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第2話 最初の捕食と|進化《エボリューション》 改稿2/7

魔境(まきょう)の森。


数万年の長きにわたり、文明の干渉を拒絶し続けてきた絶対不可侵の樹海を背に、三度目の太陽が地平線へ沈もうとしていた。


視界の果てまでを埋め尽くすのは、風に波打つ草原の緑と、黄昏に染まる空の赤。


かつてこの地を支配していたであろう文明の痕跡は、もはや(ちり)ほども残されていない。

灰色の墓標はとうに風化し、鉄の(むくろ)は赤錆となって土に還り、今はただ、野生という名の純粋な暴力だけが支配する原野が広がっている。



シンは、その荒涼とした大地を、ただ静かに歩いていた。


一見すれば、何の変哲もない歩みだ。

だが、注意深く観察すれば、彼のブーツが草花を踏みしめていないことに気づくだろう。


重力を完全に制御し、葉の一枚すら傷つけぬよう、触れるか触れないかの絶妙な力加減で接地しているのだ。


音もなく、気配もなく。

黒い布(マント)が風にはためく音だけが、彼がそこに実在する唯一の証拠だった。


「……薄いな」


シンは立ち止まり、大気中の匂いを嗅いだ。


森の中とは違う。あそこには濃厚な死と生、そして血と魔素(マナ)がスープのように煮詰まっていた。

だが、外界の空気はあまりに希薄だ。魔素の濃度が低く、まるで水で薄めたワインのような頼りなさがある。


「グルルルルッ……!」


不意に、茂みが揺れ、低い唸り声が響いた。


飛び出してきたのは、灰色の剛毛に覆われた巨大な狼だった。


魔狼(ダイア・ウルフ)


体長は二メートルを超え、その眼球は濁った黄色に発光し、牙は鋭利なナイフのように濡れている。

ここが森の外であろうと、弱肉強食の(ことわり)は変わらないらしい。

狼はシンを「無防備な肉塊」と認識し、涎を垂らして飛びかかってきた。


「ガアアッ!!」


捕食者の牙が、シンの喉元へと迫る。

だが、シンは避けない。防御の構えさえ取らない。


ただ、退屈そうに指先を動かしただけだった。


ヒュンッ。


鋭い風切り音がした瞬間、空中で狼の動きが止まった。

次いで、首が音もなく胴体から滑り落ちる。


「ギャ……?」


狼は自分の死を理解できぬまま、ゴロリと地面に転がった。

切断面から鮮血(せんけつ)が間欠泉のように噴き出し、草原をドス黒く染め上げる。


シンはその血だまりを見下ろし、小さく溜息をついた。


「……(もろ)い」


彼は指先から極細の魔力糸(マナ・ライン)を伸ばした。


狙うのは心臓ではない。そこにあるのは魔石(マナ・ストーン)であり、ただの燃料だ。

シンが求めているのは、より根源的な部位。


糸は狼の眉間を貫き、脳漿を食い破り、頭蓋の奥底へと瞬時に到達する。


クイクイ、と指先を操る。

狼の頭部が内側から弾け、中から血に濡れた小さな結晶が飛び出してきた。


才能の核(ゼロ・コア)』。


生物が持つ固有の能力が凝縮された、魂の結石。

シンにとって唯一の「食材」である。


シンは空中の核を指先で摘まみ上げると、躊躇なく口へと放り込んだ。


「……いただきます」


ガリリ。


硬質な音と共に、核が噛み砕かれる。


――捕食(イート)


ドクン。

シンの心臓が一度だけ強く脈打った。


脳内に響く声などない。記憶や感情が流れ込んでくることもない。

あるのは、パズルのピースが埋まるような、乾いた充足感だけだ。


狼が持っていた【俊足(スピード)】。

そのFランク相当の才能(ゼロ)だけが、シンの魂の(うつわ)に取り込まれ、焼き付けられていく。


(……やはり雑魚か)


シンは不満げに鼻を鳴らした。


森で喰らった古代種の魔物たちに比べれば、この狼の才能(ゼロ)など、出涸らしのお茶にも等しい。

だが、贅沢は言っていられない。


「まあいい。……塵も積もれば山となる」


シンは再び歩き出した。


道中、牙を剥くウルフ、棍棒を振るうオーク、物理攻撃を無効化するスライムたちが次々と襲いかかってきた。

だが、それらは全てシンの歩みを止める障害物にはなり得ず、ただの「歩く素材」へと変わった。


殺しては頭蓋をえぐり出し、噛み砕く。

殺戮と捕食という儀式を通じて、シンの(うつわ)は僅かずつ満たされていく。



その光景は、シンにとって奇妙な違和感を抱かせるものであった。


草原の中に、不自然に隆起した灰色の丘が続いている。

かつて「大路」と呼ばれた構造物の残骸だ。


だが、崩れた石材の中身は、まるで粘土を固めたかのように均一だった。

機能的な空洞や構造が見当たらない。


ただ形だけを似せて作られた、巨大な「書き割り」のようにも見える。


(……奇妙な物体だ)


シンは、その冷たい残骸に指を這わせた。


ここにはかつて、今の荒野とは異なる「何か」が存在していた。

その事実だけが、静かに横たわっている。


さらに進むこと数刻。


なだらかな丘を越えた先で、シンの視覚(アイ)が異質な風景を捉えた。


眼下に広がる平原。そこにへばりつくように点在する、頼りない木造建築の群れ。


辺境の開拓村、メジ村である。


(……(もろ)いな)


それが、始祖(オリジン)たるシンが抱いた最初の、そして偽らざる感想だった。


村を囲む木の柵は、腐りかけた杭を並べただけの代物だ。防御結界の痕跡もなく、隙間だらけで風さえ防げそうにない。


あんなものでは、森の入り口をうろつく下等な魔狼(ダイア・ウルフ)(Eランク)すら防げないだろう。


ましてや、森の奥に棲む真の捕食者たちが現れれば、一撃で紙細工のように吹き飛び、中の生物ごと蹂躙されるに違いない。


柵の内側、痩せた畑で泥にまみれて働く「それ」らが見える。


二本の足で立ち、二本の腕を持つ。体毛は少なく、粗末な布をまとって道具を使っている。


「……ほう」


シンは目を細め、その姿を凝視した。


異形だらけのこの世界で、あれらだけが、自分と同じ「形」をしている。


(なぜ、俺と同じ姿をしている?)


記憶はない。名前も知らない。

だが、あの脆弱な生き物と自分との間に、外見上の共通点があることは否定できない事実だった。


俺が彼らの模倣なのか?

それとも彼らが俺の粗悪な模造品(フェイク)なのか?


湧き上がるのは、親近感などではない。

己の存在理由(アイデンティティ)に関わる、根源的な疑問と、得体の知れない不気味さだった。


「……確かめる必要があるな」


彼らは何者なのか。そして、その肉はどんな味がするのか。


シンは漆黒のローブの裾を揺らし、丘を下り始めた。



村の入り口には、二人の男が立っていた。


革鎧の継ぎ目は錆び、手にした槍の穂先は刃こぼれしている。

戦士と呼ぶにはあまりに貧相な装備だ。


彼らは森の方角から近づいてくる黒ずくめの影に気づくと、露骨に顔をしかめ、怯えを隠すように槍の切っ先を向けてきた。


「おい、止まれ! 見ない顔だな」


声を荒らげたのは、無精髭を生やした中年の男、タゴだった。


濁った瞳には、未知のよそ者に対する警戒心と、自分より弱そうな相手に対する嗜虐的な色が混ざり合っている。


シンは立ち止まり、深く被っていたフードを、白く細い指先でゆっくりと持ち上げた。


露わになったのは、黒髪に黒目、どこにでもいそうな一五歳の少年の顔立ちだった。


肌は若々しく健康的で、頬にはうっすらと赤みが差しているようにさえ見える。

だが、その瞳だけが異質だった。


光を吸い込むような漆黒の双眸。

そこには、怯えも、敵意も、あるいは媚びへつらいすらもなく、ただ目の前の男を「物質」として観察する冷徹な光だけが宿っていた。


「……森から来ました。旅の者です」


シンは瞬き一つで瞳の温度を消し去り、努めて弱々しい声色を作ってみせた。



タゴが顎でしゃくった先には、苔むした石造りの台座があった。


その上に鎮座しているのは、人頭大(じんとうだい)の水晶玉だ。


内部で濁った魔光が不規則に明滅し、低級な魔力回路がブーンと耳障りな唸りを上げている。


魔素(マナ)の配列を読み取り、対象の魂に刻まれた情報を可視化するための魔道具。

この世界における、絶対的な身分証明装置。『鑑定水晶ステータス・クリスタル』。


だが、シンの魔力視(マナ・サイト)から見れば、それは子供の泥遊びのような、あまりに稚拙なガラクタだった。


(……これが、こいつらの『尺度』か?)


シンは内心で鼻を鳴らした。


森の掟は単純明快だった。強いか、弱いか。喰うか、喰われるか。

だが、この石塊は、生物の価値を勝手に数値化し、分類しようとしている。


構造も単純すぎる。魔力の回路(パス)が剥き出しで、外部からの干渉を防ぐ術式防壁(プロテクト)など無に等しい。


これでは、「どうぞ書き換えてください」と鍵を開けたまま放置された金庫のようなものである。


「これに手を触れろ。名前と才能(ゼロ)が表示される。……変な真似しようとしても無駄だぞ。こいつは王都の魔導師様が作った特注品だ」


タゴが誇らしげに言う「特注品」という言葉が、滑稽な冗談にしか聞こえない。


だが、シンは表情を崩さず、おずおずと手を差し出した。


(……面倒ごとは避けるか。下手に目立つ必要はない)


シンは瞬時に計算した。


平均的な強さを装えば、それなりの仕事や責任を押し付けられる可能性がある。

逆に強すぎれば、警戒され、自由な行動が制限されるだろう。


ならば答えは一つ。

誰からも脅威と見なされず、空気のように無視される最底辺――「Fランク」こそが、今の自分にとって最高の迷彩服だ。


シンは水晶に手をかざすと同時に、体内の膨大な魔力を極限まで圧縮した。


世界を揺るがす神域(ゴッド)に至ったGランクの魔力波形を遮断し、毛細血管の一本一本、細胞の一つ一つに至るまで魔力の流れを完全に凍結させる。


さらに、指先から不可視の魔力糸(マナ・ライン)を一本だけ伸ばし、水晶内部の演算核(コア)へと侵入させた。


指先が水晶の表面に触れる数ミリ手前。


シンの操る糸は、水晶内部を流れる光の奔流に物理的に干渉した。


鍵穴に針を差し込み、内部のシリンダーを弾くような繊細な作業ではない。

もっと暴力的で、直接的な改竄だ。


「真実(Gランク)」を表示しようとする魔力の流れを、糸で縛り上げ、遮断し、無理やり迂回させる。

そして、あらかじめ用意した「虚構(Fランク)」の信号だけを、表示板へと流し込んだ。


数万年の時を森で生き抜くために磨き上げた、狩人の擬態技術。


それは瞬きする間もなく完了した。

まるで白紙のキャンバスに好みの絵を描くように、容易く、そして芸術的な手際だった。


ボンッ。


水晶が淡く、頼りない光を放ち、空中に光の文字が浮かび上がる。


個体名(ネーム):シン】

種族(レース):人間】

位階(ランク):F】

才能(ゼロ):【蜘蛛操作スパイダー・コントロール】F】


それを見た瞬間、タゴの顔から残っていた警戒心が完全に霧散した。


「……人間、か」


シンは内心でその言葉を反芻した。


記憶にはないその単語が、水晶の表示によって初めて意味を持つ「定義」として認識された。


俺たちの種族名は「人間」というのか。

なるほど、悪くない響きだ。


代わりにタゴたちの顔に浮かんだのは、安堵と、そして粘着質な嘲笑だった。

自分より明確に「下」の存在を見つけた時の、弱者特有の醜い悦びの表情。


「なんだ……Fランクかよ」


タゴは鼻を鳴らし、槍の石突きを地面に乱暴に叩きつけた。


「しかも『蜘蛛操作』? ハッ、虫遊びか。フードなんて被って顔を隠してるから、てっきり訳ありの魔法使い様かと思ったが……ただの浮浪児じゃねえか」


隣にいたもう一人の門番も、腹を抱えて下卑た笑い声を上げる。


「おいタゴ、あまりいじめるなよ。この歳でFランクってことは、これまで一度もまともに才能(ゼロ)を使ってこなかった臆病者ってことだろ?」


「違いない。森から逃げてきたってのも、魔物と戦う度胸がねえからだ。ただ逃げ回って生き延びただけの、腰抜け野郎ってわけだ! ギャハハハハ!」


嘲笑。侮蔑。

彼らの言葉には、弱者に対する容赦のない優越感が滲んでいた。


この世界では、才能(ゼロ)位階(ランク)こそが絶対的な階級であり、生物の価値を決める全ての尺度なのだ。


Fランクは最底辺。生きている価値すら怪しいゴミ。

それが、彼らの信じる揺るぎない常識(ルール)らしい。


シンは怒らなかった。屈辱さえ感じなかった。

ただ、彼らの哀れな生態を観察するように、無表情で立ち尽くしていた。


(……可愛いものだ)


象は、蟻に足を噛まれても怒りはしない。ただ、気づかずに踏み潰すだけだ。


彼らは知らないのだ。


目の前の少年が、その気になれば指先一つでこの村の時間を止め、塵一つ残さず消滅させることすら容易いということを。


水晶に表示された情報が、シンの持つ力の氷山の一角ですらないことを。


彼らの命など、シンにとっては路傍の石ころほどの価値もない。

生かすも殺すも、気まぐれ一つで決まるのだという絶対的な事実を、彼らは知る由もない。


「……通ってもいいですか?」


シンが静かに、あくまで弱々しく尋ねると、タゴは意地悪く口元を歪めた。


その笑みは、蜘蛛の巣にかかった蝶を眺める子供のように残酷で、無邪気な悪意に満ちている。


「ああ、通してやりたいのは山々だがな。身分証のない流れ者をタダで入れるわけにはいかねえんだよ。金はあるか? 通行料は銀貨一枚だ」


「金は……ありません。着の身着のままで逃げてきたので」


「なら、体で払ってもらうしかねえな」


タゴはニヤリと笑い、村の奥にある古ぼけた倉庫を指差した。


腐った木材で組まれた、今にも崩れそうな建物だ。

隙間だらけの壁からは、穀物の匂いに混じって、獣の排泄物と、何かが腐敗したような酸っぱい臭気が漂ってきている。


「あそこの穀物庫だ。最近、デカいネズミが住み着いて困ってるんだよ。お前のその『虫遊び』で、駆除できんのか?」


ネズミ。


タゴはそう言ったが、シンの鋭敏な嗅覚は、既に倉庫の中に潜む「それ」の正体を捉えていた。


ただのネズミではない。

魔素(マナ)によって変異し、肥大化した肉体を持つ巨大鼠(ジャイアント・ラット)


病原菌を撒き散らす牙と、鉄さえ噛み砕く顎を持つ害獣。

Fランクの冒険者であれば、群れに囲まれれば瞬く間に骨までしゃぶられる獰猛な魔物だ。


それを知っていて、この男は面白半分に押し付けようとしているのだ。


死ねば死んだで構わない。生き残れば儲けもの。

弱者の命をチップにした、悪趣味な賭け事。


「……ネズミ駆除、ですか」


「ああ。全部綺麗に片付けたら、村に入れてやる。……ついでに、ここから東にある『城塞都市(フォート・シティ)ネメシス』への地図もやるよ」


ネメシス。


その名は、シンの記憶にはないが、どうやら冒険者たちが集まる大きな街らしい。


タゴの口ぶりから察するに、「お前のようなゴミは、さっさと迷宮都市へ行って野垂れ死ね」という厄介払いの意味も含まれているのだろう。


「……まあ、Fランク様にできる仕事かは知らねえけどな!」


二人の門番は、まるで最高の喜劇を見たかのように笑い転げた。


彼らにとって、弱者が困り果て、危険な目に遭うのは最高の娯楽なのだ。


だが、シンにとって、それは願ってもない提案だった。


害獣駆除。

つまり、この周辺に生息する魔物の一種を、合法的に「処理」できる機会。


現代の魔物の生態サンプルを手に入れ、あわよくば捕食して新たな才能(ゼロ)を確認できる絶好の狩り場だ。


森を出て最初の獲物がネズミというのは少々味気ないが、前菜オードブルとしては悪くない。


「わかりました。やらせていただきます」


シンは静かに頷き、倉庫へと向かって歩き出した。


その背中を見送りながら、タゴが「精々食い殺されるなよ! 死体処理の手間を増やしてくれるなよ!」と叫ぶ声が、夕暮れの風に乗って虚しく響いた。


少年は、背中で微かに(わら)った。


駆除されるのが、果たしてネズミの方なのか、それとも――。


倉庫の扉に手をかけた瞬間、シンの瞳の奥で、捕食者の紅い光が揺らめいた。


飢えが、疼く。


新しい時代の、新しい味。


「……いただきます」


シンは誰にも聞こえない声で呟き、闇の充満する倉庫の中へと、音もなく滑り込んだ。


そこに在るのは、恐怖ではない。

一方的な捕食劇の幕開けだった。


倉庫の内部は、粘つくような闇と、鼻を突く腐臭に支配されていた。


「キシャアアアッ!」


暗闇の奥から、鼓膜を削るような絶叫が響く。

無数の赤い光点が、闇の中に星々のように浮かび上がった。


一対、二対、十対……その数は三十を超える。


巨大鼠(ジャイアント・ラット)

体長一メートル近いその身体は、病的な腫瘍と薄汚れた体毛に覆われ、黄色い牙からは毒液を含んだ涎が滴り落ちている。


彼らは侵入者を「餌」と認識し、一斉に地面を蹴った。


四方八方からの同時攻撃。

逃げ場のない飽和攻撃。


だが、シンは欠伸を噛み殺しながら、左手を軽く掲げただけだった。


「……五月蝿(うるさ)い」


指先が、指揮者のように滑らかに舞う。


ヒュッ、ヒュンッ。


不可視の斬撃が、狭い空間を幾重にも駆け巡った。


直後。

跳躍していた全てのネズミの動きが、空中でピタリと静止する。


ボトボトボトッ。


重力に従い、肉塊が雨のように降り注いだ。

首と胴体が泣き別れになったそれらは、一度も痙攣することなく絶命していた。


シンは死体の山を無造作に踏み越え、最も大きな個体の頭部へと歩み寄る。


指先を振るい、頭蓋を抉る。


中から転がり出たのは、濁った小指の先ほどの結晶だった。


才能の核(ゼロ・コア)』。


「……質が悪い」


シンは顔をしかめつつも、それを口に放り込み、ガリリと噛み砕いた。


泥と錆を混ぜたような、酷い味が口内に広がる。


――捕食(イート)


ドクン。


病魔耐性(ディジーズ・レジスト)】F。

夜目(ダーク・ヴィジョン)】F。


得られたのは、ゴミのような微細な才能(ゼロ)のみ。

やはり、この程度の魔物では腹の足しにもならないらしい。


「まあ、ないよりはマシか」


シンは残りの死体からも手際よく核を回収し、ついでに心臓部の魔石(マナ・ストーン)も抜き取った。

作業は数分で終わった。


シンは掌に溜まった魔力の残滓を払い落とすと、踵を返して出口へと向かった。



ギギギ……と、錆びついた蝶番が悲鳴を上げ、倉庫の扉が開く。


外では、タゴたちが焚き火を囲んで賭け事に興じていた。

中から出てきた少年の姿を認めると、彼らは幽霊でも見たかのように目を丸くした。


「あ? お前……生きてんのか?」


タゴが間の抜けた声を上げる。

全身血まみれか、あるいは片腕でも失っていると予想していたのだろう。

だが、シンの黒衣には汚れ一つなく、呼吸すら乱れていない。


「ええ、終わりました」


シンは平然と告げると、懐からジャラジャラと大量の魔石(マナ・ストーン)を取り出し、タゴの足元へ放った。


「数は三二匹。これで全部です」


「は……? 三二……?」


タゴは慌てて倉庫の中を覗き込み、そして絶句した。


そこには、綺麗に首を刎ねられたネズミの死体が、屠殺場の肉のように整然と積み上げられていたからだ。


「ば、馬鹿な……Fランクのガキが、一人で……?」


タゴの声が震える。

魔法を使った痕跡はない。剣戟の音もしなかった。

ただ入って、出てきただけだ。それなのに、群れが全滅している。


得体の知れない寒気が、タゴの背筋を駆け上がった。

彼は引きつった笑みを浮かべ、後ずさりしながら地図の束を差し出した。


「あ、ああ……そうか。約束だ、通っていいぞ。……こ、これが地図だ」


「どうも」


シンは地図を受け取り、丁寧にお辞儀をした。


そして、迷うことなくきびすを返した。

村の中へは入らない。彼が歩き出したのは、村の外へと続く街道の方角だった。


「お、おい! 入らねえのかよ!?」


背後からタゴの戸惑う声が聞こえたが、シンは振り返らなかった。


この小さな箱庭は、始祖(オリジン)にとっての前菜程度の価値しかなかった。

ここにはもう、これ以上美味いものはない。


地図によれば、西へ進んだ先に、巨大な都市がある。

城塞都市(フォート・シティ)ネメシス』。


そこになら、きっとあるはずだ。

自分の渇きを癒やす、極上の才能(ゼロ)を持った獲物が。


「……行くか」


シンは小さく呟き、夜の帳が下りた荒野へと姿を消した。


世界は広い。

そして、その全てが彼の食卓なのだ。

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