落とした。

「このソフィア、身も心も、毒も策も……全て貴方様のために捧げます」

 シンは満足げに頷き、右手をかざした。  ソフィアの掌に、漆黒の【忠誠の刻印(ロイヤル・ブランド)】が焼き付けられる。

「よろしい。……我らが最高幹部『十王(デケム・キング)』の席は既に埋まっているが、貴様にはそれに次ぐ地位を与えよう」

 強大な魔力が奔流となって流れ込む。  ソフィアの肉体が、魂が、人を超えた領域へと昇華されていく。

強制進化(ランクアップ):完了』 『対象(ターゲット):ソフィア・ゼノリス』 『位階(ランク):A(英雄級)→ 準S(準災害級)』 『獲得恩恵(ギフト):【毒蜘蛛の女王・真クイーン・アラクネ・ヴェラ】』

「あぁ……力が……素晴らしい……!」

 ソフィアは恍惚の表情で、自身の手を見つめた。  かつて薬物に頼って得ようとした紛い物の力とは違う。これは、神から授かった真正なる支配の力。

「立て、ソフィア。……仕事だ」

 シンは踵を返し、玉座へと戻る。

「お前には『外交統括官』の地位を与える。……近隣諸国が、腐りかけたこの国を狙って動き出している。奴らを甘い言葉と毒で絡め取り、我が軍門に下らせろ」 「ふふっ……お任せくださいませ」

 ソフィアは妖艶に微笑み、スカートの裾をつまんでカーテシーをした。  その背後には、幻影の蜘蛛の脚が揺らめいている。  毒蜘蛛は死んだ。  そして今、魔王の忠実なる眷属として生まれ変わったのだ。

 地下宮殿の闇の中で、新たな布陣が完成する。  王族を全て手駒に加えた細蟹(クモ)の侵食は、もはや止める術を持たない。

ここまでお読みいただきありがとうございます。


ソフィア王女、陥落です。 圧倒的な「格」の違いを見せつけられ、心を折られると共に、シンの配下となりました。 なお、彼女は「Fランクの少年シン」と「組織の主であるシン」が同一人物だとは気づいていません。 「少年もまた、この主に操られていただけなんだ」という、さらなる勘違い沼にハマってしまいました(笑)。


これでゼノリス王家の主要人物は、ほぼシンの掌中に収まりました。 彼女には「外交統括官」として、その手腕を振るってもらいます。


面白い、続きが気になる! と思っていただけましたら、 ブックマーク登録と、広告下の【☆☆☆☆☆】から評価をいただけると執筆の励みになります!

明日も更新します。

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