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壱岐ゴールド ~和行さんの話~


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4月からGWまでは新シーズンの飲み会などで飲食店は盛り上がりを見せるが、ぼくのBARも例外なく盛況だった。GW明けになると一旦落ち着き、6月に入ると更に落ち着きを見せ始めた。


この頃のぼくは焦っていた。

オープンしてから友人知人以外の常連顧客を作り出せていなかったのだ。


マーケティングの考え方の1つに「1:5の法則」というものがある。

新規顧客を獲得するには、常連顧客の5倍のコストがかかるという法則だ。


新規顧客は獲得コストが高いにも関わらず利益率が低いので、新規顧客の獲得以上に常連顧客の維持が重要だという考え方である。


また、「5:25の法則」という考え方もある。

顧客離れを5%改善出来れば、利益が25%改善されると言う考え方だ。


つまり飲食店における常連顧客とは生命線そのものであり、如何に常連顧客を作りだし、維持していくかが飲食店にとって最も重要な課題となってくる。


何を持ってして常連顧客とするかは店主の考え方次第と思うが、ぼくの中では「居場所」だと思っている。このBARがお客さんにとっての居場所になり得ているかどうか。このBARが持つ時間と空間の波長をお客さんの波長にチューニング出来ているかどうか、チューニングが上手く出来た人が常連顧客になってくれるのだろうとぼくは考えている。


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和行さんが初めて来店されたのは梅雨が始まろうとする6月頃だったと思う。


お箸の置き方、おしぼりの使い方、その1つ1つが丁寧でとても清潔感のある方だった。

食べ終わったお皿はテーブルの隅に纏められ、食事中のテーブルはいつも整頓されていた。

グラスが汗をかけば水滴をふき取り、煙草の灰がテーブルに落ちないように常に気を配っていた。


話すときに必ず口に手をあてる仕草や、話に耳を傾ける時の目線。

人との心の距離感を常に意識しており、踏み込み過ぎず、だけどきちんと相手に興味を向けていた。

和行さんとの会話はいつも繊細で優しかった。


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仕事が始まるのは午後からだそうで、終わるのはいつも22時過ぎになるそうだ。

その為、来店されるのは23時前くらいで、25時の閉店までいて頂けることが多かった。


最初にビールを飲み、自家製ピクルスつまみながら、二杯目はもう1度ビールを飲むか、時々白ワインをご注文されていた。


「ぼくは1人者なので、夕食は毎晩外食です。いくつかの行きつけのお店がいくつかありますが、その中でも特にこのお店とは波長が合います、これからも通っていいですか」と言って貰えた時はとても嬉しかった。


和行さんは友人知人以外で初めて出来た常連さんだった。


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ある日、閉店作業をしていたら「何かお手伝い出来ることがあれば言ってください」と言って頂いたので、カウンターとテーブルの拭き掃除をお願いした。ぼくは前々からやろうやろうと思っていた換気扇の掃除に手を付け、作業に没頭した。


ふと気が付いた時。

和行さんの姿が無く、いつの間にかお帰りになられていた。

ぼくはしまったと思い、きちんとお見送りを出来なかったことを反省した。


引き続き換気扇の掃除に没頭し、終わった頃には汗だくになっていた。

ぼくはカウンターに座り、両目を強く瞑り、全身に力を入れて息を止め、フーッと息を吐きながら脱力した。そして煙草に火を付け、もう1度深く息を吐いた。


明日日曜日は定休日だった。

今週も1週間が終わったなぁと思い、仕事スイッチをOFFにした。


その時、再び入り口のドアが開いた。

そこには和行さんが立っていた。


忘れ物でもしたのかな?


しかし先ほど仕事スイッチをOFFにしてしまった為、脳みそが働かず言葉が出てこなかった。


まごまごしていると和行さんが「あれだけ汗かいたらビール旨いと思いますよ、一週間お疲れ様でした」と言って、コンビニの袋を差し出した。ビールとおつまみの差し入れをしてくれたのだ。


一週間の労働を終え、その締めに肉体労働で汗を流した体がビールを求めないはずは無い。

思わずゴクリと生唾を飲み込んだ。


とても嬉しくなり、今すぐ飲んでいいですかと聞いたらどうぞどうぞと言ってくれた。

そのまま和行さんが帰ろうとしたので、もしよかったらと一緒に飲みませんかと誘ってみた。


和行さんはその言葉を期待してましたと笑い、でも飲食店にお酒を持ち込むのはナンセンスだし、閉店後にまたお酒を作らせてしまうのは申し訳ないと言った。続けて、白ワインのボトルを入れますのでそれを飲んでもいいですか?グラスは自分で洗いますと言うので、そんなにお気を使わなくてもいいですよと笑いながら快諾した。


結局、朝まで飲み明かしてしまい、和行さんは1人で白ワインを3本も開けてしまった。


淡くて優しい言葉が、お互いの過ごしてきた時間をものすごい勢いで空間に積み重ねていった。


ぐんぐん二人の距離は縮まり、今話しているのが何語なのかわからなくなるくらいダイレクトに和行さんの気持ちを理解することが出来た。おそらく和行さんも同じだったと思う。過去、親しい友人との会話でもこの現象が起きたことがあるのだが、時間の速さと空間に歪みが生じ、言葉を飛び越え、純粋無垢な心のキャッチボールは何とも不思議な感覚に陥る。


和行さんはこのBAR初の常連顧客でありながら、30代後半を超えてから出来た友人でもあった。


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和行さんとはいろいろな話をした。


この近くの職場で働いていること、年齢は36歳であること、未婚ではあるが同棲している彼女がいること、愛人の息子として生まれ育ったこと、女手一つで育てたられたこと、父親は裏の社会の人間で組織を束ねる長であるということ。2つ下の妹がおり、とにかく溺愛していること。20歳の頃に父親から家業を継げと言われたがそれを断り、地元を飛び出し横浜へ出て来たこと。母親にも、そして父親にも産んでくれたことを感謝していること。


ただ、父親の人生も母親の人生も語りつくせないほど壮絶な人生だった為、両親のような人生は歩みたくないと思っており、平凡で慎ましい人生を過ごしたいと心から願っている。


ぼくは友人として和行さんの今後の人生が穏やかなものになるように心から願った。


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和行さんは小学校4年生の時から中学生までは父親と生活していたそうだ。

母親は別居しており、父親が出かけるまでの身支度は全て和行さんが行っていた。


父親を朝7時に起こし、それまでに朝食を準備した。ごはんとみそ汁をおかわりをするので手際よくよそい、食べ終わる頃には玄関に先回りして待機した。父親が玄関に来る前までに靴を磨き、来たと同時に靴べらを渡す。靴を履き終わると、口に煙草をくわえるので火を付ける。鞄を渡し、玄関を開け、門を開け、迎えの車に乗り込むまでお見送りをする。


これが和行さんの朝の日課だった。

1つでも滞ると父親から恫喝され殴られる為、毎朝必死で行っていたそうだ。

中学生になった時、母方の祖父母の家に引き取られ、この生活から解放された。


「今思うととんでもない少年時代を過ごしていましたよ」と和行さんは笑っていた。


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和行さんの父親は5年前に亡くなった。

母親から連絡があり、父親が亡くなったことを聞かされたそうだ。

20歳で家を出てから、もしかしたら連れ戻されるのではないかと言う恐怖があった為、正直ほっとしたそうだ。特に父親らしいことをされた記憶も無いし、果たして小学校3年生から中学生になるまでの期間が親子関係だったのかと言うとよくわからないので、父親の死に対して特別込み上げる感情はなかった。


それでもやはり。


葬儀を終えると喪失感みたいなものがあったらしい。


ふと東京ドームに連れて行ってもらったことを思い出した。

東京ドームの形をしたアイスを食べて、ジャイアンツの帽子をせがんで買ってもらった。それが唯一父親との思い出だった。そう言えばあの帽子はどうなったのであろうか、もう捨ててしまったのだろうか。


ちょうどその日は実家に泊まることになっていたので、実家の押し入れの中を探すことにした。


結局帽子は見つからなかったのだが、代わりに1枚の写真を見つけた。


家族写真で4歳か5歳くらいの自分と、母親に抱っこされているのは妹で間違いないと思う。


ただ、父親の顔の部分だけが切り取られていた。


顔の部分は無いが明らかにわかる。自分が認識している父親とは別の人物だ。


この人物は一体誰なのか、もしかしたら自分の父親は他にいるのか、もしくは妹と自分は別の父親だと言うことなのか。母親は自分の母親で間違いないのか。自分の本当の家族は誰なのか。


一瞬にして自分が何者かがわからなくなった。


隣の部屋で寝ている母親に聞けばわかることだろうが、聞かず、その日は眠り、翌日に横浜へ戻った。


小さいころから消化不良の出来事がたくさん起きて来た。

これはその1つに過ぎない。今さら真実を知っても意味は無い。そうやって生きて来た。

せめて今、自分の周りに生きる人が幸せであればそれでいい。悲しい出来事が起こるのは自分だけでいい。大抵の事には慣れている。帰りの新幹線でそんなことを思っていたらしい。


「父親の顔だけ切り取られているなんてドラマの話ですよね」と、和行さんはまた笑っていた。


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「今度は彼女も連れてきますね、彼女もお酒大好きなんです」


町がハロウィンを迎えようとしている11月の下旬のことだった。


彼女さんは長崎の壱岐ゴールドというお酒が好きだということだったので、来店される時までに仕入れておくことをお約束した。


それからしばらく和行さんは来られず、再び来店されたのは年明けのことだった。


和行さんは1人で来店された。


「すみませんでした。中々来れなくて」

「いえ。お気になさらずに」

「壱岐ゴールド入れてくれたんですね。1杯頂いていいですか」

「はい。かしこまりました。」

「実はぼく、契約社員だったんですが、12月から正社員登用の話がありまして」

「それはおめでとうございます。」

「彼女とも付き合い初めて5年が経っていたので、この機会にプロポーズしたんです」

「そうでしたか、良いタイミングだと思います」

「でも、彼女からの返事は良く無くて」

「彼女さんは少しタイミングが違ったのですかね」

「いえ、タイミングではなくて」

「そうなると、他に好きな人が出来てしまったのですかね」

「はい。『彼氏がいるから無理だよ』って言われました」

「えっ?」

「彼氏がいたみたいなんです」

「それはひどい話ですね、同棲されてたんですよね?」

「はい。だから言ったんです。『彼氏がいるって、じゃあぼくは何なんだ』って」

「彼女さんは何と?」

「ただの同居人だって。彼氏ではないと。最も親しい友人だと思っているって」

「それはあんまりですね」

「さすがにショックを受けました」

「5年間同棲されていたんですよね」

「付き合ったのは5年間ですが、同棲していたのは3年半くらいです」

「それにしても都合が良すぎますよ、彼女さんは」

「怒りとかはないんですけど、ショックでした」

「男女の関係もあったんですよね」

「もちろんありました。・・でも彼氏では無いって」

「そこまで行くと何も言えないですね」

「それで家賃は半分ずつ払っていたのですが、名義は彼女で借りてたんです」

「はい」

「その彼氏と一緒に住みたいから出てってくれないかと言われました」

「それはおかしいですよ、出て行くのは彼女さんの方だと思いますよ」

「ぼくもそう思ったんですが、やっぱり彼女には幸せになって欲しくて」

「そんなの優し過ぎますよ。彼女さんも和行さんの優しさに甘えていますよ」

「いろいろあったんですが、結局ぼくが出て行くことにしました」

「そうでしたか。なんか辛い話をさせてしまって・・すみませんでした」

「いえ。誰かに話しを聞いてもらいたかったので。少しすっきりしました」

「気の効いた言葉も掛けられませんが、今夜は飲みましょう。私も付き合います」

「ありがとうございます。嬉しいです」


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「ただまだこの話に続きがありまして」

「もう悲しい話ではないですよね、ぼくがもう耐えられません」

「ごめんなさい、もう少しお付き合いください」

「はい」

「彼女とはきっぱり別れたんですが、今度は仕事の話で」

「正社員登用の話があったんですよね」

「はい、でも会社の業績が急に傾きまして」

「まさか・・」

「正社員の話が無くなってしまいました」

「もう、どうして和行さんにばかりこんな悲しいことばかり起こるんですか」

「正社員の話が無くなっただけではなく、契約社員も解雇になりました」

「和行さん、もしかしたらお祓いとか行った方がいいレベルかもしれませんよ」

「そうですよね。家と女と職を一度に失うヤツなんていませんよね」

「和行さん、今夜は御馳走します。和行さんはもっと幸せになっていいはずです」

「はい、ありがとうございます」


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「あと1つだけいいですか?」

「これ以上何があるんですか?」

「家を出て引っ越したんですよ」

「はい」

「早速空き巣に入られました」

「ウソでしょ!?」

「いや、ウソみたいな本当の話なんです」

「何か盗られたんですか」

「いえ、何も盗られてはいませんが、テレビ付けっぱなしだったり、シャワー使われたり」

「鍵交換しましたか?」

「いえ、結構お金が掛かるので鍵交換はしなかったんです」

「前の住人とかかも知れませんね、いずれにしても鍵交換した方がいいですよ」

「そうします。まぁ家賃割り勘なら同棲してもいいですけどね」

「そうか、今度は和行さん名義だから万が一の時も追い出される心配ないですねって、おい!」

「あはははっ」

「仕事はどうされるんですか?」

「友達のところで働かせて貰ってます。案外給料もいいです」

「それなら良かったですね」

「このBARでお酒が飲めるくらい稼げればそれ以上もう何も望みません」

「これから素敵な出会いもありますよ、和行さん素敵な人ですから」

「1つだけお願いがあります」

「ぼくに出来ることがあれば何でも」

「壱岐ゴールドは置いておいてもらえませんか?彼女への未練とかじゃなくて。好きなんです。ぼくも」

「もちろん、常備しておきます」



このBARには常に壱岐ゴールドを常備している。

ただただ平穏な日々を望んでいる、繊細で優しい男性の為に。





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