第三十二話 膝枕
前回までのあらすじ!
たった一つ食べ物を奪い合う人斬り侍とドラゴン嬢の浅ましき姿に、全米があきれた!
腹は満たされた。
食事を終えてしばらく。栄養が肉体に行き届いたのか、身体が幾分軽くなった。
おれは立ち上がって身体を伸ばし、腰を曲げながらリリィに呟く。
「よし。んじゃ、そろそろ行くかね」
「……え?」
リリィは正座したまま、不思議そうにおれを見上げてきた。
「食うもん食ったし、おいとましようっつったんだよ。飯食ったらもう用はねえだろ、こんな集落」
斬るほどの悪人もいなさそうだ。
「どうやってですか?」
「おまえさんがぶん殴って格子を折りゃあいい。あとはまあ、こっそり菊一文字則宗を盗み出した後に、竜化して空にとんずらだ。得意の弓も雲までは届くまいよ」
リリィが両手を広げて肩をすくめた。
「この格子は折れませんよ。魔術で強化されていますから」
「そうかい。じゃあおれは端のほうにいるから、銀竜体に戻って派手にぶち破るってのはどうだい。女性体よか力は出せるんだろ?」
あのすまし顔のエルフどもを少々驚かしてやるのもおもしろい。
なにせ有無を言わせずおれたちを牢屋にぶち込んだ上に、菊一文字則宗まで取り上げやがったやつらだ。格子越しの話すら聞きやしねえ。
「できませんってば。この牢獄になっている大樹には魔術封じがかけられていますから。迷いの森と同じ状態です」
数秒、考えた。
「え?」
「え?」
するってえと、なんだ?
「おまえさん、なんでむざむざ捕まったの?」
「……マスターが、お腹空いてそうでしたので……お食事くらいはいただけるかなーって思いまして……?」
変な汗が滲み出た。
リリィの女性体の腕力でも破れない牢だとすれば、菊一文字則宗がなければおれにはどうすることもできない。
「……たはぁ~、もう……とことん箱入り娘だな……」
「なんですか、急に? たしかに今は箱に閉じ込められているようなものですが」
自分の言葉がおかしかったのか、リリィが口もとに手をあててくすくすと笑った。対照的に、おれはざんばら髪を掻き毟る。
拙い。拙いぞ、これは。
いつでも出られるとばかりに思っていたが、相当に甘い見積もりだったようだ。
先ほどのエルフどもの会話を信じるならば、やつらはおれたちを生かして外に出すつもりはなさそうだ。生涯閉じ込めるつもりなのか、それともばらして魔物の餌にするつもりなのかは知らねえが――まあ、十中八九後者だ。余計な手間が省ける。
おれは頭を抱えてしゃがみ込む。
よお、死神。また来たのかい。さっきは邪険に追っ払って悪かったな。
「声に出てますよ。正気は保ってくださいね」
「わかってるよォ!?」
格子と格子の隙間はおよそ三寸。いくらおれが痩身矮躯でも、さすがに抜けられたもんじゃあない。地道に削ろうにも、残念ながら食器には金属製の三つ叉矛はなかった。そも、食器で削れるくらいならリリィがへし折るだろう。
宵闇に目を凝らし、牢からこうして集落を見回しても、金属器を持っているエルフはいない。ハイエルフもダークエルフも、手にするものは木製か石器ばかりだ。そういやおれを狙ったダークエルフのライラとかいう女も、黒曜石の鏃を使っていたっけ。
察するに、この集落には金属器はないのだろう。それこそ、取り上げたおれの菊一文字則宗くらいしか。
もっとも、あったにしても奪い取ることは少々難儀だと言わざるを得ない。
「……ま、考えたって仕方ねえや」
おれは後頭部で両手を組んで背中から倒れ込んだ。
「寝る。腹が膨れたら眠くなった」
「膝枕をいたしましょうか?」
少し迷った。少し迷って。
おれがちょいと頭を上げると、リリィがいそいそと膝を滑り込ませた。
固い大樹の洞よりはだいぶいい。おれより体温の高いこいつの膝は、柔らかくて気持ちがいいのさ。それに、いい匂いがしやがる。
「悪ィな」
「いいえ」
そうして幼子にそうするように、リリィはおれの頭を静かに撫で始める。
「餓鬼じゃねえんだ」
「ご命令いただければ、やめます」
くすくすと笑いながら。
はてさて、こいつはおれを人形扱いしているのか、それとも誘っているのか。まあ、どっちでもいいさ。
散々っぱら他人の人生を奪ってきた汚れた人斬りに、そんな資格があるとも思えねえ。
おれはため息をついて、瞳を閉ざす。
極めて情けねえことに、それでも心地よいと思っちまっている己がいる。こんな姿ァ、まかり間違っても地獄に行った新撰組にゃ見せられねえや。
「……盟約は使わねえよ」
「そうですか。では、このままで」
穏やかな囁き声が、耳もとで聞こえた。
「疲れたり痺れたりしたら勝手に抜けていいからな」
「ふふ、お気遣いは無用です。わたしは疲れ知らずの銀竜女ですから」
おかしそうに笑って。
今頃になって、丸二日走り回っていた疲れが出たらしい。何度も頭髪を滑るあたたかな手が、やけに眠りを誘いやがる。
ありがとよ……。
その言葉を口に出せるほどには、おれは素直じゃあなかった。
「……おやすみなさいませ、マスター・オキタ……」
優しげに――。
優しげにそう言ってのけたはずの女は、しかし幾ばくもなく勝手気ままに眠りにつき、ふうわりとした膝と巨大な胸でおれの顔面を圧迫しながら涎を垂らしていた。
おれの顎に。
こんにゃろ~ぅ……。
まったく。銀竜族ってのは、なんて口もとのだらしねえ生物だ。
ドラ子の雑感
………………ふぁ……ン…………ふぇ……?
い、い、いつの間にか寝てた……っ!?




