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偏差値は戦である  作者: 受験孔明
第二部 再構築〜中学生活編
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第二部 第13話「現実」

第二部 第13話 現実


 面談室の空気は乾いていた。


 壁には合格実績が貼られている。


 校名は一部ぼかされている。


 だが、どの学校を指しているのかは分かる。


 附設。


 ラ・サール。


 県立トップ校。


 青雲。


 早稲田佐賀。


 弘学館。


 数字で切られた世界。


 偏差値。


 合格率。


 進学実績。


 合格最低点。


 その中に、悠真が目指しているラインもあった。


 机の向こうに座る担任は、資料から目を上げない。


 英修館でも有名な講師だった。


 難関校の卒業生。


 そのまま東京大学へ進学。


 説明は最短。


 評価は容赦なし。


 塩対応で有名だが、当たる。


「結論から言う」


 ようやく視線が上がった。


「今のままだと、届く確率は五分」


 一拍も置かなかった。


(……五分)


 悪くない。


 そう思えなくもない。


 だが、受かる側でもない。


 落ちる側でもない。


 中途半端な数字だった。


 担任は続ける。


「良い点はある」


 資料をめくる。


「配分は崩れない」


「ミスも減ってきている」


「学校と塾の両立も、前よりは形になっている」


 ここまでは肯定。


 だが。


「ただし」


 すぐに刃が来た。


「決め手がない」


 静かな言葉だった。


 だが、重い。


 もう一枚、資料がめくられる。


 志望校のライン。


 偏差値帯。


 得点率。


 最低点推移。


 担任の指が一点を叩く。


「この帯に安定して入る必要がある」


「単発じゃ意味がない」


「一回上がっただけでは足りない」


 逃げ道はない。


 担任が言う。


「どこで勝つか」


 視線がこちらへ向く。


「言語化して」


 思考を問われている。


 悠真は少しだけ息を吸った。


「選択で勝つ」


「初手で枝を切る」


「見直し固定でミスを減らす」


 担任は頷かなかった。


「普通」


 一言で切った。


「それは皆やってる」


(……)


 さらに資料をめくる。


「君の問題は、遅いことじゃない」


 担任は解答用紙の一部を指差した。


「遅くなる瞬間があることだ」


 悠真は黙った。


「ここ」


「この一拍」


「条件の優先順位が曖昧」


 短い。


 だが的確だった。


 自分でも分かっている。


 手が止まる瞬間。


 場合分けか。


 補集合か。


 数え上げか。


 式にするか。


 そこを迷う。


 一瞬だけ。


 だが、その一瞬が積み上がる。


「何を先に捨てるか」


 担任は言う。


「固定して」


 優駿に言われたことと同じだった。


 だが、重みが違う。


 友人の助言ではない。


 外側から断定される現実だった。


 担任はさらに続ける。


「あと、甘い」


 顔色一つ変えない。


「五分を七割に寄せるには、余白を削るしかない」


「部活をやめろとは言わない」


「でも、時間の切り方を変えろ」


 視線が資料へ落ちる。


「朝は使ってるか」


「使ってます」


「足りない」


 即答だった。


「夜を削れ」


「やりすぎるな」


「固定して切れ」


 言葉が短い。


 だから逃げ場がない。


 一瞬だけ間が空く。


「内申は?」


「捨てません」


「なら最短で取れ」


 また即答。


「評価は競技じゃない」


「点数と見せ方で取る」


 それだけだった。


 担任は資料をまとめる。


 面談が終わる空気になった。


 最後に、初めて少しだけ顔を上げた。


「志望は変えるな」


 一拍。


「ただし」


「現実は変えろ」


 面談は終わった。


 余計な励ましは一つもなかった。


 頑張れとも言われなかった。


 大丈夫とも言われなかった。


 ただ、現実だけを置かれた。


     ◇


 廊下へ出る。


 空気が少しだけ重い。


 壁にもたれていた優駿が顔を上げる。


「どうだった」


「現実」


 悠真は答えた。


 優駿は少し笑った。


「だろうな」


「五分だって」


「妥当」


 迷いなく言う。


「なら詰めろ」


「詰めてる」


「足りないんだろ」


 同じ言葉。


 別の口。


 だが意味は同じだった。


 優駿は廊下の掲示板を見た。


 合格実績の紙が並んでいる。


「五分ってさ」


「ああ」


「悪くないけど、勝ちに行く数字じゃない」


 悠真は黙った。


 確かにそうだった。


 五分は可能性だ。


 だが、勝負を託す数字ではない。


「七割にしろ」


 優駿が言う。


「そのために削れ」


 悠真は短く答えた。


「分かってる」


「ならいい」


 それだけだった。


     ◇


 自習室へ入る。


 席に座る。


 プリントを開く。


(どこで勝つ)


 担任の言葉が残る。


 遅くなる瞬間。


 そこを潰す。


 タイマーを短く設定する。


 一問目。


 流す。


 二問目。


 最初に枝を切る。


(先に捨てる)


 通る。


 三問目。


 罠で止まりかける。


(優先順位)


 条件。


 場合分け。


 式。


 通る。


 四問目。


 別解が浮かぶ。


(最短)


 採用。


 見直し。


 固定。


 符号。


 条件。


 桁。


(減った)


 だが、まだ何かが足りない。


 点は取れるようになっている。


 ミスも減っている。


 迷いも少し減った。


 それでも、五分。


 まだ受かる側に入っていない。


 周囲を見る。


 黒田。


 必要十分で止める。


 三好。


 足りないからやる。


 佐伯。


 最短距離で追い上げる。


 優駿。


 崩れない。


 そして、自分。


(まだ揺れる)


 距離がある。


 そう思った。


 ペンを置く。


 目を閉じる。


(どこだ)


 問いを立てる。


 答えは出ない。


     ◇


 帰宅する。


 机に向かう。


 資料をもう一度開く。


 数字。


 偏差値。


 合格率。


 五分。


(埋める)


 理屈は分かる。


 だが、何かが足りない。


 ノートを開く。


 大きく書く。


 足りないもの


 ペンが止まる。


 答えが出ない。


 そのときだった。


 奇妙な感覚が走った。


(……この感じ)


 知っている。


 どこかで。


 昔、一度だけ。


 いくら考えても突破口が見えない時。


 目の前の問題しか見えていない時。


 自分の手元だけを見て、全体を見失っている時。


 悠真は目を閉じた。


 静寂。


 そして、ふと。


 小学生の頃の記憶が浮かぶ。


 将棋だった。


 最初は目の前の駒しか見えていなかった。


 だから負けた。


 何度も。


 取れる駒だけを見て。


 守れる場所だけを見て。


 次の一手だけを見て。


 負けた。


 だが。


 一手先。


 二手先。


 三手先。


 相手の形。


 盤面全体。


 見えるものが増えた時。


 勝率が変わった。


(……同じか)


 悠真は目を開く。


 机。


 資料。


 問題集。


 現実は何も変わらない。


 だが、見方は変わった。


 今まで考えていたのは。


 問題の解き方。


 時間の使い方。


 ミスの減らし方。


 全部、自分のことだった。


 だが。


(違う)


 ノートを開く。


 新しいページ。


 大きく書く。


 盤面


 その下に線を引く。


 優駿


 黒田


 三好


 佐伯


 自分


 さらに。


 志望校


 英修館


 学校


 内申


 時間


 部活


 家庭


 書きながら、少しずつ形になる。


(戦っているのは俺だけじゃない)


 当たり前のこと。


 だが、今まで本当には見えていなかった。


 優駿には優駿の戦い方がある。


 黒田には黒田の才能がある。


 三好には三好の積み上げがある。


 佐伯には佐伯の速度がある。


 全員違う。


 同じ問題を解いているようで、本当は違う戦いをしている。


 同じ志望校を見ているようで、持っている武器も、時間も、家庭の方針も、性格も違う。


 だから。


(真似じゃ勝てない)


 悠真はペンを握る。


 自分の盤面を作る。


 自分の勝ち方を作る。


 その必要がある。


 ノートの下に、さらに書く。


 自分の配置


 朝=攻め


 夜=固定


 学校=最短で取る


 内申=保険ではなく土台


 塾=主戦場


 部活=切らないが引きずらない


 弱点=一日一つ潰す


 ミス=ゼロではなく減らす


 時間=迷いに使わない


 書き終えた時、少しだけ息が整った。


 足りないものは、気合いではない。


 努力でもない。


 量だけでもない。


 配置だった。


 どこに何を置くか。


 どこに力を使うか。


 どこを捨てるか。


 どこを守るか。


 どこで攻めるか。


 それを決めずに、ただ頑張っても勝てない。


 ノートの一番下に、最後の一行を書く。


 配置で勝つ


 ペンを置く。


 静寂。


 窓の外は暗い。


 だが、頭の中は妙に澄んでいた。


 五分。


 その数字は変わらない。


 まだ現実は厳しい。


 だが、初めて勝ち筋の輪郭だけは見えた気がした。


 悠真は小さく息を吐く。


「……そういうことか」


 誰に向けた言葉でもない。


 中学受験の頃にあった、あの奇妙な感覚。


 誰かに盤面を見せられていたような感覚。


 それはもう、ほとんど思い出せない。


 だが、痕跡だけは残っている。


 目の前ではなく、全体を見る。


 その夜。


 確かに何かが動き始めていた。


 選択では足りない。


 配置で勝つ。


 次の戦い方が、静かに形を持ち始めていた。


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