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アネモネの約束  作者: 兎束作哉
第3章 一輪の赤いアネモネ
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case10 変わらなきゃいけない



「……ッチ、帰る時間遅くなっちまったじゃねえか」



 時刻は、午後9時を指し示しており、予定帰宅時間をとっくに過ぎていた。その間も空から連絡は何一つ入っていなかった。いつもなら、遅くなるなら連絡をよこせーというメッセージが来るのに、こちらから連絡を入れても既読すらつかなかった。着信拒否にされていないだけマシだが、電話も繋がらない。何かの事件に巻き込まれているということはないだろうと思いたいが、この街に住んでいる限り絶対も何もない。ただ祈るばかりだった。

 静かな住宅街を抜け、同居しているマンションに戻る。エレベーターがやけに降りてくるのが遅く、待っているのもあれだったため非常階段から上り5階に到着する。

 すると、部屋の前に誰かがいるのが見え、俺は急いで駆け寄った。あちら側は俺に気づかずスッと中へ入っていく。


 空がいる。今がチャンスだと廊下を走り、淡い期待を抱いて、俺はドアノブを回す。



「空!」



 ガチャリと音を立てながら扉が開き、俺は靴を脱ぎ捨て家の中に入る。だが、家の中はバカみたいに静かだった。



「……いねぇ?いや、でも確かに」



 辺りを見渡し、電気がついていない事を確認した後、足下に目をやった。そこには空の靴がきちんと揃えられており、家に帰っているのは確実だった。先ほど家の中に入った人物は空で間違いない。でなければ、空き巣が入ったと言うことになる。それも、鍵を持った空き巣。

 そんなことはないだろうと、俺はリビング、キッチン、風呂、トイレ……と順番に部屋を開けていく。だが空の姿は見当たらなかった。そうして最後に喧嘩別れしてそれを象徴するように閉じられた寝室の前まで来た。ドアノブに手をかければその部屋だけしまっているようだった。



(まだ、意地張ってんのかよ……)



 自分が悪いと分かっているが、意地を張っている空に腹が立ち、イラつきながらも俺は優しくドアを叩いた。



「おい、空、いるのか?」



 返事はない。


 乾いたドアをノックする音だけが響いて、虚しかった。

 鍵は中からしかかけられないため、そこに空がいるのは確実だった。この部屋のドアがそこまで分厚くないことは知っている。だから、寝てもない限りこちらがドアを叩いている音は聞えているはずなのだ。なのに彼奴は無視を決め込んでいる。

 その態度にまた苛立ちを覚え、今度は強めにドンっと音を鳴らしてみる。


 それでも、反応はなかった。


 これは本格的にまずいかもしれない。そう思い、もう一度強くドアを叩き声をかける。



「なあ、空いるんだろ!?頼むから返事をしてくれよ、なあ、なあって!」



 それでもあちらから返事はない。


 一瞬蹴破ってやろうかとも考えたが、そんなことしても意味がないと踏み止まった。

 感情にまかせて怒鳴り散らかしてしまえば、昨日と同じだ。自分のそういう所が嫌いだし、直したいとも思っている。俺が、空や神津や明智と並べていないと感じたのはこういうところがあるからだろう。怒りの沸点が低い子供のような性格で、精神も未熟なところがあるから。何でそうだったかは知らない。今でも大人に怒られるのもまして、姉ちゃんに怒られるのも怖い。怖いものが多すぎて、臆病で、成長の欠片も感じない。



(変わらなきゃいけないだろうが……)



 空にぶつけた言葉、きっと中学でも、高校でもいったら同じようなことになっていた。だが、大人になっても今回のようなことになっていると言うことは、かなり空を傷つけているんだろう。

 俺も空もダチを2人立て続けに失って、前を向こうと頑張っているのに、否定されたから。

 勿論それも悲しい。だが、俺は空に拒絶される方がもっと悲しかった。こんなことがなかったからだろう。気持ちの整理がつかない。

 俺は、大きく息を吸って吐く。そして、ゆっくりと口を開いた。



「空……俺が、悪かったよ、だから出てきてくれ」



 蚊の鳴くような声で俺は言う。必死に絞り出した声は情けなくてへにゃへにゃとしていて、カッコ悪い。

 だけど、これが今の精一杯だ。


 空に謝りたい。許して貰えるなら、何でもしてやる。


 そう思って、俺は待った。

 だが、いくら経っても、空からの返答はなく、俺はその場に膝から崩れ落ちる。



「ハッ……俺が悪いんだ落ち込むなよ」



 そう自分に言い聞かせる。


 泣きたい気持ちでいっぱいになると同時に、ぶわっと一気に虚しさが襲い掛かってきた。どう整理をつければいいか、そう考えぐるぐる回る思考は絡まって大変なことになっている。でも、どうにか自分を律して立ち上がりもう1度声をかけようとしたときだった。



「澪?」



 扉の向こうから、俺の名前を呼ぶ声が聞えたのだ。紛れもなく空のもので。

 俺は拒絶されていると思っていたため、俺の名前を呼んでくれた空に縋るように声を出す。



「空、悪かった、俺が、悪かったから」

「……………」

「無視しないでくれよ。頼む……出てきてくれ」



 声は聞えた、扉越しに存在は感じる。だが、あと1歩何か足りないような気がした。何かが足りない。だが、何を言えば良いか分からなかった。

 言葉を探そうにも少ない語彙力では空も自分も納得させられるような言葉が出てこない。

 そうして、俺の口から出てきたのは、彼奴には言わないと決めた言葉だった。



「……空、俺はお前がいないと生きていけない」



 苦し紛れに出たそんな本音に、俺は思わず自傷気味にハッと乾いた笑いが漏れた。



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