-11『本よりも』
法務総裁とはこの国における法律に基づいた裁判などの管理を行う機関のトップだ。
行政、軍事、法務。
過去に王族による独裁が問題となったことで平民の反乱が生じ、それを収めるためにも権力が分散された。三大権力と呼ばれるそれらは、王族が行政を、そして民意によって選ばれた貴族によって他の二つを委ねられることとなった。
そのうちの一つ、法務を担当するのがユーステインの実家であるラトラー家であった。たしか爵位は最上位である公爵だったか。
いわば物事の善悪を決定づける、この国で国王と並ぶほどに権力を有している家。法務総裁は代々引き継がれるため、いずれはユーステインがその地位につくことになる。それは周囲から媚を売られて当然だろう。
法務総裁ほどの立場であれば、その采配次第で多くの物事の行く末を左右させられる。重罪事件ともなれば直々に法廷へと足を運び、判決を下すことだってある。
それに何を隠そう、私――『ナターリア』の両親が国家転覆の容疑で連れていかれた時、その重大な尋問を担当したのが、ほかならぬ法務長官であるユーステインの父親なのだった。
つまり、処刑という判決を下したのが彼の父親なのである。
――ってことは、もし私の素性がバレたら彼の父親に処刑を言い渡されるってことよね!?
なんだったら、ユーステインに私がナターリアだと知られた途端、彼に引っ張られていきなり法務総裁の前に連れていかれるかもしれない。ある意味では、私が最も会いたくない人物というのに。
ユーステインの父親に会うということは、つまり私が死刑判決を告げられるということと同義なのかもしれない。
――ぜったいに関わらないようにしなくちゃ!
エルクに続き、要注意人物が増えてしまったことに、私はますますの危機感を抱くようになっていた。
ユーステインが法務総裁の息子だと知った直後、私は誤魔化すように大急ぎで彼を図書室に連れ戻し、さっさと別れた。
あぶないところだった。
私も変な感傷に浸って、ナターリアだった頃のことを少し口走ってしまった。もし彼がそこから感づいて私の正体に気づいてしまったら、私は彼の父親の下で処刑となってしまうのだ。
――まあ、あの子はずっと図書館に引きこもっているわけだし。近づかなければ大丈夫よね。
神出鬼没のエルクと違い、それだけは唯一の救いだろう。
気を付ければ問題ない、と最初は思っていたのだが――。
ある時は登校時に階段を昇っていた途中の踊り場で、
「……やあ、リーズ」
「ひゃあっ!?」
壁と同化するように立っていたユーステインにいきなり声をかけられて驚いたり。
またある時は、運動服に着替えて体育の授業へと向かう移動中で、
「……今から授業かい」
「うひゃあっ!?」
通り道の中庭のベンチに腰かけていた彼に気づかず、またいきなり声をかけられて驚いたり。
なぜか図書館に立ち寄らずとも遭遇するようになり、私はそのたびに、逃げるように小走りで立ち去っていたのだった。
なまじユーステインは顔が良い。
今までは長い髪が邪魔をしていて誰も気づいていなかったが、後日に改めてちゃんと髪を切ったらしく、彼の整った顔立ちを初めてちゃんと見た女子生徒たちは「あれは誰!?」と思わず声を漏らすほどに見惚れたりしていた。
「ユーステイン様ってすごく格好いいのね」
「いつも図書館にいるしわからなかった。私も今度、図書館に行こうかな」
なんて女の子たちの黄色い声もあがっている。
おそらくこれはお世辞でもなく、素直な感想だろう。
ユーステインがどこかに出没する度、すっかり雰囲気の変わった彼に心を奪われる生徒が後を絶たない。
そうやって変に注目を集めるものだから、私としては大迷惑だった。
せっかく図書館から出てきたというのに、彼の話し相手といえばもっぱら私だけなのだ。勇気を出した女子生徒が声をかけたりしても、ユーステインは不愛想に淡白な返事をするだけで盛り上がりはしない。けれど私にだけは無駄に饒舌で、積極的に声をかけてくるのだった。
まるで野良猫にでも懐かれたような気分だ。
「あの農民の娘、ユーステイン様といったいどういう関係なの!?」と訝しがる生徒まで現れる始末。私にまで変な注目が集まってしまっている。
「ちょっと。用もなく話しかけないでちょうだい」と私が言っても、
「……用はある」
「なによ」
「……話したい」
「…………あら、そう」
あまりに純朴な目を向けてそう言ってくるものだから、無碍にもしきれず、適当に相手をするようになっていた。
「ねえねえリーズさん。リーズさんはどんな男性が好きですか?」
休み時間に廊下を歩いている時に級友との会話。
「筋肉ある男の人……とか?」
「男らしい人がいいんだねー。わかるよー」
――農作業の良い労働力になってくれそうだし。
そんなことを話していた次の日、ユーステインと廊下ですれ違うと何故か彼はダンベルを片手に持っていた。また次の日には筋肉痛と言ってもう持ってこなくなったが。
他にもユーステインと出会い頭に取り留めない会話をした時。
「眼鏡とか似合うんじゃないかしら」
私がなんとなくでそう言うと、やはり次の日、いきなり眼鏡をかけて登校してきていた。結局、度を入れたままの眼鏡だったらしく、気分が悪くなったと言ってそれ以降はつけなかったが。
そんなこんなでユーステインと奇妙な距離感が生まれた訳だが、良いこともあった。
やはり彼の知識量は相当なもので、農業についても大変役に立ってくれた。おすすめの本も紹介してくれて、図書館の中にあるそれっぽいものをたくさん集めてきてくれた。
彼がまた見ていない本もあるため、一緒に役に立ちそうな本を探したりもした。
「……リーズ」
何かよさそうな本はないかと二人並んで本棚に並ぶ無数の本とにらめっこしていると、ユーステインは急に改まったように私を見てきた。
図書館の片隅。
そこは他に誰もいない、もとは彼の引きこもり部屋だった場所。
今では山積みだった本も片づけられ、明るい日差しが部屋に差し込んでいる。
二人の衣擦れの音だけが響くようなそんな中、身長差のある彼の瞳が私を見下ろしてくる。表情はどこか真剣だ。
誰もいない空間に二人きり。
――こ、これって。
まさか、と思った。
いや、そのまさかかもしれない。
ユーステインは……。
――私の正体に気づいたっていうの!?
普通ならば告白のこの字でも思い浮かびそうなものなのに、色恋にまるで疎い私が思いついたのは、ただただその危機感だけだった。
――まさか私の正体に気づいちゃって、それをバラしてほしくなければ俺様の言うことをなんでも聞け、なんて言い出すんじゃないでしょうね!?
実際、迂闊にいろいろと喋ってしまった部分もあるのであり得ない話ではないせいで、余計に私はそう思い込んでいた。
あきらかに勘違いだが、私の反応はまるで同じで、緊張した風に心がドキドキしてしまっている。
――この男、私を一体どうするつもりなの!
「……あのさ」
「な、なに」
額に汗を流しながら大きく唾をのみこんで、私は彼の言葉を待った。
数分にも思えるような数瞬の間の後、彼の口からできてきた言葉は、
「……ありがとう」
「――へ?」
拍子抜けしたように私は素っ頓狂な声を返してしまっていた。
「……お前のおかげで外にでれた、気がする。どんな本を読み漁っても、きっと、リーズのことは載っていない」
「と、当然じゃない。私は別に有名人でもないんだし、そういうのに私のことが書かれているわけないでしょ」
前世の『ナターリア』なら新聞には載っちゃってるけど。
「……知りたいこと。本を読んでいるだけじゃ、知れないこと。いっぱいあるって、わかった」
「あらそう。それはよかったわ」
私の前世のことに対する追及でなくて安心した。ふう、と思わず安堵のため息を漏らしてしまう程に。
「……もっと知りたいと思った。ダメ、か?」
まるで好奇心に突き動かされる少年のような純朴な丸い瞳で彼は私を見てきた。
いろんなことを知るのは大切なことだ。
もともと知識の多い彼なら、外界でさらにたくさんの知識を得られることだろう。
そういう知的好奇心を抱くことはいいことだ。
「いいんじゃない」
私は深く考えずにそう答えた。
するとユーステインはこれまで初めて見るような嬉しそうな顔を浮かべて微笑んでいた。
――そんなこと、私にいちいち尋ねなくていいのに。
「……ありがとう」
「はいはい。それよりも、そっちの方とか見てくれた? 高いところは私じゃ届かないのよね」
「……ああ。任せて」
それから私でも読めて役に立ちそうな本をいくつか借りだし、図書館を後にした。本を私の寮にまで運んでからは、ユーステインが屋上菜園を見たいと言ったので、日課である世話もかねて屋上に向かうことにした。
屋上菜園も最近は出てきた芽が小さい葉っぱをつけてきて順調な感じだ。日々の成長を見るのがとても楽しみで仕方がない。
「……こんなとこに、菜園なんて。ほんと、お前は不思議だ。誰も考えなかっただろ」
「ふふん。私の立派な菜園を見て腰を抜かさないことね」
自信満々に階段を昇って屋上へとたどり着いた私が、勢いよく扉を開けてそこへと足を踏み入れた時だった。
日差しの良く当たる菜園。
しかしそこに、瑞々しい緑の姿はなくなっていた。顔をのぞかせていた芽はどれもこれもが力なくしな垂れ、茶色に枯れてしまっている。
そして、そんな荒れ果てた屋上菜園の前にたたずむ影が一つ――その男、ミゲルが私たちに気づいて振り返った。




