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変態紳士の変態事情―カワイイは詰み編―(自援絵有り)


「はぁ……暇だな……」


 ハイド・パークを南北に縦断する散策路ブロード・ウォーク。

 その南側に位置する店舗で若い店員が無聊を託っていた。


 普段は大勢の観光客や地元民で賑わう場所であるが、生憎と本日は6月の最終月曜日。皆が皆、全英オープンテニスの開会式を一目見ようとウィンブルドンに殺到してしまっていた。


『……一時帰国中に領内で自動車事故に遭われたドーセット公ですが、療養のためしばらく国内に留まるとのことです』


 備え付けのラジオは退屈なニュースしか流してくれない。

 BBCのテニス実況に周波数を合わせているはずなのであるが。


『全権大使としての職務は今後も遂行するとのことですが、両国の友好関係維持のためにも一刻も早い回復が望まれます』


 現地でトラブルでも起きてしまったのか、開会式はとっくに終わっているはずなのに試合が始まらない。あまりの暇さに寝落ち寸前な店員は、接近してくる存在に気付くことが出来なかった。


「おにーさん、ラージサイズ一つ!」

「ふぁっ!?」


 唐突に耳に飛び込んで来るソプラノボイス。

 店員が驚愕したのは言うまでも無いが、それは声だけでなく見た目もであった。


(か、可愛すぎる……!?)


 店員にフィッシュアンドチップスを注文してきたのは、ドレスを着た美少女であった。黒を基調としながらも、全体がフリルとリボンで装飾されて可憐なイメージを強調していた。


「……おにーさん?」


 目の前の少女は首をかしげる。

 はっきり言って、犯罪的な可愛さである。


「はっ!? あぁ、ごめんごめん。ラージサイズだね」


 まだ若いとはいえ、店を任されるだけのことはある。

 内心の動揺を少女に悟られることなく、店員はフィッシュアンドチップスを手渡したのであった。


「な、なんだありゃあ……」


 思わずバカ面を晒してしまうコート姿の紳士。

 ブロード・ウォーク沿いに設置されたベンチで休憩していた彼は、目の前の光景を信じることが出来なかった。


挿絵(By みてみん)


「はむっ、むぐむぐ……」


 目の前の少女が、右手に持つ白身魚のフライにかぶりつく。

 その様子は豪快でありながらも可憐さを兼ね備えていた。


「……ごくん」


 左手で抱えるように持つフィッシュアンドチップスの包み紙から、みるみるうちに中身が消えていく。あれだけの量が小柄な少女の体のどこに入っているんだと疑いたくもなる。


(これはネタになるぞ!?)


 思い立ったが即行動。

 コートのポケットからカメラを取り出す。


 男はフリーランスのカメラマンであった。

 被写体を探してロンドン中を駆け巡っていたところで、特ダネに遭遇してしまったわけである。


 安月給をはたいて買ったカメラのシャッターを切る。

 少女に気取られないように細心の注意を払いつつ、ゆっくりと後をつける。


 ちなみに、彼の商売道具は日本製であった。

 駆け出しのカメラマンがライカを持つことなど夢のまた夢。安価な日本製カメラに手を出すのもやむを得ない選択肢と言える。


「よぉぉぉぉぉぉしっ! 会心の出来だぁぁぁぁっ!」


 自宅に作った暗室でカメラマンは快哉を叫ぶ。

 現像された写真は少女のあんなところや、こんなところを鮮明に映し出していた。


 コーフィールドやマリオンなど英国のカメラと比較しても日本製カメラは安価であったが、その構造は堅牢かつ精巧な作りであった。『プアマンズライカ』の俗称が、その証左と言えよう。


『打倒ライカ! そのためにもニコンを早期開発する必要があるな』

『史実だと軍需優先でカメラ開発どころじゃありませんでしたけど、この世界なら不可能ではないでしょう』

『日本光学に資金提供して開発を急がせよう。上層部には外貨稼ぎと言っておけば問題ない』


 カメラマンが使用している日本製カメラは史実のニコンI型であった。

 平成会のニコン厨が暗躍した結果、圧倒的なコスパで大英連邦特恵関税制度(スターリングブロック)の市場内で爆売れすることになる。


『きゃー!? かわいぃぃぃぃぃ!?』

『こんな美少女が現実に存在するのか!? コミックじゃあ無いのか!?』

『可憐な姿と豪快に食べる姿のアンバランスが素晴らしい……』

『ハイド・パークに出没するらしいぞ。ただちに捕まえ……保護せねば!』


 少女の写真集が販売されると空前の大ヒットとなった。

 件のカメラマンが多額のボーナスを手に入れたことは言うまでも無いだろう。


『アイエエエエエエ!? ナンデナンデ!? リハビリも兼ねてお忍びでフィッシュアンドチップスを食べに行っただけなのに何でぇぇぇぇぇぇぇ!?』


 なお、本人に許諾は得ていない。

 この時代に肖像権など存在しないのである。


『今の御姿を旦那さまと結びつけることは不可能ですぞ。そこまで気にされることは無いのでは?』

『恥ずかしいものは恥ずかしいんだよっ!?』


 もっとも、仮に本人に許諾を得ようにも不可能であったが。

 少女の中身は公式には療養中で件のカメラマンの立場では面会することすら難しい。それ以前に本人と気付くことすら不可能であろう。


『即刻、写真集の発禁をするんだよっ!』

『そんなことをすれば、ドーセット公爵家が介入したことがバレてしまいます。いらぬ腹を探られかねませんぞ?』

『あきらめなさいよテッド。なかなか良く撮れているじゃない』

『そうですよテッドさん。これはお宝ですよ! 保存用と観賞用と布教用で3部確保しました!』


 少女の正体はチートスキルのペナルティでロリ化したテッド・ハーグリーヴスであるが、ロンドンでホットな話題と化した謎の美少女とテッドと結びつける者は誰もいなかったのである。







『こちらはアイスランド王国沿岸警備隊だ! だたちに違法操業を止めろ!』

『はぁ? ふざけんな!? ここはてめえらの領海じゃないだろうが!?』


 アイスランド王国南岸から20kmほどの海域。

 英国の漁船団と沿岸警備隊は一触即発の状態と化していた。


『領海を12海里に拡大することは告知済みだ。貴様らは領海侵犯している! ただちに違法操業を止めて退去せよ!』

『そんな一方的な宣告を受け入れられるわけ無いだろうが!?』

『そうだそうだ! 舐めてんじゃねーぞ!』

『盗人風情が言わせておけば調子に乗りやがってぇ!?』


 船舶無線のやりとりは既に罵倒合戦と化していた。

 双方の衝突は時間の問題と化していたのである。


 事の始まりは、1943年8月に発売されたとある写真集であった。

 ロンドンのハイド・パークで美少女がフィッシュアンドチップスを食べるだけの内容なのであるが、これが爆売れして早々にミリオンセラーと化した。


 それだけなら特に問題は無かった。

 無許可で題材にされた少女には、ご愁傷様としか言いようが無いが。


 問題は写真集によってフィッシュアンドチップス人気が爆発したことであろう。

 急拡大する需要に対して、材料の供給が追い付かなくなるまで時間はかからなかった。


 フィッシュアンドチップスの材料は、言うまでも無くジャガイモとタラである。

 史実21世紀ではイカのフィッシュアンドチップスなんてものも存在するが、この時代にそんなものは存在しない。


『イギリスでジャガイモ需要が爆増だと!?』

『国内の生産過多なジャガイモを売りさばくチャンスだ!』

『これは商機だ。多少強めの値段で押していけ!』


 ジャガイモに関しては、隣国アイルランド共和国が積極的に自国産を売り込んだ。大量のアイルランド産ジャガイモが市場に流入したことで、ジャガイモ相場は落ち着きを取り戻すことになる。


『凄ぇな。無茶苦茶利益が出たぞ!? 毎年やってくれないかな……』

『可能ならあと10年くらい続けて欲しいものだがなぁ』

『だが、我が国のジャガイモが輸出商品になることは分かった。ノウハウも得たし、これからはガンガン輸出するぞ!』


 アイルランド共和国がジャガイモの積極的輸出に舵を切ることになったのは、この騒動が直接の原因と言われている。得た利益を全部突っ込んで、大型トラクターの導入や土地改良を進めてジャガイモ栽培に特化していくのである。


『ソ連と米連から輸入出来ないのが痛いな……』

『ソ連は論外だろう。残りは米連だが、思いっきり足元を見られるだろうな』


 しかし、タラはジャガイモのようにはいかなかった。

 英国近海のタラは既に取り尽くされていたし、緊急輸入しようにも供給してくれる国が現状では存在しない。


『やはりアイスランドしか無いか』

『一応輸入を打診してみますが……』

『到底必要量を満たすことは出来ないだろう。残された手段は一つしかない』


 輸入出来ないのであれば、自分で獲るしかない。

 アイスランド近海はタラの好漁場であり、英国の漁船団が殺到することになったのである。


「早急に貴国の漁船団を退去させていただきたい。これは明白な領海侵犯ですぞ!?」


 ロンドンの首相官邸(ナンバー10)の執務室。

 来訪したアイスランド特使の表情は険しかった。


「貴国の立場は理解しているつもりだ」


 英国宰相ウィンストン・チャーチルは、アイスランド王国の立場に理解を示した。しかし、それはアイスランドの意見を全て受け入れることを意味しない。


(まったく、療養中なのだから静かに過ごして欲しいのだが)


 チャーチルはテッドに文句のひとつでも言いたい気分であった。

 本人が決して悪いわけではない。むしろ被害者と言えなくも無いが、国際問題の原因となれば話は違ってくる。


 少女――もとい、テッドの写真集は爆発的な売れ行きで重版を重ねていた。

 出版業界では史上初のビリオン達成が囁かれているほどであった。


 スターリングブロック内の植民地や自治領でも写真集の販売が決定していた。

 それは世界中でフィッシュアンドチップスが爆売れする未来が確定したことに他ならない。


 このままでは本国のみならず、世界中の植民地と自治領の食料需要に悪影響が出てしまう。食糧の確保は安全保障の一環。飢えは革命を誘発しかねないわけで、『はいそうですか』と好漁場を一方的に手放すことなど出来るはずも無い。


「だからといって、唐突な領海の拡大宣言は一方的に過ぎる。戦災復興機構(WRO)での裁定を待つべきだろう」


 チャーチルは時間稼ぎを狙っていた。

 この異常なタラ需要はいずれ収まるはず。それまで持てば良いと考えていたのである。


「そんな悠長なことを言ってる場合では無いのです! こうしている間にも、貴国の船団がアイスランドの漁業資源を荒らしているのですぞ!?」


 特使が強硬な態度に出るのも当然だろう。

 資源に乏しいアイスランドにとって、タラは外貨稼ぎの貴重な手段に他ならないのだから。


「そういうことであれば、こちらからタラを買い取る形でどうかね? もちろん、適正な価格で買い取らせてもらおう」


 直接的な時間稼ぎが無理と判断したチャーチルは間接的な時間稼ぎを目論んだ。

 仮に実現すれば買い取り価格で揉めることになるだろうが、それこそが真の 狙い。いろいろ理由を付けて暫定的にタラ漁の継続を狙っていた。


「確かにそれが実現すれば、我が国は潤うことになるでしょう。国内のインフラ開発に充分な資金を投下出来るかもしれない」


 チャーチルは一瞬だが交渉の妥結を期待してしまった。

 もちろん、おくびにも出さなかったが。


「だが、それで漁場が死滅したら何の意味も無いでは無いかっ!? 一時的な端金(はしたがね)でアイスランドを亡ぼせと言うのか!?」


 この事実だけを切り取ってチャーチルを批判する者がいるが、筋違いにもほどがあろう。問題を早期に解決するには、あまりにも両国の立場に違いがあり過ぎたのであるから。


 しかし、英国とアイスランドの対立が決定的なものになった事実は動かしようも無い。両国の離間を狙う存在にとって、今回の事態は非常に望ましいものだったのである。







『政府の対応は弱腰に過ぎる! イギリスの経済侵略に対して、我らは毅然とした態度を取る必要があるのです!』


 アイスランド王国の首都レイキャヴィーク。

 そのメインストリートの一角では、街頭演説の真っ最中であった。


 朝の通勤時ということで、大勢の人間がメインストリートを往来していた。

 その中でも少なくない人数が足を止めて演説に聞き入っていた。


「そうだそうだ! 政府はもっとイギリスに強く出るべきだっ!」

「我々の資源を盗み取るイギリスの横暴を許すなーっ!」

「奴らの船を叩き出せーっ!」


 聴衆の中からも賛同のヤジが飛んでくる。

 英国漁船団の狼藉に対して、アイスランド国民の不満が高まっていたのである。


「隊長、あいつらを放置して良いんですか!?」

「それが仕事だからな。お前も持ち場へ戻れ」


 街頭演説と同時刻。

 少し離れた場所では、警備のために派遣された警官隊の上司と部下が衝突していた。


「あいつらは共産党なんですよ!? きっと、ろくでもないことを企んでいるに決まっています!」


 欧州から遠く離れたアイスランドの地にあっても、共産主義は悪魔の思想呼ばわりされていた。ソ連や米連の所業もあるが、常日頃の英国のプロパガンダの賜物であろう。


「だからと言って、問答無用で鎮圧するわけにもいかんだろう。俺たちは警察なんだ」


 隊長も内心では納得してはいなかった。

 あくまでも任務と割り切っていたのである。


『……イギリスは我が国に何ら利益をもたらさない! デンマークも頼りにはならない! 我々は新たなるパートナーを見つける必要があるのだ!』


 警官隊が内輪揉めしている最中も演説は続いていた。

 ちょっと目を離した隙に聴衆が増えたように見えるのは、決して気のせいでは無い。


「そうだそうだ! デンマークもイギリスも頼りにはならんぞ!」

「アイスランドは独力で発展するべきだ!」


 応援のヤジも飛んで、周囲はさらにヒートアップしていく。

 もっとも、応援のヤジは演説側――アイスランド共産党マルクスレーニン主義派のサクラだったりするのだが。


 アイスランドでも共産党が嫌われているのは間違いない。

 にもかかわらず、ここまで聴衆が集まるにはそれなりの理由が存在していた。


 事の発端は、1927年2月に発効された大英連邦特恵関税制度である。

 この世界でも世界恐慌に対する有効策として打ち出されたブロック経済政策によって、世界は4つの経済ブロックに分かれることになった。


『マルク・元ブロックに入りたいが、ソ連に敵視されるのでは?』

『かと言って、東側ブロックに入るのもメリットが無さそうだし……』

『本音を言えばスターリングブロックに入りたいが、あれはイギリスの植民地と自治領限定なんだよなぁ』


 北欧諸国はいずれの経済ブロックにも所属することは無かった。

 これはブロック経済のメリットとデメリットを鑑みた結果と言われている。


 スカンジナビア半島は豊かな地下資源とエネルギー資源を兼ね備える。

 それ故に、特定の経済ブロックに所属せずともやっていくことが目途が立っていた。


 多少経済的に苦しくなっても、イデオロギーに振り回されるよりはマシと考えた当時の為政者の冷静さは評価されるべきであろう。もっとも、その選択が後世の人間に福音をもたらすかは別問題なのであるが。


 資源豊富なスカンジナビア半島と言えど、全ての北欧諸国が恩恵を受けられるわけではない。富が偏在するのと同じく、資源もまた偏在しているのであるから。


 アイスランドの旧宗主国であるデンマーク王国は、史実においては人と教育が資源と言い切るくらいに天然資源に乏しかった。そういう意味では史実日本と非常に似た立ち位置と言える。


 しかし、資源の無い史実日本が世界有数の経済大国に成り得たのは自由貿易が出来たからに他ならない。ブロック経済で同じことをやるのは不可能とまでは言わないが、相当に難しいであろう。


 で、あれば搾れるところから搾り取るしかない。

 デンマークは国内経済保護の名目で様々な圧力をかけることになった。


『一方的に税を課すだと!? これでは植民地ではないか!?』

『旧宗主国とはいえ、やって良いことと悪いことの区別は無いのか!?』

『誰かこの苦しみから救ってくれる者はいないのか……』


 この動きにアイスランド王国は当然ながら反発した。

 しかし、抵抗しようにも軍隊が無い。沿岸警備隊がせいぜいなので、デンマーク海軍に対抗出来るわけがない。世界恐慌以来、アイスランド王国の経済は常に崖っぷちであった。


『アイスランド王国は領海を沿岸から12海里に拡大する!』


 そんなわけであるから、一方的と言われた領海拡大宣言は生き残るために必須の方策であった。アイスランド王国の経済はそこまで追い込まれていた。


『アイスランドの政局に介入しろ。今ならば共産党政権を打ち立てることも不可能では無いはずだ』


 アメリカ連邦書記長レフ・トロツキーは、この状況を見逃さなかった。

 アイスランド王国にジェームズ・パトリック・キャノンを送り込んで政治工作を開始した。


 史実のキャノンはアメリカのトロツキストで、社会主義労働者党(SWP)の創始者である。この世界ではトロツキーの政治的右腕として政治工作で辣腕を振るっていた。


『カナダを屈服させるためには、その背後にいる英国を直接叩く必要がある』


 トロツキーがアイスランドに目を付けたのは対英戦略の一環であった。

 史実の冷戦期においても重要な立ち位置となった場所であるが、この時代に戦略的価値に気付けたのは流石の慧眼と言えよう。


 当時のアイスランド王国には多数の左派政党が存在していた。

 さすがに少数勢力に留まってはいたが。共産主義が悪魔の思想と喧伝されていたのに左派政党が存在するのは、それだけ現状のアイスランドの政治に不満を持つ者が多かった証左であろう。


『死ねやごるぁぁぁ!?』

『総括してやるぅ!』

『自己批判だ! 自己批判をするのだっ!』


 これらの左派政党が勢力を結集出来ていれば、議会でもそれなりの影響力を持てたかもしれない。それが出来なかったのは左巻きな連中のお約束――いわゆる内ゲバが原因に他ならない。


 キャノンは有象無象な左派連中を宥めすかして勢力を結集させた。

 流石はトロツキーの政治的右腕とまで言うべきか。その手腕は伊達では無かった。


 アイスランドの左派政党が、アイスランド共産党マルクスレーニン主義派として再編されるのに時間はかからなかった。米連から資金提供を受けて急速に党勢を拡大していったのである。







「わざわざお見舞いに来ていただいてありがとうございます」

「なんのなんの。この度は誠にご愁傷様でしたな。一日も早い快癒を祈っておりますぞ」


 1943年9月某日。

 ドーセット公爵邸(ドーチェスターハウス)で療養している『テッド・ハーグリーヴス』は、財界の有力者から見舞われていた。


「なるべく早く復帰するつもりです。今後も変わらぬお付き合いをお願いします」

「復帰の際には是非ともお力添えいただきたいものです。では、これにて……」


 見舞客は表面上こそ体調を気遣っていたが、値踏みするような視線を送っていた。退室する見舞客の背中を見守ったテッド(?)はため息をつく。


「ふむ、悪くない対応ですな。これならば影武者とバレることは無いでしょう」


 傍に控えていた家令(ハウス・スチュアード)のセバスチャン・ウッズフォードが、先ほどの演技を評価する。ベッドに寝ていたのはテッド本人ではなく、ウォッチガード・セキュリティ特務班『マジックギャング』班長ジャスパー・マスケリンの変装であった。


 マスケリンは、朝満国境の白頭山で除染作業に従事していたところを急遽呼び戻された。2度目の大規模召喚による不慮の事態に備えたものであることは言うまでも無い。


 現在のテッド・ハーグリーヴスは、不慮の交通事故で負傷したことにより公爵邸で療養していることになっていた。カバーストーリーを実現するために、マスケリンは影武者として病人役を演じていたのである。


 石油王であることに加えて、英国屈指の発展した領地を有する大貴族。

 駐日英国全権大使の身でありながらも、テッドは英国の政財界に強い影響力を保持していた。


 そのような人物が事故に遭えば、お見舞いが殺到するのは当然のことであろう。

 連日のように日参してくる見舞客を、セバスチャンとマスケリンはこれまで協力して捌いてきた。


「でも、どうするんです? いつまでも寝たきりというわけにはいかないでしょうに」

「もっと重症にするべきでしたな。全身骨折くらいにしておくべきだったか……」


 即席コンビとしては優秀な二人の目下の悩みは、隠ぺいのタイムリミットであった。いつまでも自宅療養扱いにしておくことは出来ない。あの大規模召喚から既に3か月が経っていたのだから。


 あまりにも病状を重篤にすると英国の国内情勢に悪影響が出かねない。

 かと言って、軽すぎると隠ぺい工作に時間をかけられない。そういう意味では3か月という期間はギリギリのタイミングであった。


「ふむ、そろそろリハビリ開始というストーリーにしましょう」

「やっと寝たきりから解放される!? やっほーい!」


 寝たきり生活からの解放にマスケリンが小躍りしたのは言うまでも無い。

 公爵家のベッドはクッションが効いて快適ではあったが、いつまでも寝たきりなのは気分が滅入る。彼の喜びもひとしおであった。


「さすれば、社交界に出ても恥ずかしくないようにマナー教育を追加する必要がありますな」

「はぁ!? もうお役御免なんじゃないんですか!? マナー教育とか嫌だぁぁぁぁっ!」


 その瞬間に、どん底に叩き落されることになったが。

 ブラック企業で終業直前にパワハラ上司にサビ残を告げられるが如き行為に、マスケリンは恥も外聞も無く泣き叫ぶ。


「というか、いつまで影武者やってればいいんですか!?」

「そうは言われましてもな。旦那さまがあの様子ではどうにも……」


 セバスチャンは口を濁す。

 この男にしては珍しいことであるが、なにせ事実が現実をぶっ飛んでしまっているのでどうしようもない。


「パーティのマナー資料をお持ちしました」

「旦那さまのパーティ参加の盗撮、じゃなかった資料です!」

「こちらが旦那さまの好き嫌いです。しっかり頭に刻み込んでくださいね」


 まるで計ったようなタイミングで、メイドたちがテッドの資料を山ほど持って来る。それを見て逃げ出そうとしたマスケリンに罪はないだろう。もちろん、一瞬で捕縛されてしまったが。


「背丈は旦那さまとほぼ同じですが、やせ型ですな。生地に厚みを持たす必要があります」

「露骨にシルエットを出すと体形がバレてしまいますからな」

「いや、病み上がりというストーリーならば、むしろ都合が良いのでは?」


 地元の服飾学校の講師たちが、マスケリンの体を容赦なく触る。

 微妙に体形が違うので、テッドのブランド服を着せると違和感が出てしまう。目の肥えた人間には気付かれるので服も新調する必要があった。


 ちなみに、服飾学校の設立にはテッドが関わっていた。

 当時は地元のテーラーに食い扶持を与えて後継の育成も出来る一石二鳥の良策と服飾業界からは大いに評価されていた。


『校長、服飾学校が大赤字ってどういうことさ!?』

『いやその、職人を志す子供の大半が小学校にも通えない貧しい家庭の出身でして……』

『オール奨学金で運営しているようなものか。伝統文化の保護として割り切るしかないかなぁ……』


 良きスポンサーとして、金は出すが口は出さない。

 このスタイルを貫いた結果、服飾学校は毎年のように赤字を垂れ流すことになった。それでも、テッドは伝統文化保護という観点で経営に口は出さなかった。


『ザッケンナコラー! 僕が認めたのは伝統文化保護のための若手職人の育成であって、貴様らを肥え太らすためじゃねーぞゴルァ!?』

『ひぇぇぇぇぇっ!? ドーセット公お許しをーっ!?』


 しかし、長年の放漫経営による莫大な累積赤字にテッドも遂にブチ切れた。

 自業自得と言えばそれまでなのであるが、服飾学校は今年になってから大胆なリストラが断行中であった。


「ちょっ!? どこ触ってんのぉ!?」

「ふーむ、ちょっと右寄りですなぁ」

「ふむ、股座の位置を1センチずらしますか」


 そんなわけであるから、汚名挽回とばかりに服飾学校の講師たちは張り切っていた。テッド本人じゃないから気を遣う必要も無いわけで、マスケリンの身体は職人の手で容赦なく蹂躙されたのである。


『ドーセット公 リハビリ開始か。回復は順調な模様』

『激写! 公爵邸の庭を歩くドーセット公』

『石油関連株軒並み上昇 ドーセット公の順調な回復が好材料に』


 1週間後。

 地元の新聞と週刊誌に『テッド』がリハビリする様子がスクープされた。


 ここまでは予定通りだったと言っても良い。

 しかし、予定外のゲストによって段取りが全てぶち壊されることになった。


「……なんと。これは困りましたな」

「なんか無茶苦茶嫌な予感がするんですけど!?」


 メイドからの報告にセバスチャンは深刻な表情となる。

 それを見たマスケリンは特大級の厄介ごとになったことを察してしまった。


「総帥、お元気そうで何よりです」

「順調に回復されていると聞き及んでおります」

「そこで我らから快癒祝いをお持ちしました」


 アポ無しで押し掛けてきたのは、テッドの弟弟子にあたる国際バーティツ連盟の高弟たちであった。あくまでも表面上は非常に紳士的。しかし、その目付きは残忍そのもの。


「「……」」


 今まで見舞いにも来なかった連中が、このタイミングでやってきた真意をセバスチャンもマスケリンも計りかねていた。どうしたものかと、二人は思わず目を見合わせる。


「世界10万人の会員たちに回復ぶりを示すために是非我らと試合ってもらいたい!」

「試合ではカメラを入れて総帥の健在ぶりを世界に報道しましょう。大丈夫、BBCには既に話は付けてあります」

「病み上がりでも我ら如きには遅れは取らないでしょう。大丈夫、いけるいける!」


 粘りつくような嫌な笑みを浮かべる高弟たち。

 彼らは実力もさることながら、盤外戦術も大得意であった。


 病み上がりのテッドならば、勝つことは不可能ではないはず。

 公開処刑することで3年前の屈辱を晴らせるし、現総帥が敗北する姿を世界中に放送することで権威を失墜させることも出来る。


 あとはお得意の盤外戦術でバーティツ連盟総帥の座を奪取すれば良い。

 彼らは既にテッドを負かした後のことを考えていた。


 異様に手際のよい高弟たちの手腕によって、既に事態は外堀どころか内堀まで埋められていた。特別試合の申し出を断ることは事実上不可能だったのである。







『ここアレクサンドラ・パレスには、大勢の観客が押し寄せています! 皆が皆、ドーセット公を一目見ようと集まった人たちです!』


 1943年9月某日。

 ロンドン北部のアレクサンドラ・パレスには、特別試合を見ようと大勢の観客が押し寄せていた。


(か、帰りたい……)


 その特設会場でマスケリンは真っ青の顔をして突っ立っていた。

 セバスチャンには心配するなと言われてはいたが、この状況で大船に乗った気分になれるわけもない。


「おや、総帥。武者震いですかな? さすがに余裕綽綽ですなぁ」


 そんなマスケリンを高弟たちはニヤニヤと嗤っていた。

 本調子ではないことは確定的に明らか。彼らは既に勝利を確信していた。


「両者前へ。これより特別試合を行います!」


 時間稼ぎは既に限界であった。

 青ざめたままのマスケリンと、ニヤニヤ嗤いが止まらない高弟が試合の場で対峙する。


「それでは――」


 『始め!』とレフェリーが発することが出来なかった。

 突如、アレクサンドラ・パレスの照明が落ちてしまったからである。


 その時、謎の効果音が会場内に響き渡る。

 史実20世紀末の日本のゲーセンではお馴染みの効果音であった。


『Here Comes A New Challenger!』


 真っ暗闇で混乱しているにも関わらず、不思議とアナウンスは会場内に響き渡る。直後に点灯するスポットライト。


挿絵(By みてみん)


「美少女仮面リチネ参上! 強きに媚びて弱きをくじく、おじ様たちを御仕置よっ!」


 あまりにも予想外の展開に高弟は思わずバカ面を晒してしまう。

 暗闇に浮かび出たのはマスケリンでは無く、仮面の美少女であった。


『おーっと!? これは予想外の展開です! あの少女は何者なのでしょうか!?』


 唐突な展開に会場は大歓声に包まれる。

 カメラを持ち込んだ観客がいるのか、あちこちからフラッシュが焚かれていた。


(うううう……は、恥ずかしい)


 仮面の美少女の正体――言われるまでもなくテッド・ハーグリーヴスの変装であった。セバスチャンから事の次第を伝えられて、今回の乱入を計画したのである。


「ちょ、ちょっと待て!? 総帥が居ないなら無効試合だろ!?」


 高弟サイドが試合の無効を主張する。

 戦って負けるとは微塵も思っていなかったが、このまま試合すると危険だと彼らの本能が告げていた。


「あらぁ? おじ様たち、ひょっとして負けるのが怖いの? 怖いのぉ?」

「「「んなっ!?」」」


 そんな高弟たちの動きをテッドは封殺する。

 それはもう見事なメスガキムーブであった。中身は恥ずかしさで死にそうであったが。


「てめぇなんか怖かねぇ!」

「このメスガキぶっ殺してやあぁぁぁぁる!」


 外面紳士で中身は高慢ちきな高弟たちには効果てきめんであった。

 彼らは自ら進んで処刑執行書類にサインしてしまったのである。


『さぁ、試合開始です……あーっとぉ!? 瞬殺!? 瞬殺ですっ! 強いぞ美少女仮面リチネっ!』


 そこから先はもう一方的であった。

 TS美少女化したとしても、中身の技量は変わっていない。パワーとリーチの差などいくらでも補える。


『速い速いっ!? まるで攻撃が当たりませんっ! かすりすらしていませんっ!』


 今の身体にはそれなりにメリットも存在する。

 パワーとリーチこそ無くなったが、それ以上の素早さと身の軽さを手に入れていた。


『凄いっ! 連続バク転です。まるで新体操の如く軽やかに舞っています!』


 その身体能力を十全に活かせるのは、流石のオリ主チートというべきか。

 普通の人間はこんな体験出来るわけないから当然と言えば、当然なのであるが。


「あーはっはっは! 口ほどじゃありませんわね! その程度じゃテッドのおじ様に勝つなんて不可能ですわよっ!」


 ヤケになって高笑いするテッド。

 その足元には、ボロ雑巾と化した高弟たちが転がっていた。


 テッドがその気になれば、高弟たち全員を瞬殺することは可能であった。

 それをやらなかったのは過去のやらかしに対する恨みつらみでボコボコにしたかったというのもある。


『言葉通りの意味じゃ。お主が辱めを受けるほどペナルティ解除にブーストがかかる術式になっておった。まぁ、信じるか信じまいかは勝手じゃが……』


 それ以上に大きな理由が、チートスキルのペナルティを早期に解除して元の身体に戻るためであった。大観衆に姿を見られる(イコール)辱めと考えれば、今回のイベントはテッドにとっても避けられるものでは無かったのである。


『馬鹿なことを言わないでくれたまえ。可憐な少女に花を持たせたに過ぎんよ』

『でも、途中から明らかに本気でやってましたよね?』

『……』


 この一件で高弟たちの権威は完全に失墜。

 テッドを引きずり下ろすはずが逆に肩書を返上するハメになった。ここまで奇麗なブーメラン芸は史実でもなかなかお目にかかれない。


『あああああああああああっ!? 分かってたけど猛烈に恥ずかしいぃぃぃぃぃぃぃ!?』


 途中からハイになっていたテッドが、我に返って悶絶したのは言うまでも無い。

 メスガキムーブや試合中のパンチラまでしっかりと撮影されており、テレビで映像が出る度に悶絶することになった。


『ドーセット公に隠し子疑惑 本人はノーコメントを貫く』

『仮面少女はロンドン在住の可能性? ハイド・パークでの目撃証言あり』

『美少女仮面リチネの人気急上昇 少女たちのコスプレで人気に』


 この世を忍ぶ仮の姿(笑)である美少女仮面リチネは、あらゆるメディア媒体で取り上げられた。勝手にファンクラブが作られたり、無許可でグッズ販売されたりとブームは加熱する一方だったのである。







「……えっと、アガサ・ルブランです。よろしくお願いします」


 ペコリと頭さげるツインテールの少女。

 着込んでいるメイド服のサイズがピタリなのは、オーダーメイドしたのであろう。


「「「……」」」


 駐日英国大使館の応接室は異様な空気に包まれていた。

 主要なメンツが勢ぞろいしていたものの、誰一人として無言であった。


「……あの、奥方さま? この子はいったい?」


 大使館の事実上のナンバー2である商務参事官のジョージ・ベイリー・サンソム卿が、ようやく口を開く。その表情は困惑しきりであった。


 本国で事故に遭ったと聞いて心配していたのだが、戻ってきたのは影武者のみ。

 しかも、素性の怪しい少女がおまけに付いてきた。これで困惑しないほうがおかしい。


「ちょっと訳ありなのよこの子。メイドとして扱き使ってくれてかまわないわ」

「はいっ、一生懸命頑張りますっ!」


 正妻であるマルヴィナとの距離感も気になるところであった。

 どう見ても他人の関係では無い。これではまるで……。


「ひょっ、ひょっとして新しい隠し子ですか!? 本国じゃ隠し子騒動になってましたし……」

「それはないです。そんなのはわたしだけで充分ですっ!」


 駐在海軍武官であるイアン・ランカスター・フレミング海軍中佐の疑問を愛人の伊藤チヨがきっぱりはっきり否定する。それはもう疑問の余地が湧かないくらいに容赦のない切り捨てぶりであった。


「……普通のメイドさん扱いしろというわけですね。了解です」


 駐在空軍武官のジョン・カニンガム空軍中佐は、少女の話題が墓穴を掘りかねないことを察していた。史実で『猫目』と言われたエースパイロットだけのことはあり、その優れた直観力は不幸な未来を回避することに成功していた。


「アガサくんだったね。ここは変わった人間が多いから気を付けてくれたまえよ」


 駐在陸軍武官フランシス・スチュワート・ギルデロイ・ピゴット陸軍大佐は、目の前の少女(?)を気遣っていた。流石は年長者の余裕と言うべきであろう。


(ふぅ、なんとかなりそうだな)


 アガサ――もとい、テッドは胸をなでおろしていた。

 ここで受け入れられなかったら、他に行くところが無かったのである。


『ハイド・パークに居るはずだ! 草の根分けても探し出せっ!』

『捜索範囲をロンドン全域に広げよう。絶対いるはずだ』

『美少女仮面リチネに懸賞金をかけるぞ! 1万ポンド出すっ!』


 英国本国における美少女仮面リチネの人気は留まるところを知らなかった。

 ロンドンはパパラッチが血眼になっており、とても気分転換どころでは無くなってしまった。


 結局、テッドはドーセット領に戻ることになった。

 しかし、ドーチェスターハウス周辺にもパパラッチがうようよしていた。隠し子疑惑が報じられてしまったためであろう。


『おい、そこのメイドさん。ちょっと聞きたいんだがぐぇっ!?』

『なにすんだこのくそアぐはぁっ!?』

『ひぃぃぃ、すまんかった!? い、いのちだけはべへっ!?』


 ドーチェスターハウスに迂闊に近づいた不審者は、メイドたちにボコボコにされた。メイド姿のキリングマシーンに自ら首を差し出すあたり、パパラッチたちは相当なドMと断言出来る。


 とはいえ、殺到するパパラッチが尽きることは無かった。

 小銭欲しさにバカをやる人間は、それこそ枚挙にいとまがない。


 殺到するパパラッチが多すぎて、ドーチェスターハウスでの療養生活は破綻に追い込まれた。やむを得ず、新市街(ニュードーチェスター)のホテルに逃げ込んだのであるが……。


『申し訳ございません。他の客の迷惑になるような行為は慎んでいただきたい』

『なんだと!? 報道の自由を邪魔する気か!?』

『こらー! 貴様何をしている!?』

『うぉっ!? 離せ、離せぇぇぇぇぇぇぇ!? 俺は特ダネを追っているんだぁぁぁぁ!?』


 極秘で滞在しているはずのホテルのフロントで記者が騒ぎを起こして、早々の退去を余儀なくされた。この時代の記者の執念と取材力は凄まじいものがある。このまま座していたら早々に部屋を特定されてしまったであろう。


 残された場所は歓楽街しかなかった。

 さすがにここまでは記者たちもやってこなかったが、今のテッドが身を潜めるには問題がある場所であった。


 この時代に性産業に関する法律は存在しなかった。

 見た目は美少女なテッドが歓楽街を出歩こうものなら、商売女と間違われかねない。


『君、いくら?』

『こ、こんなところを歩くのは危ないんだな。おじさんが安全なところへ連れていってあげよう。ぐへへ……』

『あぁっ、その蔑むような眼が最高だっ! もっともっと、蔑んでくれぇっ!』


 実際、歓楽街を歩いていたテッドは何度も声をかけられることになった。

 顔バレしないように変装していたことで、逆に目立ってしまったのであろう。


 それでなくても、歓楽街にはとんでもない地雷が存在していた。

 王位継承権を持つロマノフ公が入り浸っていることが記者に知られたら、一大スキャンダルは避けられない。


 もはや、ドーセット領内に身を潜めることは不可能であった。

 快癒した『テッド・ハーグリーヴス』を公務に復帰させて、日本へ逃げるしかなかったのである。


(あれ? 誰か忘れているような……)


 とにもかくにも、大使館の主要なメンツとの顔合わせは無事に終わった。

 正確に言えば、一人だけその場に居なかったのであるが。


「きゃぁぁぁぁぁぁぁぁ!? かわいぃぃぃぃぃ!?」


 そして、その残った一人が最大の問題であった。

 遅れてやって来たキャサリン・サンソム女史は、メイド姿の少女の姿に目の色を変えていた。


 キャサリンはサンソムの妻である。

 史実においては、当時の東京での生活を記した『LIVING IN TOKYO』(東京に暮す)を出版している。


 史実の彼女は才女であったが、この世界ではコスプレおばさんと化していた。

 しかし、そのコスプレのレベルは非常に高いものがあった。


 キャサリンの縫製技術は本職に勝るとも劣らない。

 女性でなかったら、サヴィル・ロゥでチーフカッターを務めることも夢では無かったかもしれない。


 キャサリンは自分用のコスプレ衣装を手縫いする(かたわ)ら、他人のコスプレ衣装を作っていた。そんな彼女の前に極上の素材が提供されてしまったのである。


「むぎゅっ!? ん-っ!? ん-っ!?」


 キャサリンのあまりの速さにテッドは反応することすら出来なかった。

 小柄な体躯は易々と抱きかかえられる。


「あぁ、少女の匂い。嗅いでいるだけで若返る気分だわぁ」

「んんんんー!?」


 テッドは必死になって抵抗するもビクともしない。

 首筋にキャサリンの鼻があたって、すんすんされる。全身に鳥肌がたってしまうが、彼女はその反応すら楽しんでいるようであった。


「これほどの逸材ならば、コスプレ映えしそうねぇ」

「ん-っ!?」


 そう言いつつ、キャサリンはテッド背中をさわさわする。

 精神はともかく、TS化した少女の肉体は正直であった。刺激にびくんびくんと反応してしまう。


「思ったよりも胸があるのも良し。これだけでも可能性が広がるわぁ」

「んんんんー!?」


 正面から抱き潰す格好ではあったが、感触だけで少女の胸のサイズは見当が付く。キャサリンのコスプレ脳は、瞬時に複数のコスプレ衣装の候補をはじき出していた。


「お尻はスレンダーね。でも、その方が少女らしいわ」

「んーっ!? んーっ!?」


 その次は、発達しきっていない尻を撫でる。

 TS化した少女の肉体は以下略。


(誰か助けてくれーっ!?)


 テッドの必死の思いも周囲には届かない。

 そのままキャサリンの自室兼コスプレ工房へお持ち帰りされてしまったのである。







「いらっしゃいませー! 既刊だけですけど見ていってくださいね!」


 1943年12月30日。

 帝都国際見本市会場では冬コミが開催されていた。


「はい、どうぞっ!」


 売り子をするメイド姿の少女。

 サークル『英国大使館の愉快な仲間たち』はメイドだらけであるが、その少女は特に目立つ存在であった。


(売り子をするのも久しぶりだなぁ)


 少女の中身はテッドであった。

 公務を影武者(マスケリン)にぶん投げて、久々にコミケを堪能していたのである。


「すみません、1冊ください」

「はい、50銭になります!」

「すみませーん、こっちもお願いします!」

「あっ、はーいっ!」


 流石は伊達にコミケで常連はやっていないというべきか。

 見た目はメイド姿の少女が殺到する客を見事に(さば)いていく。


(なんでこっちばかり来るんだろう?)


 他にも売り子はいるのに、どういうわけか客はテッドにばかり声をかけていた。

 曲りなりにも壁サークルなので、新刊を落としても客は来る。それを一人で捌くのは結構きつい。


 テッドに客が集中したのは、その見た目が原因なのは間違いない。

 他の売り子が美女メイド揃いで気後れしてしまうのに対して、外見だけなら美少女なので声がかけやすい。結果として、テッドに客が集中することになった。


「お嬢さん、日本語上手だねぇ」

「お兄さん、お上手ですねぇ。そんなことないですよ」

「ホントホント! 完璧な日本語だよ! じつは日本生まれとか?」

「え!? そ、そんなことないですよ……」


 もう一つの原因はコミュニケーション能力であろう。

 中身が元日本人であるから、イントネーションも含めて完璧な日本語が話せる。


「イラッシャイマセー。オヒトツドウデスカ?」

「あっ、はい……」


 これに対して、他の売り子は日本語による意思疎通は今一つであった。

 片言の日本語で会話が成立するというレベルであり、見た目との落差で客からは残念美女扱いされていた。


 メイドの日本語能力はピンキリであるが、例年はここまで酷くない。

 腐っても壁サークルであるから、売り子にもそれなり以上の語学能力が求められるのは当然と言える。


 逆に考えれば、今年はテッドがいるから問題無いと判断されたのかもしれない。このような状況では、外見詐欺少女に客が集中してしまうのもしょうがないだろう。


「お嬢ちゃんかわいいねぇ」

「えへへ、ありがとうございます!」

「東京ばな○食べるかい?」

「えっ!? 良いんですか!? いただきまーす!」


 かわいいだけでなく、日本語も完璧。

 客あしらいも上手いとならば、パーフェクトコミュニケーションと言っても決して過言ではないだろう。


 結局、用意した同人誌が完売するまでテッドの独り舞台は続くことになった。

 流石はオリ主チートと言うべきか、無駄に洗練された無駄のない無駄な動きをもって客を捌ききったのである。


(コミケ会場を一人で歩き回るのも久しぶりだ)


 売り子から解放されたテッドは、コミケ会場を散策していた。

 見た目だけは美少女なメイドが歩き回る姿に周囲からは視線が殺到する。当の本人は散策に夢中で気づいていなかったが。


(この身体になった数少ない利点だなぁ)


 いつもならマルヴィナとおチヨと行動するのであるが、今の身体でそんなことをすれば隠し子騒動に発展しかねない。おかげで、テッドは久々に気楽な単独行動が出来ていた。


「うわっ!?」


 しかし、テッドの至福の時間は長く続かなかった。

 背後から仕掛けられた攻撃を咄嗟に前転して躱す。


「……避けましたか。不意打ちで気絶してくれれば楽だったのですが」


 ゆらりと現れる眼鏡をかけたスレンダー美人。

 駐日英国大使館の全てのメイドを束ねるメイド長であった。


「キャサリン女史がお呼びです。ついてきなさい」


 テッドが悪意を感じたのは決して気のせいではない。

 メイド長は目の前の少女をはっきりと嫌っていた。


 敬愛するマルヴィナから言い含められてはいるものの、何処の馬とも知れない少女がメイドをしているのが気に入らない。これで仕事が出来なければ叱責も出来ようが、仕事だけは一人前にこなしているので腹が立つ。


「嫌だといったら?」


 テッドは地雷を踏み抜いてしまった。

 ドSな性格のメイド長にそのような態度を取るのは、火事場でガソリンをばら撒くが所業であろう。


「たわっ!?」

「おわっ!?」

「ちょ、タンマ!?」


 口角を上げた表情のまま、メイド長は連撃を繰り出す。

 たちまちのうちにテッドは防戦一方に追い込まれた。


(適当なところで切り上げたいけど、隙が無いなぁ)


 実力的に後れを取ることはないが、女性を殴るのは気が引ける。

 隙をついて逃げ出したところであるが、メイド長の巧みな動きはそれを許してくれなかった。


「捕まえたっ!」

「んなっ!?」


 隠れていたメイドに羽交い締めにされるテッド。

 長引くと思われたキャットファイトは唐突に終了した。


「嫌だ―っ! はーなーせーっ!?」

「はいはい。動かないでね」


 ジタバタと手足を動かすも、まったく効果が無い。

 体格差があるので羽交い絞めされるとどうしようもない。


「ナイスです。よく捕まえてくれました」

「そんなことないです。メイド長の追い込みが巧かったからですよ!」


 メイド長はテッドを害するつもりは毛頭無かった。

 はじめから追い込んで捕らえるつもりだったのである。


『ちょっ!? これは無理無理無理ぃ!?』

『そんなことは無いわ! これはアガサちゃんにこそ似合うのよ! さぁ、やってしまいなさいっ!』

『ちょ、おまっ!? やめろぉぉぉぉぉぉ!?』


 テッドが連行された先はコスプレ会場であった。

 ここでやることといったら一つしかない。


『やっぱり受けが良いわねぇ。えっ、アンコール?』

『ちょっと何言ってるのか分からないんですけど!?』

『よーし、とっておきを出しちゃうぞー! サイズは目検討だけど多分合うから問題ナッシング! やってしまいなさいっ!』

『いやぁぁぁぁぁぁぁっ!?』


 かくして、テッドはコスプレ会場で着せ替え人形と化した。

 無駄に完成度の高いコスプレと赤面涙目少女のコントラストは、見物客に絶大なインパクトを残すことになったのである。

今なら表向きの仕事は影武者にぶん投げれます。

ジャスパー・マスケリンが多忙で死ねるけど、多額の借金も返済してあげたのだからキリキリ頑張って欲しいところですw


本物のテッドくんは元の身体に戻れるまでは思う存分にコミケに参加出来るでしょう。売り子にコスプレに八面六臂の大活躍を今後も見られるのは間違いなし。いろいろと失うものは大きいでしょうけど……(涙


>散策路ブロード・ウォーク

ハイド・パークを南北に縦貫する散策路です。

南端には『COLICCI Cafe』というカフェがあり、拙作ではここがフィッシュアンドチップスの店舗になっています。初の自援SS『変態英国グルメ事情―ファーストフード編―』に出てくる店舗でもあります。


>ウィンブルドン

言わずとしれたテニスの聖地。

史実でもこの時代にはラジオ実況をやっていました。


>ライカを持つことなど夢のまた夢

史実の戦前日本だとライカを一通りそろえると家一軒分の値段になります。

この世界の日本は経済が強いので、だいぶ安価に買えるとは思いますが。


>ニコンI型

ニコン初の35mm判オリジナルカメラ。

史実だと戦争でカメラ開発どころじゃなかったですが、この世界だとカメラ開発をする余裕があるということで早めに登場させてみました。ブロック経済でライカの輸入は難しいでしょうから、安価で高性能なニコンI型はスターリングブロック経済内で爆売れするでしょう。


>ジャガイモ栽培に特化していくのである。

今後も米連がジャガイモの輸出してくれるとは思えないので、アイルランドのジャガイモは重要な戦略資源になるでしょう。北海道でもやれるのだから、機械化すればアイルランドでもやれるはず。多分。


>英国の漁船団が殺到することになったのである。

史実のタラ戦争です。

双方の衝突は激しいもので、死人が出なかったのが不思議なほどだったとか。


戦災復興機構(WRO)

拙作のオリジナル組織。

現状では事実上の国際連盟もどきですが、いつの間にかに無力化するのは国連のお約束と言えるでしょう。


>アイスランド共産党マルクスレーニン主義派

アイスランドにかつて存在していた政党です。

あぁいうお国柄なので、史実のアイスランドには左翼や進歩的、社会主義的な政党はかなり存在していました。この世界ではトロツキーのお眼鏡にかなったのか、左巻きの勢力を結集した存在と化しました。


>ブロック経済のメリットとデメリット

ブロック経済は持てる者と持てない者の差が大きかったりします。

スターリングブロックに加入出来るならば、北欧諸国のこぞって加入していたでしょう。しかし、それ以外の経済ブロックには大して旨みも無かったわけです。


>『アイスランド王国は領海を沿岸から12海里に拡大する!』

史実でも共和国になってからやっています。

これがタラ戦争の直接の原因となりました。


>ジェームズ・パトリック・キャノン

史実アメリカのトロツキスト。

この世界ではトロツキーの政治的右腕として今後も出番があるでしょう。


>ジャスパー・マスケリン

当分の間は影武者としてお仕事することに。

白頭山の除染作業から解放されるよ。やったね!


>ちなみに、服飾学校の設立にはテッドが関わっていた。

自援SS『変態紳士の領内事情―アドルフ・ヒトラー氏の休日編―』参照。

職人に組織運営させるとロクなことにならない典型例ですw


>国際バーティツ連盟の高弟たちであった。

自援SS『変態世界格闘技事情―紀元二千六百年奉祝天覧武道大会編―』参照。


>『Here Comes A New Challenger!』

スト2の乱入時に画面に表示されるメッセージです。

作品によって微妙にメッセージが違っていたりします。


>美少女仮面リチネ参上!

ノリとかポースとかは、どうみても月でおしおきのあれです。

ちなみにリチネの意味はググルるとよろしいですぞ。


>アガサ・ルブラン

謎の美少女の偽名です。

某少年探偵みたいとか言っちゃダメw


>サヴィル・ロゥでチーフカッターを務めることも夢では無かったかもしれない。

型紙作製や裁断に責任を持つカッターはテーラーの花形です。

特にスーツの聖地サヴィル・ロゥでは女人禁制で、それだけでも彼女の腕が分かろうというものです。変態ですけど(酷


>「東京ばな○食べるかい?」

史実の東京名物ということで、この世界では平成会が再現しています。

ただし、この時代の人間の味覚に合わせてあるので完全にオリジナルを再現したわけではありません。


>メイド長

自援SS『変態紳士のクリスマス事情―クリぼっちインジャパン編―』参照。

彼女も今後の出番が増えることになるでしょうね。


>かくして、テッドはコスプレ会場で着せ替え人形と化した。

更衣室はどうしたかって?

そりゃあもう、メイドたちが囲んで青空更衣室ですよ。おかげでいくらでも着替え出来ます。良かったですね!(酷


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― 新着の感想 ―
タラ戦争からまさかの共産党w やっぱコミーは根絶しなきゃ・・・(使命感) 勝手に写真撮られて写真集として出版されるとか、まるでスパイダーマンだなあ・・・w あっちも写真集がいくら売れても金が入ってこ…
何というバタフライエフェクト・・・。
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