第十八話 生きる
月渚はコンテナの陰を飛び出した。
紫苑の目が動く。
鎌を振るう動作に入った。だが、光が走るより早く、月渚はその間合いに入っていた。
紫苑の鎌が跳ね上がる。
受け止められた。
鎌が噛み合う音が、コンテナの壁を打って返ってきた。
「――ッ!」
紫苑の目が、見開かれた。
月渚は踏み込んだ。
薙ぐ。受けられる。突く。躱される。返す刃を、柄で払われる。
目で追える速度ではなかった。月渚自身、自分の腕がどこにあるのか見えていない。身体が先に動いて、認識が遅れて追いついてくる。
火花が散り続けた。鉄の壁に反射して、明滅する光の中で二人が動いていた。
紫苑が横薙ぎを放った。
月渚は沈んだ。刃が髪を掠め、切れた毛先が数本、宙に流れた。沈んだ勢いのまま石突きを突き上げる。紫苑の顎の先を掠めた。
紫苑の身体が後ろへ跳ぶ。跳びながら腕を振った。
月渚は地面を蹴って横へ跳んだ。さっきまで立っていた場所を光が走り、焦げた。
着地。踏み込む。紫苑の刃が上から来る。柄で受ける。腕が痺れた。押し返すのではなく、受けた角度のまま身体を回して、遠心力ごと刃を返す。
紫苑の肩に線が走った。
「――ッ」
紫苑の膝が沈み、そこから跳ね上がった。下から掬い上げる一撃。
月渚は後ろに倒れるようにしてそれを躱し、倒れきる前に指先で地面を掻いて体勢を戻した。
一合ごとに削られ、一合ごとに削る。
頬。腕。肩。脇腹。小さな傷が増えていく。
「――あたしは!」
紫苑が叫んだ。
刃が噛み合い、二人の顔が至近で向かい合った。
「待たせてんだよ、ずっと!」
押し込まれる。月渚の踵が地面を削った。
「迎えに行くって、約束したんだ!」
紫苑の顔が歪んだ。
「あの子、テストの範囲間違えたままなんだよ!」
月渚には、意味がわからなかった。
わからないまま、押し込まれた。
「桜を、諦めない!」
月渚は刃を滑らせた。
噛み合っていた力が逸れ、紫苑の身体が前へ流れる。その脇腹を、月渚は柄で打った。
距離が開く。
「わたしだって!」
月渚は構え直した。
「陽奈が死ぬところを、見てた!」
踏み込む。
「樹の陰で、震えるだけだった!」
薙ぐ。受けられる。
「何も、できなかった! 陽奈を、諦めない!」
刃が交わる。
「わたしが!」
「あたしが!」
「陽奈と!」
「桜と!」
「「――生きる‼︎」」
◇
どちらの願いも、等しかった。
どちらも譲れなかった。
そこに、正しさはなかった。資格も、なかった。
ただ、罪と、想いと、願いだけがあった。
長い戦いだった。
限界はとうに超えていた。腕はもう上がらないはずだった。それでも上がった。足は動かないはずだった。それでも動いた。
二人は気迫だけで鎌を振るった。轟音が響き、火花が散った。
呼吸が乱れる。身体のあちこちから血が流れる。
◇
決着は、突然だった。
紫苑の動きが、止まった。
振り上げた迅雷の鎌が、途中で落ちた。膝が折れ、地面に片手をつく。
斬ったわけではなかった。月渚の刃は届いていない。
あれだけの速度を、あれだけの時間。身体のほうが先に音を上げたのだと思った。
「……動け」
紫苑が呻いた。
「動けッ!」
腕を持ち上げようとする。指が、わずかに震えただけだった。
月渚は構えていた。
刃の先が、紫苑に向いている。
その刃が、止まった。
――この人にも、待っている人がいる。
迎えに行くと、約束した相手がいる。ここで倒れたら、その約束は果たされない。待っている人は、待ったまま終わる。
月渚の腕が、下がりかけた。
下がりきる前に、月渚は奥歯を噛んだ。
(それでも)
噛んだまま息を吸った。
(わたしは――)
視界が歪んでいた。何も見えていなかった。
(陽奈と、生きる)
月渚は、幻想の鎌を振り下ろした。
◇
刃が、入った。
紫苑の身体が、崩れるように倒れた。
月渚は鎌を下ろしたまま、動けずにいた。
「……桜」
紫苑の声がした。
「あたし……」
言葉が続かない。
「もう一度、桜と――」
紫苑の手が、震えながら動いた。
地面を這い、顔の横まで上がって、髪に触れた。
淡い紫の、小さな花。
指がそこに届くと、紫苑は目を閉じた。
月渚を包んでいた幻想が、ほどけた。
その瞬間、押さえつけられていたものが一気に戻ってきた。肩が落ちる。呼吸が追いつかない。腕が重い。指先の感覚が薄い。
月渚は、立ち尽くしていた。
コンテナのあいだを、風が吹き抜けていく。
自分と同じ願いを持つ人を、殺した。
この人はもう、桜という人に会えない。迎えに行くと言っていた。その約束を、潰した。
桜という人が誰なのか、どこにいるのか、何があったのか、月渚は知らない。あの叫びの意味も、わからないままだ。
知らないまま、待っている人から、迎えに来るはずだった人を奪った。
全部、終わらせた。
――この手で。
視界が滲んで、鎌の輪郭が溶けた。
月渚はその場に膝をついた。崩れるように、そのまま地面に手をついた。
泣いた。
声が出た。抑えられなかった。口を押さえても、指の隙間から漏れた。
泣いて、泣いて、泣き続けた。
先生の顔が浮かんだ。奥様を見上げた、満ち足りた顔。
自由の顔が浮かんだ。刃に映った自分を見て、綺麗だなと言った顔。
紫苑の顔が浮かんだ。悲しい顔。鏡で何度も見た顔。
そして、顔も名前も知らない五人。どんな人生があったのか、何を願っていたのか、誰が待っていたのか、月渚は何ひとつ知らない。
知らないまま、全部奪った。
息がつまった。吸っても入ってこなかった。
肩が震え続けた。
どれだけそうしていたか、わからなかった。
月渚は手の甲で目元を拭った。
二度拭って、三度目で止めた。
首元に手をやる。紅いマフラーを握った。
ほつれた端が、指に当たった。
目を逸らさない。
逃げない。
この痛みも、奪ったものも、罪も、責任も。
忘れない。忘れてはならない。
月渚は立ち上がった。
◇
紫苑の身体から、淡い光が立ち昇った。
月渚は檻を実体化させ、それを収めた。灯りが六つになった。
少し離れた場所に、檻が転がっていた。
拾い上げる。中には、光が三つ。
月渚は格子に指をかけ、扉を開けた。
三つの光が出て、月渚の檻へ流れ込んだ。
そのときだった。
月渚の手が、止まった。
三つのうち、一つ。
見覚えが、あった。
はっきりとはわからない。大きさも、明るさも、他のものと見分けがつくほど違ってはいない。
それでも、見たことがある気がした。
月渚は檻を両手で包んだ。
顔の高さまで持ち上げて、その中を見た。
九つの灯りが、ゆっくりと巡っていた。
檻を霊体化させ、月渚は紫苑の傍へ歩いた。
膝をつく。
両手を合わせ、目を閉じた。
長いあいだ。長いあいだ、そうしていた。
やがて月渚は立ち上がり、港の門へ向かった。
一歩ごとに、身体のどこかが痛んだ。右の脇腹に手を当てると、手のひらが濡れた。
それでも歩いた。
教会は、町の西のはずれにある。ここからは、町を横切ることになる。
◇
教会の扉は、開いていた。
中に入ると、万が立っていた。
銀髪も、黒のカソックも、銀のペクトラルクロスも、六日前と同じだった。ただ、口元だけが違っていた。上がっている。隠す気がないように見えた。
「よく来た」
万は月渚を頭から足まで眺めた。
「こう目の当たりにすると……やはり、ひどい格好だ」
月渚は答えなかった。
「いい聖戦だった」
万は言った。
「十三年ごとに見てきたが、今までにない経験だった」
万は身体を横へずらし、祭壇の奥を指し示した。
「きたまえ」




