第四十一話 黑竜の軌跡
前回までのあらすじ!
嫉妬したドラ子によって、ダークエルフ子が処されたぞ!
ばいばい!
燦々と輝く太陽が直上にあった。
雲一つない晴れた空を、一体の竜に乗って進む。のんびりと飛んでいるため、おれは後頭部で手を組んで仰向けに寝っ転がっていた。
「広いねえ」
『何がです?』
呟いた言葉に、リリィの念話が返ってきた。
「レアルガルド大陸だよ。日本だったらもうとっくの昔に端から端まで飛んで海の上だ」
『飛んでも飛んでも海は見えてきませんね』
すでに国家をいくつも越えてきているのに、最果ては未だ見えず。
あてもなく“世界喰い”を追って西へ向かうのは、どうやらあまり良い策ではなかったらしい。そも、やつが直進し続けるとも限らない。
いや、待て――。
おれはふいに身を起こす。
「リリィ」
『はい?』
「おれたちは“世界喰い”を追ってるんだよな?」
『何を今さら。頭でも打ちましたか?』
その言い方よ……。
だが、おかしい。違うぞ、おそらく。おれたちは見当違いのことをしている。
「リリィ、酷なことを訊いていいか?」
『なんなりと」
「銀竜族はルナイス山脈の直上で黑竜“世界喰い”と戦ったんだよな?」
ぴくり、と大きな背中が震えた。
『……はい。銀竜族だけではありません。当時はまだアラドニアが猛威を振るう遙か以前でしたので、光の眷属も常闇の眷属も古竜種と手を取り合って戦いました。あのハイエルフでさえもです。レアルガルド大陸史上、過去に例を見ない連合軍だったと思います』
そりゃすげえ。
『もっとも、それでも仕留めることはかなわず。結果は知るとおりです』
亜竜らしき群れを後方から蹴散らすように追い抜いて、銀竜シルバースノウリリィは青空の下を駆ける。
接触したらしき一体の亜竜が落下し、大あわてで羽根と脚をばたつかせながら群れに追いつくのが見えた。
どんくせえ個体だ。
「黑竜も空にいたんだよな? 魔術っつーか魔導機関さえ持ってなかった人間が役に立ったのかィ?」
『人間に限らず各種族の代表者が竜騎士や竜騎兵となり、選ばれた古竜種、つまり銀竜族や青竜族、火竜族、黄金竜に騎乗して立ち向かったのです。瘴気感染し、黑竜病に罹患することを覚悟の上で。竜騎国家セレスティのワイバーン乗りたちとともに』
少し押し黙り、自信なさげにリリィが付け加えた。
『わたしの記憶がたしかなら、ハイエルフ族のエトワール公もその一人だったはず。……記憶している名前と違っていたので黙っていましたが……』
道理でな。疑う余地はあるが、信じる余地も少なくない。
おれたちを追い詰めたあの植物を操る精霊魔術なら、おそらくはアラドニアの軍用飛空挺だって問題なく墜とせただろう。
あれは空の敵まで意識した魔術だ。
『戦いで生き残ったのはわずか七名。レアルガルド大陸では七英雄と呼ばれています』
だとするなら、エトワール公は七英雄のうちの一人かもしれないってことか。
「そこらへんのことは追々でいい。おまえさんの両親も含めた竜騎士や竜騎兵らは、黑竜相手にそこそこやれたのかい?」
『ええ。わたしが傷を負って撤退したあとには、一時は黑竜の片翼を奪うに至ったそうですが……』
激戦か。ならばルナイス山脈全土が死の山と化したことも理解できる。
妙なのはその後だ。リリィは黑竜“世界喰い”は西へ飛び去ったと言った。
『オキタ?』
「なあ、リリィ。なぜルナイス山脈だけが死の山になってんだ?」
『……? どういう……? 黑竜の被害によって死んだ土地でしたら、他にいくつもありますが……?』
リリィが長い首をこちらに向けて、空色の瞳を歪めた。
「“世界喰い”が西へ飛び去ったなら、やつの痕跡は西へと続く死の路として残されているはずじゃねえのか? 魔素を根こそぎ奪い取り、瘴気をまいて飛ぶんだろ?」
『――!』
空をつかむ白銀の翼が止まった。速度と高度が徐々に下がってゆく。
おれたちは狂気の山と呼ばれるルナイス山脈から西へ飛び立った。
豊穣な森林地帯に建国された名もなき国を越え、魔物らが大量に潜む迷いの森を越え、ここまでやってきた。
どこにルナイス山脈並みの死があった? 黑竜が上空を通過したのであれば、ルナイス山脈同様に魔素は枯れ果て、生あるものは絶滅していたはずだ。
「通ってねえんだ、黑竜は」
『そんな……っ』
気づけばおれたちは、あてもなく岩山の渓谷に降りていた。
ここにも豊かな緑がある。渓谷を流れる渓流は澄み切っていて、魚が泳いでいるのが見えている。もっとも、リリィの姿に驚いたらしく、あっという間に散って水中の岩陰に隠れちまったが。
リリィが女性体へと変化する。懸衣の背中に入り込んだ銀色の髪を両手で出して広げ、何事かを思案するように口もとに手をやった。
おれは遠慮がちに尋ねた。
「実はルナイス山脈の戦いで死んじまってたって可能性はねえかィ?」
「あり得ません。失われた片翼を魔素で復活させて飛び去ったのをこの目で見ています。それに、ライラも黑竜は生きているみたいなことを言っていたではありませんか」
「そうなんだよなあ……」
アラドニアを潰すには、もう“世界喰い”に頼るしかない。
ダークエルフの娘はたしかにそう言った。それはつまり、黑竜“世界喰い”はどこかで今も動いているということだ。
おれが手頃な岩に腰を下ろすと、リリィが背中合わせに座った。
だとするなら――。
「ルナイス山脈に身を潜めている可能性は?」
首を左右に振ったのだろう。首筋でリリィの銀髪がこすれた。
「それこそあり得ません。黑竜はアラドニアの軍用飛空挺を二十機ほど並べたような大きさなのですよ。どこにいたって発見は容易です」
「ふぅ~む。…………ぬぇっ!? そんなでけえの!?」
わかっちゃいたが、本物の化け物だな。
しかし黑竜の野郎がそこまでの大きさだとするなら、ますますもってわけがわからん。そんなやつがどこに身を隠すよ。世界中のどこにいたって目撃談くらいはあるはずだ。
臓腑がざわつく感覚を無視して、おれはリリィの背中にもたれかかった。
体温が高くて気持ちいいんだ。こいつの身体は。たまに抱きたくなる。
「こりゃあ、情報収集からやり直しだな」
「そうですね。まだルナイス山脈を旅立って十日と経っていませんし、焦る旅でもありません。のんびりいきましょう、マスター」
「だなァ。被害地域でも辿ってみるかね。――よっと」
岩を蹴り、水を跳ね飛ばして走る足音が近づいている。
おれは立ち上がり、腰に吊した菊一文字則宗の柄に右手を置いた。
「あれれ? いつの間に?」
おれに遅れることわずか、女も気がついたらしい。
やがて渓流を蹴って、そいつらは姿を現す。
山賊か魔物だろうとは思っていたが、おれの想像はあっさりと覆された。
鎧を着込み、片手に凶悪に反った剣を持ち、鱗に包まれた二足歩行の蜥蜴のような生き物だ。
なんだィ、ありゃあ……。
リリィが立ち上がり、空色の瞳を閉じて鼻をすんすんと鳴らした。
「マスター、気をつけてください。上にもいます」
「みたいだねェ」
おれたちのいる渓流の遙か上、断崖絶壁――。
直上に浮かぶ太陽を背負って人影が蠢いている。いくつもだ。
おれは陽光に手をかざして瞳を細めた。
「ちょいと面倒だな」
ああやって逆光の中から魔術でも撃たれた日にゃあ、対処が難しい。
おまけにこいつら、わざと音を立てて走ってくる役割の前衛と、気配と足音を消して断崖絶壁にこっそり回り込む役割を持つ後衛に分担してやがる。
見た目に反して、ずいぶんと知恵の回るやつらだ。
警戒すべき、だな――。
ドラ子の雑感
だらだらお空飛ぶの気持ちいい~……。
あ、ワイバーンさんにぶつかっちゃった!




