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【BL異世界小説】花嫁は知らない世界で咲く 第十二話 「雉卵焼きと新しい商売」

夜が早かったせいか。


翌朝、まだ朝日が庭へ差し込む前には、俺も朝日も目を覚ましていた。


時刻で言えば、寅の刻。


現代で言う午前三時から五時の間だろう。


台所へ入ると、俺は昨日作った小さな壺を開けた。


中には、白く固まった豚脂が入っている。


「成功だな」


前世なら、鍋に白く固まった脂なんて嫌がられることが多い。


けれどこの世界では違う。


これは貴重な調理油だ。


「蒼様……」


火を起こしていた朝日が、こちらを見た。


「それ……まだ食べられるんですか?」


「もちろん」


俺は木の匙で白い脂をすくい、土鍋へ入れた。


しばらくすると、白かった脂がゆっくり溶けて透明になっていく。


ふわりと香ばしい匂いが立ち、台所いっぱいに広がった。


朝日は瞬きもせず、その土鍋を見つめている。


俺は雉の卵を一つ手に取り、鍋の縁で軽く叩いた。


こつん。


殻が割れる。


黄身と白身が熱い油の中へ落ちた瞬間――


じゅわっ。


台所に、朝日が聞いたことのない音が弾けた。


「……綺麗」


思わず漏れたような朝日の声に、俺は笑う。


「これは雉卵焼きだな。鶏卵で作れば卵焼き」


「卵……焼き……」


「そう」


白身の端がふくらみ、縁が黄金色になっていく。


俺は昨日の夜に作っておいた薄い木べらを使って、そっと卵を返した。


もちろん、この時代にフライ返しなんてない。


だから、台所にあった端材で自作した。


前世でYoutubeを見ながら、何でも試しに作っていた経験がこんなところで役に立つとは思わなかった。


卵がひらりと裏返る。


それを見た朝日は、目をまん丸にした。


その顔があまりにも真剣で、俺は思わず吹き出しそうになる。


焼き上がった雉卵を土皿に乗せ、塩を少しだけ振る。


「ほら」


「僕も……食べていいんですか?」


「もちろん」


朝日は恐る恐る箸で端をつまみ、口へ運んだ。


柔らかい。


香ばしい。


豚脂の匂いと卵の濃い味が、口の中にじんわり広がる。


「……っ」


朝日は言葉を失った。


十六年生きてきて、卵をこんなふうに食べたのは初めてなのだろう。


俺も一口食べ、頷く。


「塩だけでも悪くないな」


「味噌汁があれば、もっといいんだけど」


「みそ……しる?」


「ああ」


俺は笑った。


「そのうち作るよ」


朝食を終えると、俺は台所の隅に吊るしておいた豚の腸を見た。


昨日、何度も洗ったおかげで臭いはかなり落ちている。


「今日はこれを試す」


「何をするんですか?」


朝日がおずおずと尋ねる。


「料理する。それで市場で売る」


「……売る?」


「うん」


朝日は一瞬迷った後、小さく手を握った。


「あの……僕も行っていいですか?」


「もちろん」


俺は即答した。


「一人でできるわけないだろ」


朝日の表情が、ほんの少しだけ明るくなった。


俺は土鍋で豚脂を熱する。


本当は葱やにんにくが欲しい。


生姜も欲しい。


でもないものは仕方がない。


腸。


肝。


心臓。


筋。


すべて食べやすい大きさに切り、熱した脂の中へ入れる。


じゅう、と音が立つ。


しっかり脂を回してから、水を少し。


塩を少し。


あとは弱火でじっくり煮る。


「油も入れて煮るんですか?」


「そう」


朝日は頷いたが、まだ分かっていなさそうだった。


しばらくすると、台所に濃い匂いが満ちていく。


蓋を開けると、水分はほとんど飛び、具材は柔らかく煮えていた。


砂糖があれば照りが出る。


醤油があれば色も香りも良くなる。


牡蠣油なんてあったら最高だ。


だが今は塩と豚脂だけ。


それでも、悪くない。


俺は味見をする。


「うん。いける」


現代でこの見た目、この味で売るのは難しい。


けれど食文化がまだ発展していないこの町なら、銅貨一枚か二枚くらいは取れるはずだ。


「朝日」


「はい」


「小さい椀、いくつある?」


朝日は少し考えた。


「八つ……あります」


「よし」


「全部持っていく」


「え?」


「町へ行くぞ」


矢野町の市場に着いた頃には、昼前になっていた。


昨日筍を売った山菜の場所ではなく、今日は食べ物売りの並ぶ辺りを見て回る。


汁物屋が一軒。


焼き小麦餅の店が一軒。


団子屋が一軒。


俺はそれぞれの場所と客の流れを確認した後、人通りの多い路地の角にむしろを敷いた。


朝日が不安そうに俺を見る。


「ここで……売れるんでしょうか」


「試してみよう」


俺は土鍋の蓋を開けた。


その瞬間。


ふわりと香ばしい匂いが路地に広がる。


通り過ぎようとしていた中年の男が、足を止めた。


「ん?」


「この匂いは……」


俺はすぐに笑顔を作る。


「兄さん、味見していきませんか?」


「新しい豚煮ですよ」


「新しい?」


「はい」


「一椀二文です」


男は疑わしそうに鍋を覗いた。


けれど匂いには逆らえなかったのか、腰を下ろした。


「じゃあ、一つもらおう」


俺は小さな椀に、腸、肝、心臓を少しずつよそった。


そこへ筍と豚骨で取った汁を注ぐ。


男はまず汁を一口飲んだ。


「……」


目が見開かれる。


もう一口。


そして腸を噛んだ。


「おい……これ……」


男が椀を見つめる。


「豚の腸じゃないか?」


「はい」


「なのに、なんでこんなに柔らかくて臭くないんだ?」


周囲の人たちが振り向いた。


「豚の腸?」


「犬の餌じゃないのか?」


「食えるのか?」


俺はにっこり笑う。


「美味しければ、立派な食べ物ですよ」


最初の客の表情が効いた。


気付けば、人が少しずつ集まり始める。


一椀二文。


矢野町の人なら、試しに払えない額ではない。


しかも一椀あれば、粟粥と合わせて三人分のおかずになる。


「俺にも一つ」


「こっちにも」


「家の子に持って帰りたい。この椀に入れてくれ」


次々と注文が入る。


朝日は銅貨を受け取りながら、すっかり忙しくなっていた。


手元の銅貨が増えていくたびに、朝日の胸がどきどきと高鳴っているのが分かる。


「蒼……様……」


「ん?」


「売り……売り切れそうです……」


鍋を覗くと、底にわずかな汁が残っているだけだった。


俺は笑う。


「いいことだ。早く帰れる」


片付ける頃には、銅貨がずしりと重くなっていた。


朝日が一枚ずつ数える。


「百四十八文……」


一日で。


しかも昨日は捨て値でもらった豚の内臓で。


筍を売った日よりも多い。


俺は銭袋を大切に抱える朝日を見て、気付けばずっと笑っていた。


その後、椀と土鍋を片付け、俺たちは帰り支度を始める。


俺は知らなかった。


通りの向こう側にある古びた食事処の店主が。


最初から最後まで、静かに俺たちを見ていたことを。

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