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その日は真っ青な空が広がり、その地にしては汗ばむ陽気でした。
男は馬に騎乗してお城へ帰る途中でした。男といってもまだ少年の域を出ないような歳で、顔には幼さも残っているのがわかります。ですが彼はきりっと表情をひきしめていたので、なかなか威厳に充ち満ちていたのでした。
まわりを大勢の兵士や馬にかこまれながら、彼は草原のまんなかを貫く道を行きました。遠くの畑では、農作業をしている人が見えます。あくびの出そうなのどかな風景の中、前方の山の中腹には、石造りの荘厳なお城がそびえていました。
彼はこの国の王さまでした。彼の父親が死に、その跡を継いでからまだ一年しか経っていません。やっと王さまという立場に慣れてきた彼でしたが、視察という名の遠出は、なかなか骨が折れるものでした。早くお城の自室でのんびりしたいものです。
まわりに気づかれないよう、彼はそっと息をつきました。王さまというのは、他人の前ではため息さえついてはいけないと乳母に厳しく言われていたので、気をつけてため息をつきました。
ざくざくと蹄の音を聞きながらゆられていると、道の端になにか転がっているのに彼は気づきました。それは兵士も同じようで、先頭に立っていた兵士が走りだすと同時に、停止の号令がかかります。
目をこらすと、どうやら人のようでした。確かめに走った兵士も、あれは人だと報告しました。
行き倒れをそのまま放っておくのは、王さまとして無責任な気がしますが、倒れている人間を全員助けていてはきりがないと近臣に言われていたので、彼は兵士の報告にうなずいただけでした。
そのままふたたび進もうと、列が動き出しました。ですがまた、止まれ、と号令が上がります。
隊長の話によると、その倒れている人のせいで、隊列が通れないということです。
「隊の幅を狭くすればいい」
彼が提案すると、隊長は困ったような顔をしました。
「編成しなおすには時間がかかります」
「では、草むらを歩けばいい」
「毒へびが出たら危険です」
彼は腕を組みました。どうやら倒れている人にどいてもらうしかないようです。
彼は兵士に命令して、倒れている人をどかすことにしました。ですがこちらのわがままを聞いてもらうので、かわりに食べ物をあげることにしました。これなら近臣の忠告に逆らうわけではありません。
ぶじ道が開け、隊列が進み出しました。倒れている人は、草むらに半分身体が埋もれていました。
馬の上から見降ろしながら、どうやら女性のようだと彼は思いました。それから小さくお礼を言いました。
するとそれに反応したように、ぴくり、と倒れている人が動きました。
彼は思わず馬を止めてしまいました。驚いて隣の騎士が馬を止め、近衛が馬を止め、そして隊列全体が歩みを止めます。
彼はじいっと倒れている人を見つめました。身につけている服はぼろぼろで、まるで布のかたまりに人の頭がちょこんとすえつけられているようです。ぼさぼさに乱れた髪は短く、わずかに見える肌も黒くくすんでいます。
どこにでもいる行き倒れでした。けれど、彼はなぜかその場を離れることができませんでした。
騎士がなにがあったのかたずねてきましたが、彼の耳には届きません。ただ、じっと翠の瞳で倒れている人を見つめます。
自分でもなぜ動けないでいるか、彼にはわかりませんでした。けれど身体中のすべての血が、肉や神経や心でさえ、ここを動くなと訴えているのです。それはほとんど本能でした。
倒れている人がゆっくりと動きます。そして黒いかたまりがゆるゆると持ちあがり、髪の下に隠されていた顔があらわになります。
見たこともない顔立ちでした。この国の人とは似ても似つかないのに、彼は親近感を覚えました。顔も真っ黒に汚れているのに、美しい目鼻立ちなのだとわかります。
地面をさまよっていた視線が、彼の顔をとらえました。彼は息を呑みました。
身体の底から、得体の知れない激流が湧きあがってきて、全身を包みこみます。まるでいきなり泉のまんなかに放りこまれたようです。頭のてっぺんから足のつまさきまで、どこもかしこも喜びの水に浸されていました。あまりにもうれしくて、彼は自分が喜んでいることにさえ気づきませんでした。
――見つけてしまった。
彼はすべるように鞍から降りると、倒れている人の前にひざをつきました。
彼女は何の感情も示さないまま、ただじっと彼の顔を見つめていました。