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ハラミステーキ ~康太の話~


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自らのことを「リセットボタンをすぐに押してしまう病」と語る康太は、これまで7度の転職を繰り返してきた。


いわゆる”過集中”と言うやつなのか、ひとたび集中し始めると、食事を取るのも寝るのも忘れて、目の前のそれだけに没頭してしまう。頬はコケ、眼の下にはクマが出来、鬼神の如く集中するその姿態は、まるで何かに取り憑かれているようだった。当時康太の彼女で今は奥さんである遥ちゃんからは、康太がパンクしそうなので外に連れ出してあげて欲しいと健気なご依頼をよく頂いた。心配を通り越して不安にさせてしまうほど、康太の集中力は凄まじかったのだ。


驚異的な集中力で物事を吸収していくので、その時々における職場での出世も速かった。


某飲食チェーン店では最年少でエリアマネージャーになり、IT系の会社では最速で課長に就任した。その後に働いた老舗旅館ではわずか1年半で館長に抜擢され、携帯の部品を作る町工場では1年で製造長になった。


ところがどの職場でも一定の評価を得るとすぐに転職してしまう。

その職場で繰り返しの日々が想像出来た瞬間、転職を決めるらしい。


成長曲線は上昇期、停滞期、衰退期の3つに分けられ、そしてこの曲線は「社会における成長曲線」と「会社における成長曲線」の2つが存在する。


同じ職場で3年、早ければ1年も経つと「社会における成長曲線」は停滞期に入る。この時期の特徴としては「この仕事、この会社では役立つかも知れないけど、この会社以外では全く役に立たないよな」という仕事が増えるらしい。この時点で康太は少し焦りを感じ始める。


やがて「会社における成長曲線」も停滞期に入ると、テンプレ化した仕事をひたすらこなしていくことになる。多少の雑味や不測の事態も起こりえるが、やがてそれらもテンプレ化されていく。これが康太の言う「繰り返しの日々」というやつで、はたから見ると「仕事のペースが掴めてきた」とか「一人前になった」などと言われることもあるが、康太は目前に迫る衰退期にいよいよ離脱準備を始めるそうだ。


「会社における成長曲線」において、停滞期を維持する為には、納得できないことを他人が求めるがままにやらなければいけない場面も増えて来る。上司の都合や顔色を伺わなければ前に進まないような仕事が増えて来る。しかしながらこう言った仕事をやればやるほど「社会における成長曲線」の衰退に拍車を掛けるだけだと康太は言う。安定にしがみつき、会社や上司に支配された者に自己成長はない。


多くの人は1日でも早く上昇期を抜け出し、停滞期を目指そうとする。

そして衰退期に陥らないように停滞期の維持に努めようとする。


しかし、停滞期にいればいるほど多様性を失い、その職場以外では使い物にならなくなってしまう。これからいくつもの労働をAIが代用する時代がやってくる。停滞期の維持に努めていた人は、労働を失う可能性が高いので、居酒屋で会社や上司の不満を言っている人は転職を考えた方がいいのかもしれない。


ちなみに、「会社における成長曲線」は停滞期に入っても年収は増えていく。年収をステータスのベースだと考えている人は、あたかも自分が上昇期にいると錯覚しがちだが、成長曲線と年収は必ずしも一致していないので注意が必要だ。


そうは言っても、凡人代表のぼくとしては安定期の維持に努めてしまいそうだと康太に話したところ、いまや学生ですら「会社における成長曲線」ではなく、「社会における成長曲線」を意識して行動している時代なのに、独立を目指す人間がそんなことを言ってどうすると諭された。


もはやぐうの音も出ない。


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日本の労働思想には忍耐を美徳とする文化が根付いている。


ぼくの母親も「お給料の中には我慢料も含まれている」なんてことをよく言っていた。


働いていれば辛いこともある、嫌な人もいる、でも一生懸命働いていれば最低限の生活は保障されるという考え方なのだが、やはり今の時代とは少し乖離している気がする。


この思想のベースには、終身雇用や老後の生活保障と言ったものが根底にあり、親世代が生きた時代にはこの2つに一定の信頼度があった。しかしながら時代の変革と共に、その2つともが信頼性を失いつつある現代においては、忍耐を美徳として働いても必ずしもそれが報われる時代では無くなった。


しかしながら、根底が崩れゆく中でも、なぜか労働思想だけは根強く残り、そこにしがみつき、もがいている人が大勢いる。中にはこれらを苦行ように捉え、一定の苦しみが無いと幸福は訪れんと言わんばかりに、苦しみを得ることにある種の安心感を抱いている人も時折見かける。


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現在康太はゴミ収集を本業とする会社の役員をしている。

ここでも驚異的なスピードで出世し、3年で役員まで登り詰めた。


本業は福岡を拠点とするゴミ収集業の会社なのだが、今現在康太は焼き肉店を任されている。

なぜ、ゴミ収集業者が焼き肉店を経営しているのかを聞いたところ、この話が興味深かった。


「今勤めているところの社長がさ、これまたファンキーな人でさ」

「康太の好きなタイプの人だね」

「もう60超えてるんだけどまるで少年の様」

「羨ましいな、そういう人」

「でさ、社長の行きつけの焼き肉屋があるんだけどね」

「うん」

「店の奥からオーナーさんが出てきて必ず挨拶しに来てくれるのさ」

「お得意様なんだね」

「そしたらある日ね、いつものようにオーナーさんが挨拶しに来てくれたんだけど・・」

「うん」

「店たたむって言うんだよ、経営苦しいみたいで」

「そうかぁ・・今厳しいからね、飲食店は」

「そんでオーナーさんがなんか言いづらそうにしてたらさ」

「うん」

「社長が『閉店するのも金が掛かるだろ』って言うわけ」

「おー」

「オーナーさんはその件で後日改めてご相談したいですって言うわけよ」

「社長さんは察して、先にお金の話を振ってあげたんだね」

「そう。そんで社長はさ、続けていきたい気持ちはあるのかって聞いてさ」

「オーナーさんは何て?」

「本当なら続けたいですって答えるところだけど、もう気力がありませんって」

「いろいろあったんだろうね、その決断をするまでに」

「でも従業員が何人かいるので、それだけが本当に申し訳なく思ってますって」

「なるほどな、でもリーダーが戦意喪失しているチームに未来は無いよな、酷な言い方だけど」

「おれもそう思った。まぁ社長も思っただろうね」

「結局どうなったの?」

「おれは金出してあげてお終いかなと思ったんだけどさ」

「違うの?」

「オイラで良ければ店買うよ、値段はそっちの言い値でいいよって言うわけよ」

「なんかビートたけしみたいだね」

「このお店で働くのが好きな子は是非そのまま働いて欲しいってさ」

「ひゃーかっこいい」

「焼肉食いに来てさ、店ごと買っちゃうんだもん、ビックリしたよ」

「そりゃそうだね」

「でももっとビックリしたのがさ」

「もっとビックリしたの?」

「おれに『康太、明日からお前焼き肉屋やれ』って」

「マジで?」

「突然の焼き肉屋だよ」

「あんたはやらないんかーい!だね」

「ホントそうだよ、それ言ったらさ」

「何と申してましたか?」

「『オイラはこの店のファンであり続けたい』だってさ」

「いちいちカッコいいんだよな、言う事が」

「でもさ、おれもゴミ収集業が何となく一周しちゃった感があって」

「あっ、リセットボタン押したい病だったんだ」

「まさにそれ。タイミングとしてはベストだったかもしれない」

「そうだね」

「しかも赤字じゃん。立て直すのってやりがいありそうだなぁって」

「社長さんは康太に対してもアンテナ張ってたのかもね、何かコイツにやらせねぇとって」

「その可能性はある・・ってかそうだと思う」

「すごいね、一手でオーナーさんも、従業員さんも、康太も救った」

「社長の下で働いていれば当面はリセットボタン押さずに済みそうだよ」

「見事赤字脱却した暁にはまた別の仕事が待っているかもね」

「それはあり得る」

「次はなんだろね。康太は大抵何でも出来ちゃうからな」

「正直、大抵のことはそつなくこなす自信はある」

「ペットショップの経営とか?」

「あっ・・」

「・・ん?」

「おれ猫アレルギーなんだよね」

「ダメじゃん」


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「今、戻れるなら戻りたい職場とかってある?」

「戻りたいってのは無いけど、時々懐かしむよ」

「楽しかったなぁとか?」

「そう。元カノと一緒。いいケツしてたなぁとか」

「戻りたくはならないんだ?」

「1度別れているわけだから。もう1回付き合ったってたぶんダメでしょ」

「なるほどね」

「でも、おれは仕事も恋人も嫌いになって別れたことは1度も無い。だから思い出は綺麗」

「そういう奴に限って、相手から言わすと身勝手なクソヤローって言われるよね」

「それはあると思う。なんて言うか、仕事と恋愛って似てるよな」

「似てる。楽しい瞬間とか、我慢する時間帯、倦怠期なんかも」

「あと別れ際もね、あっ別れた後もか」

「辞めた会社にはどうなって欲しい?」

「それはシンプルにもっと素敵な会社になってくれればなと思っているよ、元カノもね」

「でも新天地で結果を残す康太を見ると、やっぱり手放した会社は悔しいだろうね」

「もしそう思ってくれているのであれば、悔しがるんじゃなくて、もっと魅力を磨いて欲しいな」

「キザだねぇ」

「お互い共有した時間を無駄にしない為に、今の自分に磨きを掛けたいなって」

「キザだねぇ」

「そしてもしどこかで再開することが出来た時は」

「時は?」

「はじめましてって言いたいね」

「意味はよくわかんないけど、とりあえずキザだねぇ」


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「転職願望を持っているのに実際に転職しない人多いでしょ」

「そうだね、人間関係の再構築がしんどいからじゃない?正直メンドイし」

「転職する理由の6割ぐらいが人間関係って何かに書いてあったけどさ」

「うん」

「人間関係に悩んで転職した人が、その後必ず人間関係の構築から始めるのってなんか不毛だよね」

「たしかに」

「以前に居た会社でさ、会社辞めて転職した時のデメリットをめっちゃ言ってくる会社があったのね」

「まぁ、離職は企業イメージを下げるからね、あの手この手で引き留めようとするだろうね」

「でもさ、そう言う会社に限ってバンバン人辞めちゃうわけ」

「ははっ」

「原因に目を向けずに、力技で縛ろうとしちゃう会社でさ」

「むしろ更に離職率を上げちゃってるんだね」

「そう。それで人いないと回らないから、またガンガン人を雇うのさ」

「求人広告費も馬鹿にならなそう」

「相変わらず、既存メンバーには転職のデメリットを植え付けてさ」

「うん」

「新規メンバーにはこの転職は正解ですとか言っちゃうのね」

「逆にちょっと可愛いね」

「この会社はやりすぎだけど、離職率を抑えようとする動きってどの会社にもあると思うんだよね」

「そりゃあるでしょ」

「でも、これだけ人が流動的になる時代なんだからさ、離職率なんて気にしなくていいと思うんだよね」

「う~ん、どうだろうね、やっぱりネガティブなイメージ強くない?離職率高いのって」

「離職率って言葉が悪いんだよ、リクルートはそこらへん上手くてさ、出身者にしてるでしょ」

「確かに。リクルート出身の人って多い。しかもみんなリクルート出身ですって公開してる」

「リクルート出身ってリクルート辞めた人じゃん」

「確かに、その通りだ」

「でも『リクルートってどんだけ人辞めてるんだよ』ってなってないじゃん」

「むしろ『この人もリクルート出身なんだ、リクルートって凄い会社だね』ってなってる」

「リクルート出身者も箔が付くじゃん、この人リクルートでやってたのかって」

「まさにお互いwinwinだね」

「会社はさ、離職率を抑える努力なんてやめた方がいいんだよ」

「そうかもね。どうぞ転職して頂いて、新天地ではもっと活躍して下さいってした方がいいかもね」

「その際、弊社出身であることを是非自慢して下さいってした方が絶対いいでしょ」

「その通りだ」

「こう言うところも会社側の考え方をアップデートした方がいいなと思う」

「確かに」

「ただ、やっぱり長く働く方がお互いいいのはいいでしょ」

「そうだね」

「それには会社側が考え方を改める必要があって」

「どのように」

「要はさ、会社はネガティブに引き留めたり、お金や力で縛るのは止めてさ」

「うん」

「給料以外の魅力や存在価値で、たくさんの人に長く働いてもらうように努力すべきだと思う」

「会社が個人に歩みよる時代かぁ」

「そうだよ、じゃないと働いてなんて貰えないよ」

「金払ってるんだから働け!なんて口が裂けても言えないかな?」

「言えない、言えない。やがてブラック企業なんて言葉は死語となる」

「それらを踏まえて会社の在り方ってどう変わってくると思う?」

「最終的にはInstagramやYouTubeみたいになるんじゃないかな」

「そこまで行く?個人が会社をアプリ的に利用するみたいな感じ?」

「そう、一億総個人事業主社会になると思う」

「SNSによって誰でも発信できる時代になって、個人で稼ぐことも容易になったからね」

「しかも力を持った個人同士が、お互いの能力を共有し補完し合うことも可能になったでしょ」

「そうだね、組織を離れて力を持った個人同士が組んでビジネスを作りあげちゃうもんね」

「そうなるとあらゆる産業の最先端はそこに集中するじゃんか」

「まさに」

「開発を終えた後の作業はテンプレ化するじゃん」

「うん」

「テンプレ化された処理はAIが行うじゃん」

「最後まで従来型組織に残った人間は職を失っちゃうね」

「そう。だから、個人側も会社を見極め、その上で自身の力を蓄えていく必要がある」

「個人が行う労働のプラットフォームとして会社が存在する時代かぁ」

「AIで代用できる仕事が増えていく中で、人間の労働は個人単位で細分化されると思う」

「うんうん」

「その上で個人はAIを利用したり、他の人と組んだり、必要に応じて会社を利用したりと」

「会社は個人の活動を拡大化させる為のプラットフォームとして存在するわけか」

「そう。労働の中心が会社単位ではなく、個人単位になってくると思う」

「はぁ~なるほどねぇ」


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「当面は今の会社で落ち着きそう?」

「そうだね、社長からの無茶ぶりが続く限りは」

「中々福岡までは足を運べないけど一度はいきたいな」

「是非来てよ、良い肉用意しておく。お友達価格で」

「ちなみに一番のおススメは?」

「ハラミステーキかな」

「ハラミかぁ、いいな」

「うますぎて、ハラミを食べる以外何も考えられなくなる」

「ハラミに没頭しちゃうんだ」

「そう、おれは没頭癖があるけど、無い人でも没頭しちゃう」

「そうなんだ、実はウチの店もさ、ステーキメニュー作りたいなと思ってたんだよね」

「よかったら一緒に仕入れるよ。少量じゃ取引してくれないだろうけど、ウチが纏めて買えば平気」

「そりゃ助かる」

「これからも目の前のことに没頭していこうぜ、お互い」

「そうだね。康太は気絶しない程度にね」


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このBARにはハラミステーキを常備している。


このハラミステーキには究極に没頭しようぜという親友からのメッセージが込められている。

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