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第17話 無邪気な憧憬、鍛冶師の漢気

 建設中の『レギオンハウス』。

 まだ骨組みだけの薄暗い一階フロアに、少年の無邪気な声が響き渡っていた。


「すっげー! 兄ちゃんち、マジでデケェな! ここ全部兄ちゃんの城かよ!?」


 目を輝かせて走り回っているのは、小柄な少年シノだ。

 ボサボサの髪に、オイルの染みた作業着。背中には自分の身長ほどもある巨大な鞄を背負っている。

 彼はネメシスでも五指に入ると言われる天才発明家であり、同時に――シン(15歳の姿)がこの街で初めて作った「マブダチ」でもあった。


「まだ改装中だけどね。面白いガラクタが入ったから、シノに見せようと思って」


 シンは、微笑ましげに少年を見守っている。

 シノの精神構造は特殊だ。

 常人なら恐怖するような未知の現象や、理解不能な魔道具を前にしても、彼には警戒心というものが欠落している。彼にとって世界は「危険な場所」ではなく、「分解して理解すべき玩具箱」なのだ。


「うおっ、なんだこの歯車! 古代文明のパーツじゃね? ちょっとあっちも見てきていい!?」


「いいけど、地下には行かないようにね。迷子になるから」


「わかってるって!」


 元気よく返事をした三秒後には、シノは好奇心の赴くまま、進入禁止のロープをくぐり抜けていた。

 彼に悪気はない。ただ、「ダメ」と言われると「そこに重要な秘密がある」と魂が反応してしまうだけなのだ。


          ◇


 埃っぽい階段を降り、隠し扉の複雑な機構を(持ち前の勘だけで)解除し、シノが辿り着いた先。

 そこは、地上の喧騒が嘘のような静寂に包まれた、巨大な異空間だった。


「……うわぁ」


 シノは息を呑んだ。

 壁一面に蠢く無数の影(偵察蜘蛛)。

 天井まで届く巨大な書架には、この世の知識が詰め込まれた魔導書が並んでいる。

 そして、その最奥に鎮座する、黒曜石のような玉座。


 そこには、一人の男が座っていた。

 年齢は18歳ほどだろうか。

 漆黒の外套を纏い、頬杖をついて眼下を見下ろすその姿は、絵画の中の魔王そのものだった。

 玉座の前には、街で有名なAランク冒険者――『紅蓮の獅子』のアレスたちが、石像のように微動だにせず跪いている。


 常人であれば、その場の空気密度だけで圧死するか、恐怖で発狂する場面だ。

 捕食者と被食者。生物としての絶対的な格差が、そこにはあった。


 だが、シノの反応は違った。

 その瞳孔が開かれ、魂が歓喜に打ち震える。

 恐怖? いいや。


(すっげぇ……なんだあの人……!)


 シノの眼には、男の纏う魔力が、美しい幾何学模様に見えていた。

 完璧な構造。無駄のないエネルギー循環。

 それは恐怖の対象ではなく、解き明かしたい「究極の美」だった。


(カッケー……! あんなの、お伽話の英雄よりずっとスゲーじゃん!)


 シノは目を輝かせ、その光景を脳裏に焼き付けた。

 そして奇跡的にも、誰にも気づかれることなく――正確には、シンの気まぐれによって見逃され――彼は地上への帰路についた。


          ◇


 場所は変わり、市街地の外れにある鍛冶屋『鉄の咆哮』。

 炉の火が赤々と燃え盛り、熱気が肌を焼く工房の中で、店主のヴォルカンは金槌を振るっていた。

 筋肉の塊のような巨躯。いわおのような顔つき。

 彼はBランク(熟練者)の鍛冶師として、この街の荒くれ者たちから一目置かれる存在だ。


「だからさ、マジなんだって! おいっちゃん!」


 作業台の端で、シノが興奮気味に身振り手振りを交えて話している。


「地下にすっげー広い宮殿があってさ! 玉座に、こう、カッケー王様みたいな人が座ってたんだよ! アレスたちがペコペコ頭下げててさ!」


 ヴォルカンは熱した鉄を叩きながら、呆れたように鼻を鳴らした。

 カンッ、カンッ、とリズミカルな金属音が響き、火花が散る。


「お前の作り話は聞き飽きたぞ、シノ。アレスと言えば『紅蓮の獅子』だぞ? 次期ギルドマスター候補の英雄だ。それが誰かに頭を下げる? 王族でも来ない限りありえん」


「作り話じゃねーって! 俺はこの目で見たんだよ! あの人は多分、神様か魔王だよ!」


「はいはい。夢でも見たんだろ」


 ヴォルカンは信じなかった。

 だが、この会話を聞いている「第三者」がいた。

 天井のはりの影。

 そこに、黒い染みのように張り付いている人影――ネモ・ローズだ。


(……最高機密の漏洩を確認。対象、Bランク二名)


 ネモは無表情に状況を分析する。

 シノの目撃情報は致命的だ。組織のトップ(シン)の存在が露見すれば、宰相との情報戦において不利になる。

 ネモは懐から通信用の魔石を取り出し、短く魔力を流した。


(私一人での確保はリスクが高い。――「掃除屋」を要請する)


          ◇


 異変は、唐突に起きた。

 工房内の温度が、急激に上昇したのだ。

 炉の熱ではない。肌を刺すような、ピリピリとした殺気を含んだ熱波。


「……あ?」


 ヴォルカンが手を止める。

 壁に掛けられた剣や槍が、ひとりでにカタカタと震え始めた。

 共鳴。

 外部から加えられた圧倒的な「覇気」に、物質が悲鳴を上げているのだ。


 ドォォォォォン!!


 轟音と共に、分厚い鉄製のドアが紙屑のように吹き飛んだ。

 土煙が舞う中、ゆらりと入ってきた人影。

 逆光を背に立つその男は、陽炎のように空気を揺らしていた。


「……聞かせてもらったぞ。我々の秘密を」


 紅蓮の髪。燃えるような瞳。

 表の冒険者ギルド最強の男。

 Aランク冒険者、『紅蓮の獅子』のアレスだ。


「ア、アレス……!?」


 ヴォルカンが息を呑む。

 対峙した瞬間に理解してしまった。

 次元が違う。

 自分もBランクの端くれだが、目の前の男は「人間」という枠を超えている。

 筋肉の密度、魔力の総量、纏っているオーラ。

 これは戦いではない。災害に巻き込まれただけだ。


「おいっちゃん、この人だよ! 地下にいたの!」


 シノは空気を読まずに指差すが、アレスの眼光がギロリと少年を射抜いた。

 ただの視線。それだけで、シノの膝がガクガクと震え出す。


「見た者は生かしておけん。……悪いが、消えてもらう」


 アレスが一歩踏み出す。

 それだけで床石が砕け、熱風が吹き荒れる。

 死。

 確実な死が、炎の形をして迫ってくる。


 その時だった。


「――待てぇぇぇッ!!」


 ヴォルカンが叫び、愛用のハンマーを放り投げた。

 戦うためではない。

 彼は両手を広げ、震えるシノを背中に庇うようにして、その巨大な体をアレスの前に晒したのだ。


「待ってくれ! 頼む、話を聞いてくれ!」


 ヴォルカンの額から、脂汗が滝のように流れる。

 心臓が早鐘を打っている。膝が笑っている。

 怖い。死ぬほど怖い。

 だが、職人としての矜持と、親代わりとしての責任感が、恐怖をねじ伏せた。


「このガキは……シノは、ただのアホなんだ! 悪気なんてねぇ! 見たことをペラペラ喋らせたのは、全部俺の管理不足だ!」


「ほう?」


 アレスが足を止める。その拳には、既に赤熱した魔力が集束していた。


「だから……やるなら俺を殺せ! 俺の首一つで、この子の命は見逃してやってくれ! 頼む、この通りだ!」


 ヴォルカンはプライドも何もかも捨て、その場に土下座した。

 熱された床に額を擦り付ける。


 シノが呆然と呟く。

「おいっちゃん……?」


 職人気質で頑固なヴォルカンが、他人に頭を下げる姿など見たことがない。

 それも、命乞いのために。

 アレスは冷ややかな目で見下ろし、そして――ニヤリと笑った。


「……連行しろ」


 その合図と共に、天井からネモが音もなく着地する。

 アレスの拳の熱が引いていく。

 殺気は消えたが、より重苦しい威圧感が場を支配した。


「殺しはしない。だが、裁きは受けてもらう。……我らが『王』の御前でな」


          ◇


 再び、地下宮殿『アンダー・ネスト』。

 ヴォルカンとシノは、後ろ手に拘束され、玉座の間に引きずり出されていた。

 冷たい石床の感触。

 そして、前方から降り注ぐ、重力のようなプレッシャー。


 玉座には、18歳の姿のシンが座していた。

 その瞳は真紅。

 人の形をした、人ならざるナニカ。

 ヴォルカンは震え上がり、隣のシノは――やはり目を輝かせていた。


「報告は聞いた」


 シンの声が、大気を震わせて響く。

 低く、どこまでも透き通った声。


「鍛冶師ヴォルカン。貴様は我が秘密を知った子供を庇い、己の命を差し出したそうだな」


「……ああ、そうだ。俺の首で勘弁してくれ」


 ヴォルカンは震える声で、しかしはっきりと答えた。

 シンは興味深そうに目を細める。


「なぜだ? Bランクの地位も、名誉もある貴様が、なぜ無力な子供のために死を選べる?」


「……道具を作るのが俺の仕事だがな、道具を使うのは『人』だ。未来あるガキを見捨てるような奴が打った剣なんて、ナマクラにしかならねぇよ」


 それは、職人としての意地。

 理屈ではない、魂の叫びだった。

 シンはしばらくヴォルカンを見つめ――やがて、口元に薄い笑みを浮かべた。


「……悪くない忠義だ。気に入った」


 シンが指を鳴らすと、二人を拘束していた縄がほどけ落ちた。


「え?」


「その命、俺が預かろう。死ぬ代わりに、その腕を俺に捧げろ」


 シンが玉座から立ち上がり、傲然と言い放つ。


「俺のために最強の武具を打ち、俺のために世界の理を解析しろ。――拒否権はないぞ?」


 ヴォルカンは呆気にとられ、次いで全身から力が抜けたようにへたり込んだ。

 助かった。それどころか、この規格外の化け物に認められた。

 恐怖と安堵、そして湧き上がる興奮。

 最高の素材ロードに、最高の仕事で応える。職人として、これ以上の誉れはない。


「……謹んで、お受けします。俺の魂、あんたのハンマーにしてくれ」


 ヴォルカンが深く頭を下げる。

 そしてシノは、満面の笑みで叫んだ。


「やったー! やっぱり魔王だったんだね! 俺も手伝う! 兄ちゃんのためにすっげー魔導人形ゴーレムとか作るからさ!」


「……よく言った。二人とも、我が配下として歓迎しよう」


 シンは満足げに頷いた。

 だが、最後に一つだけ、重要な「設定」を告げることを忘れなかった。


「ただし、一つ覚えておけ。……俺は普段、表の世界には出ない」


「へ?」


「俺には『弟』がいる。……以前、シノが出会ったあの15歳の少年だ。あいつは俺の唯一の血族であり、俺の代わりに現世を見ている『眼』だ」


 シンは淡々と嘘を重ねた。


「俺の力は強大すぎる。地上で振るえば国が滅ぶ。だから普段は、あの『弟』の姿を借り、あるいは弟を通じて指示を出している。……分かるな?」


「な、なるほど……! あの少年は、あんたの弟君だったのか!」


 ヴォルカンが膝を打つ。

 あの時、建設現場にいた少年。アレスが「弟君」と呼んでいた理由が腑に落ちた。

 そしてシノもまた、目を丸くして頷いた。


「そっか! じゃあ、あの兄ちゃんは、魔王様の弟だったんだね! すっげー! 兄弟そろって大物じゃん!」


(……単純で助かる)


 シンは内心で苦笑した。

 こうして、組織レギオン【蜘蛛アラクネ】に、二つの新たな才能が加わった。

 剛腕の鍛冶師と、天才発明家。

 彼らが作り出す武具が、やがて世界を震撼させることになるのは――まだ少し先の話である。

本日も読んでいただき、ありがとうございます!


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続きます。

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