第八十二話 小さきもの ~第三部完~
前回までのあらすじ!
実質負けてるけど勝ったふりをするぞ!
おれは切っ先をイグニスベルに向けたまま、震える膝を片手で押して立ち上がる。そうして意図的に唇をねじ曲げ、平晴眼のかまえを取った。
「そんなことより続きをしようや。魂が燻ったままじゃあ、互いに疼いて眠れねえだろう」
イグニスベルが傷を隠すように胸で両腕を組み、高圧的に言い放つ。
「もういい」
「あン?」
「もういいと言った」
おれは眉を寄せて切っ先を下げる。
油断をしたわけじゃあない。ただの限界だ。もはや菊一文字則宗を持ち上げていることさえできねえ。
「おれの勝ちかね?」
「そうではない。貴様を殺すメリットがなくなっただけのこと」
「めり……?」
いつの間にやらラドから離れ、おれの横に駆け寄ってきていたリリィが耳打ちする。
「利益とか利点とかそういう意味です」
「おー……おお?」
「言葉も通じぬのか、この未開の蛮族め」
イグニスベルが舌打ちをして吐き捨て、塵を見るかのような視線を向けてきた。
またこの目だよ……。どいつもこいつも……。
「んなこたァどうだっていい。おれを殺す利点がなくなったってのぁ、どういう意味だィ」
リリィが羽織りの袖を両手でぎゅっと握ってきた。
可愛いところもあるじゃねえかよ。
「おまえさんにリリィを渡すつもりは一切ないんだがねェ」
おれはリリィの肩に腕を回し、己のものであることを誇示するために銀色の頭を抱え込む……と言えば聞こえはいいが、実際んとこは両膝が震えて折れちまいそうだからリリィに寄りかかっているだけだ。
挑発しといてなんだが、とてもじゃねえけど戦えねえ。勘弁してくれ。
おれの心中を察しているのか、頬に突き刺さるリリィの視線が痛え。
イグニスベルの背後にラドが歩み寄り、口を開けた。
「シルバースノウリリィはおまえが使えということだ」
「はン? あたりめえのこと言ってんじゃねえや。この女はおれのもんだ」
リリィが息を呑んだ。頬にぶっ刺さる視線が熱を帯びた気がした。
「そうではない。察しの悪い男だ。神竜王イグニスベル様は――」
ラドの言葉をイグニスベルが面倒臭そうに遮った。
「ラド、面倒臭いぞ。竜騎兵どもを払ったあとだ。ふつうに話せ」
「そうだな。我が友イグニスベルは、おまえの力を認めたということだ。オキタよ」
ラドがイグニスベルの肩に大きな手をのせ、にやりと笑った。
唖然とするおれたちに、イグニスベルがラドを親指で指して呟いた。
「こやつはラド・カイシス。騎竜王イギル・カイシスの末裔だ。俺が背中をゆるすだけの実力を持つ友でもある。もっとも、竜騎兵すら知らんことだがな」
「どういうこと……ですか?」
ラドがリリィに視線を向けた。
「セレスティは千の刻をこえて生きる黑竜に備える国家だ。寿命の短いヒトの王では、世代交代のたびに求心力を失う。ゆえに我が祖イギル・カイシスは長き寿命を持つ火竜イグニスベルに王位を譲渡した。それだけのこと」
リリィが息を呑むのを尻目に、おれはため息をつく。
「誰が王だとか心底興味ないねえ。んなことより、どっちの王でもいいぜ。さっさと質問にこたえちゃくんねえかい。神竜王に騎竜王さんよォ」
イグニスベルが何度目かの舌打ちをして、ラドに視線を向ける。
「いいのか、ラド」
「ああ」
イグニスベルが不遜に言い放つ。
「サムライ。オキタとか言ったか。貴様は程々に使える。ここで殺すのは少々惜しい。ゆえに黑竜戦において、我らが旗下に入ることをゆるす。ありがたく思え」
おれは爽やかな笑みを浮かべて、懇切丁寧にこたえてやった。
「あァ? 偉ッそうに上から乞うてんじゃねえよ。屁に似た寝言はおれに勝ってからほざきな。ああ、だがおまえさんがおれの足を舐めるってぇなら考えてやってもいいがねェ? 考えるだけだが」
ラドが噴き出すと同時に、イグニスベルの表情に怒りが満ちた。
「……わかっているのか、貴様。俺がドラゴンブレスを吐いていたら、貴様はすでに死んでいた。むろん、際の話ではなく、崖に這い上がってすぐの話だ。情けで生かされた男が何を馬鹿げたことを語る」
無用な溜めをしていたってことかィ。たしかに崖下から空に向けてこいつはブレスを吐いていたっけか。
舐められたもんだ。
「阿呆抜かせ。おれの腹が減ってなきゃあ、おまえさんなんざ、直前の斬撃疾ばしで真っ二つだ」
「フン、戯けが。それを言うならば、俺がここへ到着した際に、我が手の者ごと空から灼き払ってやっても良かったのだぞ」
この火竜は怒り狂っているように見えて、なかなかに狡猾だ。
ラドや竜騎兵ごとブレスで薙ぎ払う気は最初からなかったということだ。もっとも、おれもそれに期待してラドではなくイグニスベルへと剣先を向けたのだが。
「ハッ、おれが黑竜病に罹患してなけりゃ、そんときすでに斬撃疾ばしでブレスごとぶった斬って格の違いってのを見せつけてやってたんだがねェ」
吐き捨て、舌を出しながら歪んだ笑みを向けてやると、イグニスベルとラドの顔色が大きく変化していた。
「黑竜病に罹患している……だと? そんな状態で……?」
「おうよ。こいつのエリクシルでどうにか保たせちゃいるがね。それよか神竜王なんぞ大層なもん名乗ってんのに、存外に小せえなァ、おまえさんは。なァ、リリィ?」
「え、あ、はい。そ、そうですね」
「かかっ! 嫌だねえ、小せえ男ってのは。見ていて悲しくなるぜ。ああ、小せえ小せえ。小ささが伝染っちまわァ」
血走った目と引き攣った瞳でイグニスベルがむりやり口もとにだけ笑みを浮かべる。
「ハッ、そのようにみっともなく膝を震わせながら、よくもそれだけの大口が叩けたものだ。真の男に病など関係ない。女に寄りかからねば立ってもいられんのか、貴様は」
「あァ?」
睨み合う。
「ふ、くく、ふははははっ! おもしろい! おもしろいな、おまえは! オキタ!」
ラドが野太い声で腹を抱えて豪快に笑った。
おれもイグニスベルも、苦虫を噛み潰したような表情で互いを睨んでいる。
だんだん餓鬼じみてきて阿呆らしくなったおれは、ざんばら髪を掻きながらため息をついた。
「……ま、黑竜を斬るのはおれたちの目的の一つでもある。おまえさんたちの旗下には入らねえし、手を貸すつもりもねえが、そのときがくりゃあ、せいぜい横から勝手にやらせてもらうさ」
「ああ。期待している」
ラドの言葉に、おれとイグニスベルが再び苦い顔をした。
「――行こうぜ、リリィ」
おれは懸衣の肩を抱いたまま、神竜王と騎竜王に背中を向けた。
やつらから少し離れてリリィが竜化する。もはや背中に跳び乗るだけの体力もないおれに気を遣ったのか、銀竜シルバースノウリリィは両脚を折って身体を下げてくれた。
リリィが白銀の翼で空をつかみ、上空へと浮かび上がってから、おれは笑ったままの膝をようやく折って仰向けに倒れ込む。
空は青く、ゆったりと雲が流れている。
『平気ですか?』
「……駄目だ……。……腹減った……。……動けん……」
『わたしもです。そこでですね、戻ってラドさんに食料を分けてくれるようにお願いしませんか? あの方はイグニスベルとは違って友好的でしたし、頼めば分けてくださると思うのです』
戦闘後に何度それを言い出そうとして言葉を呑んだことか。
だが、言えなかった。イグニスベルの前では。
「……莫迦か……。……あんだけ啖呵切っといておめえ……恥ずかしいだろ……」
『いい加減に捨てたほうがいいですよ、その矜持。いつか餓死しちゃいます』
己の小ささに泣けてきた。
ドラ子の雑感
………………………………………………小っさ……っ!!




