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第13話 古き竜たちの跪拝(きはい)

「ううっ……うぐッ……!! なんと……なんと慈悲深い……!!」


 ネメシスの大通りに面した高級カフェのテラス席。  『紅蓮の獅子』のリーダーであり、街の英雄として知られるアレスは、周囲の目も憚らず男泣きに泣いていた。  原因は、店員が注文を間違えて持ってきた「ヴァニラアイス」を、主であるシンが「……まあ、ヴァニラも悪くない」と許容したこと。ただそれだけだ。


 アレスはボルトスに羽交い締めにされたまま、顔をくしゃくしゃにして地面に涙の池を作っている。 「注文を間違えた愚民すら許し、あまつさえその不手際を楽しむとは……! これぞ王の器! 万物を包み込む神の度量!!」 「……アレス、うるさい。アイスの甘みが台無しになる」 「申し訳ございません! ですが、この胸から溢れる感動が止まらず……うぐッ!?」。


 アレスが鼻水を垂らしながら叫ぼうとした、その時だった。


 ヒュッ。


 風を切る鋭い音。  刹那、アレスの鼻先の石畳に、一本の極細の「縫い針」が突き刺さった。  魔素によって硬質化した旧時代のアスファルトを深々と貫通し、震えを残す銀の光。


「……お静かに願います、若き英雄殿」


 凛とした、しかし老獪な響きを持つ声が上から降ってきた。  アレスが涙目のまま顔を上げると、そこには対照的な二人の男が立っていた。


 一人は、ロマンスグレーの髪を完璧に撫でつけ、仕立ての良い服を纏った初老の紳士。片眼鏡モノクルの奥にある瞳は、猛禽類のような鋭さを湛えている。冒険者ギルド総帥、ヴィンセント・グレイ。  そしてもう一人は、枯れ木のように痩せ細った、見るからに寿命が尽きかけの老人だ。  だが、その指先には、地面に刺さったものと同じ「針」が数本、手品のように挟まれている。  商業ギルドの最高顧問であり、この国の経済を裏で操る伝説の商人、ジェイド・バーンズ。


「な……!? ギルド総帥ヴィンセントに、ジェイドだと!?」


 アレスが目を剥いた。涙が一瞬で引っ込む。  ネメシスの武力と経済、その頂点に君臨する二大巨頭。英雄と呼ばれるアレスといえども、普段なら拝謁すら許されない雲の上の存在だ。


「主の前で、そのように泣き喚くなど……品位が疑われますぞ。騒音は商談の邪魔にしかなりません」


 老人のジェイドが、激しく咳き込みながらも静かに諌める。  アレスは「部外者が口を出すな」と反論しようとしたが、二人の視線が自分ではなく、その奥――騒動を無視して優雅にヴァニラアイスを食べているFランクの少年、シンに向けられていることに気づき、戦慄した。


「……場所を変えましょう。ここでは『目』が多すぎる」


 ヴィンセントが短く告げ、店員に金貨を一枚弾いた。  そして、流れるような所作でシンを先導し始めた。その態度は、まるで一国の王を迎える礼賓れいひんのようだった。


          ◇


 数分後。  一行は、都市中央区画に聳え立つ最高級ホテル『王家の休息ロイヤル・レスト』の最上階、貴賓室にいた。


 シンは、広大なリビングのソファに深々と腰掛け、退屈そうに足を組んでいた。  その姿は、相変わらず15歳の少年のまま。だが、室内の空気は、先ほどのカフェとは比較にならないほど張り詰めていた。


 アレスたち【四天】が困惑して見守る中、ネメシスの頂点に立つ二人がシンの前へと進み出る。  そして。


 ザッ。


 二人は示し合わせたように、シンの前でその場に膝を突いた。  老骨のジェイドですら、象牙の杖を放り出し、額を床に擦り付けた。  最上の敬意を示す、臣下の礼。


「「お久しぶりでございます、我があるじ」」


「な、なにィィィィィッ!?」


 アレスたちの顎が外れんばかりに落ちた。  ボルトスは持っていた盾を落としそうになり、ミラは「あらあら?」と目を見開いている。


「……ご苦労。予定より数日早かったな」


 シンは、さも当然のように彼らを見下ろした。


「はッ。主がこの街に『拠点』をお作りになったと聞き、居ても立ってもいられず。老骨に鞭打って馳せ参じました。……我が命の灯火が消える前に、再び御尊顔を拝せたこと、感謝の極みにございます」


 ジェイドが、掠れた声で熱っぽく答える。  アレスが混乱の極みで叫んだ。


「ちょ、ちょっと待ってくださいシン様! こいつらが配下!? いつの間に!?」 「ああ。俺がこの街に来た初日にな」


 シンは淡々と語り始めた。  五日前。シンが宿を取った夜、ジェイドの持つ能力ゼロ――『鑑定眼』が、街を歩くシンに反応した。  古今の天才を見抜いてきたジェイドの瞳ですら、『測定不能』を叩き出した存在。


 二人は恐怖と好奇心に駆られ、シンの宿を訪ねた。  そこで彼らが見たのは、15歳の少年ではなく――18歳の姿に変身し、時空すら歪めるほどの質量を持ったシンの真の姿だった。  戦闘など起きなかった。レベルが違いすぎたのだ。二人はその夜、自分たちが生涯をかけて積み上げた権力も財産も、この御方の前では砂上の楼閣に過ぎないことを悟り、魂を捧げることを誓った。


「さて、ジェイド、ヴィンセント。お前たちの忠誠は本物だ。……褒美を与えよう。枯れ木のようなその肉体、見ていられん」


 シンが、気だるげに指を鳴らした。  空中に、赤黒い幾何学模様が浮かび上がる。  【忠誠の刻印】。支配と超進化の術式。


「お前たちを、我らが組織の最高幹部……【十王】の第一席、および第二席に任ずる」


 刻印が二人の手の甲へと吸い込まれていく。  同時に、シンの膨大な魔力が『蜘蛛の糸』を通じて二人の魂へと直接注ぎ込まれた。


「ぐ、おおおおおおッ……!?」 「熱い……! 体が、作り変えられていく……!」


 二人が呻き声を上げる。  特に変化が劇的だったのは、ジェイドだった。


 バキッ、ボキボキッ……!  老人の曲がった背骨が、不気味な音を立てて逆再生するように伸びていく。  枯れ木のように痩せ細った腕に、瑞々しくもしなやかな筋肉が蘇る。  生命の砂時計が反転する。顔を覆っていた深い皺が消え去り、その下から現れたのは、透き通るような白磁の肌だった。


「こ、これは……」


 そこに立っていたのは、ヨボヨボの老人ではなかった。  身長180センチを超える、流れるような銀髪の美青年。  その顔立ちは、かつての文明が求めた黄金比を体現するような、完成された「美」を誇っていた。


 88歳の実年齢から、最も脳と肉体が活性化する25歳へ。  片眼鏡の奥にある瞳は、冷徹な理知と、女性を一瞥で虜にするような魔性を宿している。


 傍らには、50代の「最も男が脂の乗る時期」まで若返った、威厳あふれるヴィンセント。


「……おお! 古傷の痛みが消えました! 視界の鮮明さが段違いだ……これが本当の『全盛期』……!」


 ジェイドが、低く甘い美声で感涙にむせぶ。  その美貌には、ミラですら頬を染めるほどだった。


「……素晴らしい。この肉体、この力……一生、ついていきます!!」


 二人は改めて、シンの足元に額を擦り付けた。  ネメシスの経済を支配する美青年と、武力を統べる古強者。  組織【蜘蛛】に、最強の「盾」と「財布」が備わった瞬間だった。


「よし。挨拶は済んだな。アレス、仕事だ。ジェイドとヴィンセントが加わった祝いに、少し『掃除』をしてこい」 「掃除……とは?」 「スラム街だ。あそこを汚染している不浄……『黒牛団』のボス、ランドルフ。そいつを、拾って(・・・)こい」


 シンはニヤリと笑った。  新たな手駒を手に入れるための、衛生的な掃除が始まろうとしていた。

本日も読んでいただき、ありがとうございます!


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