第六十六話 落ち武者
前回までのあらすじ!
ちょび髭伯爵が意外と強かった!
叩きつける大風の中、すっかりと乗り慣れちまった銀竜シルバースノウリリィの背で、おれは後方を確認する。
ちょいと前まで断続的に放たれていた滞空砲火はなりをひそめ、追ってくる影もない。
当然だ。おれは銀竜の背に乗って夜空を飛んでいるし、アラドニアの前線基地にはワイバーンもいなければ、ペガサスとかいう羽馬もいねえ。あるのは心の臓のぶっ壊れた軍用飛空挺のみだ。
「もういいぜ、リリィ。追っ手はなしだ」
『はい』
前線基地からある程度離れ、リリィが砂漠の大地に大きな足をつけた。おれが背中から飛び降りると同時に光の粒子を散らし、女性体へと変化する。
野盗団の洞穴からも前線基地からも、ちょいと距離のある場所だが、どちらにしろリリィの銀竜体を見られるわけにはいかない。アラドニア側に見られりゃ当然攻撃を受けるだろうし、ナタクたち野盗団に見られても面倒だ。
リリィが懸衣の背中に入った長い銀髪を両手で掻いて出し、苦笑いを浮かべた。
「作戦、失敗しちゃいましたね」
「んだなァ~……。ナタクにどう言い訳するかねェ……」
盗みの正否にかかわらず、ナタクらには朝日が昇るまでには野盗団の洞穴に戻るよう言い含めておいた。
ま、おれたちからの合図がなかったんだ。今頃は物資を奪えなかったナタクらも、とぼとぼと肩を落として洞穴に向かって歩いている頃だろう。
「おれたちも行くかぁ」
「洞穴へ? それとも竜騎国家セレスティを目指しますか?」
しばし黙考し、おれは肩をすくめた。
「合わせる顔もねえが、まあ水と食料をもらった恩義もある。挨拶くらいはしておくさ。それにまた腹も減っちまったしな」
「お腹は減りましたね。では、しばらくは徒歩移動ですね」
おれはリリィが差し出してきた赤い液体の入った小瓶を受け取り、木の栓を噛んで抜いて一気に煽った。
銀竜の血液、すなわちエリクシルだ。こいつがなきゃ、このぽんこつの身体は一日と保たずにぶっ壊れちまう。
喉奥に鉄の匂いのする液体が流れ込んでゆく。血液だが、不思議と生臭くはない。
「ありがとよ」
小瓶の栓を戻してリリィに返す。
「ストック――ああ、えっと、取り置きが切れる前に、また少しわたしを傷つけてくださいね」
「ん~む」
濁す。できればそんなことはしたくないが、おれは定期的にリリィの腕に傷をつけ、血を流させている。おれがリリィに課した盟約のせいで、リリィはおれのために自らの手で自らの肉体を傷つけることができないからだ。
「何度も言いましたが、銀竜はエリクシルを体内に流す生物です。小傷程度でしたら痛みも感じませんから、遠慮なくズバッとやっちゃってくださっても大丈夫ですよ」
わかっちゃいる。わかっちゃいるが、あまり気分のいいもんじゃあない。
歩き出すリリィに、おれは声をかける。
「あぁ、ちょい待ち。着替える。やっぱ洋服ってのぁ、どうにも窮屈でいけねえや」
「どうぞ」
「どうぞじゃねえんだよ。あっち向いててくれる?」
リリィが少し考える素振りを見せてから、不満そうに尋ねてきた。
「それは盟約ですか?」
「……違うが、ふつうはそうするもんだろ」
「お断りします」
なんで?
凛々しい顔で若干頬を染め、リリィが瞳をかっ開く。
「さあ、どうぞ」
砂漠に風が吹き、表面の砂がさらさらと流れた。
「……」
「……」
まあいいか。手こそ出しちゃいねえが、散々っぱら同衾してきた仲だ。今さら褌の一枚や二枚。
おれはリリィが魔術で編んだアラドニアの兵服を脱ぎ捨て、褌一丁になって――ちらりとリリィに視線を向けた。
空色の視線が下がったと思った瞬間、リリィの鼻からエリク汁がつぅと垂れた。
「わっ、わっ、出たっ、出ましたっ、成功です!」
何がっ!?
リリィが小瓶の栓を抜き、鼻から垂れ続けるエリク汁の滝に持っていこうとしたところで、おれはとっさにその手をつかんで阻止した。
まじか、こいつ……。おれに鼻血を飲めと……。
生暖かい視線で彼女を見つめ、おれはゆっくりと首を左右に振る。
「うびっ、だっで、オキタはわらひを傷つけてくえないりゃないれふか」
「落ち着け。とりあえず鼻血を拭け」
おれは足もとに置いた羽織の袖から手ぬぐいを取り出し、リリィの鼻を拭った。だが、拭けども拭けどもエリク汁は溢れるばかりだ。
やべえ、なんだこれ。止まらねえぞ。もったいねえ。
だめだ。とりあえず手ぬぐいを詰めとくか。
リリィが真っ赤に染まった顔で呟く。
「あの、ふんろひをかくひてくらさい」
「お、おお。ああ」
おれは袖無しを着込んで袴を穿き、羽織を肩にかけた。
しばらく上を向いていたリリィが、恐る恐るおれに視線を戻す。
「ふぅ、止まりました」
なんだ、こいつ……。もう凛々しい顔してやがる……。
「わたしなりにエリクシルの供給方法を考えてみました。オキタがわたしを傷つけることも、鼻血作戦もだめだとするなら、あとはもう――」
言葉を切り、すーはーすーはー深呼吸をしている。
大きな胸の前で拳を握りしめ、グビッと喉を動かし、真っ赤な顔と血走った瞳で叫ぶ。
「あとはもう接吻しかありません! どうしてもわたしと毎日のように接吻がしたいと仰るのなら、盟約にて命じなさいませ!」
「………………それ、おまえさんが寝てる間に無駄にだらだら垂らしてる唾液をもらうのと何が違うんだ?」
二人して同時に首を傾げる。
「……ま、とりあえずナタクらんとこに行こうや。腹も減ったしな」
「そうですね。食べてから考えましょう。根こそぎ」
「や、あいつらも物資がねえんだってば」
こうしておれたちは野盗団の洞穴を目指し、月の沙漠を歩き始めた。
ドラ子の雑感
う~ん、何か他にわたしが嬉しくてオキタが嫌がりそうな供給方法ないかしら。




