表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

1/6

第1回 還る場所

いつも作品を読んでいただき、ありがとうございます。


本日より、新シリーズの連載をスタートいたします。

この新シリーズの記念すべき第1話は、2022年に公開したショートホラー『帰ってくる…』を大幅にリメイクした作品となります。


4年の時を経て、物語の骨組みはそのままに、より生々しく不気味な恐怖描写を肉付けしました。さらに、シリーズ全体のストーリーテラー(狂言回し)として「古い図書館を徘徊する、無感情なゴスロリ風の少女」を迎え、世界観を一新しております。


かつて原作を読んでくださった方も、今回初めて読んでくださる方も、新しく生まれ変わった恐怖の形を楽しんでいただければ幸いです。


それでは、終わらない悪夢のページをお開きください。

 薄暗く、埃の舞う古い図書館。

 その高い書架の間を一人の少女が足音もなく歩いている。

 漆黒のレースとフリルをあしらったゴシック・ロリィタ服を身に纏い、手にした小さな傘をパタパタと無聊そうに弄んでいた。


 ふと、少女の白い手が、ある一冊の本の前で止まる。

 それは周囲の書物とは明らかに異なり、ひどく湿り気を帯びていた。


「……ようこそ、迷い子の皆さん」


 少女は感情の失せた、抑揚のない声で呟く。

 棚から引き抜かれた本の表紙からは、かすかに生臭い潮の匂いが漂っていた。


「愛という言葉は、とても都合が良いものです。生きていようと死んでいようと、相手を自分の手元に縛り付ける免罪符になるのですから。……おや、この本のページ、少し濡れていますね。どうやら、海から這い上がってきた『愛』が、ここまで戻ってきたようです」


 少女は虚ろな瞳のまま、ゆっくりと本を開いた。

 その瞬間、めくられたページからドクドクと黒い海水が溢れ出し、見る間に視界を真っ暗に染め上げていく――。



「なぁ、聞いてくれ」


 俺は社員食堂の隅の席で、同僚の徳田に向かって声を潜めた。


「去年、妻が亡くなっただろ」


「あ、ああ、そうだったな。大変だったろ」


 俺は去年、妻の透子とうこを亡くした。

 大恋愛の末、親の激しい反対を押し切って結婚した。

 子どもには恵まれなかったが、二人きりで本当に幸せな生活だったと思う。


「それでなんだがな……あいつが、戻ってくるんだよ」


「お前……大丈夫か? 疲れてるんだよ」


 親友の心配そうな目も無理はない。だが、事実なのだ。


「あいつを墓に納骨した、次の日の朝だ。……墓にあるはずの骨壺が、リビングのテーブルの上にぽつんと置いてあったんだよ」


「いや、戻ってきたって……。あれだろ、別れるのが辛くて、お前が無意識に持って帰ってきちゃったとかさ」


「俺もそう思った。だから今度は、念のために弟に付き添ってもらって、しっかりと墓に納めたんだよ……だけど、次の朝にはやっぱり部屋に戻ってた」


「……」


 徳田の顔から、さっきまでの軽薄な笑みが消えた。

 彼は腕を組み、しばらく考え込んでから言った。


「よし、じゃあ百歩譲って、戻ってくるのが本当だと仮定しよう。……あれじゃないか? 奥さんに何か強い心残りがあるんだよ。生前、死んだら『こうしてくれ』なんて言ってたことはないか?」


「あいつの遺言……」


 何か無かっただろうか。あいつが愛おしそうに語っていた、生前の言葉。


「そう言えば、結婚したばかりの頃に言っていたな。『海が好きだから、もし私が死んだらきれいな海に還してね』って」


「それだよ! きっとそれだ。狭くて暗い墓に閉じ込められたから、奥さんは嫌がって戻ってきたんだよ」


「そうか……! そうと決まれば、早速海に散骨してみるよ」


 霧が晴れたような気分だった。

 これでもう、あいつを窮屈な思いにさせなくて済む。


 その週末、俺はあいつの生まれ故郷の海へ向かった。

 波打ち際で骨壺を開け、真っ白な遺骨をすべて風に、そして青い海へと還した。

 サラサラと水面に溶けていくあいつを見て、ようやく肩の荷が下りた気がした。


 ――だが、本当の恐怖は翌朝だった。



 朝、目が覚めると、部屋の中に奇妙な匂いが充満していた。

 生臭い、潮の匂いだ。


 怪訝に思いながらリビングへ向かった俺は、息を呑んだ。

 昨日、海の底へ沈んだはずの、あの空っぽの骨壺がテーブルの上にあった。


 それだけではない。

 骨壺の周りには、ベッタリと濡れた砂がこびりつき、中からはチャプチャプと水音がする。

 覗き込むと、並々と満ちた海水の中に、昨日撒いたはずの「濡れた遺骨」が、一欠片の狂いもなく全て収まっていたのだ。


 まるで、あいつが自ら海底を這いずり、骨を拾い集めて戻ってきたかのように。


■■


 それからしばらくして。


「それで……奥さんの散骨、うまくいったのか?」


 社員食堂で、徳田がおそるおそる尋ねてきた。俺は静かに頷く。


「ああ、海にしっかりと撒いてきてやったよ。あいつの生まれ故郷の、大好きな海にな」


「そうか、それじゃあ、もう……」


「だけどな……」


 俺は足元に置いていたビジネスバッグから、ゆっくりと骨壺を取り出しテーブルの真ん中に置いた。

 まだ少し湿り気を帯びたそれを。


「また戻ってきたんだ。……で、やっと気づいたよ。あいつ、死ぬ直前にも言ってたんだ。『この先もずっと、あなたとだけは離れたくない』って。全く、どこまで可愛い奴なんだろうな」


 愛おしそうに骨壺を撫でる俺を、徳田は引き攣った顔で見つめていた。

 何か人間ではない恐ろしいものを見るような目で。

 彼はガタガタと椅子を鳴らして立ち上がると、「よ、良かったな……」とだけ絞り出し逃げるように去っていった。


『死が二人を分かつまで』と世間は言うが、俺たちにはそんな言葉は関係ない。死すらも、俺たちを分かつことはできないのだ。


「それじゃあ、俺は仕事に戻るよ。鞄の中で大人しく待っててくれよ、透子」


 愛しい妻の骨壺を優しくバッグに収め、俺は満足気に微笑んだ。


■■■


 舞台は薄暗い図書館へと戻る。

 ゴスロリ服の少女は、手元で開いたままの本を、感情のない目で見つめていた。


「死が二人を分かつまで、と言いますが。彼女にとっては、死など単なるスタートラインに過ぎなかったのでしょう」


 少女はパタンと静かに音を立てて本を閉じ、元の書架へと差し戻す。

 その指先は、冷たく白く、やはり人形のようだった。


「……ふふ。たとえ身が朽ち果て、砂に塗れようとも、約束は守らなくてはなりませんものね。……ところで、あなたの後ろにあるそのカバン。本当に………空っぽですか?」


 少女は一礼もせず、次の物語を求めて、また静かに闇の奥へと歩き去っていった。


(第1回・了)

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ