第八十八話 優しい剣
前回までのあらすじ!
そないに強かったんかぃワレェ……。
剣戟の音が響く。
誰もが息を呑むのがわかった。
菊一文字則宗の刃を擦り上げるようにして、十字に重ねられた短剣が滑る。火花が散った直後、ティルスは右の短剣で菊一文字則宗の刃を押さえたまま、左手の短剣をおれの頸部へと振るう。
「――ッ」
おれはとっさに前蹴りでやつを突き放し、体勢は低く、奥深くへと踏み込んで、逆袈裟に斬り上げる。
「イアッ!」
だが、ティルスはおれの斬撃を跳躍で躱し、一対の短剣を獣の牙のごとくおれの頭頂部へと振り下ろした。
「……っ」
おれは刀を振り切った勢いそのままに、汗と血を飛ばしながら身体を駒のように回転させ、その場から退避する。
ティルスが着地と同時に冷え固まった溶岩を蹴って、おれへと追撃に来た。
弾く。だが、短剣は二振一対。
甲高い金属音が響いた直後、おれの喉をもう片方の短剣が浅く斬り裂いて通過する。
「痛――ッ」
仰け反って躱した分、きっちり踏み込みやがった。
視えている。ティルスにはおれの動きが、きっちり視えていやがる。
たらり、と喉から血液が垂れた。
貴重な血だってのに、ずいぶんと無駄に流しちまった。
ティルスにやられた首筋、喉、ハルピア族の戦士たちにやられた肩口、背中。
ああ、良くねえな。良くねえ。
やまない追撃に、おれはたまらず距離を取る。
当然、斬撃疾ばしは使えない。放つことはできても、イグニスベル同様、こいつに命中するとは到底思えねえからだ。いや、難点を言やぁイグニスベルどころじゃあない。
あいつの男性体には翼がなかった。だから叩きつけから浮かせて命中させることができたが、ティルスは違う。こいつには常に羽根がある。
さらなる追撃を、おれは震脚と斬撃を併用して上段から叩き下ろす。
「つァ!」
「っ」
両者の武器からは火花と快音が響き、おれの首筋と喉からは血液の花が咲いて、やつの羽根からは濃紺色の雪が散る。
今――ッ!
背後によろめき体勢を崩したティルスの額へと、おれは一本突きを繰り出す。ティルスが身をよじって首を倒した。血と汗の玉が吹っ飛んで流れた。
ティルスのこめかみを掠めた切っ先は、しかし中途で斬撃へと変化する。
「おおッ!」
片腕一本で振り切った斬撃は、防いだ短剣ごとティルスの全身を溶岩の大地へと叩きつけていた。だが、ティルスは跳ね上がった直後に全身から血と汗をまき散らしながら、濃紺色の羽根を羽ばたかせて大地に足をつける。
「はぁ……はぁ……はぁ……」
「……げほっ、ぐ……く……」
その目が険しく変化した瞬間、おれとティルスが同時に地を蹴って斬撃の火花を散らした。
弾き、防ぎ、斬り、突く。走り、跳び、蹴り、躱す。
隙を衝いて足払いで転ばせようとしても、ティルスは平気な顔で逆さのまま、空中から斬撃を返してくる。ハルピア族の背中の羽根は、思った以上に厄介な防具だ。
互いの身体が弾けて下がる。
強え……!
声を発するものはいない。あのやかましい爺天狗でさえも、おれたちの剣戟に呑まれている。ただ祈るように、一族の未来を背負った戦士と、一匹の侍の戦いを観ている。
二振一対の斬撃を受け止めたおれの視界が、ふいにぶれた。追撃をブーツの裏底で蹴り上げて、身体ごとぶつけるようにして強引に下がらせる。
「らァ!」
「く……ぅ」
よろめきながら後退したティルスの姿が二重になり、一重に戻る。追撃の機会を失ったおれは、額を押さえて頭を振った。
「……糞っ」
血が足りねえ。身体が重くなってきやがった。
とっさに、腰にぶら下げていた鞘を落とす。
今は少しでも肉体の重量を減らしておきたい。欲を言えばブーツも脱ぎ捨てたいところだが、冷え固まった溶岩の大地ってのぁ、ひどく尖っている。
ちょいと破れちまった羽織をその場に落とし、おれは再び平晴眼のかまえを取った。
それにしてもティルスの野郎、大した練度だ。技だけならば、軍用飛空挺で戦った凄腕の魔術兵よりも遙かに上だ。
千の剣を降らせるゲイル伯爵なんざよりも、よっぽどやりづれえ。
……が、それだけだ。
それだけなのさ。ティルスの剣には重さがない。力の強さではなく、魂の重さだ。目を見た瞬間からわかっていた。
「おまえさん、人を殺したことがあるかい?」
ティルスの左の眉が、微かに上がった。
「……いいえ、貴方が初めてになるでしょう」
「そうかい」
堂々とした受け答えだ。それだけの覚悟があるのだろう。いい目をしている。
才能だけならば、おそらくおれよりも上。もしも実戦経験が豊富にありゃあ、永倉や斉藤とも肩ぁ並べたかもなァ。
懐かしき時代に思いを馳せ、おれは微かに頬を弛めた。
「おかしいですか?」
「いや、そうじゃねえ。ちょいと昔を思い出しただけだ」
これ以上時間はかけられねえ。傷さえなきゃあ、この死合はもうちょい長く楽しみたかったが。
命を燃やす。いつだってそうだ。三段突きでも斬撃疾ばしでもねえ。絞って絞って最後に残ったこの命の灯火ってやつが、おれの最期の刃となる。
菊一文字則宗の切っ先を斜めに下げ、歩き出す。堂々と、まっすぐに。
「……?」
さぞや無防備に見えたのだろう。ティルスが戸惑い、訝しげな表情で後退した。
「どうしたィ? こいよ、坊主」
「……」
挑発に乗るタイプじゃあないか。しかしまあ、選択肢はそう多くはあるまい。
おれが前進した分、ティルスが後退する。しばらくそんな状態が続いたあと、ふいにティルスが表情を引き締めた。
来る――!
おれが前進し、ティルスが――大地を蹴った。左手の短刀をおれの額に照準し、右手の短刀をおれの左胸に照準して。
ああ、そうだろうよ。そうだろうとも。おまえはさっきから、ずっとおれの急所だけを狙っていた。そいつは優しい剣だ。楽に命を絶ってやろうとするやつの、優しい剣なのさ。
だから、読める。
おれは右手の菊一文字則宗ではなく、左手を持ち上げた。
額に迫ったティルスの刃を左手でつかんで強引に止め、心の臓を狙って突き出された短剣を肘を貫通させて受け止める。
激痛が左腕に走った。
大量の血が流れて、短剣を握るティルスの手までも染めてゆく。
「あ……あ……、っそ、そんな……」
ティルスが息を呑んだときには、おれはもう右手一本で菊一文字則宗を振り下ろしていた。
濃紺色の羽根が大量の血液とともに地に落ち、ティルスは魂の抜け殻のように膝を折って大地に崩れ――おれはそれを胸で受け止めていた。
「おめえは、優しいなァ……。剣を握るにゃあ、ちょいと優しすぎたんだ……」
そうしておれは、ティルスの軽い身体をゆっくりと横たえてやった。
ドラ子の雑感
え、わたしとオキタですか?
も、もももちろんもうそういう関係ですけど!?




