第44話 ㋻ 若本くん
受付の秀子が診察室に入って来た。
「ひとみ先生。四天製薬の若本さんからお電話があり、来週中にアポを取りたいとのことです。」
四天製薬は主に眼科向けの薬、点眼薬などを製造・販売している製薬会社である。
「来週なら、午前診の後ならいつでもいいです。」
「わかりました。」
次の週の水曜日、午前の外来が終わると若本くんがクリニックを訪れた。
「先生。お忙しいところお時間を取っていただいてありがとうございます。」
若本くんは若い爽やかイケメンである。
この日も、感じのいい笑顔を浮かべながら颯爽と現れた。
そしてひとみの前に置かれた椅子に腰かけると、おもむろに資料を取り出した。
「今日は新薬のご説明に伺いました。」
ひとみは資料を覗き込んだ。
「緑内障の点眼薬ですか?」
「はい。PG製剤なんですが、なんと黒ずみが出ないんです。」
緑内障とは視神経に障害を生じて視野が狭くなっていく病気だ。
一般的に、眼圧を下げる治療によって進行を遅らせることができる。
PG製剤という眼圧を下げる目薬が治療でファーストチョイスになることが多いのだが、副作用に充血とか目の周りが黒ずむといったものがあるのだ。
「ええっ!PGなのに黒ずまないんですか⁉」
ひとみが驚くと、若本くんはひとみの反応に満足したように頷いた。
「はい。そうなんです。」
それは画期的な薬だ。
ひとみは心から感心した。
「さすが四天、目の付け所がいいですね。これは売れるでしょ。四天の株爆上がりするんじゃないですか?」
話の流れもあり、あまり考えずノリで口から出た言葉だった。
それに何故か若本くんが食いついた。
ひとみの言葉に若本くんの目がキラリと光った。
「ひとみ先生。株をされるんですか?」
まさか聞き返されるとは思わず、ひとみはしどろもどろ答えた。
「えっ?やってると言えばやってますけど、十年くらい前に株主優待株ばかり幾つか買って、ずっと放置してます。証券会社のページも七、八年開けてないし・・・。やってるって言うのかしら?」
「十年前?銘柄を教えていただけますか?」
証券会社のページは見ていないが、優待の商品は毎年送られてくるので持ってる会社の名前はわかる。
「えーと、〇✖食品とか✖△化粧品とか・・・。」
若本くんはスマホを取り出し、何か操作を始めた。
若い人はこんなの使いこなしてすごいわねー、感心しながら若本くんを見ていると彼がガバッと顔を上げた。
「先生!〇✖食品、爆上がりです!」
若本くんにスマホ画面を見せられた。
見ると十年前と比べて、株価が数倍になっていた。
次に見てもらった化粧品会社に至っては、驚愕するほど株価が上がっていた。
若本くんが帰った後、ひとみは家で証券会社の資料を探した。
自分がどこの証券会社を使っていたのかすら覚えていなかったが、無事資料は見つかった。
パソコンで自分のページを見ようとすると、なんと証券会社の名前が変わっていた。
私、どれだけ放置してたのかしら・・・
しかし、保管していたパスワードなどは無事使え自分のページを見ることは出来た。
それから、ひとみと若本くんは江戸時代ではないが株仲間となった。
講演会のお知らせや薬の情報提供といった営業のついでに、持ってる株や、最近気になっている株の情報交換をするようになったのだ。
製薬会社の営業マンはだいたい二、三年で移動になる。
一年後、若本くんも移動が決まりひとみのクリニックから去って行った。
営業マンの移動を聞いて、これ程残念に思ったことは今まで無かった。
若本くんが勧めていた銘柄を見ると、たまに彼のことを思い出すのだった。




