第二十話 エピローグ
五年後の春だった。
丹野瀬町の南にある山の中腹に、小さな公園がある。桜が何本か植わっていて、この時期になると町の人が弁当を持って上がってくる。
斜面を切り開いただけの場所で、遊具もベンチも少ない。そのかわり、見晴らしがいい。柵の際まで行けば、町が一望できる。屋根の連なりと、その向こうの海。冬に荒れていた水面が、今は静かに光っている。
風はまだ少し冷たい。それでも、吸い込んでも喉の奥は痛くならなかった。
その日、三人で来ていた。
月渚と、陽奈と、陽陰。
月渚は二十一になった。黒髪は変わらず高い位置でひとつに結んでいる。薄手のカーディガンに、白いシャツ。スカートは膝下まである。右手にトートバッグ、左手に弁当の包み。
陽奈も二十一。髪は五年前より少し伸びて、肩にかかるくらいになった。それでも後頭部は相変わらず跳ねている。デニムのジャケットの袖をまくって、片手に水筒を提げていた。
陽陰は十八になっていた。背が伸びて、陽奈に並ぶくらいになっている。髪も肩より下まで伸びた。身体が成長したことと、治療が続いたことで、体調は随分とよくなっていた。長く歩けるようにもなった。
その陽陰が、坂を駆け上がっていく。
途中で振り返り、笑顔で両手を振った。
「お姉ちゃん、月渚さん、早く早く!」
「待ってよ、陽陰ー」
陽奈が笑って答えた。
月渚は、二人の笑顔を見ていた。
「陽陰ちゃん、元気になってよかったね」
「うん!」
陽奈は月渚のほうを向いた。
「さっ、いこっ、月渚」
陽奈が月渚の腕を引いた。
二人は走った。
月渚の首元に紅いマフラーはなかった。それは月渚の部屋のクローゼットにある。
ほつれた端は、そのままだ。直していない。
◇
桜の木の下に、レジャーシートを敷いた。
満開だった。枝は低いところまで垂れていて、見上げると空がほとんど隠れる。日の光が花を透かして、シートの上に薄い影を落としていた。
三人は弁当を広げた。卵焼きは陽奈が焼いて、少し焦げていた。陽陰がそれをからかって、陽奈が言い返して、月渚が笑った。
風が吹いて、花びらが落ちてきた。陽陰の髪に一枚のって、陽奈がそれを取った。
遠くで、誰かの家族が子供を呼んでいる。缶が開く音がした。犬が鳴いた。
昼を過ぎて、陽陰が「あっちのほうも見てくる」と言って立ち上がった。
二人は残った。
月渚は桜を見上げた。
花が咲いていた。枝の先まで、びっしりと。風が通ると、少しずつ散っていく。
月渚はそれを見ていた。
長いあいだ、見ていた。
それから目を閉じて、胸にそっと手を当てた。
陽奈がそれを見た。
何も言わなかった。
同じように目を閉じて、胸に手を当てた。
あの冬の七日間で背負ったものは、消えていない。軽くもなっていない。
忘れることはない。逃げ出すこともない。
そうやって、彼女たちは生きていく。
春の風が、吹き抜けていった。
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