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吸血鬼。The Vampyre.  作者: ジョン・ウィリアム・ポリドリ博士 Dr.John William Polidori/萩原 學(訳)
補遺
52/52

『吸血鬼』とフェミニスム

1. スタール夫人のこと


平岡公彦氏がボードレール『悪の華』翻訳ノートに於て、スタール夫人がボードレールに齎した影響について触れている。参考文献に入れておくので、ぜひご覧ください。


ネッケルの一人娘に生まれ、フランス革命を終生の誇りとしたスタール夫人は、フェミニスムの先駆けでもあった。

ナポレオンに対して愛憎半ばする複雑な想いがあったようで、その点を取り上げればベートーヴェンにも似た立場にあったとも言えようか。

残念なことに、彼女の著作は大半が翻訳されていない。最近の自称フェミニストたちは鼻息荒くも「フェミニズムを学ばなければならない!」と主張しているそうで、それならスタール夫人も基礎文献として、さぞ翻訳が捗るに違いないと期待していたのだが。新刊は、小品集『三つの物語』がルリユール叢書から出たくらいだ。主著扱いの『ドイツ論』でさえ、古本でしか読めない。この有り様で、フェミニスムの何を学べというのやら。


2. ポリドリ博士『吸血鬼』


そしてこの人は、ポリドリ博士『吸血鬼』序文代わりに引用された「ジュネーブからの手紙」にその名を遺している。

(以下引用)

ここにはボネの住居もあり、その数歩先にはあの驚くべき女性、スタール夫人の家。おそらくは女性として、しばしば主張される貴族男性との平等性を実際に証明した最初の人であろう。なるほど以前から、興味深い小説や詩を書いた女性もあり、客間で人を観察する如才なさを役立ててはいる。しかし、エロイーズよりこのかた、男性機能が女性に受け継がれた例はない。ここでも男性は退き下がることなく、エロイーズに於けると同様、彼女の作品を触発したシュレーゲルという人物に、アベラールの存在が窺えると主張する。

Here too is Bonnet's abode, and, a few steps beyond, the house of that astonishing woman Madame de Stael: perhaps the first of her sex, who has really proved its often claimed equality with the nobler man. We have before had women who have written interesting novels and poems, in which their tact at observing drawing-room characters has availed them; but never since the days of Heloise have those faculties which are peculiar to man, been developed as the possible inheritance of woman. Though even here, as in the case of Heloise, our sex have not been backward in alledging the existence of an Abeilard in the person of M. Schlegel as the inspirer of her works.

(以上引用)

この「手紙」を書いたのが誰であるかは不明。The Diary of Dr. John William Polidori を公刊したロセッティの序文では、女性ではないかという。バイロン卿への傾倒に反し、スタール夫人への反発がかなり感情的に見えるからである。筆者も賛成したいところだが、この時代に海外で活躍する通信員で女性というのは先ず有り得ない。僅かな例外がメアリ・ウルストンクラフトという女傑で、女の子を産んで間もなく亡くなった。

その子は母の名をとってメアリと(なづ)けられ、父ゴドウィンと母ウルストンクラフト双方の氏を名乗った。メアリ・ウルストンクラフト・ゴドウィン、後のメアリ・シェリー。すなわち『フランケンシュタイン、あるいは現代のプロメテウス』作者、その母である。逆に言うと、『吸血鬼』作者のポリドリ博士を直接に知る女性が、英国第一のフェミニスムを担った女性の娘だった。


3. ポリドリ博士の日記


ネッケルの娘であるスタール夫人はさらに、意外なところで『吸血鬼』に関わってくる人でもある。これは今まで指摘されていないようだが、ポリドリ博士の日記に曰く。


(以下引用)

5月25日-ローザンヌを発ち、ある書店で4ルイの悪書コレクションを見せられた。デュワーに聞いてみたが、知らないものだそうだ。 湖に沿って歩いたところが、少々残念なことに、思ったほど広くはない。湖の近くの山々は、雪に覆われ、湖自体の高さのせいで、それほど大きくは見えない。遠くにモンブランが、60マイル以上は離れていようか、雲の合間に幽玄な姿を見せていた。伝説的な土地を我々は通過する。ボナパルト、ジョゼフ、ボネ、ネッケル、スタール、ヴォルテール、ルソー、みんな別荘を持っている(ルソーを除く)。道沿いにはジェントッド、フェルニー、コペ。

May 25.—Left Lausanne, after having looked at a bookseller's, who showed me a fine collection of bad books for four louis. Enquired for Dewar: name not known. We went along the lake, that a little disappointed me, as it does not seem so broad as it really is, and the mountains near it, though covered with snow, have not a great appearance on account of the height [of the] lake itself. We saw Mont Blanc in the distance; ethereal in appearance, mingling with the clouds; it is more than 60 miles from where we saw it. It is a classic ground we go over. Buonaparte, Joseph, Bonnet, Necker, Staël, Voltaire, Rousseau, all have their villas (except Rousseau). Genthoud, Ferney, Coppet, are close to the road.

セシュロンに到着。……バイロン卿が自分の年齢を100歳と書いたところ、30分後に宿の主人から手紙が着くとは。……小説にでもなりそうな話だ、またしてもブドウ畑の土地から始まる。女性たちは、ペイ・ド・ヴォーまで見窄みすぼらしい様子だったのが、大きく様変わりした。

We arrived at Sécheron—where Lord Byron, having put his age down as 100, received a letter half-an-hour after from Inn Keeper?—a thing that seems worthy of a novel. It begins again to be the land of the vine. Women, who till the Pays de Vaud were ugly, improving greatly.


5月27日-起床。ボートを探しに行き、1日3フランのボートを手に入れ、セシュロンまで漕ぐ。朝食。 馬車に乗る。 銀行家のところへ行き、両替をしてもらうと、その後名刺を置いていった。ピクテ氏を訪ねるも不在。家に帰ると、勘定を見て、私としては面白くなかった。ボートに乗り、ディオダティ荘まで漕いで渡る。イギリス人家族のため、3年も居れない。再び渡るに、私は前向き(舵取り)、バイロン卿は後ろ向き(漕ぎ)。 舟から上がると、バイロン卿はメアリ・ウォルストンクラフト・ゴドウィンとその妹、そしてパーシー・シェリーと会いにいった。私はレマン湖の真ん中へボートを乗り出し、揺蕩う舟に身を任せた。


May 27.—Got up; went about a boat; got one for 3 fr. a day; rowed to Sécheron. Breakfasted. Got into a carriage. Went to Banker's, who changed our money, and afterwards left his card. To Pictet—not at home. Home, and looked at accounts: bad temper on my side. Went into the boat, rowed across to Diodarti; cannot have it for three years; English family. Crossed again; I went; L[ord] B[yron] back. Getting out, L[ord] B[yron] met M[ary] Wollstonecraft Godwin, her sister, and Percy Shelley. I got into the boat into the middle of Leman Lake, and there lay my length, letting the boat go its way.

ド・ロッシェから、明日の朝食に招待する手紙があった。どうかバイロン卿によろしくとのこと。

食事。『マブ女王』の作者パーシー・シェリー来訪。はにかみ屋、内気、肺病患い、26歳、妻とは別居中。

ゴドウィンの2人の娘を預かり、彼の理論を実践中。うち一人はバイロン卿の(女)。

Found letter from De Roche inviting me to breakfast to-morrow; curious with regard to L[ord] B[yron]. Dined; P[ercy] S[helley], the author of Queen Mab, came; bashful, shy, consumptive; twenty-six; separated from his wife; keeps the two daughters of Godwin, who practise his theories; one L[ord] B[yron]'s.

カラシュに乗り込み、ジュネーブの時計店へ。時計に支払ったのは、バイロン卿15ナップ、私は13。リピータといい、分針といい、とんでもない時計だ。

Into the calèche; horloger's at Geneva; L[ord] B[yron] paid 15 nap. towards a watch; I, 13: repeater and minute-hand; foolish watch.

ネッケル婦人の邸宅を見に行く、半年で100。帰宅。

Went to see the house of Madame Necker, 100 a half-year; came home, etc.


6月1日。シェリーと朝食。カラシュに乗り込み、ネッケル邸を100ルイで8日か、365日借りる。シェリーの家も少々見繕う。良さげなもの1軒。食事をし、小舟に乗り、皆でお茶をした。

June 1.—Breakfasted with S[helley]; entered a calèche; took Necker's house for 100 louis for 8 or 365 days. Saw several houses for Shelley; one good. Dined; went in the boat; all tea'd together.


6月10日-9時に起床。ディオダティに行くための準備をし、勘定などを済ませた。 3時に出てディオダティへ行く。夕食に帰り、戻る。シェリー他の連中がお茶を飲みに来て、11時まで話をした。 私の部屋はこんな感じだ:

June 10.—Up at 9. Got things ready for going to Diodati; settled accounts, etc. Left at 3; went to Diodati; went back to dinner, and then returned. Shelley etc. came to tea, and we sat talking till 11.

(以上引用)


バイロン卿一行がセシュロンに到着したのは5月25日、ジュネーブのディオダティ荘に入居したのは6月10日だった。セシュロンは、今ではジュネーブの一街区だが、当時は「ジュネーブ共和国」の外にあったようである。

そして、この日記では Diodati と Necker's house が入り乱れ、6月1日の契約ではネッケル邸を借り、10日にはディオダティ荘へ入ったようにも読める。ネッケル邸とはディオダティ荘のことだった?以降の日記に「ネッケル邸」はなく、Diodati とあるのみ。こうなってくると、「ディオダティ荘の怪奇談義」の話も些か怪しくなってくる……さてはて。


4. ポリドリ博士とメアリ・ウルストンクラフト・ゴドウィン


トマス・ムーア『バイロン卿の生涯』に拠れば、ポリドリ博士は、メアリ・ウルストンクラフト・ゴドウィン(当時は未婚)に手を貸そうとして足首を捻挫した。けれど、バイロン卿の煽りに応えたまでであって、彼女に懸想したなどという事実はない。


(以下引用)

 またある時、先述の婦人が雨上がりに、ディオダティ荘への坂道を登っていた時、バイロン卿はポリドリと一緒に露台に立っていて、彼女を見るや後者に言い放った。「さあ、男らしくありたいなら、この程度は飛び降りて腕くらい差し出せ」。ポリドリは斜面の一番易しいところを選んで跳んだところが、地面が濡れていたため足が滑り、足首を捻挫してしまった。バイロン卿は即座に彼を運び入れ、足に冷水を載せるのを手伝った。ソファに寝かせた後、彼が不安そうにしているのを察して、自ら階段を上り自分で階段を上って(足が不自由なため苦痛で不快な運動だったが)枕を取ってきてやった。「まあ、私もあなたが本気で言っているものとは思いませんでしたがね、」というのが、ポリドリの優雅な言葉だった、高貴な詩人の眉を曇らせないように気遣ったものであろう。

Another time, when the lady just mentioned was, after a shower of rain, walking up the hill to Diodati, Lord Byron, who saw her from his balcony where he was standing with Polidori, said to the latter, "Now, you who wish to be gallant ought to jump down this small height, and offer your arm." Polidori chose the easiest part of the declivity, and leaped; —but the ground being wet, his foot slipped, and he sprained his ankle, *3 Lord Byron instantly helped to carry him in and procure cold water for the foot; and, after he was laid on the sofa, perceiving that he was uneasy, went up stairs himself ( an exertion which his lameness made painful and disagreeable ) to fetch a pillow for him. " Well, I did not believe you had so much feeling, " was Polidori's gracious remark, which, it may be supposed, not a little clouded the noble poet's brow.

(以上引用)


人を(けしか)けて遊ぶバイロン卿の方が人が悪いのか、ポリドリ博士に煽り耐性が無さ過ぎたのか、おそらくは両方であろうが、結果としてポリドリ博士は足首を捻挫して歩けなくなってしまった。どうやら「ディオダティ荘の怪奇談義」も、歩けなくなったポリドリ博士に付き合ってのことだったようだ。まあ、どちらにとっても不名誉な出来事を誰しも吹聴したくは無かっただろうから、そんな裏事情は伏せられたまま「ディオダティ荘の怪奇談義」として広められるに差し支えあるまい。ただ、「タンボラ火山の噴火により、云々」などという理由付けに意味がないのは指摘しておきたい。

それはさておき、ポリドリ博士の作品にフェミニスムの影響は認められない。『フランケンシュタイン』(第2版)序文では、作者メアリ・シェリーがポリドリ博士を含むバイロン卿一行の思い出を語るものの、時間が経ったからか、ポリドリ博士の日記からはズレがあるようでもある。とはいえ、片や舞台に上がる「吸血鬼」イメージをすっかり書き換え、片や舞台に上がる * * * (名無しの怪物)を生み出した作者なのだから、後の映画に繋がるゴシック/ホラーの映像を歴史に刻んだ、ある種の始まりを共にした2人であると言っても言い過ぎではあるまい。あるいは、吸血鬼とフェミニスムは共に、19世紀初頭という近代の産物であった。21世紀初頭に改めて、その意義を問うてみるのも一興というものであろう。

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参考文献

Wikisource: The Vampyre
翻訳の底本にした単行本の電子書籍版。原典影印つき
Internet Archive: The New Monthly Magazine 1819-04-01: Vol 11 Iss 63
初出の掲載誌影印本。些か読みにくいのが難点
The New Monthly Magazine 1819-05-01: Vol 11 Iss 64
ポリドリ博士の抗議が掲載された5月号
The Vampyre (in Short Ghost and Horror Collection 011)
LibriVox にある朗読
The diary of Dr. John William Polidori
The diary of Dr. John William Polidori
作者の甥ロセッティが編集発行した日記。編者による序文つき
The Vampyre as a literary war on the image of Greece
The Byron Society に収録されたKonstantina Tortomani さんの論文
Peter Cochran’s Website – Film Reviews, Poems, Byron…
バイロン研究家、ピーター・コクラン氏のサイト。バイロン卿の手紙あり
The Vampyre;A New History
Nick Groom による吸血鬼の歴史
Polidori’s ‘The Vampyre’: Composition, Publication, Deception
Nick Groom 2021年の論文
POLIDORI'S THE VAMPYRE
The University of Queensland, Australia Contact Magazine
ハムレット
第1幕第2場
Wikipedia
メドヴェジャ Medvegja
Arnold Paole
コシツェ
天国 (イスラーム)
パウサニアス (地理学者)
Jean Marc Jules Pictet-Diodati
calèche
Sécheron
リピーター(時計)
Suzanne Curchod(Madame Necker)
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