第九十七話 拐かし
前回までのあらすじ!
脂身の多そうな火精が修道女に取り憑いたぞ!
真剣での稽古もいよいよ大詰めとなる頃、突然メルから誘いだった。あきれたことに、あの態度でもどうやら多大な感謝をしていたようだ。
稽古の最終日、つまりはリリフレイア神殿による聖堂騎士選出試験の前日、おれたちは半ば強引にメルの住処へと連れられて歩いていた。
「おい、やめとけよ、メル。おれたちみてえなのが突然現れちゃあ、迷惑だろ」
「なるわけないだろ。弟や妹は喜ぶ。客なんてほとんど来ないからなっ」
腰に帯剣したメルは、右手でおれの羽織の袖を、左手でリリィの振り袖をつかんでずんずん歩いてゆく。
その面ぁ、実に楽しそうで。振り払うも押さえつけるも簡単だが、そんな表情を見ていると毒気も抜かれっちまうもんで。
おれもリリィも、これにゃあ戸惑うばかりだ。
「メル、わたしたちはリリフレイア神殿への不法侵入者です。神殿関係の建物に立ち入れば、面倒なことになってしまう恐れがあるのです」
「平気だよ、リリィ。うちはリリフレイア様を信仰してはいても、本殿とはかけ離れた教会だからさ。心配しなくてもいい。シスター・グランにおいしいものを用意してもらうから、食べてってよ」
明るい森に遮るものはなく。響くは鳥の声のみってもんで。
やれやれ、勘弁してくれ。
「つかおめえ、おれに触られんのも嫌だったんじゃあねえのかよぅ」
メルが振り返り、下唇を突き出して歯を剥いた。
「……おまえなあ、あんっだけボコっといてどの口が言うんだ。さすがに慣れるに決まってるだろ! 安心しろ、もうおまえを男だとは思ってない!」
それはメルにとっての褒め言葉だったのかもしれんが、おれにとっちゃあ何やら複雑な心境にさせてくれる言葉だ。
リリィが懸衣の袖で口もとを隠して瞳を細めた。
「ふふ」
「笑ってんじゃあないよ、おまえさんも」
ま、メルの言う教会とやらにリリフレイアの騎士どもがわんさと待ち構えているってこたぁねえだろう。今さらこいつがおれやリリィを騙す理由がない。
「しゃあねえなァ」
「……オキタったら、言葉の割りに嬉しそうですよ? 友だちいなかったのですか? それとも、大切な誰かと過ごす時間を思い出していましたか?」
図星を突かれて、おれは口籠もった。
「む……ぅ」
朝にはともに剣で汗を流し、昼には同じ職務に従事し、一日の了いに酒を酌み交わす。メルの教会とはかけ離れた環境だろうが、不思議とおれはあの時代を思い出していた。
刻の濁流に呑まれて消えた、あの時代を――。
メルに引っ張られながら、リリィが神妙な面持ちで囁く。
「無粋でしたね。申し訳ありません」
「いいさ」
今もまだ、あの時代は胸の裡で燻っている。
……?
ざわりと、臓腑の底が騒いだ。
おれはとっさにメルの手を切って立ち止まる。
「ん? どうした、汚物?」
「オキタ?」
おれは人差し指を唇の前に立て、瞳を閉じる。
「おい、どうしたんだよ?」
「メル、少し静かに」
リリィがメルの口を手で押さえる。
耳に意識を集中しても、何も聞こえねえ。木々のざわめきと風の音だけだ。だが。
「……臭ってやがる」
「はあ? 何がだよ?」
鉄さびのような臭い。嗅ぎ慣れた臭いだ。ほんの微かだが、向かう方角から。
おれはその方角をゆっくりと指さした。
「メル、おまえさんの教会はこの先かい?」
「そうだけど?」
おれはメルの手を取って走り出す。わずかに遅れてリリィもだ。
「お、おい! 何をする! だ、男女が直接手を握るなんて、家族でもなきゃしちゃいけないんだぞ!」
頓珍漢なことを抜かすメルの手をさらに強く握り、おれは走る速度を上げた。
疑念は確信に変わりつつある。
「わ、ちょ、ちょっと――!」
木の根に足を取られてつんのめったメルを、後ろからリリィが小脇に抱え上げた。
「わっ、ひゃぅ!?」
「この子のことはお任せを、オキタ。先行してください。すぐに追いつきます」
「ああ」
おれはメルをリリィに任せ、身を低くする。地を蹴る足に力を込め、速く、疾く。リリィですらも女性体では追いつけないほどの速さで。
木の根を飛び越え枯れ葉を巻き上げ、向かう先に迷いはない。道は知らずとも、臭気が導いてくれる。
やがて、おれは森を抜けて開けた場所へと飛び出した。
その一角だけ木々が途切れ、中央には小さな教会が建っていた。
「~~ッ」
舌打ちをする。臭気の正体はここだ。
窓が割られている。木造の扉は開きっぱなし、教会前には少人数に踏み荒らされた跡がある。侵入と脱出、両方の方向にだ。少し離れたところに引かれた線のようなものは、車輪の轍か。
ちょいと中も気になるが――。
「五人といったところか。……追うか」
呟き、走り出そうとした瞬間、教会から呻き声が聞こえた。
ざんばら髪を掻き毟り、しばしの逡巡の後、おれは轍ではなく教会へと足を向けていた。
「誰かいるか?」
「…………ど……な……たか……」
老婆の声だ。
主の許しを得ぬまま、おれは教会内へと踏みいる。
警戒はしていない。賊が残っていないのはもうわかっている。
小さな礼拝堂の先には鳥の羽の冠をつけた彫像があり、その手には長槍が握られている。布面積の小さな衣装は彫像が女性であることを如実に現し、愁いを帯びた美しい表情はどこか魂を惹きつけられるような感覚を思わせた。
これが戦女神リリフレイアか。美しいものだ。
だが、今は悠長に眺めている暇はない。
「……も……し……、……もし……」
声の主を捜し、おれはリリフレイアの側面へと回り込む。そこには腹に剣を突き立てられた修道女らしき老婆が一人、崩れ落ちていた。
貫通している。抜けば失血する。
「しっかりしろ」
「……ああ……、……ああ……。……大いなる主……リリフレイア様……、……こ……の者との邂逅に……感謝いたします……」
感謝も何も、医者でもねえおれには手の出しようがねえ。
放っときゃくたばるだろうが、幸いここにはリリィも向かってきている。腹の穴くらいであれば、問題はねえだろう。
「どうした?」
「……子を……子らを……さらわれ……ました……。……御仁……どう……か……、……ど……か……」
「わかった」
リリフレイア神殿の国家領での殺しは可能な限り避けたかったが、悪がいるというならばその範疇にはない。おれはそのために生きている。
「……ど……う……か………………」
途切れ途切れの掠れ声でそれだけを告げると、老婆の瞳から光が失せた。上がっていた血塗れの手が、力なく教会の床へと落ちる。
何度も見てきた瞬間。魂が肉体を離れていく瞬間だ。
だが――。
「婆さんよ、あんたは運がいい」
リリィがメルを背負ってこの小教会に飛び込んできたのは、そのときだった。
ドラ子の雑感
この期に及んでまだ汚物呼ばわりとかっ。
なんてステキな関係なのっ。




