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偏差値は戦である  作者: 受験孔明
第二部 再構築〜中学生活編
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第二部 第10話「再点火」

第二部 第10話 再点火


 夕食は、いつも通りだった。


 味噌汁の湯気。


 テレビの音。


 箸の触れる小さな音。


 何も変わらない。


 だが、空気は少し重かった。


「今回、どうだった?」


 母が聞く。


「普通」


「順位、出たんでしょ」


「出た」


「どのくらい?」


 一瞬の沈黙。


「中の上」


 母は頷いた。


「安定してるね」


 褒め言葉だった。


 たぶん、本当にそう思っている。


 学校も塾も部活も、大きく崩れていない。


 親から見れば、安心できる状態なのだろう。


 だが、悠真には引っかかった。


(安定……か)


 その言葉は、少し前なら悪くなかった。


 落ちていない。


 崩れていない。


 回っている。


 それは確かに大事だった。


 だが今は、違う響きに聞こえる。


 動いていない。


 変わっていない。


 上がっていない。


 そんな意味にも聞こえた。


「内申は大丈夫そう?」


 母が続ける。


「内申は関係ない」


 反射的に出た。


 母は少しだけ眉を動かした。


 だが、強く否定はしなかった。


「関係あるよ」


 静かに言う。


「万が一があるから」


(万が一)


 その言葉が残る。


 悠真は箸を止めた。


「公立トップ校、今年も実績よかったって」


 母は続ける。


「ちゃんと見える進路だし、家から通えるし」


「学費のこともあるし」


「先生たちも、そこを目指すなら応援してくれると思う」


 言っていることは分かる。


 現実的だ。


 堅実だ。


 間違っていない。


 だが。


「俺は、そっちじゃない」


 悠真は箸を置いた。


 母は少しだけ息を吐いた。


「分かってる」


 一拍。


「附設とか、ラ・サールとか、そういうところを見てるんでしょ」


 悠真は黙った。


 否定はしなかった。


 母は続ける。


「目指すのはいいよ」


「でもね」


 声が少しだけ低くなる。


「届かなかったらどうするの?」


 空気が変わった。


 悠真は顔を上げた。


「届く」


「そう思ってるのは分かる」


 母は静かに言った。


「でも、届かなかったら?」


 沈黙。


 優駿。


 三好。


 黒田。


 新参。


 今日見た順位。


 自分の位置。


 全部が浮かぶ。


 届く。


 そう言い切りたい。


 だが、今の位置からでは、言葉だけが先に立つ。


「保険は必要だよ」


 母が言う。


「守るためだけじゃない」


 悠真は目を向けた。


「戦うためにも」


 その言葉が残った。


 守るためじゃない。


 戦うため。


 その発想はなかった。


 保険という言葉には、逃げの匂いがあった。


 届かなかったときの場所。


 負けたときの受け皿。


 第一志望から目を逸らすための準備。


 そう思っていた。


 だが、違うのかもしれない。


 保険があるから、攻められる。


 失敗したら終わりではないと思えるから、上を狙える。


 現実を見ているからこそ、無茶ではなく勝負になる。


 食事が終わる。


 悠真は部屋へ戻った。


 机に座る。


 結果の紙をもう一度見る。


(悪くはない)


 だが。


(足りない)


 その感覚も消えない。


 ノートを開く。


 昨日書いた文字。


 停滞。


 その下の余白を見つめる。


 やっていないわけではない。


 だが、やり方が変わっていない。


 だから止まっている。


 その結論までは出ている。


 問題は、ここからだった。


 その時。


 スマホが震えた。


 優駿からだった。


『やるか?』


 短い一文。


 悠真は少しだけ笑った。


 何のことかは、聞かなくても分かった。


 迷いはなかった。


『やる』


 即座に送る。


 返信。


『じゃあ明日早く来い』


 それだけ。


 だが、十分だった。


 スマホを置く。


 ノートを開く。


 新しいページ。


 大きく書く。


 再設計


 その下に並べる。


 主戦場


 保険


 削減


 まず、主戦場。


 悠真は少し考えてから書いた。


 主戦場=塾


 ここは動かない。


 全国で戦う。


 附設。


 ラ・サール。


 県外難関。


 どこを本気で視野に入れるにしても、学校の定期テストだけでは届かない。


 時間も集中も、ここに寄せる。


 次に、保険。


 保険=内申


 捨てない。


 だが、飲み込まれない。


 最短で取る。


 提出物。


 発言。


 定期テスト。


 授業態度。


 必要な点だけ押さえる。


 美しいノートを作るためではない。


 内申を落とさないために、見られる形で整える。


 次に、削減。


 無駄な時間。


 だらだらした復習。


 意味のないノート作り。


 疲れたままのスマホ。


 目的のない見直し。


 全部切る。


 さらに書く。


 時間


 朝を使う。


 夜は切る。


 場所と時間を固定する。


 疲れた夜に難問を解こうとして崩れるより、朝に短く処理する。


 夜は固定と整理。


 朝は攻め。


 最後に、もう一つ書いた。


 迷わない理解


 前に講師が言った言葉。


 分かったで終わらせない。


 流せるまで回す。


 解けた問題ではなく、時間がかかった問題を潰す。


 間違いではなく、迷いを減らす。


 ペンを置く。


(やることは決まった)


 それだけで、少しだけ胸の奥が熱くなった。


 翌朝。


 まだ暗いうちに目が覚めた。


 アラームより早い。


 部屋は冷えている。


 布団から出るのに少しだけ迷った。


 だが、迷ったまま起きた。


 机へ向かう。


 確率のプリントを開く。


 昨日、時間がかかった問題。


 解けなかった問題ではない。


 解けたが、迷った問題。


 そこをもう一度解く。


 一回目。


 流れを確認する。


 二回目。


 手順を短くする。


 三回目。


 時間を測る。


(昨日より速い)


 別解が先に見える。


 条件の整理も早い。


 少しだけ正確だ。


 小さな変化。


 だが、確かだった。


 学校。


 授業で一回だけ手を挙げる。


 確実に取る。


 無理に目立つ必要はない。


 発言するための発言はいらない。


 評価される場面で、正確に出す。


 昼休み。


 提出物を整える。


 色は増やさない。


 余白を整える。


 見出しを入れる。


 先生が見る場所だけ、分かるようにする。


(これでいい)


 放課後。


 部活を全力でやる。


 走る。


 声を出す。


 ボールを追う。


 部活は削らない。


 だが、終わったら切り替える。


 余韻に浸らない。


 スマホを開かない。


 塾へ向かう。


 英修館の教室に入る。


 優駿がいる。


「早いな」


「そっちもな」


 二人は席に着く。


 問題を開く。


 ペンを持つ。


(迷わない)


 一問目。


 流す。


 二問目。


 選択を速くする。


 三問目。


 詰まる。


 戻す。


 通る。


 終える。


 見直す。


 ミスが一つ減る。


 優駿が横で言う。


「顔、違うな」


「そうか」


「まあな」


 軽く笑った。


「それでいい」


 授業後。


 小テスト。


 満点。


 以前なら、それだけで少し満足したかもしれない。


 だが、今日は違った。


 満点は取るべきものだった。


 そこで止まるものではない。


 悠真はノートに小さく書く。


 固定


 次へ進む。


 帰宅。


 机に向かう。


 今日は決めた時間で切る。


 やりすぎない。


 明日に残す。


 リズムを守る。


 疲れている時に無理に深掘りしない。


 深掘りは朝へ回す。


 夜は、整理と固定。


 机の上に、ノートが開かれている。


 再設計。


 主戦場。


 保険。


 削減。


 その文字が、いつもよりはっきり見えた。


 静かな部屋。


 だが、内側の火は違う。


 消えていなかったものが。


 形を持ち始めている。


(万が一)


 その言葉は消えない。


 だが、もう飲み込まれない。


 保険は取る。


 だが、主戦場は動かさない。


 二つを同時に回す。


 守るためではない。


 攻めるために。


 悠真はノートを閉じた。


 小さく頷く。


「……やる」


 今度は曖昧ではない。


 はっきりとした意志だった。


 中学受験の頃の声は、もう遠い。


 誰かが命令してくれるわけではない。


 背中を押してくれる気配も、今はほとんどない。


 だが。


 消えたわけではなかった。


 残り火はあった。


 そこに、自分で火を入れる。


 それが、今の戦いだった。


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