第68話 『玉座に座る孤独な道化』
迷宮都市ネメシス。
大陸の中央に位置するこの城塞都市は、冒険者たちにとっての聖地であり、今や大陸最強の『レギオン・蜘蛛』の実効支配下にあった。
その一等地は、今や『レギオンハウス』と呼ばれ、市民から畏敬の念を集めている。
だが、その地下に広がる「真の拠点」を知る者は、構成員の中でもごく一部しかいない。
空間転移。
物理的な地下ではなく、次元の裏側に隠された亜空間。
裏組織・細蟹の本拠地――『地下宮殿』。
無限に広がる闇と、妖しく輝く黒曜石の柱に囲まれたその空間は、今日、ひとつの「儀式」の終わりを迎えていた。
「……ふむ。悪くない味だ」
最奥に鎮座する漆黒の玉座。
そこに座るのは、闇色のコートを纏った一八歳の青年――シンである。
彼は掌に浮かぶ、毒々しい緑色の光球を握り潰した。
それは先ほど討伐された第三王子カインの魂から抽出された、才能の結晶だ。
『才能【生体錬金】の解析完了』
『既存の才能【眷属強化】との統合を開始します……』
脳裏に響く通知音と共に、シンの体内で膨大な魔力が渦を巻く。
カインが非人道的な実験で磨き上げた狂気の技術は、始祖であるシンの手によって、より洗練された「進化の力」へと昇華された。
「これで、兵隊たちの『質』を底上げできるな」
シンは満足げに呟き、虚空に指を走らせた。
パチン、と乾いた音が響くと、何もない空間に長方形の映像が浮かび上がる。
シンの才能【幻影の窓】。
そこに映し出されたのは、ここネメシスから遠く離れた北の地――王都ゼノリスの様子だった。
「報告を、ネモ」
シンが虚空に呼びかけると、玉座の傍ら、柱の影がにゅるりと動いた。
影の中から姿を現したのは、一人の女性だ。
顔を不気味な笑みを浮かべた道化師の仮面で覆っている。
身体のラインを強調する漆黒のボディスーツに、極彩色の道化衣装を重ね着したその姿は、妖艶でありながら、どこか不安を煽るような危うさを秘めていた。
十王第三席、【諜】のネモ・ローズ。
「はぁい、マイ・ロード♡ お呼びでしょうかぁ?」
仮面の下から、鈴を転がすような甘ったるい声が響く。
彼女はその場でくるりと一回転し、芝居がかった動作で深々と頭を下げた。
「事後処理は完璧だよん。カイン王子の死は『禁忌の実験による暴走事故』として処理完了。証拠も死体も、綺麗さっぱり消しておいたからねぇ」
「ギルバートの反応は?」
「ウフフ……傑作だよぉ。見せてあげる」
ネモが細い指先を振ると、【幻影の窓】の映像が切り替わった。
映し出されたのは、王都ゼノリスの王城最上階にある「玉座の間」だ。
◇
王城「白亜の宮殿」。
その中枢である「玉座の間」は、異様な静けさに包まれていた。
だが、それは厳粛な静寂ではない。誰もいないことによる、寒々しい空虚さだった。
「……なぜだ。なぜ誰も来ないッ!!」
広い広間に、男のヒステリックな絶叫が響き渡った。
第一王子ギルバート。
豪奢な軍服に身を包み、父王の代理として玉座に座る彼は今、顔を真っ赤にして肘掛けを殴りつけていた。
今日は、カインの不始末を受けての「緊急御前会議」のはずだった。
弟が王都の地下で化け物を飼っていたという不祥事。それをカイン個人の暴走として切り捨て、自身の潔白を主張し、さらなる権力基盤を固める。
そのための招集だったはずだ。
だが。
定刻を過ぎても、広間に現れたのは数名の側近と、震える侍従だけ。
国を動かす主要な大貴族たち――公爵も、侯爵も、誰一人として姿を見せていないのだ。
「へ、陛下……いえ、殿下……」
老齢の侍従長が、脂汗を拭いながら恐る恐る進み出る。
「そ、それが……各家より、急な欠席の伝令が届いておりまして……」
「欠席だと!? 余の招集だぞ!? 国家の緊急事態だぞ!?」
「は、はい……。ですが、バルムント公爵は『領地の鉱山でストライキが起きたため』と……。
ミランド侯爵は『急な病で床に伏せっている』と……」
「ふざけるなッ! ミランドの狸め、昨夜の夜会では酒を浴びるほど飲んでいたではないか!」
ギルバートは手元のワイングラスを床に叩きつけた。
ガシャン! と赤い液体が絨毯に広がり、まるで血痕のように染み込んでいく。
「なめているのか……! どいつもこいつも、余を軽んじおって!」
ギルバートは理解していなかった。
これが単なるサボタージュではないことを。
バルムント公爵の鉱山でストライキが起きたのは、細蟹の息がかかった労働者たちが一斉に蜂起したからだ。
ミランド侯爵が病と称して引きこもったのは、彼の莫大な借用書を握る「黄金の支配者」ジェイドから、『今日の会議に出れば、明日の朝には屋敷を差し押さえる』という丁寧な手紙が届いたからだ。
経済封鎖。
十王【商】ジェイドによる、音のない暗殺。
王都の物流、金融、そして貴族たちの裏の資産。その全てが、既に細蟹の手によって握られている。
今のギルバートは、舵を失い、船員に逃げ出された泥船の船長に過ぎない。
「カインめ……! 死んでまで余の足を引っ張りおって……!」
ギルバートは爪を噛んだ。
弟の死を悼む感情など欠片もない。あるのは、自分の立場が危うくなったことへの焦りと怒りだけだ。
「ええい、軍はどうした! 近衛騎士団長を呼べ! 軍さえあれば、貴族どもなど力ずくで従わせてやる!」
彼が呼んだのは、現在の近衛騎士団長である男の名だった。
だが、侍従は青ざめた顔で首を振る。
「そ、それが……騎士団長も、本日は『部隊の再編のため』と称して、兵舎に籠もっておられます……」
「貴様もか……ッ!!」
ギルバートは絶叫した。
騎士団長は、ギルバートが金で釣った腰巾着に過ぎない。その腰巾着さえもが、沈みゆく船から逃げ出したのだ。
「おのれ……おのれぇッ! レギオンめ……! あの薄汚い冒険者どもが、裏で手を回しているに違いない!」
誰もいない広大な広間で、豪奢な衣装を着た男が一人、見えない敵の影に怯えて喚き散らしている。
それはまさに、滑稽な道化の姿だった。
◇
その道化の踊りを、王城の一角から冷ややかな瞳で見つめる者がいた。
「白百合の離宮」と呼ばれる、王族のプライベートエリア。
色とりどりの花が咲き乱れる庭園のテラスで、一人の女性が優雅にティーカップを傾けていた。
ゼノリス王国第二王女、ソフィア・ゼノリス。
艶やかな黒髪を複雑に結い上げ、喪服を思わせる漆黒のドレスを纏った美女だ。その美貌は、見る者を惹きつけると同時に、触れれば死に至る毒のような妖艶さを秘めている。
「……兄様ったら。あんな大きな声を出して。喉が枯れてしまうわ」
ソフィアはクスクスと笑った。その瞳には、兄を心配する色は皆無だ。あるのは、出来の悪い玩具を見るような侮蔑と、冷徹な計算のみ。
彼女の背後には、顔を隠した黒装束の従者たちが数名、影のように控えている。
王家の影として動く、彼女直属の諜報部隊「毒蜘蛛の糸」だ。
「報告を。……カイン兄様は、本当に事故死?」
ソフィアが問いかけると、従者の一人が音もなく進み出る。
「いいえ、殿下。現場の痕跡を調査しましたが、あまりに不自然です。
実験施設の破壊痕、キメラたちの死骸……何者かによる『戦闘』の痕跡が色濃く残っています」
「やっぱりね。あの臆病な兄様が、自分ごと施設を爆破するなんてありえないもの」
ソフィアは角砂糖を紅茶に落とす。ポチャン、と甘い波紋が広がる。
「やったのは……『レギオン・蜘蛛』ね?」
「十中八九。現場付近で、レギオンの幹部と思われる人物の目撃情報があります。それも複数名」
ソフィアは目を細めた。
ここ数ヶ月で急速に台頭してきた新興組織、レギオン・蜘蛛。
本拠地はネメシスだが、その影響力は王都にも深く浸透している。冒険者ギルドを掌握し、裏社会の経済を牛耳り、そして今、王族の一人を葬り去った。
ギルバートは彼らを「生意気な冒険者崩れ」程度にしか思っていないが、ソフィアの認識は違う。あれは明確な「国盗り」の意思を持った武装集団だ。
「優秀ね。……悔しいけれど、今の王家(兄様たち)じゃ勝てないわ」
彼女は冷徹なリアリストだ。
ギルバートは権力という幻想にしがみついているだけ。カインは力に溺れて自滅した。
ならば、この国を守れるのは――あるいは、新しく作り直せるのは、自分しかいない。
「でも、不思議ね。それだけの力を持っていながら、なぜ一気に攻め落とさないのかしら?」
ソフィアは指先で唇に触れ、思考を巡らせる。
経済も、軍事も、暗殺も。レギオンは全てのカードを持っている。その気になれば、今夜にでもギルバートの寝首を掻けるはずだ。
それをしない理由は一つ。
「……民意、かしら」
ただ暴力で王を殺せば、彼らは「逆賊」になる。
だが、王が民衆からの信頼を完全に失い、国が乱れに乱れたところで「救世主」として現れれば――彼らは「革命軍」になれる。
そこまで計算して、あえてギルバートを生かしているのだとしたら。
「恐ろしい相手。……トップは誰? 十王と呼ばれる幹部たち?」
「それが紅蓮の獅子リーダーのアレスという男です」
従者の報告に、ソフィアは妖しく微笑んだ。
「紅蓮の獅子リーダーのアレス……ね。
他にも黒幕がいるんじゃないかしら? 十王ほどの化け物たちを束ねる存在が」
彼女は立ち上がり、テラスの手すりに手をかけた。眼下には、王都ゼノリスの街並みが広がっている。
その街のどこかに、自分と同じように盤面を見下ろしている「敵」がいる。
ゾクゾクするような焦燥感と、それ以上の高揚感。
「調べなさい。レギオン・蜘蛛の全てを。……特に、組織の『弱点』になりそうな部分をね」
「弱点、ですか?」
「ええ。どんなに強固な組織でも、必ず綻びはあるわ。例えば……そうね、無理やり組織に付き合わされている『お荷物』とか」
ソフィアの脳裏に、以前入手したレギオンの構成員リストが浮かぶ。
Sランク、Aランクの猛者たちが並ぶ中、一つだけ異質な名前があった。
『シン。15歳。Fランク冒険者』
報告書によれば、彼はリーダーであるアレスのパーティに所属している荷物持ちだという。
だが、その扱いは奇妙だ。
アレスたち幹部は、彼を「弟君」と呼んで可愛がっているという噂もあれば、ただの雑用係として扱っているという話である。
「……ふふ。見つけたかもしれないわ」
ソフィアは手すりの上の蜘蛛を指先で弾き飛ばした。
強力な組織であればあるほど、内部に抱える「弱者」は重荷になる。
もし、その弱者が組織の幹部にとって重要な「人質(アキレス腱)」になり得るとしたら?
「私が救ってあげましょう。……そして、私の可愛い『小鳥』として、組織の情報を囀らせてあげる」
ソフィアは知らなかった。
彼女が「弱点」だと目をつけたその少年こそが、彼女の想像を遥かに超える「絶望の淵」であることを。
毒蜘蛛は、自らより巨大な捕食者の巣に、足を踏み入れようとしていた。
「招待状を用意して。……最高のおもてなしをするわ」
王都の風に、甘い毒の香りが混じり始めた。
道化が踊る玉座の裏で、二人の「支配者」による知恵比べの幕が上がろうとしていた。
本日もお読みいただきありがとうございます!
今回の見どころは、なんといってもギルバート第一王子の孤立っぷりですね。 貴族に見捨てられ、騎士団にも逃げられ……広すぎる玉座の間で喚き散らす姿は、まさに「裸の王様」ならぬ「孤独な道化」です。 ここからの彼の転落劇にもご期待ください。
そして、新キャラクターの第二王女ソフィアが登場しました。 兄たちとは違い、冷静に状況を分析できる知性派ですが……果たして彼女の「毒」は、我らが魔王様に通じるのでしょうか?
面白い、続きが気になる! と思っていただけたら、 ブックマーク登録と、広告下の【☆☆☆☆☆】から評価をいただけると執筆の励みになります!
続きます。




