第2話:最初の捕食と進化
◇
穀物倉の前まで来ると、鼻をつく腐敗臭と獣の臭いが濃厚になった。
「ほらよ、ここだ。頑張れよ、虫使い」
タゴはシンを中へ押し込み、外から鍵をかけた。
ガチャン、という重い金属音が響き、シンは完全な暗闇の中に一人残された。
カサカサ……キィキィ……。
暗闇の奥で、無数の赤い瞳が光った。
一つ、二つではない。百を超える不気味な光点が、闇の中で揺らめいている。
「キシャアアア!」
アーマー・ラットたちが一斉に威嚇してくる。
体長五〇センチはある巨大なドブネズミ。その体表は魔素の影響で硬質化し、鈍い金属光沢を放っている。
【解析完了】
種族:アーマー・ラット
ランク:F
ゼロ:【硬質化】
派生:なし
クラス:【スカベンジャー(屍肉あさり)】
Fランクとはいえ、これだけの数が一斉に襲いかかれば、Cランクの戦士でも無傷では済まないだろう。
だが、シンはポケットに手を突っ込んだまま、退屈そうに欠伸をした。
「……狭いな」
その瞳の奥で、数万年の時を経た「闇」が渦巻く。
「……出てこい」
シンの足元の影が、沸騰したように泡立った。
そこから溢れ出したのは、数百、数千の蜘蛛たち。
だが、それはただの蜘蛛ではない。
数千年の間、シンと共に森で進化し、数多の魔物を喰らい尽くしてきた「古代種」の眷属たちだ。
鋼鉄よりも強靭な糸を吐く兵隊蜘蛛、即効性の猛毒を持つ暗殺蜘蛛、そしてあらゆる物質を消化する捕食蜘蛛。
「キ!?」
ラットたちが、本能的な恐怖に凍りつく。
Fランクの魔物にとって、目の前の存在は捕食者ですらなく、逃れられない「災害」だった。
「……食え。ただし、綺麗にな」
シンの指先が動く。
それは虐殺だった。
兵隊蜘蛛が放つ粘着糸がラットを拘束し、暗殺蜘蛛が装甲の隙間に神経毒を注入する。
動けなくなったラットに、捕食蜘蛛が群がる。
悲鳴を上げる間もなく、肉は溶かされ、骨は砕かれ、魔素へと還元されていく。
その光景を眺めながら、シンは虚空に「ウィンドウ」を開いた。
それは、彼が【時間操作】と共に手に入れた、自身だけの管理画面。
【ゼロ・プレデション】発動
捕食対象:アーマー・ラット(ランクF)
獲得スキル:【硬質化(ランクF)】
(……Fランクか。まあ、こんなものか)
シンは小さく頷いた。
彼の能力は、食べた対象のランクそのままでスキルを獲得する。Fランクの魔物を食えば、Fランクのスキルしか手に入らない。
だが、シンには「時間」を操る始祖としての特性がある。
【成長促進(ランクG)】。
スキルの熟練度(経験値)が、常人の一〇〇〇倍の速度で蓄積されるチート特性だ。
シンは、手に入れたばかりの【硬質化】を、自身の皮膚に付与し、魔力を通した。
一瞬で、経験値がカンストする。
スキル熟練度:MAX
ランクアップ >>
【派生:皮膚硬化(ランクE)】獲得
(よし。これで俺のクラス特性に【防御】の概念が加わった。物理攻撃への耐性が一段階上がったな)
この調子で派生を増やしていけば、いずれは伝説級の防御スキルも作成可能だろう。
この時代の人間たちは、長い時間をかけてスキルの熟練度を上げ、そこから新たな【派生】を見出し、最終的に【クラス】という名の専門職へと昇華させる。
シンは、その過程を「捕食」と「時間操作」だけで一瞬にして完了させるのだ。
「グルォオオオ!」
その時、倉の最奥、穀物袋の山が弾け飛び、一際巨大な影が現れた。
体長一メートルを超えるボス個体。全身の毛が針金のように尖り、目は血のように赤い。
種族:アイアン・ラット(変異種)
ランク:E
ゼロ:【硬質化】
派生:【突進】【闘争本能】
クラス:【鉄鼠】
「キシャアア!」
ボスは、仲間を喰らう蜘蛛たちを蹴散らし、シンに向かって一直線に突進してきた。
鋼鉄の弾丸と化したその突進は、Cランクの土壁さえ粉砕する威力がある。普通の人間なら、反応することさえできずに挽き肉になるだろう。
「……遅い」
シンは動かなかった。
突進してくるボスの鼻先、わずか数センチのところで——世界が止まった。
【時間操作】——対象:空間固定。
ボスは、見えない壁に激突したように、空中で完全に静止している。
物理法則の無視。因果律の遮断。
これはSランクでも不可能。Gランクのみに許された権能。
この力を使えば、シンの魔力は大きく削がれるが、この程度の空間固定なら呼吸をするようなものだ。
シンは、停止したボスの額に、人差し指を軽く当てた。
「村人の食料を奪うな。……不快だ」
シンは、指先に魔力を込めた。
それは、かつて森の最強種と呼ばれた毒蛇から奪い、数千年かけて合成を繰り返し、ランク『S』相当まで昇華させた猛毒。
【神殺しの毒】。
「……一滴で十分か」
紫色の雫が、ボスの額に落ちる。
「動け」
時が動き出す。
「ギャッ————」
悲鳴すら残らなかった。
ボスの巨体は、一瞬でドロドロの液体となって崩れ落ち、床の染みとなった。
鋼鉄の皮膚も、骨も、内臓も、すべてが溶解したのだ。
眷属の蜘蛛たちが、その液体すらも残さず啜り上げる。
【ゼロ・プレデション】発動
捕食対象:アイアン・ラット(ランクE)
獲得スキル:【突進(ランクE)】
成長促進発動 >> 【突進(ランクD)】へ進化
「……さて」
シンは、何事もなかったかのように手を払った。
倉の中は、塵一つないほど綺麗になっていた。
散乱していた穀物は綺麗に積み直され、床は舐めたように磨かれている(蜘蛛たちが掃除したのだ)。
シンは、空になった空間を見渡し、退屈そうに呟いた。
「掃除完了だ」
この村での収穫は、Fランクの素材とEランクの素材が少々。
始祖の「おやつ」にもならない。




