第三十九話 エリクシル
前回までのあらすじ!
ドラ子が焦らしすぎたせいで、人斬り侍が逝きかけたぞ!
おれは唇をすぼめてリリィの人差し指から彼女の血を吸った。小瓶から飲むのとは違って、思うように溢れ出してはこない。
加えて言えば、リリィの傷は恐ろしい早さで修復される。傷口から一度に十分な量を摂取するには、ちぃとばかしこつが必要かもしれない。
それにしても――。
おれはちらりと視線を上へ向けた。リリィはなぜか恍惚の表情でおれを見ている。口もとに勝ち誇ったかのような謎の笑みを浮かべて。
「ふふ」
なんだこの、してやったりな表情は。おれを乳首に吸い付く赤子扱いしてんじゃねえだろうな。
だが、どうやら指を噛み潰した痛みはあまり感じていないらしい。さすがは銀竜だ。
しかし今後充分な量を得るには、どうすればいいのかを考えねば――。
仮に接吻を受け入れたとしても、摂取量の面ではかなり不都合だ。まあ、他にも思いつく方法がないわけではない、が……。
体液すべてがエリクシルだというのであれば、こいつが寝ている間に、だらしねえ口もとからぼたぼた垂らしている涎もエリクシルだ。要するに寝てる間に瓶に溜めておけばいいのだ。
いや、しかし。しかしこの抵抗感よ……。
女の涎を瓶に溜めて飲むなんざぁ、まるでど変態の所業じゃねえか。
結局のところ、よほど壊れた性癖でもねえ限りは、こうして血を吸う以外に方法はなさそうだ。
「…………お、おまえら――な、な、な、何をして……?」
少しでも多くあやかろうと必死扱いて吸っていると、突然背後から声が上がった。
おれはちゅうちゅうとリリィの指先を吸いながら視線を上げる。
夜明け前の闇に溶け込む、耳が特徴的な身体。
その表情は予想通りどん引きだよ、ちくしょうめ。
「ふぁいふぁふぁ。ひょっふぉふぁっへほ」
「ライラか。ちょっと待ってろ。と言っています。たぶん?」
合ってる。
だが、その瞬間、先ほど噛み潰したリリィの指先の傷口が塞がった。
「……たあ~、終わっちまったィ」
「足りました?」
おれは自らの胸に手をあてて呼吸を確かめる。
まだ喘鳴が聞こえる。動けぬほどではないが、必要十分ではないのだろう。
こたえあぐねていると、リリィが察したように再びおれの口内へと指を差し込もうとしてきた。おれはあわててそれを手でつかみ、阻止する。
「……痛えだろ?」
「?」
リリィが怪訝な顔で首を傾げた。
「ノリスケで斬られたときほどは痛くありません」
「違うぞ? や、内容的には違わねえけど」
なんでこいつら刀の銘をおぼえねえんだ?
「とにかく、わたしはオキタのために自らの手で自らを傷つけることはもうできませんから、あなたが噛み潰してください」
まいったな。余計な盟約を結んじまった。
だが、そうだな。背に腹は代えられんか。女と矜持、どちらが守るべきものかなんざ決まってる。女を切れば矜持が廃るってもんだ。
おれは意を決してリリィに口を開く。
「リリィ、おまえさんが寝ている間に垂らしてる涎、ちょいと溜めさせてもらってもいいかい?」
「……」
わずかな沈黙。
リリィが目を丸くした。
「や、おいおい、なんて目で見てんだ。飲むだけだ。ああ、つってももちろんおれの特異な性的嗜好を満たすために飲むわけじゃあねえよ? ただ、あんだけだらだら垂らしっぱなしで地面に飲ますのぁ、ちぃとばかしもったいねえって話――」
「垂らしてません」
リリィが食い気味におれの言葉を遮った。
今度はおれが目を丸くした。
「いや、だっておまえさん――」
「涎なんて垂らしたこともありません」
「や、寝るたびにおまえさん――」
「知りません」
「そりゃ本人は寝てんだから知らねえだろうけど、結構な勢いだぜ?」
湖の向こう側から朝日が昇り始めた。
陽光に照らし出されたリリィの顔色が、朱に染まってしまっている。涙目で小刻みに震えながら恥ずかしそうに。
「あの、な?」
「もう垂らしません! 二度と垂らしません!」
泣いた。
しかも話変わってきてんじゃねえか……。
しばらく呆然と見つめていると、ライラがものすごく軽蔑したような視線をおれに向けてきた。
「お、おまえ、ほんとになんの話を……オキタは変態なのか……?」
リリィが涙目のまま、きっとライラを睨む。
「オキタは変態ではありません! ちょっと変なだけの人です!」
それも違う。
おれはため息をついてリリィを指さした。
「や、銀竜だからエリクシルなんだよ。こいつの体液は」
「あ、ああ、そっか。そうだよな。……て、おまえ、性癖以外にもどっか悪いのか?」
おい……。
性癖はまともだ。これだから異国の女ってやつぁ、羞恥心ってもんがねえ。
「黑竜病だ」
「な――ッ!?」
「だーから言ったろ? “世界喰い”なんざ、人間の手に負えるもんじゃあねえって」
ライラが渋い表情をして唇を尖らせた。
「う、うん……ごめん……。……知らなかったとはいえ、牢では……その……無神経だった……」
耳が垂れ下がっている。
「あれま、素直じゃねえの」
「うん……。黑竜病か……ほんとそうだ……。あんなもんに頼っちゃだめだな……」
しばらく逡巡して、ライラが再び口を開く。
「あたしさ、おまえがエトワール公の精霊魔術をノリスケでぶった斬ったとき――」
またこれ。
「則宗な。菊一文字則宗」
「ああ。ノリスケでぶった斬ったとき、案外やれるもんなんだなって思えたんだ。黑竜なんかに頼らなくっても、こんなことができるんだって。で、アラドニアの軍用飛空挺を墜としたって話も、ほんとだったんだって思えた」
もうノリスケでいいか。
「まあな。色々縁あって斬ることになった」
「うん……でも、そっか……。おまえ、身体悪いんだ……。そっか……」
うつむき、ライラが長いため息をつく。
「心配すんな。エリクシルをもらってる限り死にやしねえよ」
「うん……」
なんだよ、妙にしおらしいな。迷いの森からの脱走劇は、ライラにとってはどうやら相当な衝撃だったらしい。おれへの見方が変わっちまう程度には。
「じゃあ、無理は……言えないか……」
「アラドニアをぶっ潰す依頼なら必要ねえぞ。もともとそのつもりだからな。ちなみに今は“世界喰い”を追ってる。むろん、ぶった斬るためにな」
ライラがゆっくりと首を左右に振った。
「そういうんじゃないんだ。おまえの力を目の当たりにして、こいつならって思えたことがあってさ」
「まわりくどいのは好きじゃねえ。だめもとで言ってみな。気が向いたら叶えてやる」
どうせ誰かを斬ってくれって話だろ。そいつが悪人ならおれの目的とも合致する。善人なら依頼は破棄すればいいだけのことだ。
ライラが小さくうなずく。
「オキタ。おまえ、常闇の眷属を統べてみないか?」
おれとリリィは同時に眉根を寄せて、唇をひん曲げた。
ドラ子の雑感
ちゅうちゅうちゅうちゅう。
ふふ、かわいい……っ。




