第九十六話 精霊の加護
前回までのあらすじ!
修道女が道を誤ったぞ!
翌日、でけえ羽音で目を覚ますと、ちょうどリリィが帰還したところだった。
『戻りました』
「おう」
上空を旋回しながら念話を飛ばし、リリィは周囲を警戒している。
メルはまだやってきていない。あいつが来るのは決まって太陽が傾き始めた頃だ。修道女としての仕事でもあるのだろう。とにもかくにも、まだ少し時間がある。
都合がいい。リリィが古竜の類であることは教えたが、銀竜族であることは黙ったままだ。体内に流れるその血がエリクシルだと知れれば、面倒ごとに発展しかねねえ。
巨大な銀竜シルバースノウリリィは大地を引っ掻くように着地して、光の粒子を散らす。一瞬の後にはもう赤い懸衣をまとった銀髪の女の姿だ。
「ん? なんだそりゃ、おめえ……」
その左手にある、レアルガルド大陸でろんぐそおどと呼ばれる直剣はわかる。
それはいい。それはともかくとして、右手。右腕。
燃えている。リリィの右手から右の肩口までが、燃えているのだ。ぱちぱちと音を立て、肉を焦がす臭いを漂わせながら。
「燃えてんじゃねえの?」
「あ、はい。燃えてますね」
あまりに平然と。
本来であれば大事なのだが、あまりにも。あまりにも。
「……熱くねえの?」
「? すごく熱いです。でも火傷してもエリクシルですぐ治ってますので、問題ありません」
たしかに、皮膚が弛んで炭化した後から、すぐさま新たな皮膚が形成されている。どうやら奇跡的に炎の侵蝕とエリクシルの治療がせめぎ合っている状態らしい。
じゅうじゅう、じゅうじゅう。
なんだこれ。おれの感覚がおかしいのか?
いや、そもそもだ。
「なんで燃えてんだィ」
油でも引っ被ってきたのか。だからといって火をつける道理はねえが。
考えれば考えるほどわかんねえ。
「あー」
リリィが轟々と燃えている右手を持ち上げた。どうやら発火点は掌のようだ。何かをつかんでいるかのように五指は曲がっているが、どう見てもなんもねえ。強いて言うなら炎があるくらいのもんで。
「見えませんか?」
「火が見える」
リリィがちょいと拗ねたように唇を尖らせた。
「……こんなに可愛いのに」
「火がかィ?」
危ねえなァ……。
「違います。火遊びはおねしょのもとです」
その胡散臭え口伝はレアルガルドでも、もっと言やぁ銀竜族でも共通なのかィ……。
「よくわからんが、消したらどうだ?」
「消えませんよ」
「水をぶっかけてもかィ?」
おれたちが飲み水を確保している小川は、そう遠くはない。
「無理ですねえ。逃がしてあげないと。でも逃がすとここらへんの森一帯が燃えてしまうので、リリフレイア神殿からお尋ね者扱いされる恐れがあります。リリフレイアは正義の名の下に悪を殲滅する教義ですので、一度でも目をつけられると大変なことになります」
おっかねえ。わけわかんねえまま、これ以上敵を増やされてたまるかよ。
「そいつぁ勘弁だ……が、逃がすってなんだ? さっき言った可愛いやつか?」
「はい。可愛いやつです。可愛い」
リリィは何かを撫でるように、左手のロングソードを投げ出して右掌の炎を指先でこしょこしょと弄くっている。
「おわっ!?」
ごぉと炎の勢いが増した。
「喜んで興奮してます」
「あ、そうなの? その……ずいぶんとまた人懐っこいんだねェ」
見えねえ。火しか見えねえ。怖え。なんか怖え。
ちょうどそのときだ。メルのやつがばすけっととかいう握り飯の入った籠を、肩に担いだ木剣の先に吊して現れたのは。
「よお! 来たぞ、今日こそおまえをぶちのめして汚物を消ど――あ、何それ?」
木剣をバスケットごとその場に置いて、メルが眉をひそめながらリリィのもとへと走り寄ってきた。
「火蜥蜴です。メルはやっぱり精霊が見えているのですね」
「ん? ああ、サラマンダーは初めて見たよ。シルフはたま~に見るけどさ」
「火山にしか棲んでませんからねえ。人里ですとなかなかに稀少です」
リリィの掌をメルが覗き込む。おれなんぞは近づくのも嫌気が差すが、どうもメルはあまり温度を感じていなさそうだ。
「へえ、これがサラマンダーってやつなのか。丸っこくてぶっさいくだなあ」
「えー? 可愛くないです?」
「脂身が多そう。ははっ、なんか短い手足わちゃわちゃさせてるな」
リリィとメルが笑い合っている。
なんだよ! おれも混ぜてくれよぅ!
「リリィ、こいつを飼うの?」
「いえいえ。飼うのはわたしではなくメルです」
「えっ! 無理無理無理無理! うちじゃ飼えないぞ。サラマンダーなんて持って帰ったら教会にしかられる。サラマンダー一匹火事のもとって格言知らないのかよ」
知らん。
「そうではなく、メルが契約主になるんです」
「えっ?」
「サラマンダーと血の盟約を交わして、この子のご主人様になるんですよ」
目を丸くするメルと、得意げなリリィの表情が対照的だ。
「そうすればこの子はメルにとって不都合になる行動を決してしなくなります。教会を燃やしたりとかもできないので、安全安心です。それに、戦闘時において炎を操れるというのはかなりのアドバンテージになりますよ」
あどばんてえじってなんだ、おい。
「そりゃそうだけど……」
「まあ、わたしもこの子を持ったままだと熱いので、ちゃっちゃとやっちゃいましょう」
「う、うん」
不安そうにしてるぞ、おい。
リリィが行儀悪く、放っぽっておいたロングソードを鞘ごと蹴り上げた。左手一本でそいつをつかみ、鞘を噛んで引き抜く。
「お、おい、何するんだ?」
「血の盟約ですから」
そうして切っ先を己の右の掌で躍る炎へと向けて。
「わ、わーっ!」
「えい」
メルの悲鳴を余所に、躊躇うことなくぶすりと突き刺した。
凄まじい勢いで炎の威力が増す。大炎柱だ。
「お、おお……ぐ、ぐろ……っ、ぶしゃあ~ってなってるじゃないか……」
おれにゃとんとわかんねえが、少なくともメルはどん引きだ。
リリィが炎から剣を引き抜き、今度はその切っ先をメルの口もとへと向ける。
「さ、どうぞ」
「え? 舐めるの? 直で? なんか剣の刃についた血をべろりってのは、堂に入った殺人鬼みたいで嫌だなあ」
すげえ偏見だが、大体合っている気もする。
おれには見えねえが、どうも剣先からは皿万打とかいうやつの血が滴っているようだ。なんか想像すりゃ禍々しいが、おれとリリィも血で結ばれたのだと考えれば、ありな気もする。
「リリフレイアの聖堂騎士になるのでしょう? リリフレイアは炎と騎士の戦女神。炎は決してあなたを裏切りませんよ。試験官もさぞや驚くでしょうね。炎を操るなんて、こんなに才能に溢れたものを見習いのままにさせておくわけにはいかない、と」
もっともらしいことを適当に口走ってやがる。目ぇ泳いでるし。
得体の知れねえ力を手にしたとして、邪教徒認定されねえことを祈るばかりだ。
「よ、よぉ~し!」
それでもやるのが、この莫迦な娘だが。
メルが剣先を舌で舐めて喉を嚥下させた瞬間、リリィの右手から炎が嘘のように消失した。
リリィが大きな胸を撫で下ろし、右手をそっと下ろす。
「ほ。どうやら成功のようですね。メルが消し炭になったらどうしようかと思いました」
「ちょっと待って。そんな可能性あったの!?」
メルが白目を剥いた。
「そりゃ当然ありますよ。精霊は主となったものに腹を満たせるだけの魔素がなければ、主を殺してさっさと逃げますからね」
「言って!? 先に!」
ほんとに……。
リリィの雑感
かわいい。




