第九十四話 狂気の狭間
前回までのあらすじ!
汚いとか気持ち悪いとか、人に向けて言っちゃだめなんだぞ!
おれの持った生木の枝が空を切る。
「右、右、左、下、下、上、右、上――」
少女の握る木剣がそれを迎え撃つ。
なんとも気の抜ける音が、静かな森に響き続けていた。
「上、上、上――」
「あぅだ!」
ひん曲がった細い生木が、メルとかいう小娘の赤い髪を打つ。
木が木を弾く音とは異なる鈍い音が響き、木剣を取り落としたメルが両手で頭を押さえて尻餅をついた。
おれは枝を右肩に置いて、ため息交じりに呟く。
「莫迦が。何があっても剣は手放すな。死合だったら今ので死んでるぜ、おまえさん」
「う、うるさいっ」
おれが手を差し伸べると――、
「ひ……っ」
奇妙な悲鳴を喉から漏らして、メル・ヤルハナが尻を引きずりながら後ずさりをした。
「さ、触るな! き、き、気持ちの悪い男め!」
「ならさっさと立てよぅ」
慣れねえ。こいつの言葉はやけにおれの心を抉りやがる。
「言われなくてもわかってる!」
険しい顔をして、メルが立ち上がった。
リリィはどこ吹く風だ。大樹の根に寝そべって、ぼ~っと眠そうな目でこっちを眺めている。
「隙あり!」
そっちに視線を向けた瞬間、メルが木剣でおれの胴を薙いだ。むろん、枝で叩き落としてやったが。
「阿呆ンだら。隙を見つけたら叫んでねえで、黙って斬れ」
「な!? 卑怯な――! そのように卑劣なこと、騎士の風上にも置けない行為だぞ!」
「……そうかィ。できねえなら不意打ちなんざやめとけ」
ふいにもなってねえし。
しばらく黙って。木の打ち合う軽い音だけが響く。
多少の打ち合いを演じて剣に対する勘を植え付け、それから少女の身体を打つ。メルは険しい表情で何度でも立ち上がる。
才能はねえ。口も悪い。処女を拗らせ男にゃ辛辣。剣筋は偏屈なほどに愚直。ついでに言やぁ、頭もあまり切れなさそうだ。
直情型。何度打ちのめされても、同じ動作を繰り返しちまう。虚を衝く変則的な動きをしてやろうってな頭はねえ。
「だああっ!」
「ほいっと」
突き出された木剣を枝で弾き、修道服に包まれた足を掬って払う。
「ぅだっ!?」
顔面から転けたメルが、素早い動作で走って木剣を拾い上げ、すぐさまおれへとその切っ先を向けた。
こういうやつは案外多い。知ってる限り、ほとんどのやつぁ長生きできなかった。学ぶまでに時間がかかっちまうのさ。稀に生き延びてお座敷剣法の師範に収まっちまうやつもいたが、そんなもんは実戦経験豊富な新撰組から見りゃ、運が良かっただけだ。大概にして、敵は成長なんざ待っちゃくれねえ。
騎士なんぞになるのぁ、おすすめできねえなァ。
木剣を枝で弾き、去なし、叩き込む。すべて片腕、それも利き腕ではないほうでだ。
どれくらいそうしていただろう。やがて汗だくのメルは大の字になって、傷だらけの顔を修道服の袖で拭っていた。
「……くそッ! くそッ!」
「おまえさん、実戦だったら百回は死んだぜ」
控えめに言って、だ。その気になりゃ同じ時間で十倍は殺せる。
「わかってるッ!」
苛々苛々。表情に出ちまってら。
おれは枝を投げ捨てて、仰向けで目を隠しているメルの隣に腰を下ろした。
「メル」
「気安く呼ぶな!」
あ~あ~。威勢はいいが、声が震えちまってる。
泣いてやがるよ。
「おまえさん、剣術は好きかい?」
「別に! 生きるための手段だ!」
「生活の道かィ」
肩で荒い息をしながら、メルが瞳を覆った腕をずらし、おれを睨んだ。
「何が言いたい」
「さっきから、おまえさんの顔がつらそうでねェ。いやね、おれなんぞ、てめえより強えやつと出遭ったら、笑っちまうんだよな」
「……意味がわからん。気持ち悪い」
「斬られても、ぶん殴られても、その痛みってのぁ生きてるからこそ感じられるもんで、殺すの殺されるのは別にしても嬉しくなっちまうのさ。ああ、こいつはどんな人生を歩んで来やがったんだろう、とか、てめえと比べてなァ」
ああ、支離滅裂だ。何が言いてえのか、自分でもわかんなくなってきちまった。
だが、どうやらよほど疲れたらしい。珍しくメルは茶々を入れずに聞いている。
「おれぁ剣しか知らねえ男だ。他の生き方はできねえ。だからてめえの剣術の成長が楽しくて仕方ねえ。おれを育ててくれんのぁ強敵だ。やつらがいるから死に近づき、生を感じることができる。そんなふうに考えりゃ、与えられた痛みにさえ感謝したくなっちまう」
「……」
わずかな逡巡。おれは頬を掻き、視線を逸らせながら呟く。
「メルよぅ。おめえも剣で生きると決めたなら、もっと剣術を楽しめよ。てめえの力がまったく及ばねえ強敵の存在ってやつに感謝しろ。圧倒的な力の奔流に押し流されても笑え。苦しそうな面じゃあ、生活の道も地獄道になっちまわァな」
らしくねえ。てめえの腹の底にあるもんを口に出して他人に語っちまうなんざ、恥知らずのすることだ。
「最初は強がりでもかまわねえよ。だが人間ってのぁ笑ってさえいれりゃ、存外に冷静になれるもんだ。頭ぁ冷えたら今度は考えろ」
我知らず、くくっと喉から餓鬼のような悪戯な笑いが漏れちまった。
「てめえの剣術で強敵をどう驚かせてやろうかってな。死合ってる真っ最中にそんなことを考えるのが、たまらなく楽しくなってくる。そしてその考えこそが、てめえ独自の唯一無二の剣筋になる。必殺剣の誕生だ」
三段突きも斬撃疾ばしも、そうやって生まれてきた技だ。
やがて涙が涸れたか、メルが上体をむくりと起こした。
「狂ってる……。命がかかっているのに、そんなこと……ッ」
「そうだよ? 剣の道ってのぁ、剣に焦がれ剣に狂ったやつだけが生き残るんだ。いつだって善が勝つわけじゃねえ。もちろん悪でもねえ。そいつが理解できねえなら、剣術で生きようなんざ考えるもんじゃあない。生半に手ぇ出しゃあ、早晩、剣術に憑き殺されるだけだ」
赤い瞳をさらに充血させ、ごしごしと袖で擦って。
「……ふん、もういい。もう沢山だ。そんなの子供の戯れ言じゃないか。ただの屁理屈だ」
木剣を拾い上げ、杖のように剣先を地面に刺して立ち上がる。
おれは肩をすくめた。
「……違えねえや……」
他人の覚悟や心をへし折るってのぁ、人を斬るより苦手だ。あまり気分のいいもんじゃあない。
肩を落としたメルがおれたちに背中を向けて歩き出した。修道服のスカートを揺らし、ゆっくりと、足を引きずりながら。
日はもう暮れかけている。遊戯のお開きにゃあ、ちょうどいい時分だ。
当然、旅立ちにもな。
リリィに目配せをすると、リリィは困ったような表情でメルを指さした。視線で追ったおれは、心底驚いた。
暮れゆく夕陽の中、木剣を肩に担いだどろどろのメルが、挑戦的な笑みをおれに向けていやがったのさ。
「でも、明日は笑ってやる!」
「お、おお……」
正気かよ。今の話を聞いても、まだやろうってのかい。
……どうやら旅立ちは延期らしい。
ドラ子の雑感
痛みに感謝とな……?
あぶのーまるなお話なの……?




