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ロザリオの掩祝  作者: 民間人。
ロザリオの掩祝

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婚礼大宴

 食堂には、濁り酒と白磁の皿、その上に三角織りの漉き紙が立てて置かれている。

 それぞれが所定の席につくと、新任の給仕係が摺り足で一人一人の皿に焼いたマイワシを三尾ずつ乗せていく。御子達や巫女達は、彼のために立てられた漉き紙を腿の上に置く。普段は恥じらいから黒の長い下衣を身に着けた御子達は、自分の曝け出された太腿の上を隠すように、さり気なく紙を伸ばしている。


 僕にとっては単なる礼装だが、年齢からして産毛や薄い脛毛が生えている御子もいるのだから、気持ちは分からないでもない。ただ、そんなことをしたところで、彼らの下衣と大差のない白い太腿や脛は余すことなく外気に晒されたままだが。


 婚礼の神籤や新家成婚の儀は神事であるため、神事を司る任を担う僕達御子や巫女達も、当然特別な儀式を進行する。これは、婚礼者達の初夜に、子孫繁栄を祈って執り行われる特別な饗宴、『婚礼大宴』と呼ばれるものだ。僕たちは決められた所作で、決められた順番に運ばれてくる食事を、祝詞を青の星に捧げながら摂る。この時、一つの所作さえも、乱してはならない。所作を乱すことは、秩序に反することであるからだ。


 僕たちは一斉に首に漉き紙を巻き、先ず天高く盃を掲げる。強いアルコール臭のする酒は白く濁っており、杯の中で粘着質に波打つ。

 そして、僕達は一斉に青星のメダイを唱える。一列ごとに続けて聖典を暗唱し、一尾ずつ焼きイワシを食べる。


 さく、しゃり、ぞり。咀嚼音の数だけ刻一刻と自分達の番が迫ってくる。特別なことはない。ただ、いつも通りに唱えるだけだ。輪唱のように声が重なりあいながら、焼き鰯を齧る音と重なり合う。僕の番がやってくると、はじめの列から青星のメダイが聞こえてくるようになる。メダイの声明に合わせて、リズミカルにイワシを咀嚼するにつれ、強い喪失感が再び胸にこみあげてくる。


 これを、三度、三度繰り返す。その一周一周ごとに、メダイの声音は小さくなり、また粗雑なものに変わっていく。


 皿の上の鰯の数が減るたび、耐え難い思いが胃袋に募っている。そう思うとどうしようもなくなり、思考を止めて、ただ、メダイにしがみつく。


 そう、そう。青の星に取り縋ることこそ、この心を慰める唯一の道だった。それを唱えている間は、他のことを考える余地がなくなるから。ただ、祈りに不純物が混ざることのないという自明の証左であり、連綿と続けられてきた、果てしない功徳である。


 そうして、目の前の皿から鰯が消えたその時、ふっ、と明かりが吹き消された。暗闇の中で、掩祝の祝詞が響き渡る。


「「「これより新婦ホローと新郎ピウスとは、一つ(はちす)の上へと登る 。新たな(はちす)に栄えあれ。青の星へ縋らんと欲す。もっとも尊き青の民よ、その弘誓(ぐせい)を以て我らを牽きて昇らし給え。」」」※12


 静まり返った食堂の中に、微かな油のにおいだけが漂っている。僕達は静かに首を垂れて、それぞれの手に祈り石を握りしめた。静謐な高揚感の中で、僕の脳裏には鮮明に、転がった目玉の姿が過っている。


 呼吸が荒くなる。周囲に悟られないように、祈り石を握ったその手で心臓をぎゅっ、と締め付けて、何とか崩れ落ちるのを抑え込んだ。


 やがて順番に、再び灯芯に明かりが灯されていく。寮母が「顔をお上げください」という穏やかな声をかけて、ようやく、周囲に充満していた緊張感が一気に解れた。

 普段と変わらない、和気あいあいとした、騒々しいと言い換えてもいいような活気が戻ってくる。それに対して「静粛に」と声を掛ける大人の女性たちの、どこか安堵したような声。


 そこには、何ら変わらない日常の活気が戻ってきた。しかし、僕の心だけが、それを何か恐ろしいもののように感じていた。


 寮母の指示に従って、御子と巫女達は、一列ずつ順番に解散していく。彼ら一人一人に、一枚の硬貨が出口で渡されている。言うまでもなく、ホローさんと新郎が工面した老師への贈り物の一部である。


 先ほどとは打って変わって、浮足立った様子の御子と巫女とが、友人と買うものを相談しながら、部屋へと戻っていく。その声が階上へと遠ざかっていくと、次の列に起立と解散の指示が出された。


 そうして、一列一列が席を立つにつれ、視界の中にあった賑わいの波が引いていく。同時に、押し寄せてくるのは、強い後悔と寂寞の情だった。僕達に起立の指示がなされた時、普段よりずっと素早く立ち上がった僕は、解散の声が聞こえるのと同時に、列を無視して自室へと戻っていた。


 部屋に戻るなり、ベッドに飛び乗り、布団を頭からかぶる。震える唇から、自然と零れ落ちたのは、「ごめんなさい」という言葉だった。


 何より苦しかったのは、それが「誰に対して」、あるいは「何に対して」の言葉だったのか、自分でもよく分からないことだ。何か途方もない喪失感の後に、突然押し寄せてくる恐怖と罪悪感。その正体が分からなくて、ただ、身を縮めて震えていた。



 婚礼大宴の夜は、決まって臨時市場が開放される。僕達の懐が温まったタイミングを狙った、巧妙な誘惑だった。

 布団の中から顔を出した時には、既に部屋に御子達の姿はなかった。ほんの僅かなおこぼれを、贅沢に使い果たすために、彼らは市場に向かったのだと思った。


 僕は手に握った一枚の硬貨に視線を落とした。一食分にも満たない些細な臨時収入だった。


 ホローさんにお祝いの品を買ってあげなくちゃ。


 ようやく起き上がり、ベッドから降りる。部屋を出ると、大宴の日特有の、乳香のかおりが廊下に充満していた。

 僕はカンテラの中の種に火を移し、暗くなった階段を慎重に下りていく。居住棟内部の静寂はあまりにも異様で、何となく心が落ち着かない。

 棟の受付で一旦カンテラを下ろし、寮母さんに声を掛けた。今日は大人たちも市場に出払っているらしく、彼女だけが、退屈そうな後ろ姿で事務作業を続けていた。


 僕の声に合わせて小走りでやって来た彼女は、「はい、はい、はい。書いてね」と、普段より早口で言いながら、受付表を差し出す。僕は言われた通りに手短に名前と外出理由を書き込むと、彼女は「行ってらっしゃい」と笑顔を見せて見送ってくれた。


 小さな会釈をして、棟を後にする。


 中庭には、買ったものを自慢し合う御子達の姿が既にあった。彼らは友人の顔だけを見合って、新しい絵筆とか、少し下品に見える膝丈の下衣、使いどころのない虚飾めいた置物なんかを自慢げに掲げている。その賑やかな声がどうにも耐え難くて、早足で共有区まで足を運ぶと、荷卸し場前の広場に、たくさんの明かりが灯っているのが目に入った。御子や巫女達だけでなく大人たちの姿も多くみられ、それぞれが物珍しい舶来品※13を、目を輝かせながら眺めている。僕もその混雑の中に混ざり、ホローさんへの記念品に良いものはないかと探し始めた。


 ホローさん、敬虔で信心深い彼女は、俗物的な欲を満たすものを喜ぶ印象がない。市場特有の浮足立った雰囲気に乗じた、派手な土産物ややたら高価な装飾品は、彼女の望むものではないだろう。

 この一点だけで、市場の大半が候補から外れる。ある意味非常に助かるのだが、一方で、祝儀品ということで今度は金額面の懸念が上がってくる。


 つまりは、「全体的に安くなりすぎる」ということだ。

 だからと言って比較的シンプルで高価になりがちな陶磁類は婚姻祝いとしては望ましくない。実用性のある刃物類も同じ。高価な漉き紙なども同様で、装飾品や衣類もセンスの問題がある。

 当たり障りのない贈り物としてはタオルなんかだろうか、などと考えながら市場を回っていると、雑貨店で不思議な置物に目が留まった。


 丸皿に二重の輪が取り付けられたような形の置物で、不思議な形状をしている。付属品として球形の外蓋がついており、大きさの割にはかなり高額な品だ。不思議に思って屈み込むと、売り子が高い声で話しかけてきた。


「それはねぇ、小さい香炉なんだけど」

「香炉、ですか?」

「そう。転んで零れにくい形状になっているんだよね。持ち運びに便利」

「・・・へぇ」


 僕は香炉を持ち上げる。傾けると、周囲の円が上下左右に広がり、皿自体はほぼ垂直を保っている。


「え、すごい・・・」

「ちょっと値は張るけどね、薫物をしないといけない女性への贈り物としては良いのかな」

「女性への・・・」


 ホローさんは、こういう薫物をすることはあるのだろうか。一般的にお洒落として利用することは無くても、世間体のために香を使うこともあるだろうか。


「あの、これ・・・。結婚祝いとかには・・・?」

「いいんじゃない?『そういうことをする』時もあるだろうしねー」


 ちょっと話がかみ合っていないような気もしたが、実用品としてはちょうどいいかも知れない。僕は香炉をくるくると動かしながら、「これ、ください」と、売り子に声を掛けた。


 それなりの金額を支払い、香炉を受け取った僕は、香炉にちょうどいい大きさの箱も買い取って、市場を後にする。大きさに比してずっしりと重い荷物を両手で包みながら、真っすぐに自室へと戻った。


 部屋はまだ静まり返っている。香炉をヘッドボードの上に置くと、何かに取りつかれたような疲労感の中で、すぐに眠りに落ちた。


※12 一つ蓮の上・・・婚礼の神籤、新家成婚の儀の日に、特別に唱えられる定型の祝詞。これに、定型の祝詞を重ねて、婚姻した巫女を聖俗上の成人となす。なお、嬌声の聖域での情事を以て、世俗上の成人とみなす。


※13  舶来品・・・外国の品々。ここでは、穢土の都市より外で産出された製品のことを指す。

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