結
三部構成だったはずが、うっかり長くなりました。
この話で、人魚のお姉さんたちが海の魔女であるルールリーゼへの態度がそうキツくなかった理由も明らかになります。
陸の国では、一人の少女が行方知れずになったと騒ぎが起きている。
消えた少女の想い人は、妻と共に彼女を探しているらしい。自分の子供のように愛したマリアンヌを、兵を投じて捜索している。
それを鏡で確認した時、何も知らぬ王子を呪い殺してやりたいと思った。
もう彼女はどこにもいない。泡になり、風となり、天へと昇っていってしまった。
どうして気づかないのだ、お前は。
私の友はお前を愛し、お前の愛を得られず消えてしまったというのに。
どうして微塵も、それに気づこうとしないんだ。
どうしてあの子の死を、泣いて悲しむことすらしてくれないんだ。
マリアンヌが死んで一週間が過ぎた。
もう身動きが取れるようになっても、ルールリーゼは寝台に沈み込んでピクリともしない。
「まったくあんたという奴は、人の話を聞きゃしないんだから」
どこで話を聞いたのか、普段己の森から出ぬ大婆がルールリーゼの家へとやってきた。魔女の長は我が物顔で椅子に腰掛け、自分で入れた茶を啜る。
「アタシは言ったろう。あの末姫は遊びでなく、本気で王子を愛してるって。愛した男を奪った女ならともかく、愛した男自身を殺すことが出来る女なんてそういない。狙うなら、あの王子の花嫁を選んだ方が良かったね」
「……大婆様」
「まぁ、あの姫様の性格を考えりゃそれも出来ないだろうね」
大婆は胸の底から大きなため息をつくと、懐から短剣を取り出す。
マリアンヌが海へと投げ捨てた、解呪の短剣。だが今は付与した力を失い、元の豪奢なだけの刃に戻っていた。
「ったく……刻限付きの欠陥品とはいえ、その年で命に関与する魔具すら作るなんてね。あんたの魔女としての才能には、常々驚かされるよ」
「でも、結局、駄目だった」
身を起こし、ぽつりとルールリーゼは呟く。
真紅の魔女の眼に雫が浮かび、涙がつぅっと頬を伝い落ちる。
「どれだけ才があっても……マリアンヌを助けられなかった……。私は結局、あの子のために、何にも出来やしなかった……!」
「何言ってるんだい、この馬鹿孫娘は」
腰を上げた大婆は、ポカリと杖でルールリーゼの頭を小突いた。
それから再び椅子に沈み込み、しゃがれた声で説明し始める。
「これで良かったのさ。どう足掻いたところで、アタシらの魔術で命を得てしまったあの子は救われない。出来た最善はただ一つ。今の夢も恋も命も諦め、投げ捨ててアタシの、魔女の契約から解き放たれることだけさ」
昔あんたが言ったとおり、死ぬしかなかったんだよ。と、大婆は語る。
魔女と契約した者もまた魔女となる。神は魔女を許さず、人は魔女を認めはしない。魔術によって魂を得た罪で、地獄に落とされるしかなかった。
マリアンヌは間違えてしまったのだ。王子の愛と神の了承を得るために、ルールリーゼたち魔女に縋った。その時点でもう叶わぬ恋だったのである。
「けどあの子は嘆いちゃいないよ。それを多少悲しくは思ってはいただろうが悔いはないだろうさ。あの子は、愛した男を殺したくなかった。愛した王子を殺すくらいなら、自分の死を選んだ。末姫様は、自分の愛に殉じたんだ」
「愛に、殉じる……」
「例えあんたらを悲しませることになっても、ね。だから最後、謝ったんだ」
「…………」
「納得いかないって顔だねぇ……まぁ、友愛は経験しても恋愛を経験したことのないあんたには、まだ分からんだろうさ」
カップの中のお茶を煽り、御代わりを注ぎながら大婆は語る。
寂しげで、懐かしそうな面持ちで。
「あんたはアタシに似てるよ。アタシも昔、あんたと同じように人間に恋して死んだ人魚の友達がいた。その子が自分で死を選んだ時、アタシも納得がいかなかったんだ。同然だ……理解するのと納得するのは、別もんだから」
「……じゃあ、どうしてマリアンヌを止めなかったんですか?」
「前に言ったろ、止めても聞かなかったって。まぁ、理由はそんだけじゃないけどね」
意味深な大婆の言葉に、ルールリーゼは首を傾げる。
するとクツクツと笑いながら、大婆は曾孫の短くなった黒髪を撫でながらこう尋ねかける。
「ルル、あんた……『輪廻転生』って知ってるかい?」
「……? なんですか、それ」
「人間の持つ哲学・思想のこった。ここから東の国で知られる宗教のもんだね。死んで彼の世に還った魂は巡り、幾度とこの現世に戻ってくる。そういう考えだよ」
「でも、人魚は魂を持たないじゃないですか」
人魚は長寿な代わりに永遠の魂を持たない。一生を終えて死ぬ時、彼らは虚ろな泡となって消えいく……マリアンヌのように。
「そうだね。けど、魂を得る方法はあるのさ。アタシらに縋る以外にね」
「え?」
今まで知らなかったことに、ルールリーゼはきょとんとする。そんな曾孫の間抜けな顔が面白いのか、大婆は欠けた歯を見せ、笑いながら言う。
「あのお姫様は泡になり、泡は蒸発して天に昇った。その蒸気は風になる。天にはね、人魚と同じように魂を持たぬ『風の者』がいるんだ。だが、そいつらは人魚と違って……善行を積めば神に許され、人間と同じ魂を授かるんだと」
そこまで聞くと、ルールリーゼはハッと目を見開いて大婆を見る。
気難しい顔か、意地の悪い笑みばかりの大婆は、その時だけは柔らかな微笑を浮かべていた。
「それは、つまり」
「あの姫様は数百年後、永遠の魂を得て人間になる。その頃には王子も年食って死んで輪廻を巡り、また人間として転生する。……今は叶わない恋だった、だが来世ではきっと結ばれるさ」
魔女の長にそう言われ、ルールリーゼは自嘲の笑みを浮かべて俯く。
「私、無意味なことしかしていなかったのね」
「まったくだ。優秀だが聞き分けの悪い弟子を持って、アタシはホントに頭が痛い限りだよ、ルル」
「……私、破門になります?」
尋ねると、大婆は顔をしかめて首を振る。
「あんたみたいな半端に強い奴を放り捨てるなんざ、自殺行為にしかならんよ。ルルにはちゃんとした知識も技術も身につけて、早く一人前の魔女になってもらわな困る。もうアタシは、四千年も生きた老いぼれ婆なんだ。いい加減、権力争いの喧しい俗世を離れて、隠居したいもんだ」
「はい……分かりました」
ルールリーゼは机に置かれた短剣を撫でながら、頷く。
王子への憎しみ、怒りはまだある。だが燃え上がるように強かったそれは、今は燻る程度にまで弱まっていた。
今のルールリーゼがするべきことは、友を失う原因になった男に復讐することなければ、友を失ったという不幸に酔いしれて嘆くことでもない。
ちゃんと魔女としての修行を積むこと。知識を補い、自戒して、過ちを犯さぬこと。
そして、友の幸せを願って待つことだ。
「私、見守ることにします。マリアンヌが……マリンが幸せになるのを」
そう自分に言い聞かせるように呟けば、大婆はカラカラと笑った。
「そうだ。その調子で頑張りな、ルル」
それだけ言って、大婆は己の森へと帰った。
◇◇◇
マリアンヌの死から、数百年が経った。
その頃には人の国はすっかり顔ぶれを変え、人魚の国も多少変わっている。かつて国を統治していた王は退位し、今は長女とその夫が国を治める。今年は三人目の子が誕生したことで、人魚の国はお祭り騒ぎだ。
対するルールリーゼの姿は、数百年前とそう変わりない。
いや、成長はしている。だがその成長した姿は、数百年前に周囲に見せていた『未来の自分』の姿だった。
人魚は不老長寿で知られるが、海の魔女はそれ以上に長い命を持つ。成長・老化も格段に遅い。おそらく、黒い魔女の血によるものだろう。
「あの子、知ってたかしら」
虐められていたのを助けてもらったとき、年月だけで言えばルールリーゼはマリアンヌよりずっと年上だったということを。
そして年下扱いされるのが嫌だったため、常に魔術で仮初の姿を――――マリアンヌと同い年くらいの姿を、見せていたことを。
ルールリーゼには懸念があった。幼い頃、自分を虐めた人魚の少年たちのように、マリアンヌが魔女は成長が遅いことを馬鹿にし、そうでなくともからかってくるのではないかと。そう危惧していたのだ。
年下、格下であると見なされるのではないかと。
「今思えば、馬鹿な予想でしかないけどね」
大鍋の薬を掻き混ぜながら、クスクスと一人苦笑する。
本来の姿であっても彼女はきっと、変わらぬ態度で対等に接してくれただろうに。だがそれを信じられないくらい、自分は臆病だったのだ。
ルールリーゼはマリアンヌが好きだった。マリアンヌは友と思ってくれていたが、ルールリーゼは彼女を友であると同時に姉のように思っていた。
背伸びする生意気な子供に、美人で明るく快活とした姉。
数百年経った今なら分かる。王子への負の感情は、怒りや憎しみだけではない。友であり姉のようなマリアンヌを横から掻っ攫われたという、幼子特有の嫉妬もこもっていたのだ。
「昔の私は、軽くシスコンだったわね……」
未熟で幼稚だった己を反省しながら、薬を煎じて瓶に詰める。
それから、鏡で外の世界を眺める。今まで戦争が繰り返されていた国々は、喧嘩に疲れて戦を止め、今度は友好を図ろうとしていた。急激に下がっていた景気は、少しずつ右肩へ上ろうとしている。
これで飢餓も病の流行も、減っていくだろう。
「やっぱり平和が良いってことね」
と思っていると、鐘の鳴る音が聞こえた。
どうやら、今鏡面に映している街で結婚式が行われているらしい。
遠目で白いドレスとタキシード姿の男女が、教会から出て来た。二人は参加している人々から拍手を送られている。そういえば、結婚式というものを見たことがない。ルールリーゼは好奇心に駆られ、新郎新婦に注目した。
見目麗しい男女は、照れくさそうにはにかんでいる。男は温和で優しげな好青年。女は天使のように可憐で、澄んだ美しい声をしている。
「あれ……?」
あまりにも見覚えのある顔と、声。雰囲気もえらく似ている。
そのことに一瞬驚いたが、すぐその顔に笑みが浮かぶ。
ブーケを投げた、幸せそうな花嫁の笑顔。そんな妻を見守る、優しい花婿の微笑み。二人は心から幸福という顔で、口付けを交わす。
ルールリーゼは鏡の向こうから、そっとエールを送る。
「おめでとう、マリアンヌ」
輪廻を巡り再会した二人は、最後まで幸せな一生を遂げた。
これで完結となります。
童話になぞらえるように書きましたが、一応ハッピーエンドです。
ちょっとした補足
人魚の寿命はおよそ300から500年。魔女はそれの十倍といったところ。年の取り方も魔女は人魚の数倍かかります。
陸に出ることを許可されたマリアンヌが人間で言う15歳だったのに対し、ルールリーゼは本来、10から12歳くらいの外見でした。
精神は冷静に推察出来る程度はあるも、幼さが抜けきっていない状態。