第八十三話 堕落侍
前回までのあらすじ!
恐るべき火竜を相手に(口喧嘩では)圧勝だったぞ!
湖畔に寝そべり、おれは絶望的な状況で空を見上げていた。
空は青く、雲がゆったりと流れている。
リリィが膝を抱えて大きなあくびをした。
「どうします?」
「……あ~……」
もう動けねえ。軍用飛空挺内での乱闘に続き、火竜イグニスベルとの連戦でずいぶんと消耗しちまった。
その後、運良く発見したのは湖だった。
鯉や鮒の一匹でもいるだろうと、リリィが銀竜体のまま湖に勢いよく突っ込んだまではよかった。だが、しばらくして女性体となって水から上がったこいつの言葉は。
「でっかい水たまりでした。ただの」
折れた。心が折れた。
「少し眠りますか?」
「……寝たらもう目覚めねえかもなあ……」
まあ、流れる雲を見ていたって、くたばるときはくたばるだろうが。
あ~あ~、幻覚まで見えやがる。空の青と雲の白、……黒、黒、黒。小さな黒い点が無数に流れている。雲の流れとは逆の方向に。
「……!」
おれは目を見開いて上体を一気に起こした。
「鳥だ! 捕まえろ、リリィ!」
「盟約……」
「あ、すまん。つい」
リリィが憮然とした表情で吐き捨てる。
「もう! 代わりに今度お尻触らせてください!」
「おう。好きにしろい。……え、今なんつった?」
リリィがとてとてと走っておれから離れ、光の粒子を散らした。湖畔の石ころを変化の衝撃波で勢いよく吹っ飛ばし、輝く巨大な銀竜体へと変化する。
生命力に満ちた美しい姿だと、いつも思う。
「なあ、さっきなんつった?」
『行きますッ』
銀竜シルバースノウリリィが両脚を深く曲げ、大きな翼を広げて空をつかんだと思った直後。
「――ッ」
変化時以上の衝撃波と石ころを吹っ飛ばし、銀竜シルバースノウリリィは凄まじい勢いで空にいた。
あっという間に高高度に至る。あいかわらずの速さだ。
突然の闖入者に、鳥の群れが一斉に散った。
『あ――っ、く!』
念話だ。何かに驚いたらしいリリィが息を呑んだのがわかった。
リリィは短い両手を何度か振ると、翼をたたんで急降下――までは理解できた。なぜか鳥の群れまでもが、リリィの尻に貼り付くように追いかけてきている。
空の王者である古竜ともあろうものが、たかが鳥に。
『オキタ! オキタ! と、鳥ではありませんでした!』
「……あン?」
一瞬の後、リリィは凄まじい衝撃とともに湖畔へと両足をつける。着地の凄まじい勢いと衝撃に、大地が上下に揺れた。
「おまえさん、何言って――」
言葉が途切れる。
リリィが右手と左手に一羽ずつ握った大きな黒い……鳥……人間……? ……なんだ、これ? 人間に黒い羽根が生えてやがらぁ。
この生物が何かはわからんが、一つだけ思うことがある。
これは食えねえ気がする。
「ええい、放さぬかッ! 横暴なる空蜥蜴の一族めがッ!」
「うわああぁぁぁ、食べ、食べられるぅぅぅ! 嫌だあああぁぁぁぁっ!」
なんかすンげえ喋ってるぞ、おい!?
銀竜体のままリリィが、鳥のような人間のような魔物を二体、おれに近づけてきた。
唖然呆然としているおれの鼻先で、羽根人間は手足をじたばたさせている。
『あ、あの、羽根を毟れば食べられる……かも?』
「こんなもん食えるか莫迦っ!! おもっきり人語話してんじゃねえかよ!? つかおまえさん、途中で鳥じゃねえって気づいてたよな!? なんで獲って来ちまったの!?」
銀竜体では表情があまり変わらないリリィだが、空色の瞳があきらかにしょぼくれた。
『だってぇ、オキタが盟約で言うから……』
あぁん! そうだった!
おれは頭を抱え込んだ。
「すまねぇ~……」
『いえ。それにですね、もしかしたら、万に一つ、運が良ければ、……オキタなら食べるかもと思いまして?』
「や、無理だ。しかしほんとになんだこれ……」
鴉天狗だ。
実物を見たのは初めてだが間違いねえ。葉っぱの団扇や高下駄こそねえが、人間の肉体に彫りの深い顔つき、背中の羽根。
そして腰には直剣――。
嫌な予感しかしねえよ。
リリィの右手に握られたまま、年老いた爺天狗が瞳を血走らせて叫んだ。
「おのれ人間! 誇り高きハルピア族をつかまえて、これだのこんなもんだの、なんじゃあッ!?」
「ひぃぃ、野蛮な人間種までぇぇ……!」
左手に握られてる青年天狗のほうは気が弱そうだ。
しかしハルピア族か。たぶん日本で伝承になっている天狗ってのは、こいつらのことだったんだなァ。いやはや、いるもんだなァ、妖怪ってのも。
爺天狗はリリィに握り込まれた状態であるにもかかわらず、おれへと向けて呪詛を吐き続けている。
「小童、貴様の仕業かこれはッ! ゆるさんぞ、必ず生皮を剥いで殺してくれる! 目玉を抉り出し、耳と鼻を削ぎ落とし、頭蓋の杯にしてくれるわッ! いいか、必ずじゃあッ!」
うっわ、怖え……。すげえ凶暴だなァ……。
どうしたものかと考えているうちに、おれと銀竜体のリリィを覆うように無数の影が落ちてきた。
『みなさんお怒りです』
天狗の群れが、空中からおれたちを取り囲んでいた。
ざっと数えて三十といったところか。どいつもこいつも剣呑な空気を醸し出してくれてやがる。
……勘弁してくれ。そんな元気なんざねえよ……。
おれは咳払いを一つして空を見上げ、親愛の情に溢れた友好的な笑みを浮かべた。
「ああ、え~っと。天狗――じゃねえや。ハルピア族っつったか。いやね、ちょいとした手違いはあったが、おれたちゃ本来なら仲良くやれると思うんだ。そこでな、すまんが、食いもんを分けちゃあもらえねえかい?」
ばさ、ばさ、羽音が響く中、殺気が急激に膨れあがった。
どいつもこいつも一斉に直剣を抜刀する。
「く、食い物ごときのために人質を取るなど、なんたる卑劣――ッ!」
「小馬鹿にしおって、どの面を下げて抜かしよるか!?」
「厚顔無恥な人間種め! 斬り刻んで虫の餌にしてくれるわ!」
「そこの空蜥蜴もろとも、我らが空へと二度と舞い上がれぬよう奈落へ落ちるがいいわ!」
だよねぇ~。
そらそうだ。おれでもそう思う。
だが、そうかい。だったらよう、もういっそのこと悪党は悪党らしくだ。
長い長いため息をついて、おれは菊一文字則宗を抜刀した。正直もう重くて重くて振ることさえできそうにないが、その必要もねえだろう。
爺天狗が嘲りの笑みを浮かべた。
「ふん、ゆるく地を這いずる人間種ごときが、空の疾風たる我らが一族と殺り合うつもりか! この身の程知らずが! 臓物の一欠片まで刻まれてあの世で悔いるがいいわ!」
「や、そんなつもりは毛頭ねえ、が」
偉そうな爺天狗の首へと、菊一文字則宗の刃を静かにあてがう。
「ぬ、く……っ、貴様……っ、何を……!」
鈍く光る刃で天狗の首筋をそっと撫でると、空に浮かんだままの天狗どもが一斉に息を呑んだ。怒気と殺気を爆発させながらも押し黙る。
爺天狗が悔しげに吐き捨てた。
「ぐ……っ、く……外道めっ! ……ハルピア族の長たるこの我が輩が足枷になるなどと……なんたる……ッンなんッたる屈辱かぁぁ……ッ!」
老いた天狗が歯がみし、凶器にもなり得そうなほど鋭利な蔑視をおれへと向けてきた。
だが容赦なく。おれは容赦なく、空を見上げて叫ぶ。
「おうこら、天狗ども! こいつの命が惜しければ、さっさと食いもん持って来てくれるッ!? お願いッ!」
屈辱と羞恥に涙ぐみ、歯を食いしばって耐える表情には胸が痛い。むしろなんかもう罪悪感で変な汗が出てきた。
「なんかほんとごめんねぇ!? でも持ってきて!?」
ドラ子の雑感
ぷぷっ、ぶふぉぉ~!
空腹状態のオキタって、かわいい!




