第十六話 空の旅
前回までのあらすじ!
ドラ子、デレる!
銀竜の姿となった女に、おれは無駄と知りつつ尋ねてみた。
「鞍はねえのかい?」
『も、申し訳ありません』
寒風吹き荒ぶ中、緊張感漂う口調で、銀竜がおれの頭に直接語りかけてきた。
これは女が誤解で“怪物”を捜索に出ようとしたときにも聞こえてきた声だ。あのときは動転していて気のせいかと思ったが、実際に耳から聞こえているわけではないと今ならわかる。
不思議な感覚に、おれは彼女を見上げて己の頭を指さす。
「……こいつは? おまえさん、今喋ってねえよな?」
『あ、これ、えっと念話という魔法です。マスターの体内にあるわたしの血液を通し、脳内に直接語りかけています』
「へえ、離れてても使えるのかい?」
下がった長い首を少し撫でてやると、銀竜は空色の瞳をわずかに細め、少し落ちついたように長い息を吐いた。
『距離は問題ではありません。マスターの体内にわたしの血液がある限り』
おれ以外には聞こえない声か。女に監視されているようで少々むずがゆいものはあるが、使いようによっては戦場での生存率を大幅に上昇させてくれるだろう。
「便利だねェ。……と、鞍はないんだったな」
『わたしの背にしがみついてください。飛行中に振り落とされると、さすがに生命の保証はできません』
「莫迦。おれぁ侍だぞ。女にしがみつくなんざ、みっともねェ真似ができるかよ」
銀竜の女が、素っ頓狂な声で呟く。
『お、女……? 人間のあなたから見て、銀竜形態のわたしは女性体なのですか?』
「ああ、綺麗なもんだぜ」
嘘偽りはない。媚びたつもりもない。本気でそう思った。銀竜の眩いばかりの生命力が、肉体のそこかしこから溢れ出しているのだから。
『~~ッ!?』
おれに長い首を向けていた銀竜が、ついと視線を逸らした。
おれは少し迷ってぼろぼろの雪駄を脱ぎ、洞穴の入口へと投げ込む。履き物のままでは銀色の鱗を足の指でつかむこともままならない。
裸足で雪の上に立つ。
「冷てえ~……」
あわてて地面を蹴って、巨大な銀竜の背中へと跳び乗った。
せっかく治った凍傷だ。再発なんざ目もあてられねえ。
銀竜の背中はしっとりとしていて、おれの体温よりいくらか高かった。
『マスター、先ほどあなたの仰ったサムライとはなんなのでしょうか?』
「ああ、刀一振で意地張って生きてる莫迦な漢のことだ。時代が移り変わろうが、武具が刀剣類から火筒に取って代わろうが、侍だけは変わらんのよ」
あからさまなため息が聞こえた。
『愚かな生き方です』
「かかっ、違えねえや」
念話なのに咳払いが聞こえた。
『……ですが……その……、……わたしは嫌いではありませんから』
「ありがとよ」
銀竜体を褒めた礼のつもりかな、などと考えながらしゃがみ込み、おれは白銀の鱗に覆われた首を右手で撫でる。
なかなかどうして、この姿も見慣れればかわいらしいもんだ。
『行きます。振り落とされないようにしてくださいね』
「あいよ」
銀竜が巨大な翼を広げた。ただそれだけの動作で、翼が膨大な量の風を巻き込むのがわかった。
次の瞬間、銀竜はなんの躊躇いもなく大地を蹴って、底の見えない奈落へと降下する。ゴォと耳もとで風が鳴いた。
身体が空に投げ出されかけて鱗をつかむ両足の指に力を込めた瞬間、一転。
「~~っ!」
今度は全身を銀竜の背に押しつけられたかのような感覚に襲われた。
急上昇――!
風を巻き込み、虚空を切り裂き、一人と一体は底の見えぬ谷から大空へと舞い上がる。わずか一呼吸でルナイス山脈を眼下に収め、銀竜はなおも羽ばたき上昇してゆく。
鳥肌が立った。寒いからじゃあない。
「う、おおおお――っ! こりゃすげえ!」
年甲斐もなく餓鬼のようにはしゃいじまったおれを、念話で女が笑った。
『お気に召しましたか?』
「ああ、たまんねえな、こりゃ……と、ふつうに喋ってたんじゃ聞こえねえか」
風の音。激しく。嵐の夜よりもずっと。
『いいえ、聞こえています。マスター、あなたの言葉だけは』
「おれの声も体内の血を通して、か?」
『はい。ですので、効能が消える前に毎朝ちゃんと飲んでくださいね』
両の翼で大気を叩く。たった一度のその動作で、銀竜はさらに上昇する。
鳥の一団がおれたちに驚いて、一斉に散った。
なおも上昇。雲を破り、晴れ渡る青空まで。
これほどまでに曇りなき澄んだ空を見たのは、生まれて初めてだった。お天道様がぎらついてやがる。
『苦しくはありませんか? 寒くはありませんか?』
「呼吸は問題ねえ。黑竜病の発作はこんなもんじゃなかったからな。けど、さすがにちぃっとばかし寒いねェ」
『では降下いたします。わたしたちはすでにルナイス山脈を越え、高原地帯も越えて、その先の未開地に到達しています』
おれは銀竜の洞穴から見た山脈の連なる景色を思い出し、肩をすくめた。
「はは、そりゃまたぴんと来ねえ速さだな」
どこか得意げに少し笑って、銀竜が降下を始めた。
「けどおまえさん、未開地に下りてどうするね」
『この一帯が未開地であったのは、二十年ほど前までのことです。当時から人間たちが開墾を始めていましたので、無事に済んでいたならそろそろなんらかの集落ができているものかと思われます』
そんなに簡単に国を作れるものなのか、この大陸は。
『仮に人間の村や集落がなくとも、動植物の豊富に育つ地ではありますので』
「食いもんにゃ困らねえか。んじゃま、任せるぜ」
『承知いたしました』
再び雲を貫き、遙か遠方の大地を目指す。
草原だ。その周囲は森に囲まれている。ふと気づくと、茶色の獣が群れを成して草原から森へと移動していくのが見えた。
野生の鹿だ。ありゃ食えるな。
しかし凄まじい速度で迫り来る地面をじっと見つめているのは、さすがに恐怖を感じる。
自由落下以上の速度で、ほとんど垂直に――。
大地を走る獣が鹿だと判別できるようになってようやく、銀竜は翼を広げて侵入角を弛め、ふわりと空中に停止した。
そうして両の足から草原へと降り立つ。
おれが背中から草原へと飛び降りたのを確認してから、銀竜は女性体へと変態した。
「ありがとよ。運んでくれて」
「いえ。わたしはマスターの騎竜ですので。そのようなことより――」
女が森を指さす。
「この先の森の中に、先ほど集落らしきものを発見いたしました」
「んじゃま、そっちを目指すかね」
ドラ子の雑感
この人、わたしのこと好きになってくれるかな~!




