第八十九話 眠り
前回までのあらすじ
死にかけの人斬り侍が天狗を斬ったぞ!
羽根を使うことさえ忘れたか、爺天狗が走り、転び、立ち上がって駆け寄ってきた。おれを乱暴に押しのけ、血溜まりに伏したティルスを抱いて起こす。
「ティルスゥゥゥゥ!」
無駄だ。菊一文字則宗の刃は、ティルスの左肩から左胸にまで達した。心の臓も縦に真っ二つだ。
「……あ、……ああ……」
ばしゃりとティルスの身体から血液が流れ出た。
「おい、爺。あんまり動かすんじゃねえよ」
「……ッ! 貴様……ッ!!」
おれは顔をしかめて両耳に指をぶっ挿した。
だが、爺天狗は顔を真っ赤に染めたかと思うと、青白くなって脱力した。
おれはなんとも居心地が悪くなって、指先で頬を掻きながら呟く。
「爺、約束だぜぇ? 牢からおれの相棒を連れて来てくれるかい?」
だが爺天狗は懐に手を入れて鍵束を取り出すと、おれの足もとにそれを投げ捨てた。
「…………勝手にせい……。……どこへなりと消えるが良いわ……」
おれはあからさまに舌打ちをして、ティルスの亡骸の横でへたり込んでいる爺天狗の肩をブーツの靴底で押し除けるように蹴った。
軽い蹴り味に、爺天狗がころりと転がる。だが、それだけだ。爺天狗は怒鳴ることはおろか、立ち上がろうとさえしなかった。仰向けのまま、呆然と空を見上げているだけで。
「そうかい。だったら好きにさせてもらうさ」
おれは片翼となったティルスの亡骸を肩に担ぎ上げた。なるべく傷口から血液が流れ出ぬように、やつの左上腕部と右胸を外側から挟み込むようにして。
そうして歩き出す。牢へと向かって。
だが、如何せん深傷を負っている上に、女よりも軽いとはいえティルスを担いでいる身だ。噴火口の縁に登るのは、ちょいと難儀だ。
やべえ、景色が二重に見えてやがる。
それでも休んでいる余裕はない。
「……これならあいつを連れてきたほうが早ええな……」
ティルスの傷口を合わせたままその場に下ろそうとしたおれの身体に、六本の腕が伸びてきた。とっさに片手で抜刀しかけた手に、天狗の手が重ねられた。
「~~ッ!?」
天狗がおれとティルスの肉体を抱え、羽根を広げる。
「安心召されよ。我らハルピア族に、もはや争う意志はない」
「貴方の勝ちだ」
「無頼の王よ、我らの翼が貴方を望みの地へと運ぼう」
直後、三体の天狗の羽ばたきによって、おれの肉体は宙へと浮かび上がる。銀竜の背中とは違って、なんとも頼りのない浮遊感だ。
それでもどうにかおれとティルスは牢前へと辿り着くことができた。
けれどもおれは、牢の前に貼り付いている耳の長い褐色肌の娘を見て顔をしかめる。
「…………うげ……」
「なんだよ、うげって。ご挨拶だね、常闇の王さん」
「よ、よぅ、ライラぁ~……」
遠く東の地に置き去りにしたダークエルフの娘だ。
半信半疑ではあったが、うすうすは勘づいていた。じゃなきゃ、ハルピア族から常闇の王なんて単語が、人間相手に飛び出したりはしねえだろう。
「……道理で。おまえさんがハルピア族におれのことを吹聴しやがったのかい」
リリィよか大きな胸を揺すって、ライラが笑い声を上げた。
「あっはっは! ハルピア族だけじゃあないさ。常闇の眷属を片っ端から歩いて回っているからね。あたしたちを束ねる新たなる王が誕生したって。……あたしは本気だよ」
「……余っ計なことを……」
額に手をあてて吐き捨てる。
「それよかオキタ、それ」
「ああ。斬った。だがちょいと面倒な約束をさせられちまってな。だからエリクシルを飲ませて生き返らせる」
「約束ねえ」
ライラが長い耳を倒して、少しの間、瞳を閉じる。
「……たとえば、僕に勝ったらハルピア族のことをお願いします、とか?」
白目を剥いた。
「あははっ、あいかわらず厄介ごとに首突っ込んでるねえ。王への第一歩だ」
「うっせえやィ!」
おれはティルスを担いだまま、ライラに鍵束を投げた。ライラがそれを受け取り、牢の錠前へと鍵を差し込む。
だが、格子が開いてもリリィが飛び出してこない。てっきり両手を広げて泣きながら抱きついてくるものとばかり身構えていたおれは拍子抜けした。
「リリィなら寝てるよ。さっき珍しい木の実を手に入れてさ、差し入れてやったの。そしたら、オキタが戻ってきたら取られるからってすごい勢いで食べて、満足したら今度はちょっと寝ますから静かにしていてくださいってさ」
「……」
ライラが牢の中を指さして呟いた言葉に、おれは心底悲しげな気分になって牢の中へと足を踏み入れる。
リリィは仰向けの大の字になって眠っていた。例によって涎をだらだら流しながらだ。その横には、エルフの集落で食べたあの美味なる木の実の残骸が落ちていた。
こんにゃろう……。
「……あんたさあ、嫁さん甘やかしすぎなんじゃないの?」
「嫁じゃあねえよ」
ライラが視線を斜めに上げて、苦々しい笑みを浮かべる。
「……あ~、やっぱり?」
「あン?」
「なんでもない。いいからいいから」
おれはティルスの亡骸をそっと下ろして寝かせ、リリィの懸衣の合わせ目へと遠慮なく手を突っ込んだ。
「……んあぁ……」
でっけえ胸をまさぐって、間に挟まれていた三つの小瓶のうち一つを取り出す。中には赤い液体が入っている。銀竜の血液、エリクシルだ。
そいつの栓を噛んで引き抜き、まだ温かいティルスの口を強引に開けさせ、舌を手でつまみながら引いて、エリクシルを流し込む。
それほど待たない間に、ティルスの左肩口から白煙のようなものが立ち上り始めた。しゅうしゅうと音を立て、傷口が徐々に塞がってゆく。さすがに失われた片翼が生えるようなことはなさそうだが。
ライラがティルスの顔を覗き込む。
「エリクシルとはいえ、いけるかな? 相当深いよ、この傷」
「どうかねェ。手加減できる相手じゃあなかったからねェ。ちょいと血を流させすぎちまったかもしんねえ」
この分なら傷は塞がるだろうが、だからといってそもそもの生命維持に必要なもんが欠損しているようでは、生き返ることはできないだろう。
おれの背後に控えていた三体の天狗のうち、一体がふいに声をかけてきた。
「エリクシル? 今、エリクシルと申されたか! ティルスは生き返るのか?」
「……さあな。そう祈ってな」
おれはもう一度リリィの懸衣の合わせ目に手を入れて、胸をまさぐる。
「……んあぁ……、……お……お命じなさいませ~……」
リリィの寝言には一切触れず、おれは二本目の小瓶を取り出した。歯で噛んで開けて、今度は自分の喉へと流し込む。
じくじくと血を流し続けていた傷口を塞ぐためだ。このままじゃあ、いずれ遠からずおれも意識を失っちまう。
一息ついたおれは、背中を牢の壁にあてて菊一文字則宗を抱え、その場に座り込む。
「ふう~。悪ィ、天狗――じゃねえや。ハルピアの旦那方でもライラでもいいからよ、なんか食いもんがあったら持ってきてくれ。……ああ、虫団子は勘弁してくれよ」
さて、あとはティルスのなけなしの生命力に期待して待つだけだ。
おれはゆっくりと全身の力を抜いて、瞳を閉じた。
ドラ子の雑感
ハッ!?
なんかいい夢見てた……。




