-12『解決のために』
「リーズ……」
私へと振り返ったミゲルは、思いつめたような低い声を詰まらせて言った。
「俺は――っ」
何かを言おうとして、しかしミゲルはすぐに顔をしかめて視線をそらした。
彼には近寄らないほうがいい。
そんなことを級友の子たちが言っていたのを私は思い出した。
そういえば彼は不良生徒だった。
学園で何か悪いことが起きれば、だいたい彼が悪さをしたのだとみんな口をそろえて言う程に。それくらい素行の悪さで有名な子だ。
畑を踏み荒らしてやろうか、なんてことも前に言っていた。おまけに彼の手は土で汚れている。
状況から見て、ミゲルが畑を荒らしたのだろうとわかる。
だからこそミゲルも反論の言葉を詰まらせ、誤魔化すことを諦めたのではないかと。
もしそうならば非難轟々。彼を咎めなければならないだろう。
苛立ちを浮かべたような表情でこぶしを握り締めながら立ち尽くすミゲルに、しかし私は彼には一切構わず、その横を素通りして一目散に菜園へと駆け寄った。
しゃがみ込み、荒れ果てた菜園の中を覗いてみる。
つい昨日見た時はしっかりと緑の芽を出していたのに、今はほとんどが変色して枯れてしまっている。
「ひどいありさま……」
ふと呟いた声調までしな垂れてしまう。
しかしくよくよせずに顔を持ち上げ、私は菜園の土を適当に触ってみた。
「……しっとりしてる? 今日はまだ水もやっていないのに」
「……土の中の水分が多すぎるのかも」
ユーステインも駆け寄ってきて、同じように菜園を覗き込んだ。
「……カブはオーソドックスな野菜。育て方くらいはすぐに見つかる」
そう言って、図書館から引っさげてきていた本を開いて見せた。すぐにそれについて記述されている場所を見つける。そこを指でなぞりながら彼が口を開く。
「……やはり。水分は多めのほうがいい。でもやりすぎるのは毒だ」
「水やりはあまり多くなってないわ。一回の水分量が多かったのかしら」
「……いや、そういう訳ではないかも」
真剣に言葉を交わしあう私たちを、すっかり無視されたようなミゲルはその後ろで怒っているかと思ったが、しかし意外にもひたすら驚いたような顔を浮かべているばかりだった。
私としては、今は彼よりも畑が大事だ。
視線を一瞥もくれず、土を弄っていく。
「……可能性としては、土の水はけが悪すぎることか」
「水はけ?」
「……囲いを作って土を流し込んだだけ。水の逃げ場があまりない」
「そっか。考えてみればそのとおりね」
初歩的なミスだ。
毎日の水やりすぐに乾く程度の量しか水を上げていなければ問題はないかもしれないが、カブは水を多めにやる必要がある。それに、それ以上の予期せぬ水分だってある。
「……昨日の夜中に、少し雨がぱらついたらしい。それも溜まってるんだ」
「しっかりと囲いをしちゃったせいね。お父さんには屋上でやるなんて言ってなかったし仕方ないか」
それもこれも、私が屋上の床が地面とは違って水をまったく通さないことを失念していたせいだ。
「だったら私のせいね」
明らかに自分のミスだと自覚した。
そんな私に、ミゲルは戸惑うような声で私に尋ねてきた。
「俺を、疑わないのか? 俺が何かしたって。水浸しになってたんなら、俺がわざとそうしたって」
「そうしたの?」
率直に私が尋ね返すと、ミゲルは言葉を詰まらせていた。それがもう答えだった。
「でも、みんな俺を悪人だと言う。お前も聞いたことはあるだろう、俺の噂を。誰もが、問題があればあれもこれも俺がやらかしたと口にするんだ! そうやってみんな俺から遠ざかっていくんだ!」
最後には激高した声で荒々しく叫んだミゲルだが、私はまるで正反対に白けたような顔で興味なさげに嘆息をついた。
「だからなによ。実際に貴方が問題を起こしているの?」
「俺は――」
「やましいことをしていないのなら、貴方を追及する必要なんてなにもないじゃない」
はっきりとそう言い切った私に、ミゲルはことさら驚いたような顔を浮かべてはっと持ち上げていた。
――そういえば、入学前も同じようなことがあったっけ。
ふと私は思い出した。
市場で野菜を盗んだと疑われた外套の男。彼もいわれない疑いを向けられていた。
確かに疑いというものは何もないところから生じるわけではない。火のないところに煙は立たない。なにかしらそう思ってしまう言動なり何なりがあったりする。
今回の件で言えば、授業をサボって屋上で昼寝しているような彼の素行の悪さが原因なのだろう。悪人だ、という認識が広まってしまっているのだ。そしてそれを、ミゲル自身が受け入れてしまっている。
きっと今回も、私が彼に「お前のせいだ」と追及してくると思ったのだろう。それで何か言うのを諦めてしまったのだ。
「貴方は別に悪いことなんてしてないんでしょう? 何も悪いことをしていないのに罪に問われるなんてイヤだものね」
私の言葉に、はっとした顔を浮かべてミゲルは目を見開いていた。
「堂々としていればいいのよ」
「堂々……今さら俺がそんなことをしてなんとかなると思うのか」
「思うわ。人間、意外と変われるものよ」
思えば私も随分と変わったものだ。
公爵の娘でしかなかった頃は、ただただ部屋に引きこもっては、食べるか寝るかの贅沢三昧。同年代の子とも遊んだことがないくらいだった。
自分で生きていたというよりも、親のお金で生かされていた、という方がしっくりくるような気がする。
それが今では自分で食べるものすら作ろうとしているのだから、きっと前のお父様やお母様が見たらびっくりすることだろう。
そう、変われるのだ。
それに遅いも早いもない。
変わりたいと思って動き出した瞬間に、もう過去の自分とは違う何かになれている。
私は『リーズ』。
立派な農家の娘だ。
――ぎゅるるるる。
ふとお腹が鳴ってしまった。
真面目ぽい話をしていたのに、私のその気の抜けた音は二人に聞こえるくらい盛大に鳴り響いてしまい、一瞬でも張りつめていた緊張感をあっという間にぶち壊したのだった。
さすがに気恥ずかしくなって、私の顔も赤くなってしまう。
「と、とにかく! そんなお腹も膨れないような悩み事なんてほっといたらいいの! それよりも、自分を満たしてくれるお野菜の方が大事なんだから!」
恥ずかしさをごまかすために無理やり話を変える。
「頭よりもお腹を膨らませなきゃね。絶対に菜園をなんとかして、カブを収穫してやるんだから!」
もとより一度の失敗で落ち込むつもりはない。
――こちとら人生を一度失敗してるのよ。ちょっと蹴躓いたくらいで弱音なんて吐くものですか。
自分で思っておきながら無駄に説得力のあるワードで苦笑してしまいそうになる。
「さ、解決策を探るわよ。ユース、手伝ってちょうだい」
「……かまわないが。ユースっていうのは呼び名か?」
「駄目なの?」
「……駄目ではない」
不服なのかと思って小首をかしげて顔を覗き込んでみたが、ユーステインはむしろ少しうれしそうに口角を持ち上げていた。
「何か方法はないかしら」
「……思いつく方法はある。だが大変だ」
「力仕事なら大丈夫でしょ。私もそれなりに体力には自信付いたし。それに――ミゲルも手伝うしね」
「はあっ!?」
ミゲルが驚きと怒りを同時にないまぜたような声で叫ぶ。
「なんで俺が!」
「ちょうど人手が増えて助かるわ」
「俺は何も言ってないぞ。畑なんかに興味なんてないし」
「でも、枯れてるのを気にしてくれたんでしょ? その手」
荒らしたわけでもないのに手が土で汚れているのは不自然。おそらく彼は菜園の異変に真っ先に気づいて触ったのだろう。
ミゲルという不良生徒。
授業をサボったりはするけれど、実は案外悪い子という訳でもなさそうだ。
当のミゲルは私に指摘され、恥ずかしがって慌ててその手を隠そうとしていたが。
「期待しているわよ、ミゲル!」
私がまぶしいほどの笑顔を向けると、反抗的だったミゲルも観念したようにがくりと頭を垂らしたのだった。




