第3話:旅立ちの刻
◇
翌朝。
見張りに来たタゴが、腰を抜かすほどの絶叫と共に、空っぽの穀物倉を発見することになる。
ネズミ一匹どころか、その糞一つ落ちていない、異様なまでに清潔な倉庫を。
「な、なんだこれは……!? 昨夜まであんなにいたラットが……!」
タゴの叫び声を聞きながら、シンは村長の家で報酬を受け取っていた。
ゲルド村長の顔は、感謝ではなく恐怖で引きつっていた。
「き、貴様……一体何をした……?」
「害獣駆除だ。俺の蜘蛛が全て『食べた』。それだけだ」
シンは、Fランクの少年の顔で淡々と答えた。
「……金貨だ。とっとと出て行け」
ゲルドは、金貨一枚を投げつけるように渡した。
シンという「異物」を、一刻も早く村から追い出したい。その本能的な恐怖が彼を動かしていた。
シンは金貨を受け取ると、何も言わずに背を向けた。
(……安い報酬だ。だが、地図代にはなる)
メジ村という小さな箱庭は、始祖にとっての最初の「食堂」に過ぎなかった。
ここには、これ以上美味いものはない。
目指すは、西。
ゲルドから巻き上げた金貨で購入した羊皮紙の地図には、大陸の中央部に巨大な印が記されていた。
人類最大の再構築都市の一つ、城塞都市ネメシス。
そこは、この辺境とは比べ物にならないほど魔素濃度が高く、強力な魔物や、高ランクの冒険者たちが集まる場所だという。
つまり、シンにとっては「最高級の食材」が並ぶビュッフェ会場のようなものだ。
(……待っていろ、現代の子供たち)
シンは、一五歳の少年の顔で、邪悪に微笑んだ。
その笑顔の影には、世界を覆うほどの巨大な蜘蛛の姿が揺らめいていた。
Bランク(最強級)の冒険者。
Aランク(英雄級)の怪物。
そして、まだ見ぬSランク(天災級)の支配者たち。
彼らは自分たちが食物連鎖の頂点だと信じているだろう。
自分たちが「狩る側」だと疑いもしないだろう。
だが、真の捕食者は、いつだって音もなく忍び寄り、気づいた時には喉元に牙を突き立てているものだ。
(まずは、ネメシスだ。俺の蜘蛛の巣で、あの街の『害虫』を一掃してやる)
シンは普通の服を翻し、ネメシスへの街道を歩き出した。
誰も知らない。
この薄汚れたFランクの少年こそが、やがて世界を恐怖と支配の糸で絡め取る、最強の「毒」であることを。
風が吹いた。
数千年の時を超えて目覚めた始祖の足音が、静かに、しかし確実に歴史の表舞台へと近づいていく。
黒き蜘蛛の進撃が、今ここから始まった。




