第2話 最初の捕食と|進化《エボリューション》 改稿2/7
魔境の森。
数万年の長きにわたり、文明の干渉を拒絶し続けてきた絶対不可侵の樹海を背に、三度目の太陽が地平線へ沈もうとしていた。
視界の果てまでを埋め尽くすのは、風に波打つ草原の緑と、黄昏に染まる空の赤。
かつてこの地を支配していたであろう文明の痕跡は、もはや塵ほども残されていない。
灰色の墓標はとうに風化し、鉄の骸は赤錆となって土に還り、今はただ、野生という名の純粋な暴力だけが支配する原野が広がっている。
◇
シンは、その荒涼とした大地を、ただ静かに歩いていた。
一見すれば、何の変哲もない歩みだ。
だが、注意深く観察すれば、彼のブーツが草花を踏みしめていないことに気づくだろう。
重力を完全に制御し、葉の一枚すら傷つけぬよう、触れるか触れないかの絶妙な力加減で接地しているのだ。
音もなく、気配もなく。
黒い布が風にはためく音だけが、彼がそこに実在する唯一の証拠だった。
「……薄いな」
シンは立ち止まり、大気中の匂いを嗅いだ。
森の中とは違う。あそこには濃厚な死と生、そして血と魔素がスープのように煮詰まっていた。
だが、外界の空気はあまりに希薄だ。魔素の濃度が低く、まるで水で薄めたワインのような頼りなさがある。
「グルルルルッ……!」
不意に、茂みが揺れ、低い唸り声が響いた。
飛び出してきたのは、灰色の剛毛に覆われた巨大な狼だった。
魔狼。
体長は二メートルを超え、その眼球は濁った黄色に発光し、牙は鋭利なナイフのように濡れている。
ここが森の外であろうと、弱肉強食の理は変わらないらしい。
狼はシンを「無防備な肉塊」と認識し、涎を垂らして飛びかかってきた。
「ガアアッ!!」
捕食者の牙が、シンの喉元へと迫る。
だが、シンは避けない。防御の構えさえ取らない。
ただ、退屈そうに指先を動かしただけだった。
ヒュンッ。
鋭い風切り音がした瞬間、空中で狼の動きが止まった。
次いで、首が音もなく胴体から滑り落ちる。
「ギャ……?」
狼は自分の死を理解できぬまま、ゴロリと地面に転がった。
切断面から鮮血が間欠泉のように噴き出し、草原をドス黒く染め上げる。
シンはその血だまりを見下ろし、小さく溜息をついた。
「……脆い」
彼は指先から極細の魔力糸を伸ばした。
狙うのは心臓ではない。そこにあるのは魔石であり、ただの燃料だ。
シンが求めているのは、より根源的な部位。
糸は狼の眉間を貫き、脳漿を食い破り、頭蓋の奥底へと瞬時に到達する。
クイクイ、と指先を操る。
狼の頭部が内側から弾け、中から血に濡れた小さな結晶が飛び出してきた。
『才能の核』。
生物が持つ固有の能力が凝縮された、魂の結石。
シンにとって唯一の「食材」である。
シンは空中の核を指先で摘まみ上げると、躊躇なく口へと放り込んだ。
「……いただきます」
ガリリ。
硬質な音と共に、核が噛み砕かれる。
――捕食。
ドクン。
シンの心臓が一度だけ強く脈打った。
脳内に響く声などない。記憶や感情が流れ込んでくることもない。
あるのは、パズルのピースが埋まるような、乾いた充足感だけだ。
狼が持っていた【俊足】。
そのFランク相当の才能だけが、シンの魂の器に取り込まれ、焼き付けられていく。
(……やはり雑魚か)
シンは不満げに鼻を鳴らした。
森で喰らった古代種の魔物たちに比べれば、この狼の才能など、出涸らしのお茶にも等しい。
だが、贅沢は言っていられない。
「まあいい。……塵も積もれば山となる」
シンは再び歩き出した。
道中、牙を剥くウルフ、棍棒を振るうオーク、物理攻撃を無効化するスライムたちが次々と襲いかかってきた。
だが、それらは全てシンの歩みを止める障害物にはなり得ず、ただの「歩く素材」へと変わった。
殺しては頭蓋をえぐり出し、噛み砕く。
殺戮と捕食という儀式を通じて、シンの器は僅かずつ満たされていく。
◇
その光景は、シンにとって奇妙な違和感を抱かせるものであった。
草原の中に、不自然に隆起した灰色の丘が続いている。
かつて「大路」と呼ばれた構造物の残骸だ。
だが、崩れた石材の中身は、まるで粘土を固めたかのように均一だった。
機能的な空洞や構造が見当たらない。
ただ形だけを似せて作られた、巨大な「書き割り」のようにも見える。
(……奇妙な物体だ)
シンは、その冷たい残骸に指を這わせた。
ここにはかつて、今の荒野とは異なる「何か」が存在していた。
その事実だけが、静かに横たわっている。
さらに進むこと数刻。
なだらかな丘を越えた先で、シンの視覚が異質な風景を捉えた。
眼下に広がる平原。そこにへばりつくように点在する、頼りない木造建築の群れ。
辺境の開拓村、メジ村である。
(……脆いな)
それが、始祖たるシンが抱いた最初の、そして偽らざる感想だった。
村を囲む木の柵は、腐りかけた杭を並べただけの代物だ。防御結界の痕跡もなく、隙間だらけで風さえ防げそうにない。
あんなものでは、森の入り口をうろつく下等な魔狼(Eランク)すら防げないだろう。
ましてや、森の奥に棲む真の捕食者たちが現れれば、一撃で紙細工のように吹き飛び、中の生物ごと蹂躙されるに違いない。
柵の内側、痩せた畑で泥にまみれて働く「それ」らが見える。
二本の足で立ち、二本の腕を持つ。体毛は少なく、粗末な布をまとって道具を使っている。
「……ほう」
シンは目を細め、その姿を凝視した。
異形だらけのこの世界で、あれらだけが、自分と同じ「形」をしている。
(なぜ、俺と同じ姿をしている?)
記憶はない。名前も知らない。
だが、あの脆弱な生き物と自分との間に、外見上の共通点があることは否定できない事実だった。
俺が彼らの模倣なのか?
それとも彼らが俺の粗悪な模造品なのか?
湧き上がるのは、親近感などではない。
己の存在理由に関わる、根源的な疑問と、得体の知れない不気味さだった。
「……確かめる必要があるな」
彼らは何者なのか。そして、その肉はどんな味がするのか。
シンは漆黒のローブの裾を揺らし、丘を下り始めた。
◇
村の入り口には、二人の男が立っていた。
革鎧の継ぎ目は錆び、手にした槍の穂先は刃こぼれしている。
戦士と呼ぶにはあまりに貧相な装備だ。
彼らは森の方角から近づいてくる黒ずくめの影に気づくと、露骨に顔をしかめ、怯えを隠すように槍の切っ先を向けてきた。
「おい、止まれ! 見ない顔だな」
声を荒らげたのは、無精髭を生やした中年の男、タゴだった。
濁った瞳には、未知のよそ者に対する警戒心と、自分より弱そうな相手に対する嗜虐的な色が混ざり合っている。
シンは立ち止まり、深く被っていたフードを、白く細い指先でゆっくりと持ち上げた。
露わになったのは、黒髪に黒目、どこにでもいそうな一五歳の少年の顔立ちだった。
肌は若々しく健康的で、頬にはうっすらと赤みが差しているようにさえ見える。
だが、その瞳だけが異質だった。
光を吸い込むような漆黒の双眸。
そこには、怯えも、敵意も、あるいは媚びへつらいすらもなく、ただ目の前の男を「物質」として観察する冷徹な光だけが宿っていた。
「……森から来ました。旅の者です」
シンは瞬き一つで瞳の温度を消し去り、努めて弱々しい声色を作ってみせた。
◇
タゴが顎でしゃくった先には、苔むした石造りの台座があった。
その上に鎮座しているのは、人頭大の水晶玉だ。
内部で濁った魔光が不規則に明滅し、低級な魔力回路がブーンと耳障りな唸りを上げている。
魔素の配列を読み取り、対象の魂に刻まれた情報を可視化するための魔道具。
この世界における、絶対的な身分証明装置。『鑑定水晶』。
だが、シンの魔力視から見れば、それは子供の泥遊びのような、あまりに稚拙なガラクタだった。
(……これが、こいつらの『尺度』か?)
シンは内心で鼻を鳴らした。
森の掟は単純明快だった。強いか、弱いか。喰うか、喰われるか。
だが、この石塊は、生物の価値を勝手に数値化し、分類しようとしている。
構造も単純すぎる。魔力の回路が剥き出しで、外部からの干渉を防ぐ術式防壁など無に等しい。
これでは、「どうぞ書き換えてください」と鍵を開けたまま放置された金庫のようなものである。
「これに手を触れろ。名前と才能が表示される。……変な真似しようとしても無駄だぞ。こいつは王都の魔導師様が作った特注品だ」
タゴが誇らしげに言う「特注品」という言葉が、滑稽な冗談にしか聞こえない。
だが、シンは表情を崩さず、おずおずと手を差し出した。
(……面倒ごとは避けるか。下手に目立つ必要はない)
シンは瞬時に計算した。
平均的な強さを装えば、それなりの仕事や責任を押し付けられる可能性がある。
逆に強すぎれば、警戒され、自由な行動が制限されるだろう。
ならば答えは一つ。
誰からも脅威と見なされず、空気のように無視される最底辺――「Fランク」こそが、今の自分にとって最高の迷彩服だ。
シンは水晶に手をかざすと同時に、体内の膨大な魔力を極限まで圧縮した。
世界を揺るがす神域に至ったGランクの魔力波形を遮断し、毛細血管の一本一本、細胞の一つ一つに至るまで魔力の流れを完全に凍結させる。
さらに、指先から不可視の魔力糸を一本だけ伸ばし、水晶内部の演算核へと侵入させた。
指先が水晶の表面に触れる数ミリ手前。
シンの操る糸は、水晶内部を流れる光の奔流に物理的に干渉した。
鍵穴に針を差し込み、内部のシリンダーを弾くような繊細な作業ではない。
もっと暴力的で、直接的な改竄だ。
「真実(Gランク)」を表示しようとする魔力の流れを、糸で縛り上げ、遮断し、無理やり迂回させる。
そして、あらかじめ用意した「虚構(Fランク)」の信号だけを、表示板へと流し込んだ。
数万年の時を森で生き抜くために磨き上げた、狩人の擬態技術。
それは瞬きする間もなく完了した。
まるで白紙のキャンバスに好みの絵を描くように、容易く、そして芸術的な手際だった。
ボンッ。
水晶が淡く、頼りない光を放ち、空中に光の文字が浮かび上がる。
【個体名:シン】
【種族:人間】
【位階:F】
【才能:【蜘蛛操作】F】
それを見た瞬間、タゴの顔から残っていた警戒心が完全に霧散した。
「……人間、か」
シンは内心でその言葉を反芻した。
記憶にはないその単語が、水晶の表示によって初めて意味を持つ「定義」として認識された。
俺たちの種族名は「人間」というのか。
なるほど、悪くない響きだ。
代わりにタゴたちの顔に浮かんだのは、安堵と、そして粘着質な嘲笑だった。
自分より明確に「下」の存在を見つけた時の、弱者特有の醜い悦びの表情。
「なんだ……Fランクかよ」
タゴは鼻を鳴らし、槍の石突きを地面に乱暴に叩きつけた。
「しかも『蜘蛛操作』? ハッ、虫遊びか。フードなんて被って顔を隠してるから、てっきり訳ありの魔法使い様かと思ったが……ただの浮浪児じゃねえか」
隣にいたもう一人の門番も、腹を抱えて下卑た笑い声を上げる。
「おいタゴ、あまりいじめるなよ。この歳でFランクってことは、これまで一度もまともに才能を使ってこなかった臆病者ってことだろ?」
「違いない。森から逃げてきたってのも、魔物と戦う度胸がねえからだ。ただ逃げ回って生き延びただけの、腰抜け野郎ってわけだ! ギャハハハハ!」
嘲笑。侮蔑。
彼らの言葉には、弱者に対する容赦のない優越感が滲んでいた。
この世界では、才能の位階こそが絶対的な階級であり、生物の価値を決める全ての尺度なのだ。
Fランクは最底辺。生きている価値すら怪しいゴミ。
それが、彼らの信じる揺るぎない常識らしい。
シンは怒らなかった。屈辱さえ感じなかった。
ただ、彼らの哀れな生態を観察するように、無表情で立ち尽くしていた。
(……可愛いものだ)
象は、蟻に足を噛まれても怒りはしない。ただ、気づかずに踏み潰すだけだ。
彼らは知らないのだ。
目の前の少年が、その気になれば指先一つでこの村の時間を止め、塵一つ残さず消滅させることすら容易いということを。
水晶に表示された情報が、シンの持つ力の氷山の一角ですらないことを。
彼らの命など、シンにとっては路傍の石ころほどの価値もない。
生かすも殺すも、気まぐれ一つで決まるのだという絶対的な事実を、彼らは知る由もない。
「……通ってもいいですか?」
シンが静かに、あくまで弱々しく尋ねると、タゴは意地悪く口元を歪めた。
その笑みは、蜘蛛の巣にかかった蝶を眺める子供のように残酷で、無邪気な悪意に満ちている。
「ああ、通してやりたいのは山々だがな。身分証のない流れ者をタダで入れるわけにはいかねえんだよ。金はあるか? 通行料は銀貨一枚だ」
「金は……ありません。着の身着のままで逃げてきたので」
「なら、体で払ってもらうしかねえな」
タゴはニヤリと笑い、村の奥にある古ぼけた倉庫を指差した。
腐った木材で組まれた、今にも崩れそうな建物だ。
隙間だらけの壁からは、穀物の匂いに混じって、獣の排泄物と、何かが腐敗したような酸っぱい臭気が漂ってきている。
「あそこの穀物庫だ。最近、デカいネズミが住み着いて困ってるんだよ。お前のその『虫遊び』で、駆除できんのか?」
ネズミ。
タゴはそう言ったが、シンの鋭敏な嗅覚は、既に倉庫の中に潜む「それ」の正体を捉えていた。
ただのネズミではない。
魔素によって変異し、肥大化した肉体を持つ巨大鼠。
病原菌を撒き散らす牙と、鉄さえ噛み砕く顎を持つ害獣。
Fランクの冒険者であれば、群れに囲まれれば瞬く間に骨までしゃぶられる獰猛な魔物だ。
それを知っていて、この男は面白半分に押し付けようとしているのだ。
死ねば死んだで構わない。生き残れば儲けもの。
弱者の命をチップにした、悪趣味な賭け事。
「……ネズミ駆除、ですか」
「ああ。全部綺麗に片付けたら、村に入れてやる。……ついでに、ここから東にある『城塞都市ネメシス』への地図もやるよ」
ネメシス。
その名は、シンの記憶にはないが、どうやら冒険者たちが集まる大きな街らしい。
タゴの口ぶりから察するに、「お前のようなゴミは、さっさと迷宮都市へ行って野垂れ死ね」という厄介払いの意味も含まれているのだろう。
「……まあ、Fランク様にできる仕事かは知らねえけどな!」
二人の門番は、まるで最高の喜劇を見たかのように笑い転げた。
彼らにとって、弱者が困り果て、危険な目に遭うのは最高の娯楽なのだ。
だが、シンにとって、それは願ってもない提案だった。
害獣駆除。
つまり、この周辺に生息する魔物の一種を、合法的に「処理」できる機会。
現代の魔物の生態サンプルを手に入れ、あわよくば捕食して新たな才能を確認できる絶好の狩り場だ。
森を出て最初の獲物がネズミというのは少々味気ないが、前菜としては悪くない。
「わかりました。やらせていただきます」
シンは静かに頷き、倉庫へと向かって歩き出した。
その背中を見送りながら、タゴが「精々食い殺されるなよ! 死体処理の手間を増やしてくれるなよ!」と叫ぶ声が、夕暮れの風に乗って虚しく響いた。
少年は、背中で微かに嗤った。
駆除されるのが、果たしてネズミの方なのか、それとも――。
倉庫の扉に手をかけた瞬間、シンの瞳の奥で、捕食者の紅い光が揺らめいた。
飢えが、疼く。
新しい時代の、新しい味。
「……いただきます」
シンは誰にも聞こえない声で呟き、闇の充満する倉庫の中へと、音もなく滑り込んだ。
そこに在るのは、恐怖ではない。
一方的な捕食劇の幕開けだった。
倉庫の内部は、粘つくような闇と、鼻を突く腐臭に支配されていた。
「キシャアアアッ!」
暗闇の奥から、鼓膜を削るような絶叫が響く。
無数の赤い光点が、闇の中に星々のように浮かび上がった。
一対、二対、十対……その数は三十を超える。
巨大鼠。
体長一メートル近いその身体は、病的な腫瘍と薄汚れた体毛に覆われ、黄色い牙からは毒液を含んだ涎が滴り落ちている。
彼らは侵入者を「餌」と認識し、一斉に地面を蹴った。
四方八方からの同時攻撃。
逃げ場のない飽和攻撃。
だが、シンは欠伸を噛み殺しながら、左手を軽く掲げただけだった。
「……五月蝿い」
指先が、指揮者のように滑らかに舞う。
ヒュッ、ヒュンッ。
不可視の斬撃が、狭い空間を幾重にも駆け巡った。
直後。
跳躍していた全てのネズミの動きが、空中でピタリと静止する。
ボトボトボトッ。
重力に従い、肉塊が雨のように降り注いだ。
首と胴体が泣き別れになったそれらは、一度も痙攣することなく絶命していた。
シンは死体の山を無造作に踏み越え、最も大きな個体の頭部へと歩み寄る。
指先を振るい、頭蓋を抉る。
中から転がり出たのは、濁った小指の先ほどの結晶だった。
『才能の核』。
「……質が悪い」
シンは顔をしかめつつも、それを口に放り込み、ガリリと噛み砕いた。
泥と錆を混ぜたような、酷い味が口内に広がる。
――捕食。
ドクン。
【病魔耐性】F。
【夜目】F。
得られたのは、ゴミのような微細な才能のみ。
やはり、この程度の魔物では腹の足しにもならないらしい。
「まあ、ないよりはマシか」
シンは残りの死体からも手際よく核を回収し、ついでに心臓部の魔石も抜き取った。
作業は数分で終わった。
シンは掌に溜まった魔力の残滓を払い落とすと、踵を返して出口へと向かった。
◇
ギギギ……と、錆びついた蝶番が悲鳴を上げ、倉庫の扉が開く。
外では、タゴたちが焚き火を囲んで賭け事に興じていた。
中から出てきた少年の姿を認めると、彼らは幽霊でも見たかのように目を丸くした。
「あ? お前……生きてんのか?」
タゴが間の抜けた声を上げる。
全身血まみれか、あるいは片腕でも失っていると予想していたのだろう。
だが、シンの黒衣には汚れ一つなく、呼吸すら乱れていない。
「ええ、終わりました」
シンは平然と告げると、懐からジャラジャラと大量の魔石を取り出し、タゴの足元へ放った。
「数は三二匹。これで全部です」
「は……? 三二……?」
タゴは慌てて倉庫の中を覗き込み、そして絶句した。
そこには、綺麗に首を刎ねられたネズミの死体が、屠殺場の肉のように整然と積み上げられていたからだ。
「ば、馬鹿な……Fランクのガキが、一人で……?」
タゴの声が震える。
魔法を使った痕跡はない。剣戟の音もしなかった。
ただ入って、出てきただけだ。それなのに、群れが全滅している。
得体の知れない寒気が、タゴの背筋を駆け上がった。
彼は引きつった笑みを浮かべ、後ずさりしながら地図の束を差し出した。
「あ、ああ……そうか。約束だ、通っていいぞ。……こ、これが地図だ」
「どうも」
シンは地図を受け取り、丁寧にお辞儀をした。
そして、迷うことなくきびすを返した。
村の中へは入らない。彼が歩き出したのは、村の外へと続く街道の方角だった。
「お、おい! 入らねえのかよ!?」
背後からタゴの戸惑う声が聞こえたが、シンは振り返らなかった。
この小さな箱庭は、始祖にとっての前菜程度の価値しかなかった。
ここにはもう、これ以上美味いものはない。
地図によれば、西へ進んだ先に、巨大な都市がある。
『城塞都市ネメシス』。
そこになら、きっとあるはずだ。
自分の渇きを癒やす、極上の才能を持った獲物が。
「……行くか」
シンは小さく呟き、夜の帳が下りた荒野へと姿を消した。
世界は広い。
そして、その全てが彼の食卓なのだ。
本日も読んでいただき、ありがとうございます!
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