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第65話 『地下からの咆哮』

王都ゼノリスの地下深く、そのさらに底。


歴代の王族ですら忌避し、王家の公式地図から抹消された封印区画があった。


そこに充満しているのは、湿ったカビの臭いと、鼻の粘膜を焼き尽くすような薬品の刺激臭、そして何よりも濃密な「死」と「狂気」の気配だ。


かつては尊大な態度で他者を見下していた第一王子ギルバートは今、その暗闇の中を、何かに追われるように足早に進んでいた。


脂汗が額を伝い、整えられた軍服は乱れている。


その瞳には、焦燥と恐怖、そして追い詰められた獣のような狂気が血走っていた。


「……くそッ、くそッ! まさか余が……この私が、ここを開けることになるとはな!」


ギルバートの前には、幾重にも鎖で封印され、禍々しい呪符(カース・シール)が貼られた鉄扉が立ちはだかっていた。


『開かずの間』。あるいは『王家の汚点』。


そう呼ばれる場所に幽閉されているのは、彼の弟であり、王家が産み落とした最大の怪物である。


「カイン。……起きているか、カイン!」


ギルバートが扉を拳で叩くと、重苦しい静寂の向こうから、ズルリ、と何か粘着質なものを引きずるような音が響いた。


「――おやぁ? 兄上? ……兄上ですねぇ……!」


扉の鉄格子の隙間から、瞳が覗いた。


それは暗闇の中でも異様に輝く、濁った紫色の瞳だった。


第三王子カイン。


生まれつき病弱で、寝台の上でしか生きられないはずの男。


だが彼は、その「肉体の弱さ」を補うために、あらゆる倫理と道徳を捨て去り、生体錬金術(バイオ・アルケミー)の深淵に手を染めた狂気の研究者マッドサイエンティストだった。


「出してくれ……ここから出してくれれば、僕はもっと『研究』ができる……。もっと素晴らしい『お友達』を作れるんだ……」


「……カイン。貴様の『研究』とやらで、あの忌々しい『レギオン・蜘蛛(アラクネ)』どもを駆逐できるか?」


ギルバートの問いに、カインは喉の奥を鳴らして笑った。


カヒ、カヒヒ、と肺から空気が漏れるような、生理的嫌悪を催す不快な笑い声だ。


「できますとも……! 僕の可愛い『お友達キメラ』を使えば、王都ごとき一晩で更地にできますよぉ……!


あいつらは強い。痛みを感じない。死ぬまで止まらない。……最高の兵隊ですよ」


「いいだろう。許可する。……その力、余のために使え。レギオンを、あの冒険者どもを食い殺せ!」


ギルバートが震える手で鍵を回し、封印の鎖を解く。


ジャララ……と鎖が落ち、重厚な鉄扉が軋みを上げて開かれた。


その瞬間、溢れ出したのは、熱帯のジャングルのような生温かい瘴気と、獣とも人ともつかぬおぞましい咆哮だった。


「あぁ……感謝します、兄上。これでようやく、大規模な実験(テスト)ができる……!」


カインがよろりと歩み出る。


その背後。


暗闇の奥には、無数の「赤い目」が蠢いていた。


人の形をした何か。獣の四肢を無理やり継ぎ接ぎされた何か。


王家が隠し続けてきた禁忌が今、白日の下に解き放たれた。



王都の下町、中央広場。


休日の昼下がりとあって、多くの市民が行き交っていた。


レギオンの経済支援により活気を取り戻した市場では、商人の威勢のいい声と、子供たちの笑い声が響いている。


だが、その平和な喧騒は、地下道への巨大な鉄蓋(マンホール)が内側から吹き飛ぶ轟音と共に、唐突に破られた。


ドォォォンッ!!


「な、なんだ!?」 「ガス爆発か!?」


人々が驚いて振り返る中、黒煙の中から飛び出してきたのは――「悪夢」そのものだった。


「グガァアアアッ!」


地面を砕いて現れたのは、狼の頭部に、異常に膨れ上がった人間の筋肉を持つ半獣半人。


全身の至る所が太い糸で縫合され、その傷口からはドス黒い体液と膿が滴っている。


悲鳴を上げる間もなく、近くにいた商人がその丸太のような腕で薙ぎ払われた。


バキッ、という生々しい音が響き、商人の体がくの字に折れて吹き飛ぶ。


鮮血が石畳を濡らし、平和な午後は一瞬にして阿鼻叫喚の地獄へと変貌した。


「な、なんだアレは!?」


「魔物だ! 地下から魔物が出てきたぞ!」


混乱は連鎖する。


一箇所ではない。井戸から、排水口(ドレイン)から、建物の地下室から。


王都中の「穴」という穴から、異形の合成獣(キメラ)たちが次々と這い出してきたのだ。


ある者は蜥蜴の鱗と人間の胴体を持ち、ある者は昆虫の複眼と鋭利な鎌を持つ。


共通しているのは、その全てが理性を失い、破壊衝動と食欲のみで動いていること。


「ヒッ、助け……!」


逃げ遅れた少女に、巨大な蜘蛛のような脚を持つ合成獣(キメラ)が迫る。


少女は腰を抜かし、石畳の上を後ずさるが、背後は壁だ。


「シャアアアアッ!」


怪物が涎を垂らし、鋭利な爪を振り上げる。


少女が絶望に目を閉じた――その時だ。


カッッ!!


閃光が奔り、遅れて爆風が吹き荒れた。


ドォォォォォン!!


「ギャッ……!?」


少女に襲いかかっていた合成獣(キメラ)の上半身が、内側から弾け飛んだ。


魔法の光ではない。


黒い煙と、焼け焦げた肉の臭いが立ち込める、物理的な爆発だ。


「……へっ。ヴォルカンの爺さんが精製した『火炎魔石(フレイム・コア)』の威力、上々だな」


硝煙の向こうから、ボサボサの茶髪を揺らし、不敵に笑う少年が現れる。


職人のようなラフな作業着姿。背中には、この世界では珍しい大きな革袋――『背嚢(リュックサック)』を背負っている。


その指先では、パチンコ玉ほどの大きさの赤い球体が、コインのように遊ばれていた。


レギオン・十王(デケム・キング)が一角、【(ガジェット)】シノ。


「シノ君、あまり粉々にしないでくださいよぉ。貴重な検体(サンプル)が取れないじゃありませんか♡」


シノの後ろから、白衣を纏った妙齢の美女が優雅に歩み出る。


手には巨大な注射器のような奇妙な杖を持ち、その瞳は襲い来る怪物たちを「敵」ではなく「解剖すべき材料」として値踏みしている。


第四席【(ケミカル)】サフィナ。


「ガハハ! 細けぇこたぁいいんだよ! 潰しゃあ死ぬ! それが(ことわり)だ!」


さらにその後方、石畳を踏み砕く重厚な足音と共に、身の丈ほどの巨大な戦槌(ウォーハンマー)を軽々と担いだ髭面のドワーフが現れる。


第九席【(スミス)】ヴォルカン。


異様な三人組の登場に、逃げ惑う市民たちが足を止める。


そして、彼らの中心には――場違いなほど平凡な、黒髪の少年が一人、震えながら立っていた。


「……お前らなぁ。もう少し穏便に登場できないのか? 俺、心臓止まるかと思ったぞ……」


涙目で抗議するのは、シンだ。


表向きはFランクの冒険者見習い。


そして――レギオン・蜘蛛(アラクネ)を影で支配する「細蟹(クモ)の偉大なる主(18歳)」の、か弱い弟(15歳)ということになっている。


シノは指先の糸を操り、周囲に展開していた護衛用の小型爆弾(ボム)を手元に引き寄せながら、ニカっと笑ってシンの肩を叩いた。


「よう、悪友(マブダチ)。お前こそ、こんなとこで何油売ってんだ? ここはFランクのお遊び場じゃねーぞ」


「あらあら、シンちゃん。危ないからお姉さんの後ろに隠れてなさい♡ ほら、怖かったわねぇ、飴あげるから」


サフィナが子供をあやすように、べっこう飴を差し出してくる。


シンは苦笑しながらそれを受け取った。


「……あのな、俺だって自分の身くらい守れる」


「バッキャロウ! 大将マスターに『弟を頼む』って言われてんだよ! お前に傷一つ付けたら、俺らが大将にドヤされんだ!」


ヴォルカンが鼻息荒く怒鳴る。


彼らにとってシン(弟)は、絶対的な忠誠を誓う「マスター」の、唯一の肉親であり守るべき存在。


だが、その実力差は歴然だ。周囲を囲む合成獣(キメラ)たちの殺気にも、三人は微動だにしない。


「グルルルル……!」


血の匂いを嗅ぎつけた合成獣(キメラ)の群れが、四方から彼らを取り囲む。その数、およそ三十体。


一般の兵士なら絶望する状況だが、シノは退屈そうに欠伸をした。


「……で、どうする? 俺がやるか?」


「いえいえ、私がやりますぅ♡ この子たちの生態、ちょっと興味ありますしぃ」


サフィナが眼鏡のブリッジを中指で押し上げると、その瞳が妖しく光った。


術式開始オペレーション・スタート


彼女が杖を一振りすると、先端から紫色の霧が噴出し、瞬時に周囲へ拡散した。


猛毒の霧だ。だが、それはシンたちの周囲だけを奇跡的な制御で避けていく。


霧に触れた合成獣(キメラ)たちは、一瞬で痙攣し、泡を吹いて倒れていく。即効性の神経毒。


「ギ、ギシャァ……!?」


「あーあ、つまんね。ヴォルカン、残りは?」


「おうよ!」


毒を逃れた数体が、側面から飛びかかってくる。


ヴォルカンが戦槌を地面に叩きつける。


ドォォォォォン!!


衝撃波が走り、石畳が爆ぜる。生き残っていた合成獣(キメラ)たちが空中に打ち上げられた。


「へへっ、そこだ!」


シノの十指が踊る。


指先から放たれた極細の鋼糸が、空中の合成獣(キメラ)たちに絡みつく。


だが、切断するのではない。


シノが糸を引くと、糸の結び目に仕込まれていた小さな「赤い玉」が起動した。


それは、ヴォルカンが精製した高純度の火炎魔石(フレイム・コア)を、シノが開発した特殊な「バネ式信管」の中に封入した代物だ。


衝撃を与えることでバネが弾け、魔石を一瞬で粉砕・暴走させる。


魔法使いの詠唱を必要としない、物理トリガー式の携帯魔法爆弾。


「弾けろッ! 【爆裂魔石(ブラスト・コア)】ッ!」


バババババンッ!!


連続する破裂音。


合成獣(キメラ)たちの関節や急所に正確に張り付けられた「爆弾」が炸裂し、怪物を内側から破壊した。


手足をもがれた合成獣(キメラ)たちが、ボロ布のように地面に落ちる。


掃除(クリーニング)、完了っと」


魔法使いが詠唱するよりも速く、剣士が振るう剣よりも破壊的。


魔導爆弾(マギ・ボム)」という、この世界には存在しなかった発想の前に、化け物たちは為す術もなかった。


シンは、その様子を一歩引いた位置から眺めていた。


(……ふむ。あの配合、また威力を上げやがったな)


表向きは怯える少年の演技を続けながら、内面では冷徹に部下たちの戦果を評価する。


火の魔石と、物理的なバネ機構。


シノが独自に研究し、開発したこの技術は、魔力を持たない者でも「爆発」を扱えるという意味で、魔法文明の根底を覆す脅威となりうる。


その時、シノが地面に耳を当て、表情を険しくした。


「……おいおい。地下道からデカい振動だ。親玉が来るぜ」


ズズズズズ……。


地面が微かに振動する。先ほどの群れとは比較にならない規模の軍勢が、地下から押し寄せてきているのだ。


「おっと、本番はこっからみたいだな」


シノが背嚢(リュックサック)を開け、中から一抱えもある大きな「樽」を取り出す。


中身はもちろん、特大の火炎魔石(フレイム・コア)がぎっしりと詰まっている。


ヴォルカンが戦槌を構え直し、サフィナが恍惚とした表情で試験管を取り出す。


「シン、お前は避難民を誘導しろ! 俺たちはここを堰き止める!」


「シンちゃん、いい子にしててね♡ あとでご褒美あげるから」


大将マスターの弟に指一本触れさせねぇ! 安心しろ坊主!」


背中越しに投げかけられる、過保護な言葉たち。


シンは小さく肩をすくめた。


「……はいはい。気をつけてな」


シンは踵を返し、逃げ惑う市民たちの誘導へ向かうフリをする。


だが、その口元には誰にも見えない薄い笑みが浮かんでいた。


手のひらを軽く握り込む。


刻印(こくいん)を通じ、影の中に潜む「本隊」――裏組織・細蟹(クモ)の構成員へ念話を飛ばす。


『――アレス、ミラ。十王たちの援護に回れ。


ただし、手出しは無用だ。奴らの“芸”を、特等席で見せてもらおうか』


『御意に、我が主』


地下からの咆哮。


それはゼノリス王国崩壊の前奏曲(プレリュード)であり、レギオン・蜘蛛(アラクネ)という怪物が表舞台にその全貌を現すための、絶好の舞台装置だった。


「さて……カインと言ったか。せいぜい楽しませてくれよ?」


雑踏に紛れ、シンは昏い瞳で王城の方角を見上げた。


そこには、黒煙と共に立ち昇る、禍々しい狂気の気配が渦巻いていた。

本日もお読みいただきありがとうございます!


いよいよ始まったゼノリス王国革命編も中盤戦。 今回は「狂気の科学者」こと第三王子カインと、それに対抗するレギオンの技術班(十王)たちがメインの回でした。


もし「面白かった!」「十王たちの暴れっぷりが好き!」「シン君の苦労人ぶりが良いw」と思っていただけましたら、 ↓の★★★★★評価やブックマーク登録をしていただけると、執筆の励みになります! (広告下の【☆☆☆☆☆】をポチッとしていただけると嬉しいです!)


感想もお待ちしております。


続きます。

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