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アネモネの約束  作者: 兎束作哉
第3章 一輪の赤いアネモネ
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case08 仕事が手につかない



「……おい、空起きろ。俺出発するからな」



 ドンドン、と力任せに寝室の扉をたたくが、あちら側から一切反応はなかった。寝ているのかと、閉められているであろう扉のドアノブに手を掛ければ、すっとドアが開ききしぃ……とか弱い音を立てる。



「空いてんじゃねえか……」



 てっきり閉められていると思っていたために、以外で俺はそのまま寝室へと入る。朝日が差し込む暖かい寝室には、しわくちゃになった布団がベッドの上に乱雑にたたまれており、そこにいるはずの空はどこにもいなかった。ご丁寧に、部屋の換気までしておいて。



「……は?いねぇし、どこ行きやがったんだ」



 クローゼットに隠れているのかとそんな幼稚なことはしないだろうと思いつつも一応確認し、ベランダにも出たが空はそこにはいなかった。昨日、人生で初めてあれほどまでに大きな喧嘩をした後、寝室にこもってしまった空を置いて、俺はリビングで寝ていた。体はきしんでいるし、寝付けなかった。だが、それは身体的な問題で、1番寝付けない問題だったのが精神的なものだった。


 あのあと一人で後悔した。カチカチと鳴る規則的な時計が秒針を刻む音を聞きながら、俺は感情に任せ空にはいてしまった言葉を後悔した。口を閉じても今更いった言葉が口に戻ってくるわけもなく、空にその棘は刺さってしまった。

 あの時もう少し冷静になっていれば、こんなことにはならなかったのだろうと本当に悔やんでも悔やみきれない。


 俺だけではなく、俺たち2人が2人のダチを失ったのだ。俺だけの悲しみでないことは十分に理解しているはずだった。だが、切り替えて前を向いているようなそぶりを見せた空に腹が立った。結局俺は、神津の時も明智の時も泣けずにいた。泣いてはいけないとこらえていた。涙が出なかったんじゃない。必死に耐えていたのだ。俺よりもきっと悲しんでいる人がいるだろうと思って、その人に迷惑だろうと思って。


 それが正しいと思っていた。


 玄関に行けば、空の靴がなくなっていることに気が付いた。先に家を出て行ってしまったらしい。そんなこと1度もなくてこれまで一緒に出勤し、どちらかが休みであれば見送り、それを繰り返していた。それが当たり前だった。その当たり前が急に消えて、俺の中には心細さが、さみしいという感情が芽生えていた。

 たったあれだけ、数分か、数十分かの言い争いで、全てが台無しになったのだ。



「……行ってきます」



 誰もいない家にあいさつし、俺は家を出た。昨日の雨が嘘のように青空が広がっており、空に昇った太陽は俺を馬鹿にしているようにも思えた。桜もすべて散ってしまったし、次はじめじめとした梅雨が来ると。

 俺は重い足取りで職場へと向かう。部署が違うため顔を合わせないのはありがたいことたが、本当に出勤しているのかは気になるところだった。もし、家でだったら? そう考えると居ても立っても居られなかった。


 うじうじと面倒くさい人間になりながら、職場の同僚に聞けば空は出勤はしているとのことだった。そこで一応安堵したが、同僚には「お前ら喧嘩したのか?」と言われ、驚かれてしまった。同僚は、俺達が何で喧嘩したのかもその原因が何なのかも知らない。そもそも、神津のことも明智のことも知らないのだ。俺の口から言うつもりはないし、神津と明智のことは俺達の思い出の中にいればいいと思った。

 そんなこんなで、1日が始まり、すぐに態度に出る俺はミスをしてこっぴどく叱られてしまった。この姿が空に見られなくてよかったと思うと同時に、職場で空のことを考えている自分が不思議だった。家に帰れば空がいる。職場以外ではずっと一緒。だから、職場にいるときぐらいは、仕事に専念しようという話をしていたからだ。だから、こんなにも空のことを考えている自分が不思議で、女々しいと思った。



(彼奴、今何してんだ……?)



 頭の中は、空、空、空。


 彼奴のことを考えない時間はなかった。ほぼ100%俺が悪いに近い喧嘩をした後だから、どうにか謝ろうとも謝罪の言葉を考えた。だがどれも言い訳苦しくて、俺が空に放った言葉には似合わないと思った。どれだけ謝っても傷が癒せるものではないと思ったのだ。


 そうして、午前、午後と過ぎていき3時になろうとしたところだったか。

 まだ仕事もたんまり残っており、だがやる気は出ないといって机に突っ伏しているとガコンと頭をアルミ缶か何かでたたかれるような衝撃を受けた。



「何すんだ、テメェ!」



 さすがに、悪ふざけでも許さねえと、怒りの沸点が低くなっていた俺は感情に任せて怒鳴ってしまった。周りに人があまりいなくてよかった。そう思いながら顔を上げれば、そこにいた人物を見て、俺は固まってしまった。



「ね、姉ちゃん?」

「澪、アンタが仕事が手につかないっていうから呼ばれたんだが?私の時間どう返してくれるの?」



と、少し怒ったような怖い目つきで俺の名前を呼んだのは、隣の市にいるであろう姉の高嶺流だった。




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